トップページ
講演会
図録
交通案内
プレス
大応国師と崇福寺 大応国師と崇福寺 大応国師と崇福寺 大応国師と崇福寺
 鎌倉時代、この地で三十数年にわたり、全国にその禅風をなびかせた大応国師(南浦紹明)の遺業を今日に残る文化財によってふりかえります。
 大応の弟子の大燈国師が大徳寺を開き、その弟子関山慧玄が妙心寺を開き、三人をあわせて「応燈関」と呼び、その法灯は多くの臨済禅の宗派の中でも、今日までさん然と輝いています。そして、その中から一休や沢庵といった名僧があらわれたことは、大応が中国で学んだ師の虚堂智愚から日本へ帰る際に贈られた「東海の児孫、日に転(うた)た多し」とその将来を期待された言葉通りの発展といえましょう。
 大応が長く住んだ太宰府の崇福寺は全国の大応派の中心寺院でしたが、豊臣秀吉の九州出兵の際に兵火にあい、今日の博多区千代の地に黒田長政によって再興され、その後も当地の臨済宗寺院の重要寺院として、すぐれた禅僧を輩出しました。
 今年は大応国師の七百回忌の年にあたり、日本の禅宗文化の重要な一面である大応国師の事績と崇福寺ほか関係寺院の歴史を示す国宝、重要文化財など20件ほか初公開の資料も含めて約130点を展示します。
第一章
第二章
第三章
第四章