「これからの美術館」福岡市美術館クロージングトークショー

日時:2016年5月21日(土)14:00〜16:30
会場:福岡市美術館 講堂

リニューアルを契機に、福岡市美術館はどんな美術館をめざすのか。 改修工事のための長期休館を控えた2016年5月21日、福岡市美術館のこれまでを振り返り、これからを考えるためのトークショーを開催しました。
1994年、福岡市美術館で開催した「第4回アジア美術展」に作家として参加された藤浩志さんと中村政人さんは、現在、作家活動に加え大学で教鞭を執り、また美術館やアートセンターの運営にも携わっておられます。民間、私立、公立の美術館を渡り歩かれ、アメリカのミュージアムエデュケーションの動向を日本にいち早く紹介された逢坂恵理子さんは、現在は美術館館長として、芸術祭の監督として、グローバルに活動されています。この3人は今の福岡市美術館をどうご覧になるだろうか、ぜひ話を聞いてみたいと思える方々をパネリストにお迎えしました。モデレーターは、「第4回アジア美術展」において藤さん、中村さんと出会い、逢坂さん企画のミュージアムエデュケーションの研修会に参加したことのある、つまりは3者と20年以上の付き合いがある福岡市美術館学芸課長岩永悦子です。
美術館の未来に向けて交わされたトークショーの内容を、ここに再録いたします。
【編集: 福岡市美術館】

美術との出会い、そして福岡

■岩永: このトークショーは福岡市美術館のリニューアルを契機に、福岡市美術館をまな板に乗せて、みんなでシェアできる話が聞けたらと思い企画しました。みなさんには自己紹介を含めて、話を伺えたらと。

■中村: 福岡市美術館では、1994年に「第4回アジア美術展1」に参加し、藤さんも含めアジアの作家、学芸の人たちと深くコミットした思い出があります。作家のキャリアを作っていくうえで重要なきっかけを作っていただきました。
東京藝術大学で教えていますが、受験者数がこの30年でおよそ3分の1に減少しています。日本全体で美術を支える人たちが減っているという大きな課題が見えています。私は、クリエイティブ産業とのコラボ、地域におけるコミュニティ課題の解決、より複合的アートの展開と3つの方向でアートを支え、拡張していくべきだと考えおり、秋葉原のすぐ近くに民間主導のアートセンター、アーツ千代田33312 をオープンしました。学校の空間すべてをメディアとし、廊下から倉庫からすべてを工夫し使っています。自主財源で運営していて、福岡市美術館のような公的機関とは異なり収入源はテナント賃料、レンタル時間貸し、屋上菜園、物販等で、ここから人件費を含めた固定費を引いて、残ったお金で自分たちのやりたい展覧会をしています。大事なのは自発的で創造的な活動を喚起すること。「クリエイティブハブ」という言い方をしていますが、日本国内はもとより海外のいろんな人たちとつながりを持ち、旅の途中でもいいので立ち寄ってもらう。海外のアーティストから町会の人まで広く地域に開いた場です。
大切なのは、いかに経済的に自立し、その地域独自の文化的な美しさを生み出せるか。「人」と「仕組み」と「お金」と「美しさ」が重なり、自然環境に負荷をかけない循環型の環境を生み出し、社会的なコミュニティを形成するためにアートセンターがあると思っています。

■藤: 僕は1994年に「第4回アジア美術展」に参加したことがきっかけで、福岡の糸島市に引っ越してきました。2012年から昨年度まで青森にある十和田市現代美術館3 で働いていまして、美術館の運営はもちろん公共施設がどういう拠点になりうるか考えながら、場づくりや活動づくりをやってきました。
僕自身は最近、活動の連鎖を生み出すツールを作ろうとしています。福岡では「博多灯明ウォッチング」という灯明で町を飾っていく仕掛けや要らなくなったおもちゃを使った「かえっこ」という仕組みをつくりました。何か新しい活動が生まれるような仕組みに興味を持ち、そのためのツールを模索しています。福岡の糸島に住んでいるはずなのに十和田に呼ばれてちょろちょろしている間に、秋田に秋田公立美術大学4ができ、そこに「アーツ&ルーツ」という新しい専攻ができたんです。アーツ&ルーツは僕が今までやろうとしてきたことでもあり、これから目指していく方向でもあります。社会学や人類学の視点を持ち、地域の中に潜伏している物事に繋がりながら、農業、水産業、林業といった第一次産業をはじめ、地域で活動を作っている様々な人々に、美術をはじめとするや多種多様なクリエイティビティがどのように関わり、なにがつくれるのかについて、学生と一緒に様々な試みをはじめているところです。

■逢坂: 私はこれまで現代美術の分野でずっと活動してきました。まず、国の文化交流機関である国際交流基金5で働き、そのあとICA, Nagoya6 という民間のアートセンターで最前線の美術を紹介してきました。次の水戸芸術館現代美術センターは、コレクション構築よりアーティストの活動紹介に重点をおいた公立の文化施設で、フットワークよく自由度も高かった。そのあと、25万人の水戸市から1300万人の大都市・東京に移り、港区の高層ビルの中にある森美術館に入りました。規模が圧倒的に大きくなりまして、現代美術を広く伝えるという意味で新たな活動ができたと思います。
そうして、ようやくコレクションがある正統派の横浜美術館7で、館長として様々な仕事をするようになったのが2009年です。今までの私のキャリアと違い、横浜開港以降の美術に焦点を当てた横浜美術館は、現代よりも近代が中心なんですね。現代美術の大きな事業は横浜トリエンナーレ8。それから市民のアトリエ、子どものアトリエという造形支援活動も充実しています。
美術館は中核となるコレクションを堅持していくことと同時に、時代とともに変化していけるかということも大切です。従来通り学術的研究を核として、今それをどう発信するのか。それから、色々な人たちとどうつながっていくか。その美術館の何が特徴なのか、空間をどのように構築し、作品をどう提示していくか。最後に、それを運営して実現していく人材をどうやって育て確保していくかが大切です。

リニューアルに向けて舵を切る――福岡市美術館の歴史

■岩永: 福岡市美術館は大規模改修のため8月末で一旦クローズして2年半休館します。これがはじめての本格的な休館で、美術館活動の最初の締めくくりになる。2019年3月に再オープンするんですけれども、建物も設備もかなり変わるのでここからは第2の人生です。
みなさんがご存じないこともあるかもしれないので、少し振り返ってみますね。
福岡市美術館は方針が流動する美術館で、当初は基本的には郷土と欧米中心だったんです。近代美術館構想のもと開館記念にアメリカ現代美術展を目論んでいました。しかし1974年から福岡市が福岡藩黒田家の悉皆調査をしているうちに、黒田家の所蔵品を美術館で受け入れることになって、その報道を見ていた松永安左エ門関係の方が福岡市に美術館ができるのならコレクションを寄贈したいと。そこで古美術と近代美術を備える総合美術館へと向かいました。最初の方針を固守せず、柔軟に新しい選択をしてきました。開館記念展はアジア美術をとりあげましたが、これも開館の2年前に決まったんです。その仕掛人が、福岡市美術館の専門調査員をしておられた九州芸術工科大学初代学長の小池新二先生でした。小池語録の中に、「西欧文明は行き詰まった。未来はアジアにある。福岡はアジアのキーステーションだ!」とあります。その頃アジアの現代美術なんて誰も見たことなかったし、「アジアに現代美術はあるのか?」という失礼な話もありましたが、正論より先見性を優先し、未来はアジアにあるという直感を信じた。そして1979年に開館し、開館記念展では近代アジアの美術を紹介し、翌年には最初の「アジア美術展」が開催されます。方針は流動したけれど、そのおかげで美術を広い視野で見たり、知らないものも受け入れる国際的な視野を持てたと思います。
その後福岡市美術館は、福岡市博物館(1990年開館)や福岡アジア美術館(1999年開館)を産み出しました。金印や日本号が福岡市博物館に、アジア現代美術がアジア美術館に移管されるなど看板だった所蔵品のいくつかを失いました。けれど代わりに購入予算がついて、コレクションも新陳代謝して、新たな分野に手を出すことになった。いま私が担当しているアジアの染織もそのひとつです。それから新しく教育普及部門をつくりました。今のところ福岡で唯一エデュケーターのいる美術館です。
37年経ち建物も経年劣化し、機能が追いつかなくなったので大規模改修しますが、前川國男建築の意匠は残すので全体のイメージは変わりません。変わるところとしては、現在読書室がある場所にカフェがつくられ、新たな出入口ができて公園とのアクセスがよくなる。常設展示スペースも増える。また、経営形態が変わりPFIという手法をとり、管理運営部門と施設の建築は民間に託し、学芸部門は市の直営のまま15年間の体制をこれから組んでいく。舵をきって新たなところへ向かおうとしています。
福岡市美術館は一見すれば両極の、古美術と現代美術、地域密着と国際的なものが同居している。わかりやすさも研究的成果も重視したい。矛盾するというか相反するものを抱えていて、よく言えば多様なんですが、まだ同時多発的の域にしか至っていないというのが自分の反省点ですね。

美術館が街をかえる

■藤: 十和田市現代美術館は2008年オープンなので、まだ若い美術館です。これまでの美術館の考え方と全く違って、美術館といえるのか?というくらい普通の美術館ではない。収蔵庫もないし収集作品もない。美術館の計画が始まったのは2003年頃ですが、当時十和田市は人口6万人ぐらいの小さい町で、町が空洞化していって、商店街がシャッター化されていって、官庁前通りという公的機関があった通りに建物がなくなって空き地ばかりになっていました。
この美術館にはひとつの建物に一人の作家の一つの作品があります。入れ替わりがなく常に大型の作品を観ることができるので作品のビジュアルイメージが観光パンフレットにも載りますし、旅行社がお客さんを連れて来やすい。十和田とか青森に行きたい人を遊びがてら観光に連れていく場所として、美術館が使われています。建築は西沢立衛さん9で、四角い箱がポロポロポロポロとある。しかも街の景観に影響を与えていて、夜はLEDのライトで建物全体の色がじわ〜と変化します。これが夜の十和田の中心に明るい空間をつくっています。
人の行動を誘発させるよう、うまく仕組まれているんです。これは奈良美智さんの作品ですけど、絶対同じポーズをとって写真とりますね(笑)。そんな風に、何かをしたくなってしまう空間です。そして美術館のみならず街中や公園にもアート作品が散らばっています。だから大濠公園の素晴らしい環境の中にある福岡市美術館も、美術館だけで捉えるのではなくて、地下鉄を降りたところから美術の雰囲気がどんどん出ていくような仕掛けが可能だろうな・・・個人的に気になるのは、大濠公園に入ってすぐにある児童公園です。
十和田市現代美術館の展示室はだいたい7、8割が常設で、企画展示室は空間としては2割ぐらいしかありません。年に3本くらい企画展をやりますが、展示室も少ないことを逆に活かして展覧会を街中に広げ展開させる。企画展に合わせて企業と連携する。もしくは街中の空き店舗を使って展示をする。常に主体的な活動が発生する仕組みや場づくりができないかと考えています。これは僕が企画した『超訳 びじゅつの学校』で、美術館がそのまま部活動の部室になって、市民がいろんな活動をつくっていく。樹木部、被服部、おおおどる部であるとか、小説を書くものがたり部があったり。びじゅつの学校と言いながら先生はいないし授業もない、あるのは部活だけという僕にとっては理想の学校ですね、
岩永さんの話で多様性とか矛盾の話をされていたけれど、多様性というより多層性、レイヤーだと僕は捉えます。観光施設という面もあるし、古美術という面もあるし、生涯学習施設という教育の面もあるしと、いろんなものが多層に重なっているイメージです。なおかつ、そこからいかに連鎖していくか考えながら企画する。美術館を通して、いろんな活動が展開して拡がってゆく。それが理想です。

■逢坂: 十和田の現代美術館に行ったことのある方、どれくらいいらっしゃいますか。今、藤さんの話を聞いて、行ってみたいと思われたでしょうけれど、6万人の人口の十和田市の現代美術館に人口を遥かに越える18万人の来館者でしたっけ?人口の倍来る美術館ってなかなかないです。横浜は370万人なので倍にすると740万人・・・そんなの絶対ありえません。地域の拠点として十和田市現代美術館がなかったら、十和田はまったく違っていたと思います。いい意味で拡張していて、美術館を核にして商店街が活性化し、地域の方たちの意識がクリエイティブに変化していくという意味でも、すごくやりがいがありますよね。

美術館が人をそだて、人をつなげる

横浜美術館は開館当初から「みる、つくる、まなぶ」という3つの柱を立てています。「みる」は見る力を蓄えることを支援すること。「つくる」は造形活動を支援すること。「まなぶ」は自発的に美術を中核として様々なことを学ぶ意欲を刺激すること。横浜は国際交流の窓口として海外との連携を重視していて、横浜トリエンナーレのような現代美術の祭典も美術館を会場に行うようになりました。また、教育プログラムなど鑑賞教育に近年力を入れていて、アトリエ活動と鑑賞教育に関わるスタッフが正職員で9人います。国内の美術館の中では多いほうですね。
結局、美術館と言ってもその土地によって状況が違うので、そこの特徴をつくり、ロケーションや歴史を活かし、地域と協働していくかが重要だと思います。そして美術館を支援してくれる人=美術館を愛してくれる人をどれだけ育てられるか。大量動員展ばかりしていても、美術館を本当の意味で支援してくれる人はなかなか広がらない。美術館を大切に思ってくださる方を育てるために、横浜美術館ではコレクションに親近感を持ってもらう会員制度もスタートさせました。古いものを後世に伝えていくことも大切なのですが、美術館は実験と探究の場でもあるので、新しいものをどんどん受け入れる懐の深さも必要です。作品を適切な条件のもと保存して後世に伝えていく保守の考え方と、革新の考え方の両方が求められると思います。
もうひとつは、アートを通じて自分とは違う価値や考え方があることを想像できる人を育てること。美術は私たちの生活に不可欠だと、様々な角度から伝えていくことです。それを実現させるには、空間と人材が大切です。横浜美術館では、文化発信の拠点として国内外のネットワークをつくったり、今まで美術館に来なかった人たちに美術館から出向き、色々な機会を届けていく。私たちは今、学校や病院でも活動をしています。
そしてもうひとつ、美術館は交流の場。「つなぐ」ということを福岡市美術館も方針に掲げておられますけれど10 、美術館は多様なジャンルや人をつなげて行く場なんです。そうした活動を積み重ねることで、魅力ある都市のひとつの文化拠点として、市民の財産として美術館は育っていく。今、どこの自治体も観光資源として美術館を活かそうとしていますが、まず観光ありきではなく、魅力ある活動を蓄積できるかどうか、です。今までとは違う魅力に満ちていてクリエイティブで、気がつかなかった視点を提供し、人と人や地域をつなぐ活動ができてこそ、観光資源として経済的にもその町に貢献できる。それを逆転してしまうとポピュリズムに陥ってしまう。観光だけになると、おもしろいか楽しいか、万人が喜ぶかに集中しがちになり、美術館とはずれます。みんながまだ気づいていない、美術館として打ち出していくべきことはたくさんあるので、その辺りのバランスは本当に大切です。

アートの価値、美術館はなにができる?

■岩永: 藤さんと逢坂さんとは異なる立場におられる中村さんの活動をお話いただけたらと思います。

■中村: 美術館っていつの間にか、この30年、40年で全都道府県にできて。それまでは作家たちが、美術館が欲しいと言い続けて増え続けて、現代美術館を山の中とかいろんな地域に置いて、アートという言葉も同時に広がってきた。でも、東京でも「ああ、アートね。もういいです」みたいな、ため息のようなアートに対する偏見、アートに対する市民の思いがある種、固定化されてきたとも言える。
そのなかで「アートにおける5つのモード」、観光におけるモードをアートに変えてみたらしっくりきたんです。1番目は「気晴らしアート」は日常の退屈さから逃れようとするもの。アートは単なる気晴らし、こういう人は多い。2番目は「レクリエーションアート」。娯楽的な色彩が強くて、人々は心身の疲れを癒やして元気を取り戻す。美術館に行って今日は作品を観るとか、美味しいものを食べに行くとか。「経験アート」と「体験アート」をまとめいうと、憧れを持つだけではなくて、実際に参加し体験するアート経験。5番目は「実存アート」。経験に留まらず、自分の生活様式や価値観を捨て、アートで知った他者への生活様式や価値観を永遠に自分のものにしようとする。自分の内面を見続けて、いろんな考え方を学び、自分自身を成長させようとする。公共性の高いアートのあり方には「気晴らし」「経験」の要素が強いですね。個人の人生を変えてしまうものが駅前にあると大変だから、なんとなくそこにあって目に優しくて、気持ちが落ち着くものが多い。アートは公共的な意識から奥に向けて深まっていき、それが自分のことそのものであり、深部まで入っていくという魅力がある。このプロセスの中で美術館やアートセンターがどんな役割を担えるか考えて、価値とは何かとか・・・真面目な話ですね、大丈夫ですか。あの、実存に向かっていますので。
価値をつくるには5つの要素があります。人間力・自立力・美感力・環境力・しくみ力。ひとつだけでは成り立たないし、アート関係は経済、つまり自立力が弱いように、5つのバランスは大概いびつです。どこかが弱くて、それらを補え合えるよう連携していくのが大事だと思う。でもぴったり補えるような関係って難しくて、なかなか隙間が埋まらない。だから価値と価値の隙間をつなぐ必要がある。「つながる」ってことをよく言いますが、縦社会に横串をさし、領域横断的にこのバランスを調整して、新しい価値を創造していくことが必要なんじゃないか。
つまり美術館、アートという存在は様々な価値の中のたったひとつに過ぎないと自覚しつつ、アートの価値観がこのバランスの中で横串をさしていくことが大事なんじゃないか。
フランスの社会学者ピエール・ブルデューが言うように、文化にも3種あるんです。@「客体化した文化資本」は書籍や絵画とか、お金で買えるかたちあるもの。A「制度化された文化資本」は学歴とか資格とか免許とか制度で保障されている、本人の努力で得ることができるもの。Bの「身体化された文化資本」が大事で、礼儀作法とか慣習とか言葉遣いとかセンスとか美的思考とか、体に染みついてくるもの。でも100年蓄積した文化資本も一度消滅すると価値はすぐになくなるし、かたちだけ生まれてもそれが文化資本になるまでには長い年月がかかる。小さい頃に培ってきたものは一生ものだけど、20歳過ぎていきなり学習してもなかなか追いつけないし、学校の教育では身につけられない。町で生まれ育ってきた中で見ている風景、食べたもの、親に言われたこと、近所の人に怒られたことなんかを含めて自然と身についていなければ意味がない。さっきポピリュズムって言葉が出ましたが、消費行動の中で話を進めていくと、そのときは影響されても、身につきにくいんですね。じゃあ何をこの街で考えなくてはいけないのか。たとえば美術館に来ると静寂な気持ちになり、歴史も地域も超えた作品を鑑賞できる、知覚できる効果があります。静かな中で「身体化された文化資本」なものを感じる一つの素養というか、資質が喚起される。こういう場所が街の中にあるように、全体の多様な価値観の中で設計していかないと、美術館という存在は、この先もある意味固定化された概念や価値を言い続けてしまうことになります。

■藤: 僕は大学で授業もしますけれども、プロジェクトを立てるということをすごく大事にしています。プロジェクトを立てていくなかで、結果としていろんな活動が発生し、連鎖が生まれる。福岡にも以前ミュージアム・シティ・プロジェクト11 がありましたが、まちにそういう仕組みがあればいろんな活動が動き始めます。それを継続的に行おうとするには拠点が必要となりますが、拠点をつくると運営費がかかるし、維持するのが大変。じゃあ公立の文化施設が、地域での活動に連鎖、派生していくような拠点になれないのかというのが僕のそもそもの課題でした。
僕は違和感という言葉をよく使うのですが、「何かが違う!」という感覚に向き合うことが重要で、違和感に向き合うところからしか新しいものは出てこないと考えています。違和感はクリエイティビティの種です。違和感を抱くのも感覚、感性によるのですが、その感性ってどうやって育つのでしょうか。地域社会、今の日本社会が感性の育成にどれだけ取り組んできたのか疑問です。体も使わないと歩けなくなるし、頭も使わないと考える力すらなくなっていく。感覚を使わないと感性はどんどん鈍くなってゆきます。すでにそんな社会になってしまっている気もするんです。じゃあ、感じる力というものをどう育てるかというと、喜怒哀楽、喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。心を揺さぶり使っていくしかない。心を動かす活動が発生していく拠点みたいなところが、究極、美術館なのではないかな。

わからないことに向き合う――美術館の可能性

■岩永: 心が動く感じってすごく大事だと思います。ただ、わからないことに耐えられない人が多い。知らないからおもしろいかもしれないと思えずに、10秒観ていればわかるかもしれないのに耐えられない。

■藤: わからないことに向き合ったり、やったことのないことをやろうとしたり、知らない世界に行こうとしたり。それこそ好奇心。地域社会が感性豊かな人であふれていたら、好奇心と感性にあふれていたら、すばらしいのにね。

■逢坂: 初対面の方に会うときはその人を肩書きといった外側の条件で判断することが多くなりますが、美術の鑑賞も似ていると思います。多くの方は作品を見て、作品の横のキャプションに書かれた作家の名前、制作年代、素材などの情報で判断する。「これは有名なゴッホの作品だ」という情報で満足してしまって、作品をじっくり観ることがほとんどない。私自身、現代美術に出会う前は、考え方も今より柔軟性がなくて、外側の判断を重視していたと思います。数値ですべてを価値づける社会の中で、作品の価値も金額で何十億って言われるとすごいと思ってしまうけれど、自分の感情を大切にして、自分がどう思うかに意義を見出すことが大切です。世の中はわからないことや数値で表現できない価値があることを知って、それを受け入れる。心地よくない作品だってあるし、価値が違う人たちや異なる判断をする人もいます。そういう人たちと共存していくのが今の世界であることを、アートを通じて実感できれば、美術というジャンルを超えて「なぜアートが必要なのか」、人々が納得できるんじゃないかしら。
前回の横浜トリエンナーレでは、アーティストの森村泰昌さんの発案で、中高生向けに13回研修をして色々学んでもらい、最後に小学生にトリエンナーレを案内してもらうワークショップをやりました。13回通って来るのは中高生にとって大変なことですが、不登校だった高校生が応募してきました。このワークショップでいろんな人と出会い、小学生にアウトプットするという経験を経て、高校の卒業試験を受けてめでたく美大に入りました。たった一人の例だけど、自分の居場所がないと感じている今の子どもたちにとって、美術館はそういう場所でありたい。

■岩永: これから休館して開館するまでの間、福岡市美術館に何がやれるか、福岡市美術館と何がやれそうか、というものがあったら教えていただけたら嬉しいです。

■藤: 考え出すときりがないね。色々あるのだろうけど・・・。一番重要なのは「態度」を見せ続けることでしょうね。それこそ「第4回アジア美術展」のテーマは「態度としてのリアリズム」だったよね。本当に何か大切な物事を必死になって作ろうとしている態度が溢れ出ると、そこから何かが連鎖してすごいことになってゆくのでしょうね。

美術館に期待するもの

■岩永: 最後に、それぞれの立場から美術館の理想の姿についてお聞かせいただけますか。

■逢坂: 美術館によって理想の姿は変わってくると思う。ただ残念なのは、日本は世界に認知されている美術館が非常に少ない。日本では美術館を訪れない人も、海外に行くとルーブル美術館やメトロポリタン美術館に行きますよね。逆に海外から日本に来て、行く美術館ってどこなんだろう。この街にこの美術館ありきみたいなことは、十和田はそれができているわけですが、魅力ある施設がたくさんある大都市の場合はとても難しいですね。でも横浜市だったら横浜美術館と言いたい。そのためには、一人でも多くの人が自分にとって美術が大切なものと思えるように美術を浸透させていくことしかない。海外ではアーティストの存在と美術館の存在が社会に根づいていて、複眼的な視点を持ちクリエイティブな活動ができるアーティストはリスペクトの対象になる。日本だと、アーティストっていうと変な人と思われることが多く意識が異なります。私の理想としては、繰り返しになりますが、美術館が地域の核となり、市民に愛される施設として着実に活動を広げていけるようになることです。

■藤: 変化し続ける美術館って理想ですよね。価値感も社会状況も表現メディアも変わり続けています。システムとフォーマットにおいても新しい感性をくすぐるものがいっぱい出てきていて、フォーマットが変わることで表現も変わっていく。そういう意味でいうと、美術館というシステムやそのフォーマットも変化してきているんだから、それに対応しなくちゃいけない。どう対応していくかっていう更新性のある仕組みづくりが必要。
十和田も美術館として完成され過ぎているイメージがあったんですよ。でもそれはこれから動きを作ろうとしている人にとって魅力的じゃない気がして、若い作家やクリエーターの卵に使ってもらえる、彼らと関係できる空間にしてゆかねばならないと考えていました。美術館を核としていろいろなことが広がっていく仕組みを考えていかなくちゃ。面白い人が集まるところにしか、面白いものは生まれてこないんだから。大学ともっと連携すればいいし、福岡・九州のアーティストやアジアの作家ともっと遊べばいい。アーティストでなくても、妙な活動やクリエイティブな活動をしている面白い人たちがちゃんと美術館に用事があり、頻繁に出入りすることになる。そういう感じになるといいなと思いますね。

■中村: そうですね。知覚する場として魅力的じゃないといけない。美術館という魅力がどういうかたちでその地域に存在しているか、知覚体験として他の施設とどう連携し、どう差別化し、どう魅力をつくり続けられるか?知覚が鈍感になっているときにリニューアルは必要ですね。

■岩永: 場として魅力的なのはもちろん、福岡市美術館が福岡市の顔になれたらと思います。作品も並べ方を変えるだけでよく見えたり凡庸に見えたりするので、そういうことの責任を含め、空間の心地よさ、快適な場所であることを含め、ここを潜るだけで空気感が違うってことも含め、鈍いままにしておかない、ここに来たときに心が活性化する、感性が動くような場所でありたいと思います。そういう意味で、様々な仕組みが要るし、美術館だけでは完結しないという思いを持って活動していくことが必要ですね。
福岡市美術館は最初から世の中の流れや環境に対応してきた美術館なので、今後も柔軟でありたいですね。そしてもっと居心地がよく、もっと気持ちが動く、もっと昂揚できる、あるいはもっと落ち着くことのできる、もっと思考を深められる、もっと広げることができる場所であれたらと思います。

パネリストプロフィール

逢坂恵理子横浜美術館館長。国際交流基金、ICA名古屋を経て、1994年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員、1997年より2006年まで同センター芸術監督。2007年より2009年1月まで森美術館アーティスティック・ディレクター、2009年4月より横浜美術館館長に就任。1999年第3回アジア・パシフィック・トリエンナーレ日本部門コーキュレーター、2001年第49回ヴェニス・ビエンナーレ日本間コミッショナー、ヨコハマトリエンナーレ2011総合ディレクター、横浜トリエンナーレ組織委員会委員長を務めるなど多くの現代美術国際展を手がける。

藤浩志アーティスト、秋田公立美術大学教授。1960年鹿児島県生まれ。京都市立芸術大学大学院在学中に京都情報社を主宰。全国のアートプロジェクトの現場で「対話と社会実験」を重ねる。同大学院修了後パプアニューギニア国立芸術学校勤務、都市計画事務所勤務を経て1992年藤浩志企画制作室を主宰。1994年第4回アジア美術展(福岡市美術館)出品をきっかけに1997年福岡県糸島市を拠点とする。表現のためのシステムと拠点空間作りを全国各地で実践。NPO法人プラスアーツ副理事長、十和田奥入瀬芸術祭ディレクター、十和田市現代美術館館長を経て現職。

中村政人アーティスト、アーツ千代田3331統括ディレクター、東京藝術大学絵画科教授。1963年秋田県大館市生まれ。美術と社会の関わりをテーマにプロジェクトを進める社会はアーティスト。1998年よりアーティストイニシアティブコマンドN主宰。富山県氷見市、秋田県大館市等、地域再生型アート/プロジェクトを多数展開。2010年6月よりアーティスト主導、明説民営のアートセンター「アーツ千代田3331」を東京都千代田区秋葉原に立ち上げる。2010年芸術選奨受賞。2012年より東京・神田のまちの創造力を高めるプロジェクト「TRANS ARTS TOKYO」を始動。

岩永悦子福岡市美術館学芸課長。1987年より福岡市美術館勤務。1991年「アジア現代作家シリーズV タン・ダ=ウ展」、1994年「リキシャ/ペインティング バングラデシュのトラフィック・アート」展を担当。1996年からアジアの染織の研究を開始し、2011年「藍染の美・筒描」を担当。近年では教育普及事業にも力を注ぎ、アーティスト・オーギカナエをタッグを組み、キッズコーナー「森のたね」を展開。2014年「更紗の時代」企画。2015年より現職。