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福岡市美術館ブログ

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コレクション展 近現代美術

感動の受賞者スピーチ ~第2回福岡アートアワード授賞式~

 福岡アジア美術館から4月1日に異動して、当館近現代美術係に着任いたしました。実は、福岡市美術館は美術館人として歩みだした最初の勤務地。変わったところもあれば、変わらないところもあり、新たな気持ちと懐かしさの両方を抱いて仕事をしています。
 さて、3月28日(木)に開会した「第2回福岡アートアワードの受賞記念展」にあわせて、当日朝に授賞式をおこないました。受賞者3人のスピーチは、作家として真摯に社会と自分自身に向き合う姿勢、制作を支えた方への感謝、受賞の喜びに満ちていました。
 今回のブログでは、感動的だった受賞者のスピーチを皆様にお届けします。

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授賞式での記念撮影(左から、ソー・ソウエン氏、高島市長、イ・ヒョンジョン氏、山本聖子氏)

ソー・ソウエン氏【市長賞】

《お臍と呼吸》2022年 映像(3分)

 本日はお集まりくださり、ありがとうございます。また、このような賞をいただき、とても光栄に思います。
 あらためまして、今回の作品に参加し出演していただいた皆様、そして制作期間、下支えしていただいたアジア美術館の皆様、審査員の皆様、福岡市美術館の皆様、この場を借りてお礼申し上げます。
 わたしにとって作品を見ることは、他人の痛み、喜び、不条理に敏感であり続けるためです。わたしにとって制作は、傷ついたり、傷つけたりしても、それでもなお世界の優しい関係を築きつづけるための営みです。
 今回の作品は、ひとの出生と深く関わりのあるお臍と呼吸についての作品です。
 お臍は、最後まで母親と繋がっていた場所であり、臍帯が断ち切られることで成立します。そして、その傷跡が身体の中心にずっと残り続けるということに興味をもっています。また、臍帯の断絶とともに始まる呼吸は、わたしたちが生きていくうえで、常に世界に開き続けていかねばならないということを象徴していると思います。イタリアの哲学者、エマヌエーレ・コッチャは、呼吸に関して、呼吸は共食いの原初の形態である、というふうに述べました。
 現在、世界中で残虐なことがたくさん起こっています。そのことに、わたしたちはどのように感じていけばいいでしょうか。そのことを、わたしたちはどのように受け止めればいいでしょうか。この問いを最後に、わたしの言葉を締めくくらせていただければと思います。ご清聴ありがとうございました。

 

イ・ヒョンジョン氏【優秀賞】

《キムチ2022-1》 2022年 油彩・画布

 皆様、こんにちは。韓国から来ましたイ・ヒョンジュンと申します。この度は、ありがとうございます。
 わたしは、韓国の視覚芸術家です。わたしのキムチの作品が、「第2回福岡アートアワード」の優秀賞に選ばれたことは、とても意味のあることで、光栄に思っております。そして、とても特別なことだと感じています。この福岡で、わたしの作品の価値が認められるということは、とても光栄で嬉しいことだと思っています。
 福岡市、そして福岡市美術館、アートアワードの選考委員の皆様に感謝するとともに、芸術家としてすごく自負心を感じているところであります。そして、機会があれば、福岡市と交流をしながら、継続してアーティスト活動を続けていきたいと思っております。
 そして最後に、わたしのキムチの絵というものが、日本で認められたことをとても嬉しく思っていることを、もう一度申し上げたいと思います。ありがとうございます。

 

山本聖子氏【優秀賞】

《白色の嘘、滲む赤》2023年 映像(3面同期、20分33秒)

 本日は、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。
 この度の受賞作品は、リサーチ段階から制作に至るまで、ほんとうに多くの皆様に力をお借りして実現することができました。この場をお借りして、あらためてお礼を申し上げたいと思います。
 わたしは、大阪の千里ニュータウンの団地で育ちました。そこは便利で安全な環境ではありましたが、一方では、何かを自分で体験したり思考する機会は減り、自分が無機質になったように感じました。これが自分の創作の原点となっています。
 歴史をたどると、発展や成長など、一見明るくポジティブなメッセージの裏側には、多くの搾取や犠牲があります。そういったことは、過去のわたしのように、無機質な人間にはなかなか届きません。理不尽な思いをした人たちの悲しみは、自分には関係がないと通り過ぎ、さらなる搾取構造に加担します。わたしは、過去の自分を含めて、そういった人々に問いかけたいと思っています。
 芸術は、人間にとって自己内省のメディアであり、だからこそ生きるために必要なものだと思っています。今後も制作に励みたいと思います。ありがとうございました。

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 福岡で活動するおおくのアーティストの励みになれるよう、今年も「第3回福岡アートアワード」を開催する予定です。公募等の情報は、詳細が決まり次第お知らせいたしますので、多くの方にご応募いただければ幸いに存じます。

(近現代美術係 係長 ラワンチャイクン寿子)

館長ブログ

「ADAPTATION – KYNE」展、ただいま会場設営中!空間・プロダクトデザイナー 二俣公一さんインタビュー

今回の展覧会には、福岡市美術館の展覧会では初めてご一緒させていただく方々がおられます。前回ご紹介した、展覧会のキービジュアルと図録のデザインを担当してくださっているチロン&チビン・トリュー兄弟のお二人もそうですし、今回ご紹介する、空間・プロダクトデザイナーで「ケース・リアル(CASE-REAL)」を主宰されている二俣公一(ふたつまたこういち)さんもそうです。今回はまたとないチャンスなので、インタビューをさせていただきました。

二俣公一さん

実は二俣さんが作られた空間には、それと知らず何度も出入りしていました。福岡には、このお店があってよかった、と思える心の拠り所のような和菓子店があります。本店は福岡アジア美術館の、道路を挟んでお向かいにあり、いつも賑わっています。重厚だけど圧を与えず、清々しくて居心地がよい、そんなお店の佇まいを作り出しておられたのが、二俣さんでした。最近、警固神社の境内地に降臨したコーヒー店も二俣さんのデザインです。

受賞歴もあまたあり、今、話題のインテリアや建築 を多く手がけられている二俣さん。その腕を見込んでKYNEさんが会場デザインをオファーされたのかと思いきや、実は、KYNEさんと二俣さんは、共通の知人を通じて出会い、かれこれ10年近く前からのお知り合いだったとか。一見、接点のなさそうなお二人の長いお付き合いに驚きました。

「KYNEくんは、出会った頃から変わらないですね。策を弄したりしないで、やりたいことだけをずっとやっている。一見対極のような要素も、彼のなかで自然とクロスしていますね。」

「僕は建築家のお手伝いをしながら、大学を出てすぐに自分の活動を始めたので、小さな仕事の積み重ねからのスタートでした。 大きな事務所で鍛錬を積んでいきなり華やかにデビュー、という歩みではないので、KYNEくんのように東京での活動がありつつ、あくまで福岡にいる、というスタンスはとても理解できるというか、共感できます。」

「(仕事に対しては)プロジェクトとしての責任は自分がとらないといけないけれど、独りよがりになるのは、いやです。目的を成就していくことが重要なので、そのために空気を読みます。」

今回の仕事はKYNEさんから、空間に対して具体的な細かいリクエストがあった訳ではなかったので、特に言外の思いを読み取ろうとしたとのことでした。
美術館での大型展のデザインという今回のプロジェクトに、どのような視点で取り組まれているのかという問いには、こんな風に答えられました。

「既存の空間をねじまげたくない、と思っています。美術館の展示室として一見普通に見え、福岡市美術館のイメージもありつつ、よくよく見てみると、なにか良い違和感や発見がある、という空間を目指しています。」

古民家の再生を手がけることも最近は多いという二俣さんは、あらゆる想定をしておいた上で、例えば、一本の柱を残すか残さないかの判断を、現場で変えることがあるといいます。

「きちんと想定しておけば、不測の事態にも対応できるので。机上で決めたことを変えないという考えもあるだろうけど、僕は現場で起きる出来事に柔軟に対応したいと思っています。そうでないと面白くないじゃないですか。だから自分の想定を超えた要素は、有難いなとも思います。」

細かいディテールまでしっかり煮詰めておけば、偶然の出来事を活かすことができる。その言葉のとおり、インタビューの途中で興味深い事が起こりました。会場造作作業の状況を見に行かれる二俣さんについて行ったのですが、施工途中のある部分を見られて、「これ相当にいいんだけど。」と、ポツリ。その未完のパーツを会場造りに取り込めないかと、真剣に検討されはじめたのです。

インタビューを再開した時に、その新しいアイディアについて「KYNEくんが感じてきたストリートの空気感を、つくり物でない形で表現できるかもしれない」と、楽しみにしておられました。なおかつ、それがさまざまな検討のなかで採用されなくとも、会場がよくなるためなら構わない、とも。さあ、この偶然の出会いは、会場で生き残るのか、それともよりよい形へと変化していくのか。本展覧会は4月20日に開幕です。KYNEさんの作品だけでなく、作品と空間の響き合いも、楽しんでいただければ幸いです。

(館長 岩永悦子)

 

 

教育普及

65歳以上限定!いきヨウヨウ講座「のびのびアート鑑賞」

毎年3月に65歳以上限定のプログラム「いきヨウヨウ講座」を開催しています。早いもので9回目となる今回は「のびのびアート鑑賞」と題し、ストレッチするときにうーんと腕を伸ばすように、心と身体を広げるようなプログラムをしたいと企画しました。その内容は、さまざまな感覚を使って作品鑑賞をし、自分の気持ちをことばや形で表現してみようというものです。

今回は60代から80代までの皆さんが参加してくださいました。偶然だと思いますが、お1人で参加された方がほとんどで、始まる前はすこし緊張した様子もありましたが、そんな中プログラムのスタートの時間です。はじめは、いろいろな感覚を使っての作品鑑賞。当館のコレクション展示から、選んだ作品を一緒に鑑賞していきました。

インド更紗を鑑賞

はじめに、古美術企画展示室の「アジアの染織」展(~4/21)から、インド更紗(さらさ)を1点選び、全員で鑑賞しました。いわゆる作品解説によって受動的に鑑賞をするのではなく、対話型という方法で、参加者は能動的にじっくりと作品を観察していきます。「ハートの模様がある」「結婚式で使われた布かな」「黒い部分が気になる」など、作品をよく観察し、発見を共有していきました。「触ってみたら、木綿のような手触りかな」「触ってみたい」という声があがったところで、教育研究資料として収蔵した、インド更紗裂(さらさきれ)の登場です。実際に鑑賞した作品と近い時代の裂(きれ)にやさしく触れてみると、それぞれ微妙に異なる肌触り。「木綿だけど、なめらかで絹のように感じる」など、皆さんいろんな感想を口々に言いながらその感覚を確かめ合いました。

触って手触りを楽しみました

次は近現代美術のコレクション展示室へ場所を移し、サルバドール・ダリ《ポルトリガトの聖母》を鑑賞しました。今度は香りがテーマです。作品に描かれたさまざまなモチーフを見つけたり、キリスト教につながる意味を発見したり、最後にキリスト教にまつわる香りとして、乳香(フランキンセンス)の香りを嗅いでみました。香りを楽しみながら鑑賞するのは初めて!という声に包まれ、皆さんも興味津々でした。

乳香のにおいを嗅ぐ参加者

最後はザオ・ウ―キー《僕らはまだ二人だ-10.3.74》を選び、「音」をイメージしながら鑑賞をしました。3作品目になると、自然とみなさんが作品から連想される「音」やその場面を、次々に表現してくれて、多様なイメージを共有しながら1つの作品を見ることができました。

「音」をイメージして作品を鑑賞

さて、ここで突然配布された1枚の紙。何だろう?と戸惑う参加者たち。ここからは、参加者1人ひとりに1つ作品を選んでもらい、その作品を見て考えたこと、浮かんできた感覚や気持ちをたくさんメモしてもらいました。このメモが、後半の制作活動へとつながります。

メモを書き込む参加者の様子

お茶とお菓子で休憩タイム

お茶とお菓子で休憩を挟んだら、後半は作品鑑賞をして広がった感覚を、表現する時間です。大人になるほど、自分の気持ち、内面をそのまま表現する機会って、少なくなるのかもしれません。メモに残した自分の言葉を見ながら、少し客観的に自分の気持ちをとらえ、それをことばや形にしていきます。さあ、どんな表現にするか、用意された素材を選びながら、各自考えていきました。

素材を見ながら、表現方法を考えます

真剣な表情で制作中!

自分の気持ち、内面という、形のないものを表現するということ。最初は「えー!」「できない・・・」なんて呟いていた皆さんも、最終的には、私たちがびっくりするような創造をしてくれました。談笑しながら、ときに真剣な表情で、制作に没頭する参加者の態度からは、作品を鑑賞して感じた自分の気持ちという、目に見えないイメージを表現しようという意欲が伝わってきました。

最後に、全員でお互いの作品を見せ合って、いきヨウヨウ講座は終了です。アンケートでは「とにかく“いきようよう”とした気分になって楽しませてもらった」「他の人と話が出来たことが楽しかった!」「作品を見て、人それぞれ感じ方が違う事が大変おもしろく、気づきがたくさんあった」などの声が寄せられました。

メモと制作した作品

お互いの作品を見せ合いました

美術館で仕事をしていると、つい利用者を「高齢者」など属性で一括りにしてしまいがちですが、きっと次回の「いきヨウヨウ講座」を企画するときには、今回参加してくださった皆さんのことを思い出すでしょう。届けたい相手のことをイメージしながら「いきヨウヨウ講座」をこれからも継続していきたいと思います。

(学芸員 教育普及係 﨑田明香)

 

 

 

 

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