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ゴッホの青と黄

どーも。中山です。あけましておめでとうございます。

昨年末から始まったゴッホ展で、新年早々から美術館は賑わっています。活気にあふれた館内に、顔がほころびます。

ゴッホは浮世絵が大好きで、弟テオに送った手紙(十数年前、全部読んだことがあります。もちろん翻訳ですけど)にも、北斎の浮世絵や日本のすばらしさを何度も書いています。そんなゴッホが、日本人にこよなく愛されている。相思相愛ですね。

もしゴッホが現代に生きていたら、かりに世界的な巨匠じゃなくても、日本への憧れを情熱的に語る彼を、どこかのテレビ局が番組関連で招待してくれるんじゃないかな、なんておろかな夢想をしてしまいます。

でも、嬉々として日本にやってきたら、がっかりするかもしれません。「日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい」というゴッホの言葉は、表現意図がはっきりしていて明快な輪郭と鮮やかな色彩を伴い、夜景であっても明るく表現する浮世絵師の世界観のことであって、日本人みんなが何をするにも明確なわけではないからです。わたしみたいに、とりつくろったりごまかしたり、あやふやなことばかりしている日本人に出会ってしまうと、ゴッホの理想像が壊れてしまいそうで心配。まあでも、彼の日本旅行の夢は叶わなかったのでいらぬ心配ですが。

マティスは「色の魔術師」と言われましたが、今回のゴッホ展に出品されている《黄色い家(通り)》などを見ていると、晩年のゴッホの色も美しさや深さ、鮮烈な印象という点で負けてはいません。一般的に、色彩は明度の差が大きく、かつ色相環の対照的な位置(補色関係)にある色どうしであればあるほど、お互いを際立たせる性質があります。ゴッホ晩年の作品を特徴づける青と黄の配色はその典型です。「もし、黄色と橙色がなければ、青色もない」と彼は主張しました。しかし、ただ対比的に用いているだけではなく、青にしても黄にしても、微妙に異なる色彩の積み重ねや組み合わせがあってこそ、画面が輝いているのだとあらためて実感しました。

ゴッホは「色彩は、それ自体が、何かを表現している」とも言ったようです。彼の青と黄は、何を表現しているのでしょうか。後悔することも多かったと想像される人生なのに、「何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう」とも断言しています。すごいですね。わたしみたいに後悔することが多いと、まだ空虚なほうがいいかもなんて思ってしまいがちです。ゴッホの青と黄は、何を表現しているのか。考えながら鑑賞するのもいいかもしれません。多分、いろいろ思い浮かんできますよ。

本年も、福岡市美術館をどうぞよろしくお願いいたします。

(総館長 中山喜一朗)

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