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カテゴリー:コレクション展 古美術

コレクション展 古美術

2つの円相図

 10月25日(水)より、古美術企画展示室にて「仙厓展」を開催中です。本展では、ユーモアあふれる画風で禅の教えを分かりやすく伝えた仙厓さんの作品を18点紹介しています。
 観音さまの姿を優しいタッチで描いた作品や

《観音菩薩図》 江戸時代 19世紀

 博多で暮らす人びとを題材にした作品

《子孫繁昌図》 江戸時代 19世紀

 かわいらしい動物を描いた作品

《犬図》 江戸時代 19世紀

 など仙厓さんの多彩な画業を幅広く楽しめるラインナップです。
 できるだけ偏りがないように展示作品を選んでいますが、円相図だけはテーマ被りを承知で2点の作品を展示しています。

 円相とは禅僧が自らの悟りの象徴として描くもの。つまりこれらは仙厓さんの悟りそのものということです。
 まずはそれぞれの作品を見てみましょう。
 ①円相図

 ②円相図

 いかがでしょうか。円を描いてその隣に賛(コメント)を添えるのは共通しますが作品からうける印象は随分と異なります。両者の印象の違いを決定づけているのは賛でしょう。①には見るからに長い文章が書かれています。内容を要約すると、世の中には仏教、儒教、老荘思想、神道など様々な教えがあるが、この円はそれらすべてを包み込むものである。それぞれの教えの違いをことさらに強調するのは円の中にある模様をわざわざ見つけ出して区別するようなもので、意味のないことである、といいます。ここには、違いではなく共通点に目を向けようという、仙厓さんの宗教者としての姿勢が示されています。
 一方、②の方はいかがでしょうか。「これくふてお茶まひれ」(これでも食べてお茶でもどうぞ)というシンプルな賛が寄せられています。自身の悟りの象徴である円をお茶菓子のようにぞんざいに扱うところに仙厓さん特有のユーモアが発揮されています。
 このように一見、全く異なる性格の作品に感じられる2つの円相図ですが、実は、根っこの部分では通じ合っています。
 まず、①の円相図は仙厓さんが50代~60代に描いた作品。聖福寺の住職として現役バリバリだった仙厓さんは、自身の修行や弟子たちの指導のために絵を描くことも多かったでしょう。①のようにマジメな作品を数多くの子としています。こうした仙厓さんの画風に変化が生じたのが63歳で聖福寺を隠退した後のことです。お坊さんだけでなく、博多で暮らす人びとのために絵を描く機会も増えたようです。その結果、マジメな画風から親しみやすい画風へと少しずつ変化していきました。加えて、賛の内容もできるだけ短くシンプルなものへと変わっていきます。そうなると、短い言葉でいかに言いたいことを伝えるのかが課題になってくることは想像にかたくありません。
 これを解決するために仙厓さんがとった方法は“言葉で伝えるようとすることをやめる”ということでした。①の円相図で示されるように仙厓さんの宗教者としての主張は、“違いではなく共通点に目を向ける”ということです。これは、“みんなで同じ思いを共有する”と言い換えても良いでしょう。これを実現するための手段は言葉である必要はありません。そもそも、禅宗は不立文字(ふりゅうもんじ:法は言葉で表すことはできない)、以心伝心(いしんでんしん:言葉ではなく心から心へと伝える)など言葉よりも体験による心のつながりを重視します。
 仙厓さんにとってより重要だったのは言葉を尽くして説明することではなく、心で伝えること、すなわち、絵を見ることを通してみんなが同じ思いを共有することだったのです。
 このように見ていくと、真摯な宗教者であった仙厓さんがゆるくてかわいい絵やユーモアあふれる絵を数多く描くようになった理由も得心がいくのではないでしょうか。みんなが同じ思いするために“かわいい”や“面白い”は非常に強力なツールだったのです。
 仙厓さんの絵を見ていると、この作品には禅の深い教えが潜んでいるのではないか?とついつい深読みしてしまうことがあります。こうした見方ももちろん誤りではありませんが、本ブログでご案内したとおり“かわいい”、“面白い”と思ってご覧いただく見方も大正解だと思います。

 展示は12月17日(日)まで。是非会場へお越しください!

(学芸員 古美術担当 宮田太樹)

 

コレクション展 古美術

現川焼陶窯跡まで、あと25m

-10月25日(水)から「幻の古陶・現川焼―田中丸コレクションを中心に」展が始まります。そこで今回は、一般財団法人田中丸コレクションの久保山学芸員より寄稿いただきました。-

〝現川焼〟というやきものをご存じでしょうか?
余程のやきもの好きでもない限り、ご存じないかもしれません。
そもそも何と読むのか?という声が聞こえてきそうですが、〝現川〟と書いて〝うつつがわ〟と読みます。
江戸時代に肥前国(ひぜんこく)彼杵郡(そのぎぐん)矢上村(やがみむら)現川というところで焼かれたため、地名にちなみ〝現川焼〟と呼ばれています。
一般的にあまり知られていないのには理由があります。
江戸時代のわずかな期間しか焼かれておらず、忽然と歴史の表舞台から姿を消したやきものだからです。そのため伝世品が少なく、なかなか目にする機会がありません。

現川焼 刷毛地抱銀杏輪花皿(田中丸コレクション)

その現川焼の展観を10月25日(水)から12月17日(日)まで1階の古美術企画展示室で開催します。福岡市美術館と田中丸コレクションの現川焼22件を展示し、リーフレットの解説では現川焼の歴史とそのルーツに迫ります。

その下準備がようやく終わり、あとは展示作業やリーフレットの納品を待つばかりとなったある秋の日―。
現川焼が焼かれていた場所は、今どうなっているのだろうか?と、ふと気になり、長崎市現川町を訪れてみることにしました。

福岡市内から長崎市現川町へは、車でおよそ2時間。
現川町は長崎市の東部に位置しています。
長崎市のホームページによると、321世帯で人口671人(2023年9月30日時点)の小さな町です。
最初に向かったのはJR現川駅です。

JR現川駅

この駅は山間部にある小さな無人駅で、周囲にはコンビニや飲食店も無く、駅の佇まいは古き良き昭和の匂いを感じさせてくれます。
私が現川駅に到着したのが、午前10時過ぎ。
この日は祝日とあってか、ホームにはたくさんの人が長崎駅行の列車を待っています。
意外と言っては失礼ですが、利用客が多いのには驚きました。
それもそのはずで、JR長崎駅へは2駅と近く、長崎本線の列車に乗れば12分ほどで着くそうです。
そういえば、現川駅へ向かう途中、町の入口には真新しい家が建ち並んだ新興住宅地があり、近年、現川町へ移り住む人が多いのかもしれません。

さて、次はいよいよ現川焼を焼いた登窯の跡「現川焼陶窯跡(県指定史跡)」を目指します。
今から300年ほど前の窯跡なので、はたしてどうなっているのやら。
前もって地図で調べると、深い森の中にあり、現川駅からは歩いて行ける距離。
ちょうど天気も良かったので、現川町の風景を楽しみながらぶらぶらと歩くことにしました。

深い森の中に眠る現川焼陶窯跡(観音窯跡)

現川駅を後にし、高城台小学校現川分校跡を通り過ぎると、小さな川が流れています。
この川が〝現川〟の地名の由来となった〝現川川〟です。

現川川

地名辞典によると〝現川〟というのは「細長い地形を流れる川」を意味するとのこと。

この現川川に沿って上流の方へ進んで行くと右手に「現川焼陶窯跡 165m」という案内標識が見えます。
その矢印に従いながら、民家の間の狭い路地を通り抜けると墓地に突き当たります。
ここにも親切に「現川焼陶窯跡 25m」の案内標識が設置されています。 

現川焼陶窯跡の案内標識

目的地までは、あと25mです。
と、その矢印が示す方向を見た時です。
山道が倒木で塞がれ、宙には蜘蛛の巣が幾重にも張り巡らされて、行く手をはばんでいるのです。
鬱蒼とした森の中へ続くその山道は、人ひとり通れるほどの狭さで、この道以外に歩いて行けるようなところも見当たりません。
一瞬たじろぎましたが、せっかく福岡からはるばる来たのに、これぐらいのことで引き返すわけにはいきません。
しかも、あと25mなのです。
あまり気持ちが良いものではありませんが、そのへんに落ちている棒切れを拾い、蜘蛛の巣を払い落としながら、その急斜面の山道を登ることにしたのです。

この日の天気は曇りのち晴れで、気温は25℃。
前日の雨のせいで湿度が高く、ぬぐってもぬぐっても汗が滴り落ちてきます。
そして、息も絶え絶えにようやく倒木のところまでたどり着いた瞬間、今度は前方から「シャーッ」という何やら不気味な音がし、恐る恐る音のする方を見ると、倒木の上でヘビがとぐろを巻いて威嚇してきたのです!
さらに、その倒木の向こうには、羽音を立てて浮遊するスズメバチの群れ!!
私の顔から一瞬にして表情が消え、一目散に逃げ出したのは言うまでもありません。
〝泣きっ面に蜂〟とは、まさにこのことです。
そして、なぜだかわかりませんが手の指が痒い―。

現川町を後にした帰りの車の中で、この続きは寒い冬の季節にしようと、少し赤く腫れた指をさすりながら一人呟くのでした。

一般財団法人田中丸コレクション 学芸員 久保山炎

コレクション展 古美術

東光院仏像をPRするのだ!

当館1階古美術展示室にある《十二神将立像》(重要文化財)をご覧になったことはありますか?仏像それぞれに勇ましい表情、躍動感あるポーズをしていますが、頭上をよく見ると十二支の動物がひょっこり顔を覗かせています。そのギャップが何とも言えず可愛らしいのです。展示室では、中央の薬師如来像をぐるりと取り巻く形で展示されています。

東光院仏教展示室 展示風景

今回、広報の一環として十二神将立像の特製カードを作成。8月1日~31日までプレゼントキャンペーンを実施しています。このブログでは、特製カード制作の様子をご紹介してみたいと思います。

じゃ~ん!《十二神将立像》が12種類のカードとなって登場!

当館では、1年ごとにコレクション作品の中から1点選び、積極的にPRしています。ちなみに昨年度は、ミロ作品で、「3」と「6」の付く日はミロデーとして作品撮影OKに。そして今年度の作品は、東光院仏像(薬師如来像や十二神将立像など)に決定!

どんな広報策がよいか考えていたところ、昨年の夏のことを思い出しました。昨年夏、この十二神将立像をご覧になった方が、「自分の干支の仏像は、なぜか変なポーズをしていた!」とお話しされていました。それを聞いて、干支にまつわる作品は、ついつい生まれ年の干支に注目し、自分事として捉えるから面白いなぁと思ったのでした。

そんなことを思い出しながら、12種類の特製カードがいいかもしれない!と、学芸課の皆さんにご提案し、承諾をいただきました。そしてN総館長が、「そういえば、昔に撮った十二神将の写真があるんだよ。」とのこと。お借りしてみると、ポジフィルムだったので、光に透かして写真をみると…かっこいい!渋ワイルドな十二神将たちが写っていました。

ただ、残念ながら、なぜか「未」だけがポジ資料が無かったのです。他の画像で代用するしかないか、と思っていたところ、G学芸課長が「プロに新たに撮影してもらいましょう!」と。かくして再撮影された「未」画像が届き、確認してみると…これまたかっこいい!これで無事に12種類揃ったのでした。(未年の皆さん、よかったです。)

この度、新撮影された「未神」 撮影:山﨑信一

カードの裏面には、古美術担当学芸員による作品解説を掲載しています。また、各カードには、干支にちなんだ一言も。例えば、丑神カードには「牛の歩みも千里」、酉神カードには「鶏口となるも牛後となるなかれ」など。作品解説の冒頭に、「十二神将は薬師如来を護る十二人のガードマンです。」とありますが、このカードも持ち主のお守りのような存在になるといいなと思っています。カードを手にした後は、ぜひ展示室で実物の鑑賞もお楽しみくださいね。

そして、古美術展示室を出たあとは、カフェ&ショップもお見逃しなく。カフェ アクアムでは、コラボレーションスイーツとして「光輪ぱふぇ」が登場。パフェの中央にある輪っかは…そう!薬師如来像の頭円光(というそうです)をモチーフにしています。暑い夏に美味しくてありがたい(!?)和スイーツで涼んでみてはいかがでしょうか。また、ミュージアムショップでは、仏像関連のフィギュアやトイカプセルを展開しています。こちらも要チェックです。ぜひお立ち寄りください。

光輪ぱふぇ

皆様のご来場、お待ちしております!

(広報運営グループ 安田由佳子)

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