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カテゴリー:コレクション展 古美術

コレクション展 古美術

無風でもヒーローになれる!


これは、こぶうし君が身に着けている「ヒーローマフラー」のキャッチコピーです。ヒーローになりたい、でも風が吹いていない…!そんな時におススメのアイテムです。

「どうして風が吹いていないとヒーローになれないの?」と思わずツッコみを入れたくもなりますが、仮面●イダーやサイ●ーグ009を例にあげるまでもなく、赤いマフラーをなびかせるのはヒーローにとってお約束のビジュアルと言ってよいでしょう。マフラーを身に着けたこぶうし君の表情がいつもより凛々しく感じられるのはきっと私だけではないはずです。

昨日から開幕した「風を視る」(~2021年1月31日)はこのような風を目にした時に生じる心の動きをテーマに企画したものです。というのも、東アジアの美術を勉強していると、「呉帯当風(ごたいとうふう)」(衣服が風に翻るように見える様)や「翻波式衣文(ほんぱしきえもん)」(衣が波打つように動く様)などなど、風や布にまつわる専門用語にやたらと多く出くわすのです。

これは、古来、人々が風、あるいは風になびく布をあらわすことに力を注いできたからに他なりませんが、彼らはこうしたモチーフに何を期待していたのでしょうか。ひょっとしたら、私たちがヒーローの首元でなびくマフラーを見て感じるような熱い気持ちを抱いていたのではないか、そんな仮説が出発点になっています。

この仮説を証明するために一番手っ取り早いのは、風が表現されている美術作品と、それに対する当時の鑑賞者のコメントを見つけ出すことです。ですが、現存作品や資料に限りがある古美術においてこの方法は現実的ではありません。

そこで、次なるアプローチとして仏教の経典や解説書の記述と作品の描写を対照してみる、という方法があります。もちろん、あらゆる仏教美術が経典の記述に忠実、というわけではありませんが、文献史料に乏しい古美術を考察する上では有力なてがかりであることは間違いありません。また、仏教美術には風をあらわした作品が多く存在することも見逃すことのできないポイントです。

例えば、風を神格化した風天や、空を自由に飛ぶ天人などからは、身に着けた衣裳や髪の毛が勢いよくなびく様子を見てとることができます。

風天図 室町時代 16世紀

繍仏裂 飛鳥時代 7世紀

これらは、自然現象や身体運動に伴って生じた風をあらわしたもので、それほど不思議な感じはしません。ですが、仏教美術を見ていると理屈では説明がつかない風の表現にでくわすことも珍しくないのです。

線刻十一面観音鏡像 平安時代 長承3年(1134)

これは、十一面観音の姿を線彫りであらわしたものです。脚を組んで座る静かなたたずまいですが、肩に羽織ったショールは強風にあおられたかのように舞っています。この風は一体どういう理由で吹いているのでしょう?

そこで、経典の記述に目を向けてみると、仏像に祈りを捧げたときに起きる奇跡として、像が動くことがしばしば説かれることに気が付きます。これを踏まえるならば、仏像の周りに吹いている風は、像がまさに奇跡を起こした瞬間であることを示していると考えることができるのではないでしょうか。つまり、風の表現は人々に対して自身の祈りが確かに仏像へと伝わったということを印象づける効果があったと想像されます。

当時の人々に聞いてみないと確実なことは分かりませんが、仏教美術に見られる風の表現に抱いていた想いは、私たちがヒーローのマフラーを見て感じる興奮とそれほど違いはないのではないかと思います。

(学芸員 古美術担当 宮田太樹 )

コレクション展 古美術

仙厓は前衛作家?

当館1階の古美術企画展示室で6月から開催しているコーナー展示「仙厓展」。先日、展示替えを行い、作品も展示テーマもガラッと変わりました。この展示では過去の「仙厓ブーム」をいくつか取り上げており、本ブログではその一部をご紹介します。まずご覧いただきたいのがこちらの本。

仙厓西欧展図録

中身はフランス語。全然読めない…

表紙の“Sengai”だけがかろうじて読めるでしょうか…。
実はこれ、1961年に開催された仙厓西欧展(フランス語タイトルは” EXPOSITION ITINERANTE DE SENGAI EN EUROPE”)の図録です。イタリアのローマを皮切りにヨーロッパ11ヵ国、14都市を3年かけて巡回するというもので、50年以上も前にこれほどの展覧会が開催されていたというのは本当に驚きです。当時は、日本でも仙厓の評価は決して高くありませんでしたが、欧米で巻き起こっていた禅ブームが展覧会実現の強い追い風になったようです。

さて、仙厓さんの作品はヨーロッパの人々の目にはどのように映ったのでしょうか?それを知るてがかりとなるのが、展覧会を訪れた批評家たちによる言説です。仙厓西欧展の反響は日本の雑誌でも紹介されており(註1)、それによると批評家たちには概ね好評だったようです。

仙厓西欧展の反響は雑誌(写真は『墨美』151号、1965年)でも大きく取り上げられました。

特に高い評価をうけた作品の特徴を拾い上げてみると

①記号をモチーフとした作品
②極端にデフォルメされた人物
③身体の動きを感じさせるような筆勢あふれる書

などがあります。こうした特徴は、対象をリアルに再現するのではない、新たな表現を模索していた当時の前衛美術の動向とも通じるところがあり、仙厓は時代の先駆者として高い評価を得ることとなったようです。浮世絵が印象派の画家たちにインスピレーションを与えた「ジャポニスム」と似ているところがあるかもしれません。

それでは、具体的にどのような仙厓作品が評価されたのでしょう?残念ながら、当館のコレクションおよび寄託作品には、仙厓西欧展の出品作はありません。ですが、先ほどあげた特徴に合致する作品ということであれば、

①記号をモチーフとした作品

《円相図》 江戸時代 19世紀 小西コレクション(展示期間:9/1~10/11)

②極端にデフォルメされた人物

《蜆子和尚像》文政3年(1820) 三宅コレクション

③身体の動きを感じさせるような筆勢あふれる書

《養幻身》文化8年(1811) 九州大学文学部蔵(中山森彦旧蔵)

などを思い浮かべておけば、大きな間違いはないはずです。

さて、次に気になってくるのは、これらの作品を目にしたヨーロッパの批評家たちが思い浮かべた前衛美術とはどのようなものだったのか?あるいは、仙厓作品に影響を受けた作家はいるのか?ということではないでしょうか。調査が及んでいないこともあり、後者については現時点では全く分かりません。ただ、前者については批評家たちが具体的な作家を数人あげています。

例えば、仙厓西欧展に関する同時代人の批評を渉猟した竹本忠雄氏は、仙厓の作品に既存の芸術の枠組みでは捉えることができない「非芸術」としての側面があるとしたうえで、絵に穴をあけてそれを作品にしたルチオ・フォンタナなどとの共通性を見出そうとしています(註1)。

ちなみに、穴をあけた絵ではありませんが、これと似た趣向のフォンタナ作品が当館のコレクションに含まれており(《空間概念 期待》1962年)、2階の近現代美術室Aで展示中です。私も仙厓とフォンタナの作品を見比べてみましたが、似ているかどうかは正直よく分かりませんでした。多分、近現代美術の知識が足りないせいでしょう…。

ですが、当時の批評家たちが両者の作品に共通する前衛性を見出したことはまぎれもない事実です。仙厓展に来られた際は、2階のコレクション展もご覧いただき、批評家のまなざしを追体験してみてはいかがでしょうか。
(学芸員 古美術担当 宮田太樹 )

註1
竹本忠雄「東と西のあわいに 仙厓展をかえりみて」『墨美』151号、1965年(本ブログで紹介する批評家の言説はこの文献に依っています。)

コレクション展 古美術

悪夢の展示替え

ある日の古美術展示室。
独立展示ケースに飾っている壺を、展示替えする日です。
いつも一緒に作業をする相棒の学芸員は、この日は居ません。ひとりきりの作業です。

展示ケースの扉を開けます。
壺は高さ30センチ程で、豊満な器体には華やかな色絵が施されています。重要文化財に指定されていて、当館の古美術コレクションを代表する一品です。

壺は、転倒防止のために掛けられた6号の太いテグスでしっかり固定されています。壺の首まわりをぐるりと締めるテグスは、そこから四方へ、肩を押さえながら斜め下へまっすぐ伸びて、展示台に打ち付けられた4つのピンに、しっかり巻き付けられています。まずは、このテグスを外さなければなりません。

ハサミでチョキン!

あれ?切れない…おかしいな。

じゃあ、カッターで、シュッ!

あれれ?切れない…なんでかいな。

しかたがない、ピンごと抜いちゃおう。

ラジオペンチでピンの頭をグイッと引っ張る。

…スポン、…スポン、…スポン、…ググッ!

くそ~、最後の一本が抜けないな。もっと力を入れて引かないと。

グググググ~、スポン!

「よし、抜けた!」と喜んだ刹那、私は勢いあまって後ろに倒れ、尻もちをついてしまいました。しかも右手は、ピンを掴んだラジオペンチを強く握りしめたまま。

美しい壺は、首をテグスに引っ張られて横転し、一瞬宙を舞って、スローモーションで私の方へ落ちてきます。まるでリードを引かれたセレブ犬が飼い主の胸に飛び込んでくるように。
「恒、落ち着け!ゆっくり落ちてきているから、両手と胸でキャッチすれば大丈夫。」と自分に言い聞かせる。しかし、腕が動かない!金縛りにあったみたいに。

壺は、私の胸に当たって跳ね返り、床に落ちてゆきます。
目を背けます。そして聞くに堪えない破裂音が。

ついにやってしまった…。収蔵品を、市民、国民の財産を!

上司に伝えなければ。

走って事務室に戻りますが、足が思うように動きません。

やっと事務室に着きましたが、誰もいません。

隣の課をのぞきますが、誰もいません。

警備員さんもいません。

とりあえず、文化庁に電話しなければ。

しかし、電話機がない。部屋中どこを探しても見つかりません。

じゃあスマホで…うわっ、バッテリーが切れとる!

どうしよう、どうしよう…

取り乱し、誰もいない館内を彷徨している最中に、目が覚めました。

*   *   *

以上、先月の寝苦しい夜に見た夢の内容を、記憶する限り描写しました。当館に奉職して17年、年に1、2回は見てしまう悪夢です。大体は、ハードな展示替え作業日が近づいた頃に見るように思います。

同業者にこの話をすると、同じように収蔵品を壊してしまう夢を見るという人は少なくありません。「学芸員あるある」の一つのようです。

この夢も最初の頃は、壺を持つ手をすべらせたとか、壺の口を握ったらパカッと割れたとかで、青ざめた瞬間に目が覚めるというシンプルなストーリーでした。同じ夢が続くと「あ、これ、あの夢だな」と夢の中で気づくようになります。そうすると、夢も次は私に気づかれまいと、ストーリーをアレンジしてくるのです。しかも回を重ねるごとに演出が細かく、しかもドラマティックになってきています。テグスを介して壺を落下させるなんて、なんとも巧妙な仕掛けではありませんか。

壺が、昔飼っていた愛犬の姿に変身したこともあります(日頃テグスで固定された壺をみていて、無意識のうちに、リードに繋がれる犬を連想していたのでしょう)。無人の館内を半泣き状態でさまよい歩く絶望的な時間も、どんどん長くなっているように思います。

目覚めるたびに、もう二度と見ませんように!と願いますが、しかし、この夢には感謝をしなければなりません。
「初心不可忘」の意識を、都度新たにしてくれるからです。

次の展示替え作業は、8月31日です。

(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)

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