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福岡市美術館ブログ

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カテゴリー:コレクション展 古美術

コレクション展 古美術

鳥獣戯画展と明恵礼讃展が始まるまでのお話

 当館では現在、大小ふたつの企画展が、下記の通り開催されています。

★特別展「国宝 鳥獣戯画と愛らしき日本の美術」(会期:9/3~10/16、会場:特別展示室)
https://artne.jp/chojugigafukuoka/

★関連企画「明恵礼讃“日本最古之茶園”高山寺と近代数寄者たち」(会期:8/31~10/23、会場:古美術企画展示室)
https://www.fukuoka-art-museum.jp/exhibition/cyoujyuu2/

 どちらも京都・高山寺の宝物を中心に構成された展覧会で、前者を同僚のM学芸員、後者を私が企画担当しました。古美術係の学芸員2人が、ともに開催時期を同じくする2つの企画展をそれぞれ担うのは、少なくとも私が当館に就職してから約20年の間では初めてのことです。
 開催情報や展示内容についての詳細はURLをご参照いただくことにして、ここでは両展が開催に至るまでの経緯や裏話を書こうと思います。

 *

 西日本新聞社を通じて高山寺の国宝・鳥獣戯画を公開する展覧会を企画できないかという相談を受けたのが2019年の夏、当館がリニューアルオープンして幾ばくも経たない頃でした。M学芸員が主担当となり、鳥獣戯画を中心に、「愛らしき」動物たちへの眼差しに焦点を当て、全国各地から作品を集めた企画案が出され、館内、同社との協議、そしてお寺様にご相談しながら、2022年の開催を目指して実現可能性を高めてゆきました。年が明けて2020年はコロナ禍の到来で右往左往しましたが、文化庁や作品寄託先の館とのやりとりなどを経て、計画は着々と進んでいました。
 その過程で、高山寺の事実上の開山・明恵上人を顕彰する何らかの企画を盛り込む必要性が検討され、私が担当することになりました。ちょうどコロナ感染防止のための臨時休館に伴って在宅勤務をしていた時でした。以前に知己を得た大学の先生の論文を通じて、近代数寄者たちが高山寺に寄進した茶室「遺香庵」とその什物たる多くの茶道具が伝存していることを思い出して「明恵礼讃」展の企画案を作り、鳥獣戯画展の関連企画として同時期に別室にて開催することが決まりました。ちょうど翌年秋に開催を控えて担当していた特別展「没後50年 電力王・松永安左エ門の茶」の内容を具体化しようとしていた時でもあり、別個の企画が「近代数寄者」というキーワードでつながったことの幸運を感じたものです。

 2021年秋の「松永安左エ門の茶」展が終ると同時に、両展の準備が本格化しました。M学芸員はこの年、松永展の副担当として私にコキ使われながらも、鳥獣戯画はじめ借用予定の重要文化財の展示計画の具体化-例えば文化庁及び文化財活用センターの指導を受けながら、作品を陳列する展示ケースの環境調査など-、関係機関との折衝、それに明恵礼讃展の作品調査の段どり等を進めていました。作品の実見調査、写真撮影、出品交渉、そしてポスター、チラシ等の告知物の製作を進め、両展の実行委員会が立ち上がったのは2022年の春。
 いつも、実行委員会が立ち上がる頃から、図録原稿執筆のプレッシャーが強まってきます。カレンダーやスケジュール帳を見るのが異常におそろしくなるのもこの頃からです。図録印刷会社のご担当から編集スケジュールを渡され、恐る恐る覗き見て、胃がキュウ~ッとなります。とくに入稿締切までのひと月が佳境であり、この時期は、ひと月が60日あるはずだと本気で信じたくなります。あくまで遅筆である私個人の話ですが。
 ともあれ、事情にもよりますが、図録の完成が展覧会の開幕に間に合わないというのは、学芸員として最大級の恥だと教えられましたし、実にその通りだと思っています。だから、原稿をかかえている同士で、互いの執筆状況を尋ね合っては一喜一憂したり、励まし合ったりして、何かと気ぜわしい時を過ごしました。
 図録原稿が館内決裁を終え、デザイナーによるレイアウトを経て印刷会社に入稿されると、ひとまず大きな肩の荷が下ります。そして図録の文字校正・色校正、展覧会場の図面、パネル、キャプション・作品解説等の校正、各所蔵先に展示作品を拝借にうかがうためのスケジュール、展示作業の詳細スケジュール調整などなど…膨大な作業がのしかかってきます。体力を消耗しますが、頭の中にあるイメージが次々と目に見える形になってくることで気分が高揚します。

 作品集荷及び輸送トラック添乗の旅は、今回、展覧会開幕のひと月前から始まりました。私は、お盆明けに京都へ4日間の集荷、その翌週に3日間をかけて東京から福岡までの作品輸送トラックに添乗するのを任されていました。
 盆明けに予定通り図録が校了し、京都にてお寺様、寄託先にて宝物の拝借に伺い、万事順調に帰福。さぁいよいよ展示作業、ラストスパートだと駆けだした数日後、スッ転んでしまいました。8月21日にコロナに罹ってしまったのです。恐れていた事態でした。展示作業は8月29日~9月1日まで。療養期間は9月1日まで。そう、明恵礼讃展の担当者で、鳥獣戯画展の副担当でありながら、どちらの展示作業にも参加できなくなったのです。
 発熱の苦痛の半分は、職場に行きたくても行けない現実に直面した心の苦しみでした。M学芸員が引き受けてくれたものの、鳥獣戯画展とほぼ同時の作業日程とあってはあまりに負担が大きく、彼が倒れてしまっては両展とも開幕できなくなるので無理はさせられません。
 そんな時、課の仲間、上司から、私へのお見舞いメッセージとともにM学芸員と私をサポートする「明恵展 展示作業チーム」が結成されたとの知らせがありました。皆、それぞれに大きな仕事を抱えている中、係を超えて、私が作った図面やキャプション、パネルなどのデータを探して、すでに必要な準備を進めてくれていたのです。胸に込み上げてくるものが解熱を早めてくれたと思うのは、気のせいではないと思います。
 熱が下がっても、自宅に居るしかありません。せめて展示作業チームが少しでも作業をしやすいよう、展示平面図とは別に、いつもは作らない立面図を作ることにしました。これがやりだすと結構楽しく、かえって作業を複雑にしてしまったような気もしますが、チームは私がイメージした明恵礼讃展の空間を見事に作ってくれました。
 M学芸員は休みなく鳥獣戯画展の展示作業に取り掛かり、両展とも無事に?開幕したのでした。

 お蔭様で両展ともに好評開催中です。開幕してからやろうと後回しにしていた仕事がたまっていて、開幕しても結局休めないというのも「あるある」なのですが、私はコロナ療養で充分すぎるほど休んだので、今回はそれがありません。少しでも取り戻せるようにガンバリます!

(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)

 

鳥獣戯画展 展示作業風景

明恵礼讃展 会場風景

 

 

コレクション展 古美術

雨を呼ぶ水指(みずさし)《若葉雨》

-5月31日(火)から「田中丸コレクション 九州やきもの風土記 陶器編」が始まります。そこで、今回のブログに、田中丸コレクションの久保山炎学芸員より文章をお寄せいただきました。-

 

 

「この水指を茶会で使うと雨が降るよ」

私が田中丸コレクションに入って間もない頃に前任者から教わったことです。
この時の私には、それが冗談なのか本当の事なのかは知る由もありません。

高取焼《藁灰釉緑釉流四方耳付水指 銘「若葉雨」》
江戸時代17世紀前期
田中丸コレクション

それから一年が過ぎ、実際にこの水指を茶会で使うことになったのです。ちょうど木々の葉がみずみずしい若葉の時候で、この水指を使うのに最もふさわしい季節です。
茶会当日の朝、天気予報は晴れ。
雲一つない青空でとても雨が降りそうな気配は感じられません。

ところがです。
お昼も過ぎた頃から、しとしとと雨音が聞こえだしたのです。
しばらくして障子を開けると外はあたり一面、白い雨で煙り、薄緑色の若葉がぼんやりと滲んで見えるではありませんか。
まるで水指の釉景色と同じような光景に一同感激し、その場に思いもよらない詩的な趣を添えたのです。

それ以来、前任者と同じように説明しています。
「この水指を茶会で使うと雨が降るんですよ」と。

その「若葉雨」を5月31日(火)から展示します。
今回は「九州やきもの風土記 陶器編」ということで、九州各地の陶器窯を国ごとに分けその歴史や特徴を紹介します。
なお、ご来館の際は念のため、折りたたみ傘を持ち歩くと安心です。
8月28日(日)まで。

(一般財団法人田中丸コレクション 学芸員 久保山炎)

 

 

 

 

 

 

コレクション展 古美術

「流れゆく美 日本美術と水」展を開催中です!

3月30日(水)より古美術企画展示室にて「流れゆく美 日本美術と水」展を開催中です。海や川、湖など水のもたらす雄大な自然に囲まれた日本では、古くから水にまつわる様々な美術作品が制作されました。本展では、こうした水にまつわる作品を通して、古の人々が水に対してどのようなイメージを抱いていたのかをご紹介します。

展示風景

 本展では、日本の風土を象徴するような水辺の風景を描いた作品もいくつか紹介しています。その多くは、単純にきれいな景色だからというだけではなく、祈りの対象であったり、文学作品に典拠をもっていたりと、当時の鑑賞者に様々なイメージを想起させるものでもありました。
 本ブログでは、その一例として風景画と文学作品が結びついた作品をご紹介いたします。

狩野雅信《隅田川図》 

この作品は、幕末維新期に活躍した狩野派の絵師、狩野雅信(ただのぶ、1823~1879)が手掛けたもの。東京を流れる隅田川を輪郭で縁取らない柔らかな筆遣いで情趣豊かに描き出しています。
 隅田川は、春の花見や夏の納涼など、四季折々の行楽が楽しめる場として、古くから人びとに親しまれてきました。江戸時代に作られた名所図には、花見客で賑わう隅田川の様子が描かれたものもあります。

花見客で賑わう隅田川(『江戸名所図会』出典:国立国会図書館 ウェブサイト(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563398/20)

 右幅に桜、左幅に紅葉と、春・秋の風物詩を描いたこの隅田川図も、このような行楽地としての隅田川をあらわそうとしたものなのでしょうか?
 ですが、だとすると不自然なことがあります。例えば、右幅の船上には、行楽を楽しむ人の姿が見当たりません。しかも、あたりに霞が垂れ込めるなど、賑やかな様子が全くないのです。したがって、行楽地としての隅田川を描いたと想定することは無理があると思います。では、この絵は何をあらわすために描かれたのでしょう。その手がかりは絵の中に隠されています。

《隅田川図》(右幅、部分)

 それがこちら。右幅の舟のあたりにつがいの鳥が描かれています。白い身体に灰色の羽、赤いくちばしと脚、という特徴的な姿をしたこの鳥は、ユリカモメです。

ユリカモメ

 東京都の都鳥にも指定されるなど、都民から今でも愛されるこの鳥は古くはミヤコドリと呼ばれていました。隅田川図とミヤコドリときいてピンときた人もいるかもしれません。そう、絶世の美男子であった在原業平の恋愛遍歴を綴った歌物語である『伊勢物語』の「東下り」です。高校の古典の教科書にも載っていることが多いので、あらすじをご存じの方も多いのではないでしょうか。
 昔、ある男が自分は世の中に無用な人間だと思い込み、京都(業平のころの都は京都ですね)から友人たちと東国へ旅に出ます。隅田川にさしかかった時、川のほとりで見慣れない鳥を目にします。「白き鳥の嘴と脚の赤き、鴫の大きさ」という姿でしたが、京にはいない鳥だったので誰も分からず、渡し守に訪ねると「ミヤコドリ」と答えました。そこで、男は「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」(都という言葉を名にもっているならば、さあ、尋ねよう、ミヤコドリよ、私が恋しく思う人は無事でいるのかどうかと)
 『伊勢物語』のこの場面は、絵巻や絵本などさまざまに絵画化されてきました。それらを見てみると、柳や舟、ミヤコドリ(右幅)、渡し守(左幅)など、本図と共通するモチーフが数多く描かれているのです。加えて、本図が福岡藩をかつて治めていた黒田家に伝来していた事実も重要でしょう。というのも、黒田家には『伊勢物語』の写本も伝わっており、同家の人々は物語の内容を熟知していたはずだからです。一見、ただの隅田川の風景を描いたように見える本図も、黒田家の人びとのように古典の知識を身に付けた人には、「なるほど、この絵は『伊勢物語』を下敷きにしているんだな」と受け止められたことでしょう。そうであれば、作品が寂しげな雰囲気で描かれるのも納得です。
 せっかくなので、本図が黒田家に伝来したという事実を踏まえて、作画の経緯をもう少し深読みしてみましょう。すなわち、黒田家の藩主たちも、参勤交代のため、在原業平と同様に、故郷を離れて遠く東国の地で暮らさなくてはなりませんでした。
 彼/彼女らの望郷の念を受け止めてくれるのが、この《隅田川図》だったのではないでしょうか。
 展覧会は5月29日(日)まで。皆さま是非会場に足をお運びください!

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