2026年8月26日 09:08
古美術企画展示室で「模倣と創造」展を開催中です(9/27まで)。
福岡市美術館に収蔵される古美術資料の中から、ある作品と、それを造形する上での手本(モデル)や、何らかの参考にされたことを示唆する作品、あるいは祖型として見なし得る作品を並べて展示しています。古代から近世・近代にいたる東洋の陶磁、絵画、書跡など11組(25点)の作品を選びました。それぞれ新旧の作品を見比べて、模倣的要素と創造的要素(あるいは伝統的要素と革新的要素)の境界をさぐってみようという試みです。それは、連綿と続いてきたカタチの継承にあって、新しく生まれる作品の創造性(革新性)とはどういうものなのかに否応なく着目することにもなります。
このささやかな企画は、10年以上前から何となくやってみたいな、と思っていました。きっかけといえば、古美術コレクションの代表格である重要文化財・野々村仁清作《色絵吉野山図茶壷》(松永コレクション)と、その器形のモデルとなったルソン壷(安土桃山時代を中心に南方から海を渡って伝来した四耳壷で、当館では数点所蔵されている)を並べてみたいと思ったことです。ほかには宮本武蔵《布袋見闘鶏図》(松永コレクション)と、その画題(図案)の祖型にあたる伝・梁楷《鶏骨図》をはじめ、いくつか同様に並べてみると面白い作品はあったものの、300平米の一室を埋めるほどの点数が揃わずにいました。
しかし寄贈を中心に当館の古美術資料は拡充を続け、新旧の影響関係でつながる作品の収蔵例が増えました。さらに2019年のリニューアルオープンにあたり古美術企画展示室には間仕切り可動壁が採用され、空間をフレキシブルに活用できるようになったことで、ひとつの企画的展示として開催できる運びとなったわけです。
所蔵品のみでこうした展示を開催できるというのは稀なことです。貴重な美術品をご寄贈下さった方々に、改めまして深甚の謝意を申し上げます。
かくして、いつも松永記念館室の専用展示ケースに陳列している《色絵吉野山茶壷》は古美術企画展示室に移し、本展のトップバッターとしてルソン壷と隣り合って展示されています。11組はいずれも、先に新しい作品、次にその基となる古い作品という並べ方としています。じっくりと新旧の作品を見比べていただき、際立って見えてくる同異点を、解説文を参考にしながら確認し、あとは自由に鑑賞していただければと思います。

「模倣と創造」展 会場風景
(学芸課長 後藤 恒)
2026年4月8日 13:04
ただいま、当館1階の松永記念館室で「春の名品展」(~5月31日(日))を開催中です。このブログでは、本展で展示している《石菖図》(図1)についてご紹介します。
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図1 子庭《石菖図》元時代 14世紀 福岡市美術館蔵(松永コレクション)
石菖とは、渓流の岩場に生える植物で菖蒲に似た葉を茂らすことからその名があります。画面右下には、作者をしめす落款印章があり、本作を手がけたのが元時代の禅僧画家、子庭祖柏であることが分かります。
子庭は、枯木と石菖を得意としたといい、子庭による石菖図はいくつか知られています。いずれも本作と同様に柔らかく水墨を重ねた石と、濃墨で鋭く描かれた葉の対比が印象的な作品で、子庭の作風をよく伝えています。
今でこそ子庭の名はあまり知られてはいませんが、日本には室町時代には作品が伝わっており、非常に重宝されたことがいくつかの記録から分かります。今回の展示では、こうした子庭画の高い評価を裏付ける資料として、作品そのものだけでなく附属品も紹介しています(図2)。
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図2 右から①小堀遠州外題②狩野探幽、永真(安信)極札③狩野洞雲添状
②、③はいずれも探幽、永真(安信)、洞雲(益信)という狩野派絵師によるもの。本作の所有者から、彼らのもとに鑑定依頼のために持ち込まれた際に作られたと推測できます。②は真筆であることを保証するために発行された極札(図3)で、③は「真筆とみて疑いない」という洞雲の所見が記された添状です(図4)。
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図3 探幽、永真(安信)極札

図4 狩野洞雲添状
江戸時代における書画鑑定の様相を伝える興味深い資料ですが、①の小堀遠州による外題は、真贋の鑑定以上の情報を含んでおり注目されます(図5)。

図5 小堀遠州外題
本外題は、「石菖蒲」に続けて「柏子庭筆 珠光乃所持」と記しており、ここから、侘茶の創始者ともいわれる珠光が所持していたことが分かります。これとの関連がうかがわれるのが、江戸時代の始めに流布していた名物目録を集約した『玩貨名物記』の記載です。
本書は「御物分」(徳川将軍家所蔵分)と「諸方道具分」(諸大名や茶人たちの所蔵分)に分かれていて、それぞれ掛軸や茶入など種別ごとに作品を列記しています。この内、「御物分」の「御懸絵」の項目に「石菖蒲 柏子庭筆 珠光の所持 イ本に紹鴎」(図6)とあり、徳川将軍家のコレクションに珠光(異説には紹鴎)が所持した石菖蒲の絵があったと分かります。

図6『玩貨名物記』写
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2538865 (参照 2026年4月8日)
『玩貨名物記』の編者は不明ですが、本書の序文には小堀遠州の名物帳をもとに補足したとあります。①の外題にある「珠光所持」とある所見を記したのも遠州であったことを思えば、当館所蔵の《石菖図》と『玩貨名物記』に記載される徳川将軍家所蔵の「石菖蒲」が同一である可能性は考えてよいと思います。もっとも、「イ本に紹鴎」と記されるように、珠光所持という伝承は江戸時代の時点で既にあやふやになっていたようですし、最初に述べたとおり、子庭による石菖の絵は複数知られているので、さらに慎重な検討を必要とします。
とはいえ、徳川将軍家のコレクションに子庭による石菖蒲の絵があったことは、間違いなく、当館所蔵の《石菖図》とも関わる可能性が高いことも確かでしょう。また、徳川将軍家の他のコレクションに目を向けてみると、(伝)牧谿《遠浦帰帆図》をはじめ今なお名品として著名な作品も多く含んでいることも見逃せません。今でこそ子庭の名や作品の知名度は高くありませんが、当時は、こうした名画と並び称されるほどの存在であったのです。
2025年9月3日 14:09
先週から古美術企画展示室にて「仙厓展」を開催しています(~10月19日まで)。
仙厓義梵(1750~1837)は、江戸時代に活躍した禅僧で、親しみやすい書画を通して禅の教えを分かりやすく伝えたことから「博多の仙厓さん」と呼ばれ人々から慕われました。
当館では200点を超える仙厓作品を所蔵しており、仙厓さんの命日である10月7日に合わせて毎年仙厓展を開催しています。
今年のテーマは、「『禅僧・仙厓義梵』から『博多の仙厓さん』へ」にしました。仙厓さんといえば愛らしい動物やユーモアあふれる禅画が有名ですが、若い頃に描いていた禅の厳しさを感じさせる作品とのギャップをどのように理解すればいいのか?私にとっても長年の課題であり、所蔵作品を通してこの問題を考えてみたいという思いで今回の展示を企画しました。
仙厓さんの画風は、62歳の時に長年勤めてきた博多・聖福寺の住職を隠退し、人びとの求めに応じて書画制作を行うようになった頃から徐々に親しみやすさを増していったと言われています。まずは、当時の仙厓さんの心境をよく表す作品として、《観音菩薩図》を紹介しましょう。

仙厓義梵《観音菩薩図》(九州大学文学部蔵、福岡市美術館寄託)
のびやかな筆遣いで描かれたからっとした笑顔の観音がとても印象深い作品です。上部には長大な賛文が記されていて、他人の利益のために起こすならば、喜怒哀楽の感情はすべて観音菩薩の慈悲の心になる、と述べられています。
本作が描かれたのは、仙厓さんが住職を隠退して間もない65歳のころ。自身の修行はもちろん、弟子の育成やお堂の再建をはじめとするお寺の運営など、現役時代は多忙な日々を送っていましたが、こうした激務から解放された仙厓さんのセカンドライフはどのようなものだったのでしょう?
おそらく彼の念頭にあったのは、禅僧として培ってきた知識や経験を次の世代へ継承したい、特に禅宗の知識に乏しい一般の人びとに伝えたいという思いだったのではないでしょうか。先ほど紹介した《観音菩薩図》はまさにその好例で、書画を通して「他人の利益のために」自身の知識を伝えていきたいという強い意気込みを感じさせます。この頃の仙厓さんは執筆活動も旺盛に行っていて、いくつかの著作も伝わります。
一方で、こうした仙厓さんの思いが100%人びとに伝わったのか、と言われると必ずしもそうではなかっただろうと思います。というのも、《観音菩薩図》に描かれた観音の姿は確かに親しみやすいものの、いかんせん賛文が長すぎるので画とのバランスを崩してしまっていますし、内容をぱっと理解することもできません。
仙厓さんが聖福寺の住職を隠退して間もない60代後半ころの作品の中には、画は親しみやすいけれど賛文はやたらと長い、という傾向を持つ作品が少なくありません。

仙厓義梵《尾上心七早替り図》

仙厓義梵《いろは弁図》(小西コレクション)
自身の思いを言葉を尽くして伝えようとするあまり、かえって作品の魅力を削いでしまっていると言えるかもしれません。そもそも、禅宗とは「不立文字(真理は文字や言葉では伝えることはできない)」「以心伝心(真理は心から心へと伝えるものである)」という言葉に示されるように、文字や言葉ではなく心を大切にする教えです。
文字や言葉に頼ることなく思いを伝えるにはどうすればいいのか?おそらく仙厓さん自身もこの課題を自覚したようで、70歳を過ぎたあたりから賛文がやたらと長いタイプの作品は描かれなくなります。
そのきっかけを示す作品に《無法の竹図》があります。

仙厓義梵《無法の竹図》(三宅コレクション)
一見何の変哲もない竹の作品にも見えますが、賛では明確に仙厓さんの心境の変化が認められます。本作の賛には画を見ることで人が皆笑い、仙厓自身も大笑いする、と書かれています。
どうやら本作は酒宴の席で描かれたもののようで、余興的な作画でどっと笑いをとったことは、仙厓さんに大きな気づきを与えたのではないかと想像します。
すなわち、それまでは自身の悟りを言葉によって伝えることに意を尽くしていましたが、そうではなく、笑いなどを通して、皆で同じ思いを共有するという体験がより重要なことだと認識するに至ったのではないかと思うのです。
このように想像すると、厳しい修行に励んだ禅僧であった仙厓さんが、なぜゆるくてかわいい画を描くようになったのか、という疑問も幾分理解がしやすくなると思いますがいかがでしょうか?
この想像があたっているのかはもう少し検証が必要ですが、ともあれ、仙厓さんが生み出した愛らしい作品の数々は見る人に笑ってほしい、という思いに支えられて描かれたことは確かです。少し理屈っぽい話になりましたが、展覧会ではかわいい作品もたくさんご紹介しています。この機会にぜひご覧ください!
(学芸員 古美術担当 宮田太樹)