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インカ・ショニバレCBE《ウィンド・スカルプチャー(SG)Ⅱ》設置記念シンポジウム 「新しい美術館像~コロナ禍の中で考える」を終えて

 7月1日に当館のアプローチ広場にインカ・ショニバレCBE《ウィンド・スカルプチャー(SG)Ⅱ》が設置されたことは、このブログでも何度か紹介されています。それを記念して、7月31日(土)にシンポジウムを開催しました。基調講演には、2016年、リニューアル前のシンポジウム「これからの美術館」にもご登壇いただいた逢坂恵理子国立新美術館長をお招きしました。このブログでは、簡単ではありますが当日の内容についてご紹介したいと思います。参加できなかった方も、その時の様子を味わっていただければ幸いです。
 
 シンポジウムは、まず当館の岩永悦子館長による「リニューアル後の福岡市美術館」で始まりました。最初に語られたのは《ウィンド・スカルプチャー(SG)Ⅱ》が設置されミッション・ステートメントが公開されたことで、当館の「リニューアルオープン期間」が完了し、新しい段階に入ったということでした。そこからリニューアルオープン展から現在までの振り返りがなされました。リニューアルオープン展が、所蔵作品をじっくり見てもらう「コレクション展」と、日本ではあまり知られていないインカ・ショニバレCBEの個展という二つの軸があり、「これまで」を大切にしながら新しい事柄にも挑戦するという館の意気込みを表すようなものであったこと、しかしその1年後にはコロナ禍となり、中止になった展覧会やさまざまな催しがあったこと、だからこそチャレンジしたオンラインでの試みや地元のアーティストのKYNEによる壁画作成などが紹介されました。そして、《ウィンド・スカルプチャー(SG)Ⅱ》設置に寄せたインカ・ショニバレCBEの言葉を引用しながら、このコロナ禍でも誰もが見ることができるパブリック・アートの平等性と重要性を訴え、それは当館の未来を象徴するものであると話し、逢坂館長の基調講演へとつなぎました。

 続いて逢坂館長による基調講演「新しい美術館像~コロナ禍の中で考える」ですが、その冒頭は、2016年のシンポジウムで逢坂館長自身が最後に紹介した、ニコラス・セロータ(当時のテート・モダン館長)の「美術館は生きた学びの架け橋」という言葉で飾られました。それから5年、「架け橋」となるべく、美術館はさまざまな活動を行ってきたはずなのですが・・・その後に続いたのは、コロナにより、日本社会の分断や亀裂、格差というものが明るみになったというもの。しかし、世界的には、デジタルが発達したからこその実体験が重要視されるようになったこと、Black Lives Matterに代表されるような人権への自覚、そして、地球環境への関心の高まりや、自己責任だけで片付けるのではない助け合い・チームワークの重要性に気づくといった良い面もあるという指摘もありました。また、このコロナ禍での「文化活動は断じて不要不急ではない」という都倉文化庁長官の言葉は、文化芸術に携わる人間に、社会における文化芸術の役割を自覚させ、勇気と希望を与えたと述べられました。
 さらに、実はコロナ禍以前からミュージアムをとりまく社会が変化しているという話が続きました。例えば、国際博物館会議(ICOM)が2019年に出した新しい博物館定義案。そこには、単に博物館の機能を示すのではなく、「対話」「社会正義」「全体の幸福」などの言葉が盛り込まれ、ミュージアムが社会課題に向き合うことについて大きな期待がよせられていることが語られました。そして「SDGs」という世界的な目標もまた、ミュージアムが意識すべき社会の動きであること、さらには、「VUCAの時代」と称されるまでに、社会が変動し不確実で複雑で曖昧になってきていることがあげられました。
 
 ですが、そのような希望と不安がないまぜになるような社会においてこそ、アートが持つ潜在的な力が必要であると、逢坂館長は述べられます。効率や画一性とは無縁である、対象をよく観察しなければわからない、五感をフル活動させるアナログ的コミュニケーションを促す、価値の異なる人々との共生をうたうなど・・・中でもアートが必要とする「想像力」は、この曖昧で予測できない社会を乗り切るためにとても大切だとおっしゃったのは印象的でした。そして、そのような「アート」を扱う美術館が、今後持続可能であるためには(もちろん課題もたくさんあることは述べられたうえで)、美術館で働く人間が、「美術を介して思考と対話を重ね、人間としての幅と深さを施行する場」であることを自覚することが重要であると言われました。そして、その自覚から来る活動が、人々に、対立・暴力・戦争といった社会課題を自分事として受け止め、回避する行動を促すと、トルストイの言葉を引用しつつ述べられました。この言葉は、我々美術館関係者だけでなく、会場にいる参加者にも強く響いたのではないかと思います。さらには、美術館がそうあるために、学芸員だけでなくすべての美術館職員に、美術作品やアーティストへの敬意と愛情と、内にも外にも開かれた自由な意識がなければならないということを述べられました。
 そして、冒頭の「美術館は生きた学びの架け橋」に呼応して、最後にアーティスト、アイ・ウェイウェイの言葉「アートは人とかかわるための架け橋」という言葉で講演を締めくくられました。


 さて、休憩をはさみ、シンポジウムの後半は、逢坂館長と岩永館長に加え、中山喜一朗総館長によるパネルディスカッション「コロナ禍後の福岡市美術館を描き出す」です。最初の話題はまずはコロナ最中の話から、「このコロナで大変だったこと」でした。海外からのアーティストが来られなくて、すべてリモートで作品設営をしたことや、特別展が中止になり担当者ががっくりきていたこと、そして、もっとも衝撃だったのは、コロナ禍のために永遠に閉館する美術館が出てくるだろう、という話でした。また、デジタル化が加速化していることについての希望と懸念も語られました。次に、そのような困難な中、今後、人々とコミュニケーションを保つために美術館は何ができるのか、ということが話題になりました。それについては、なかなか答えは出ないものの、まずは来館してきた人たち一人一人と向き合う事が肝要ではないかということが話され、さらには、人々がなんということはない自分の時間を過ごせる場を、ちゃんと美術館が提供できるということが大事なのではないか、という話になりました。最後に、一人ずつ、締めくくりの言葉を述べてもらいました。岩永館長からは、人々のために美術館は開けておくべきということ、中山総館長からは、こういう時だからこそ保守的になってはいけないということ、そして逢坂館長からは「皆さん、選挙に行きましょう」という意外な言葉が発せられました。つまりは、「一人一人が自分事として社会に関わる」ことの大切さをこのように言われたのでした。
 「コロナ禍後」を明快に描き出すことはできませんでしたが、おぼろげながら未来への希望が見えてきたところでシンポジウムは閉幕となりました。

 思うに、決して明るい話題ではなかったにも関わらず、希望と勇気のもらえた2時間でした。参加者の皆さんの顔も、心なしか来た時よりも帰りは晴れやかだったように思います。筆者を含め聞いていたスタッフも、ここで語られた事柄を一つ一つかみしめ、気持ちを新たにすることができたのではないでしょうか。
 今、私たちは、コロナ禍という未曽有の体験をしているわけですが、結局はそれを乗り越え、社会の変容にしなやかに適応しつつ対抗するのも自分たち次第なのだと改めて気づかされたシンポジウムだったように思います。

(主任学芸主事 教育普及専門 鬼本佳代子)

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