2020年11月26日 15:11
「藤田嗣治と彼が愛した布たち」展が始まって、かれこれ…あら、もう会期があと3週間切れてる!?土日はあと3回しかありません。そろそろ、焦ってご予定を立てていただいて結構かと思います 笑。皆さまの御来館をお待ちしております。
展覧会を開催すると、マスコミ各社さんから取材をしていただくことがあります。取材時間も制作時間も限られているなかで、何かをつかもうとされるプロフェッショナルたちとの真剣勝負。皆さんの、ストックの広さ・深さ、そして瞬発力に、思ってもいなかったことを引き出してもらうことがあります。
今回、X新聞のZ記者の取材を受けました。Z記者は、質問するだけでなく、ご自分が感じたことも、正直に話してくれる方です。戦争画について、「今の目で批判するのは簡単。でも自分がその時生きていたら、きっと誰もがしたように行動したと思います。」と言われ、「わたしもそう思います」と返しました。「朝ドラ『エール』の主人公は、軍歌を作っていながら日本でサバイバルできたのに、どうして藤田はできなかったんでしょう。」という問いに「うーん。日本でのサバイバルにこだわらなくても、藤田には脱出先があった。これが大きいかもです。」と答えました。そう、藤田には日本以外のどこかに行く、という選択肢があった。非常に困難な道でしたが、それをやってのけた。だからこそ、「日本ではサバイバルできなかった」という事実が残ってしまったのでもありますが…。
戦争画のコーナーを過ぎ、藤田の手仕事コーナーにさしかかったとき、「藤田はできあいのものを、そのまま受け入れるのが嫌いでした。若い頃から、オリジナルなものを身に着けることに価値を見出して、手づくりをしていました。既製服を着るときも、ポケットをつけ足すなど、なにかカスタマイズして、自分のものにしないと満足しなかったみたいです。」ということを話しました。青年期から晩年まで、楽天的でめげない。難局を突破する。あらゆることに全力投球できる。時間を惜しんで制作に没頭する。衣食住すべてにわたって、自分の生活の隅々まで自分で作り上げる。そんな藤田像を話した時、Z記者が引き出してくれた言葉があります。
「藤田には生命力がある!」
「生命力」というキーワードは、藤田の作品や人となりに正面から向き合い、ストレートにご自分のことも語ってくださったZ記者との対話でなければ、きっと出て来なかったでしょう。藤田には、どんな環境下でも前に向かって進む力がありました。
藤田の手から生まれてくるすべて―絵画にも、針仕事にも、手紙にも―は、生命力にあふれています。この展覧会で、ぜひ、その力に触れに来てください。
(学芸課長 岩永悦子)