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松永耳庵の茶、その再現に挑む

1階・松永記念館室にて「松永耳庵の茶」展を開催中です(7/28まで)。松永耳庵翁の茶事・茶会に実際に用いられた茶道具を、エピソードとともに紹介するものです。趣旨はシンプルなのですが、今回の展示構成にはけっこうな労力を要しました。そのあたりの事情も含め、本展をより楽しんでいただくために知っておいていただければ、と思うことを書きつらねてみます。

 

◆耳庵・松永安左エ門と「松永コレクション」
戦前戦後の電力業界で活躍し「電力王」「電力の鬼」などと称された松永安左エ門(1875-1971)は、還暦を迎える頃から耳庵と号し、茶の湯の世界に足を踏み入れました。

やると決めたら徹底して、やる!持ち前の実行力をもって破竹の勢いで茶道具の名品を蒐集し、戦中にあっても茶に明け暮れ、やがて益田鈍翁、原三溪とならび称される高名な茶人となったのでした。

その過程で蒐集した古美術品は、日本・東洋美術の名品コレクションとして屈指の質を誇ります。主に戦前に蒐集したものが東京国立博物館に、戦後に蒐集したものが当館に寄贈されています。当館では「松永コレクション」と呼ばれています。

ちなみに当館職員の多くは松永翁のことを「松永さん」と呼んでいます。「うちのおじいちゃん」と呼ぶ人までいます。偉人に対して失礼かとも思われるでしょうが、なぜかそう呼んでしまうのです。鬼とまで呼ばれた男のことを知れば知るほど、その柄の大きさに感じ入り、底なしの懐の深さに吸い込まれ、自然と親しみを抱いてしまうのです。

松永耳庵

◆茶風と道具組
松永さんの茶風はといえば「荒ぶる侘び」などと形容される(『芸術新潮』2002年2月号)ほどに、豪胆なイメージで語られることが多いです。それもそのはず、点前などの作法については、茶匠から一定の手ほどきを受けることはあったものの、ついに所定の作法を身に付けることはなく、最後まで我流を貫いたようです。あるとき招客から流派を聞かれ、「新派、柳瀬流です」と冗談めかして答えたそうです(この「柳瀬」とは、埼玉に構えた自身の別荘「柳瀬山荘」に由来します)。人はそれを「耳庵流」などと呼びました。ついには松永さんを指導したはずの茶匠が「耳庵流」の影響を受けて作法に変化をきたしてしまったという逸話もあります。

よく言えば個性的、悪くいえば無作法な松永さんの茶。それはどこまでも簡素な侘びの美意識に基づくものでした。原三溪や仰木魯堂の薫陶を受け、因習的な作法にこだわらず、生活に密着した実践的な茶で客人をもてなしたのでした。それを体験した人々は、儀礼的、形式的な美を超越した類のない魅力に引き込まれ、喜び、親しみ、笑い、敬い、様々に語り継ぐことで、一大茶人を育んだといえるでしょう。

では、松永さんは実際にどんな道具組で茶事を行ったのでしょうか?それを明らかにするためには、残された記録(茶会記)を読んで情報を整理することと、記録と現存する美術資料とを照合してゆくことが必要です。実はこれがあまり進んでいません。

戦前については『茶道三年』『茶道春秋』という自著の中で、松永さん自身の茶会記や独自の茶論が記述されています。いっぽう戦後については、電力事業再編成の主導役に抜擢されるなど多忙な日々にあって自身の茶会記を残していないか、あるいは残していたとしても、その存在は明らかになっていません。

 

◆『雲中庵茶会記』の重要性
前述の通り、当館の松永コレクションの殆どは戦後の蒐集品であるため、松永さん自身の記録から茶事の道具組を再現することは現状において不可能です。そんな中、よりどころになるのが、松永さんの茶事に招かれた人が残した記録です。なかでも仰木魯堂の弟・政斎が著した『雲中庵茶会記』は、松永さんをはじめ同時代の名だたる近代数寄者の茶事が記録されています。仰木兄弟はともに松永さんと親密に交流したのですが、とくに政斎さんは戦時中、松永さんの別荘「柳瀬山荘」に疎開し、戦火におびえる日々の中でも、松永さんの茶にとことん付き合いました。戦後も、小田原へ引っ越した松永さんのもとへ何度も招かれ、耳庵流のもてなしを何度も体験しました。

『雲中庵茶会記』には、松永さんの動向を客観的に、かつ実時間的に描写した記述が非常に多く、茶事の様子を垣間見られるばかりか、人間・松永耳庵の横顔を生き生きと伝えてくれます。戦後の蒐集品を主とする当館の松永コレクションがどのように茶事で用いられたかを再現する上では、必読の書なのです。しかし本書は非売品の影印本(原書を写真撮影して印刷したもの)が知られるのみであるため、研究資料として広く活用されるには翻刻(活字化)が強く望まれます。

『雲中庵茶会記』

そこで数年前から本書の翻刻に着手しました。できた分から当館の紀要(当館ホームページからダウンロードできます。第5号、第6号をご覧ください)に掲載しています。でも本書は総じて1200頁を超すぶ厚さであり、今のペースだと私が定年退職するまでに全頁翻刻を果たせるかどうかも微妙なところ。まぁ、出来るだけ頑張ります!ともあれ全体の粗読みは行い、目次づくりや記録された茶事の席主、招客、用いられた主な道具の情報を整理する作業は地道に進めています。

 

◆「松永耳庵の茶」展の試み
このたびの「松永耳庵の茶」展は、『雲中庵茶会記』の読書、翻刻をする中で得られた成果の一部を発表する場として企画したものです。政斎さんが記録した膨大な道具組の情報の中から、当館の松永コレクションに同定される作品を抽出し、出陳リストを構成。今回は4の茶事について、断片的ではありますが可能な限りの再現を試みました。(出陳リストはこちら

「松永耳庵の茶」展示風景

今後、成果に応じて随時開催したいと思っています。戦後の松永さんの茶事、その道具組を少しでも明らかにしてゆくことで、当館の松永コレクションがかつて演じた舞台の光景がよみがえってきます。その光景は、皆さんの眼にどう映るでしょうか。まさしく「荒ぶる侘び」でしょうか、それとも…?

(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)

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