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コレクション展 近現代美術

沈黙の園、壁の中—奈良原一高のパーソナル・ドキュメント

 ただいま、近現代美術室Aで「奈良原一高 「王国」」展を開催しています(8月29日~11月5日)。
 奈良原一高(1931-2020)は、福岡県大牟田市出身の写真家です。大学院在学中に九州周遊の旅に出て目にした鹿児島県桜島・黒神村と長崎沖合の軍艦島の生活に衝撃を受け、撮影を開始します。その成果を発表した作品「人間の土地」で1956年に写真家としてデビューを果たし、戦後を代表する写真家の一人として活躍しました。
 2021年、「福岡にゆかりがある写真家であるため、福岡市美にどうか」とご紹介いただき、奈良原一高のご遺族から、6つのシリーズ「人間の土地」「無国籍地」「王国」「ジャパネスク」「消滅した時間」「ヴェネツィアの夜」より計211点をご寄贈いただきました。写真集に収録されていない作品もあり、ほとんどがオリジナルプリントである貴重な作品群です。これをシリーズごとに紹介していこうと、昨年は「人間の土地」と「無国籍地」を近現代美術室Bにてご紹介しました。ご覧になった方もいるのではないでしょうか?
 さて、今回は、その第二弾として「王国」を展示しています。「王国」は、北海道にある男子修道院と和歌山県にある女子刑務所を撮影した二部構成からなるシリーズで、それぞれに「沈黙の園」「壁の中」とタイトルが付いています。

《沈黙の園(3)》(「王国」より) © Narahara Ikko Archives

《壁の中(1)》(「王国」より) © Narahara Ikko Archives

 モノクロームで映し出されたそれぞれの場所に、皆さんはどのような印象を受けるでしょうか。修道院と刑務所、というと聖と俗の対比が際立ちそうですが、私は、むしろ2つの場所の共通性を強く感じました。現実から距離を置き、日々の生活と課された労働をストイックに繰り返しているという点で、「沈黙の園」と「壁の中」は互いに響きあっているようです。それでいて、生活の苦しさ、泥臭さは取り除かれています。洗練された構図のなかに、ハッとする被写体を収めることが、奈良原の写真のうまさなのかもしれません。

《沈黙の園(23)》(「王国」より)© Narahara Ikko Archives

《壁の中(48)》(「王国」より)        © Narahara Ikko Archives

 

 本作を見るうえで一つの手がかりとなるキーワードが、「パーソナル・ドキュメント」です。
これは、奈良原が自分のデビュー作について説明する際に使った言葉です。特定の対象を取材しその有り様を報道するドキュメンタリーは、作為を排除し、事実を正確に伝えること、と思われがちですが、奈良原はもう一歩踏み込んで、カメラを構えている以上は撮影者の意図が入り込んでいるし、写されたものの中に撮影者自身の心の内が反映されることがあり得る、という考えに立っています※。こうした姿勢でドキュメンタリーを撮る手法を、奈良原は「パーソナル・ドキュメント」と呼んでいました。
 「パーソナル・ドキュメント」という言葉を補助線にしてみると、「王国」に映し出された場面や構図を解釈する余地が広がっていくように思います。奈良原が男子修道院と女子刑務所をどのように解釈しているのか、撮影当時どのような心境だったのかを想像しながら、「王国」に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。

※(奈良原一高「私の方法について」『リアリズム』10号、1956年、制作者懇談会)

 

学芸員(近現代美術係) 忠あゆみ

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