2021年10月28日 12:10
年明けから始まる企画展「田部光子展」のポスターとチラシが出来ました!さっそく館内で掲示、配布しています。
田部光子さんは1950年代より活動をスタートし、福岡を拠点に現在までずっと美術のフィールドを走り続けてきた美術家です。 田部光子さんの名前は、1957年に結成された福岡の前衛美術グループ「九州派」の主要メンバーとして、あるいは「真の女性の解放は、妊娠から解放されなければあり得ない」と考え制作した《人工胎盤》の作者として現在ではよく知られています。1961年という、フェミニズムやジェンダーという言葉が生まれる前に、欧米でフェミニズム・アートの先駆とされるジュディ・シカゴの作品《ディナー・パーティー》の10年以上前に、妊娠を巡る苦痛や困難という実体験をもとに、社会における女性の解放を題材に作品化した田部さんの先駆性に注目が集まっています。
九州派時代と1990年代以降の作品については、作家自身の手で編集された作品集『Recent Works』『Recent Works2』でも紹介されています。けれどそこには触れられたことのない空白期間が存在します。本人も進んで語ることのなかった1970~80年代、田部さんは何をしていたのでしょうか。決して活動してなかったわけではなく、主婦の仕事と両立させながら旺盛に作品を発表し、さまざまなコトを起こしていました。その後、この時期の作品についてなぜ語らなくなるのか、そこには様々な理由があったでしょう。
田部光子展を開きたいと田部さんに伝えた時、懸念していたのは空白期間の活動を調べていいのだろうか、紹介してもいいのだろうかということでした。けれど田部さんは、私に「任せた、好きにやっていいよ」と言ってくれました。その言葉に背中を押されるように、アトリエの奥に眠っていた資料と作品に向き合い、当時を知る方々にも話を伺いながら、展覧会の準備を進めています。空白期間の作品もすべてではないですが現存していました。調査を進めてきた今、これらも田部光子の美術家としての活動を語るのに不可欠なものだと確信しています。
ポスターのメインイメージに使用したのは、「九州派」が実質的にその活動を終えていた1969 年 2 月 25 日、「第3回九州・現代美術の動向展」の初日に出品作家の大半が参加したパレードで撮られた写真です。皆と揃いの法被を着る田部さんは、子どもサイズのマネキンを背負い、こちらを向いて微笑んでいます。この時、田部さんは子育て真っ最中。美術展のパフォーマンスとでも呼べるパレードの中で、主婦の育児労働の大変さも同時に訴えたのです。ジェンダーの問題を、美術という想像/創造行為をとおして訴え、社会を変えていきたいという思いは、《人工胎盤》から変わっていないことがわかりますが、これ以降も、田部さんはこの思いを胸に、活動を広げてゆきます。(それは年明けに会場でご確認ください。)
田部光子という美術家の活動を一言で表すとしたら……? 本展覧会のサブタイトルは、田部さんが2000年頃から愛読した書物で出合い、座右の銘としてきた言葉を採用しました【註】。田部さんは著作の中で、「この言葉に励まされ、ずっと制作を続けてきた」と語っています。
わたしは展覧会を準備する中で、新たに知ることとなった田部さんの作品、行動力、発言に、たくさん励まされてきました。本展覧会で紹介する田部さんの作品と活動は、わたしだけでなく多くの人の「希望」になるだろうと期待しています。お楽しみに!
(学芸員 近現代美術担当 正路佐知子)
田部光子展「希望を捨てるわけにはいかない」
会期:2022年1月5日(水)~3月21日(月祝)
会場:福岡市美術館2階 近現代美術室A・B
https://www.fukuoka-art-museum.jp/exhibition/tabemitsuko/
【註】田部が「希望を捨てるわけにはいかない」という言葉に出合ったのは、小泉義之著『ドゥルーズの哲学—生命・自然・未来のために』(講談社現代新書、2000年、p.138)においてでした。哲学者ジル・ドゥルーズが『意味の論理学』で述べた内容の引用でもあります。なお、ジル・ドゥルーズ『意味の論理学(上)』(小泉義之訳、河出文庫、2007年、p.280)で当該箇所は「希望を放棄することはできない」と訳されています。