開館時間9:30~17:30(入館は17:00まで)

メニューを閉じる
ホーム > ブログ
福岡市美術館ブログ

新着投稿

カテゴリー:特別展

特別展

「永遠の都 ローマ展」のちょっとマニアックなお話

さて、来たる2024年1月5日(金)から「永遠の都 ローマ展」が開催されます!
ローマといえば歴史と文化で有名ですが、気になるのがその見どころ。このブログでは、ローマのカピトリーノ美術館の選りすぐりのコレクションの中から1点をちょっとだけマニアックにご紹介したいと思います。では、さっそく見てみましょう。

《ディオニュソスの頭部》2世紀半ば、大理石、カピトリーノ美術館蔵
©Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini

こちら《ディオニュソスの頭部》と呼ばれる大理石の胸像です。
タイトルにもあるディオニュソスとは、酩酊と豊穣の神ディオニュソスを指しバッカスと呼ばれることもあります。

この作品を見て「これ知っている!」と思ったあなた。美術部もしくは美大出身の方ですね?

実はこの像は「アリアス」という名前の石膏像の原型でして、全国の高校や美大や美大向けの予備校で石膏デッサンの模型としてしばしば活用されているほど有名な像なのです。

福岡市美術館にもアリアスの石膏像がありますよ。

石膏デッサンを知らない方にはちょっとご説明を。石膏デッサンとは、白い石膏像を鉛筆や木炭で紙に描くことを指しており、何度も繰り返し描くことで、技術の向上につながるというもの。なので、絵画、彫刻、工芸のジャンルに限定されずに美術に関わりのある(あった)方は結構な確率でこの石膏像を描いた経験がある訳です。

福岡県内の中学校図画教室での授業の様子(『石膏模型目録』菊池石膏より)

さて、この「アリアス」と呼ばれる石膏像ですが、名前の由来や理由について少々調べていたところ、ひょんなことから昔の石膏像のカタログを入手することが出来ました。

これは日本最初の美術教育機関である工部美術学校(現東京芸術大学)にしばしば納品していた石膏業者が作成したものです。(ちなみに社長の菊池鋳太郎は彫刻家でもあります。)
ここで件の石膏像を見つけました。

目録に記載の石膏像(『石膏模型目録』菊池石膏より)

画像の右側の写真を見てみましょう、「大型婦人胸像」と書かれています。この時点で既に女性と認識されていますね。繊細に彫りこまれた頭髪である一方、首は太く、顔立ちは中性的、確かに女性にも男性にも見えます。実は工部美術学校設立後すぐとなる1877-1878年頃には既に入手し活用していたようです(本展出品予定の松岡壽《工部美術学校画学教場》参考)。また、時を経て1955年には、石膏デッサン解説書籍の事例として「アリアス」が特集され、名前の由来についても言及されていました。以下は引用です。

「画学生の間ではアリアス(アリアドネ)で通っていますが、現在はバッカスとされている、ローマカピトール美術館所蔵のギリシァ彫刻によっています。鼻や下唇は後に補修されたのですが、もちろん石膏像ではあらわれていません。」(小磯良平、宮本三郎、鈴木信太郎『デッサンの技法』1955年)

今回紹介しているディオニュソスにはアリアドネという妻がいました。ディオニュソスとアリアドネは仲が良く、さらに出会いのエピソードがなかなか強烈なためか、絵画等でも一緒に描かれることがあります。つまり「アリアス」は「アリアドネ」に由来する、さらに言えば美術学校が設立して早い段階から「婦人像=アリアドネ」と認識されていたと仮定することが出来るのですね。「アリアス」呼びの勘違い?は実はかなり歴史も奥も深かったようです。
《ディオニュソスの頭部》は本展の特集展示にて紹介予定です。ぜひ足をお運びください!

(学芸員 近現代美術係 渡抜由季)

「永遠の都 ローマ展」
会期: 2024年1月5日(金)〜3月10日(日)
会場 :特別展示室

 

 

 

 

 

特別展

特別展「藤野一友と岡上淑子」が11月1日に開幕しました!

二人の美術家の名前を冠したこの展覧会。二人の名前を知っている方はおそらく待ち望んでおられたものと思います。

藤野一友(1928-1980)は、福岡市美術館が1982年に回顧展を開催した縁で代表作を含む多数の作品を所蔵している画家です。藤野は西洋の神話をもとにする物語や絵画、そしてシュルレアリスムの美術からインスピレーション得ながら、そこに独自のファンタジーを加味した幻想怪奇な世界を緻密な描写で表しました。51歳の若さで亡くなりますが、没後、代表作と言える《抽象的な籠》などがフィリップ・K・ディックのSF小説の表紙に抜擢され、二科展で活動した画家という以上に知られる存在となりました。

岡上淑子(1928年生まれ)は、1950年から1956年の間に制作したコラージュ作品が近年再び注目を集めている作家です。進駐軍が残していった『LIFE』や『VOGUE』等の洋雑誌を古書店で入手し、それらのページからモチーフを切り貼りして生まれた世界は、現実をとらえた写真をもとにしながらも、夢のような世界へと広がっています。その作品には戦後復興期の日本に生きる女性の揺れ動く心情や、自由への思いも読み取れ、多くの共感を呼んでいます。岡上のコラージュ作品が九州で展示されるのは、本展が初となります。

同じ年に生まれた二人は1950年頃から本格的に活動を開始し、1951年頃文化学院で出会い、1957年に結婚しています。同時期に活動を開始し、ともに「幻想」という言葉や「シュルレアリスム」とのかかわりのなかで語られてきた藤野と岡上の名前、そして作品は、不思議なことにこれまで一緒に並ぶことはありませんでした。というわけで、待ち望まれていた展覧会なのです。

二人展といってもやりかたは無数にあり得ます。高知にお住まいの岡上淑子さんにもご意見を伺いながら、本展では個々の活動や作品世界に没入してもらうため、二つの個展形式で構成することにしました。会場である特別展示室を思い切って左右で分け、およそ同等のスペースを確保。藤野一友編と岡上淑子編のどちらからも見ることができる動線をつくりました。筆者の知る限りでは、過去にない展示室の使い方なので、新鮮な気持ちで会場を回っていただけるのではないかと思います。

どちらから見てもいいのですが、藤野一友編と岡上淑子編の両方を見終えたときには、二人の作品の共通点と差異だけでなく、二人を取り巻く人たちや二人の活動を育んだ時代も見えてくるはずです。結婚という出来事が制作にどのように影響したか(あるいはしなかったか)も対比的に浮かび上がりますが、それは1950年代の日本における男女の非対称の状況、芸術家同士であってもそこからは自由ではなかった現実をも映し出します。二人がそれぞれに編んだ「ファンタジー」に浸りながら、その背後にも目を向けていただければと思います。

最後に、少しだけ展示内容にも触れておきましょう。今回初めて紹介される藤野作品に静物画(個人蔵)があります。描かれているのは洋ナシ。女性像が大半の藤野作品においては異質な主題ですが、本作は1955年頃、岡上さんが藤野に頼んで描いてもらい、藤野からプレゼントされた作品だそうです。この絵が壁にかかった岡上邸の応接室で撮られた二人のポートレイトは写真を始めていた岡上さんの撮影によるもので、これも初公開です。この写真は大きく引きのばして本展覧会の入口でもご紹介していますし、プリントもそれぞれ展示しています。

もう一つ。藤野は若い頃から多才で、絵画のほかに装丁や挿絵、舞台装置の仕事、映画製作などもおこないました。本展ではその一端もご紹介していますが、なかでも1963年に大林宣彦とともにつくった23分の実験映画『喰べた人』(演出:藤野一友、撮影:大林宣彦)は必見です。映画自体もとても興味深く、また、そのコンセプトについて触れた藤野のテキストは、現実世界とファンタジーの関係について書かれたものとも言え、藤野作品の読解にもヒントを与えてくれると思います。

展覧会は2023年1月9日までですが、明日11月12日には記念講演会として巖谷國士先生に以下の題目で講演いただきます。展覧会とあわせてぜひ足をお運びください。

―――――――――――――――――

特別展「藤野一友と岡上淑子」記念講演会

題目:岡上淑子とその時代

講師:巖谷國士(仏文学者、美術評論家、明治学院大学名誉教授)

日時:2022年11月12日(土)14時~15時30分(予定)

会場:1階ミュージアムホール

―――――――――――――――――

そして、本展覧会の公式図録を兼ねた作品集『岡上淑子・藤野一友の世界』(河出書房新社)も、当館ミュージアムショップにて本日販売スタートしています。ぜひ手に取ってみてください。

(学芸員 近現代美術担当 正路佐知子)

特別展

鳥獣戯画展開催中です

 9月3日(土)から開催中の特別展「国宝 鳥獣戯画と愛らしき日本の美術」。27日(火)から後期展示が始まりました。

《鳥獣戯画 乙巻》(京都・高山寺蔵)展示風景

 前期では、《鳥獣戯画》の甲・丁巻を展示していましたが、後期からは乙・丙巻をご紹介いたします。(10月4日(火)からは場面を変えて展示します。詳しい展示場面についてはこちら
https://www.fukuoka-art-museum.jp/uploads/chojugiga_scenechange.pdf

 「ウサギ、カエル、サルが出てくる有名な甲巻は展示されていないんでしょ?」なんてお思いのあなた。本展のみどころは鳥獣戯画だけではありません!(もちろん、「鳥獣戯画」もご覧いただきたいですが)ということで、今回のブログでは鳥獣戯画以外の出品作品の魅力をご紹介いたします。

黒田家と動物
本展では、鳥獣戯画にちなんで動物を表した美術作品を数多く紹介しています。中でも私が関心を持ったのが、福岡の人びとがどのように動物を表した作品を楽しんでいたのか?ということ。そこで、福岡藩を治めていた黒田家に関わりのある動物関連作品及び資料を調べてみることにしました。まず、ご紹介したいのが《黒田忠之像》です。福岡藩黒田家第二代藩主・忠之(1602~1652)の肖像画で、白い犬と視線を交わすように描かれるのが特徴です。

狩野探幽筆《黒田忠之像》(福岡市美術館蔵)

 殿様の肖像画といえば、武具甲冑に身を固めた勇ましい姿や、貴族の正装である束帯姿で威儀を正した様子で描かれる場合が多いです。こうした一般的な肖像画とは大きく異なる本作がどういった経緯で描かれたのか、ついつい妄想が膨らんでしまいます。「オレの肖像画はこの犬と一緒がいい!」「見つめ合っているところを描いてくれ!」などなど、絵師に注文をつける忠之の様子が目に浮かぶようです。残念ながらこの妄想を裏付ける資料は全く見つけることができていません。ですが、忠之がこの犬に深い愛情を注いでいたからこそ、本図のような作品が生み出されたのではないでしょうか。
妄想ついでにこの犬についてもう少し見て見ましょう。

《黒田忠之像》(部分)

 そこまでリアルに描かれてはいませんが、垂れ耳にシャープな顔立ちというのは、例えば、イタリアングレーハウンドのような洋犬の姿を思わせます。「江戸時代に洋犬なんていたの?」なんて声が聞こえてきそうですが、当時、洋犬は唐犬とも呼ばれ、外交や貿易を通して海外からもたらされていました。忠之をはじめ、黒田家の藩主たちは、海外との窓口であった長崎の警備を任されていた関係で舶来の動物に接する機会は多かったようです。忠之の時代に黒田家で唐犬(洋犬)が飼育されていたのかどうか、やはり、資料がなく不明と言うほかありません。ですが、忠之よりは時代が降るものの、ある時期より黒田家で唐犬が飼育されていたことは確かです。
それを物語るのがこちらの《カワウソのヒゲ》。

《カワウソのヒゲ》(福岡市博物館蔵)

 かつて、福岡藩士の子孫のお宅に伝来したもので、現在は福岡市博物館に所蔵されています。このヒゲの包紙には発見の経緯が記されており、慶應2年(1866)の9月4日、昼の12時から14時の間頃に福岡城の庭で唐犬とカワウソが戦って採取されたそうです。
福岡城の庭とは、地図にもお示ししている通り、福岡市美術館からもほど近い、舞鶴公園三の丸広場と思われます。

福岡城周辺の地図。赤枠の外側はかつてはお城を巡るお堀でした

どうです?だんだんと他にどんな動物についての作品があるか気になってきたのではないでしょうか?あとはどんな作品が展示されているか、ぜひ美術館にいらしてご覧いただければと思います。そして、展覧会場で動物たちをご覧いただいたあとは、広場にもお立ち寄りいただき、動物たちでにぎわっていたかつての様子に想いを寄せていただければ幸いです。

宮田太樹(福岡市美術館 学芸員)

新着投稿

カテゴリー

アーカイブ

SNS