2026年7月22日 09:07
当館2階のコレクション展示室では、年に1度、大規模な展示替えを行っています。
今年度も、室内を大胆に模様替えし、ご覧のとおり、入口も明るくわかりやすく改装しました。

なんだかキラキラ・ピカピカです。この入口もさることながら、窓外の緑滴る樹々の美しさもまぶしく、清新なロビーになっています。
でも、アレ?と思われた方も多いのでは?
実は、つい先頃まで、ここには小錦をモデルにした中ハシ克シゲ《Nippon Cha Cha Cha》がデ~ンと鎮座していたのです。その引っ越し先は後ほど紹介いたしましょう。
***
入口で迎えるのは、おなじみのシャガール《空飛ぶアトラージュ》です。アイキャッチな作品として展示しました。加えて、展示の伏線に重要なポイントとして最初に置きました。伏線のことはまた後ほど…(「後ほど」が多くてスミマセン)。

マルク・シャガール《空飛ぶアトラージュ》1945年
***
さて、「コレクションハイライト」とは、12,000点以上に及ぶ近現代美術のコレクションから、20世紀以降の優品を通年展示する企画です。
場所は、当館2階コレクション室のA室とずっと奥のC室。この離れた2室をゆるやかに結びながら、同時にそれぞれ独立した展示としてもご観覧いただくため、今回注目したのがモナ・ハトゥムの《+と-》です。

モナ・ハトゥム《+と-》1994/2024年
当館ではこの作品を、2024年に、コレクション室の各部屋をつなぐロビーに恒久設置しました。砂時計のような円の中をバーがゆっくりまわり、模様を形づくりながら、一方でそれを掻き消していくサイクルが永遠に続く作品です。その形とタイトルから、陽と陰、創造と破壊、生と死など対になる力が相互に作用しながら巡る理を伝えています。
***
展示室A:「花と銃─予測不可能な地球に生きる」
今回、モナ・ハトゥムの《+と-》に通じるコンセプトをもつ作品として、最初の部屋には、インカ・ショニバレCBE《桜を放つ女性》1点だけを展示しました。

インカ・ショニバレCBE《桜を放つ女性》2019年
まるい部屋に入ると目に入るのは、咲き誇る桜とライフル銃を構えた地球儀の頭をもつ女性です。花と銃は、平和と暴力、創造と破壊、生と死を表象していますが、殺傷力のある銃から放たれているのが銃弾ではなく満開の花であることに、希望を感じさせます。
わたしたちは、ある日勃発する戦争で日常が一変し、のどかな翌日には自然の猛威にみまわれるうような、予測不可能な地球に生きています。今回の展示が、混迷する現実を直視しながら、なおも希望を見出そうとした各時代のアーティストの考えを伝え、また、現在に生きるわたしたちが、未来へのビジョンを想い描くうえで一助となるよう願っています。
***
展示室C:「マイナスからプラスへ─予測不可能な地球に生きる」
C室では、マイナスのイメージの強い作品群からプラスのイメージが濃い作品群へとストーリーが展開します。
1. 怒りのるつぼ─暴力・矛盾・混沌

右 横山操《熔鉱炉》1956年
左 戸谷成雄《28の死 I》1989-90年
ここは、アーティストが怒りを込めて社会の矛盾や暴力がもたらす混沌や苦悩に向き合った作品群で構成しています。負のイメージを強烈に発する作品を見ると気鬱に感じられるかもしれませんが、各作品に渦巻くエネルギーは圧倒的です。ここでは、横山操《熔鉱炉》や戸谷成雄《28の死 I》のほかに九州派の作品、バスキア、ジム・ダイン、ウォーホル、キーファーなど欧米の錚々たる作家の作品をご覧いただくことができます。
2. 静かなる聖堂─祈りの絵画

右 サルバドール・ダリ《ポルト・リガトの聖母》1950年
中 マーク・ロスコ《無題》1961年
左 ジョアン・ミロ《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》1945年
次のコーナーにはあえて3点だけを展示しました。
中央にロスコの作品をおいたのは、ロスコが美術を宗教的体験を与えるもので、絵に向き合うことで人は精神的な経験をすると考えていたことによります。まさに祈りのための絵画です。
なお、この部屋は岩窟のイメージでデザインしています。照明も作品が浮き上がるように当てており、ロスコ作品の前には「ロスコチェアー」(勝手に名付けました)も置いています。もし、あなたに何か辛いことがあったら、どうぞこの椅子に座って気持ちを静めてみてください(もちろん懺悔でもOK)。
3. 生命いずるところ─アニシュ・カプーアとオチ・オサムの宇宙

右 オチ・オサム《球の遊泳》1979年、《カラスウリは不思議Ⅰ》1977年
中 アニッシュ・カプーア《虚ろなる母》1989-90年
左 アニッシュ・カプーアの版画 1988年
次のコーナーには、未来への希望を暗示させる作品として、アニシュ・カプーアの彫刻《虚ろなる母》と関連の版画、オチ・オサム《球の遊泳》等を展示しています。子宮や生殖器のようなカプーアの作品も、天体や体内の細胞構造のようなオチの作品も、何かを生み出す宇宙のように見えないでしょうか。
ちなみにこの細長い空間は子宮に通じる産道のように感じられるかもしれません。
4. 共生の明日へ─飛翔・調和・対話

中ハシ克シゲ《Nippon Cha Cha Cha》1993年
最後のコーナーは、「未来へ向かって立ちあがり共に生きる喜びを見出す」というイメージで作品を選びました。やはり最後は明るいプラス気分で鑑賞を終えてほしいからです。
そして、中ハシ克シゲ《Nippon Cha Cha Cha》はここにお引越ししました。外国人であっても日本で文化の担い手として共に生きる人々の存在に光をあててみました。白い空間で、これまでとは違った小錦に出会っていただけます。
***
最後に伏線回収。

ザオ・ウーキー(趙無極)《僕らはまだ二人だ-10.3.74》1974年
展示室入口でご覧いただいたシャガール《空飛ぶアトラージュ》は、愛妻ベラを亡くして悲しみに沈んだ画家が再び絵筆をもったときの作品です。鑑賞者はそこから出発して、最愛の妻ガラを聖母に見立てたダリの《ポルトリガドの聖母》を経由し、最後にザオ・ウーキーの《僕らはまだ二人だ-10.3.74》に辿り着くことになります。
ザオもまた、妻の陳美琴を失って制作できなくなりました。この作品は、その深い喪失感から立ち上がった時期のものなのです。ふたつの尾根が果てしなく続くような雄大な自然はダイナミックで清浄。画家の苦悩を浄化するかのようです。「僕らはまだ二人だ」と語るこの絵は、亡き妻への切ない想いに満ち溢れています。
さて、うまく伏線回収できているでしょうか?
全体に通底する「+と-」「花と銃」のストーリーとともに、これら3点のラブストーリーにうなずいていただければ、企画者冥利に尽きます。
***
本展の会場は、一年にわたり建築家、デザイナー、照明デザイナーとともに設計し、厳しいスケジュールの中でも丁寧な施工や作品設置を担当してくださった作品展示、施工、照明の各会社のスタッフ皆さんのご尽力で実現いたしました。この場をかりて、厚くお礼を申し上げます。
(近現代美術係長 ラワンチャイクン寿子)
2026年6月24日 09:06
美術館の作品は、一度完成したら、その姿のまま長く残っていく。そんなイメージを持つ方も多いかもしれません。
けれど、その裏側では、作品を未来へつないでいくための地道な調査や修復が続けられています。今回、福岡市美術館では、所蔵作品であるアンゼルム・キーファー《メランコリア》の公開修復を実施します。普段は見ることのできない、修復家が実際に作品と向き合う現場を間近で見られる貴重な機会です。(開催情報については末尾に記載しています。)
作品の基本情報や画像は、本ウェブサイトの作品紹介ページをご覧ください。
今回対象となる《メランコリア》は、1989年に制作された立体作品です。内部は木材とウレタンフォーム、外側は薄い鉛板で覆われています。
しかし2021年、この作品頭部で鉛の一部が膨張・崩壊し、脱落するという損傷が発生しました(図1)。

図1 頭部から鉛板の一部が脱落して出来た穴
調査の結果、原因は作品の外側ではなく内部環境にありました。内部の木材やウレタンフォームから放出された有機酸やホルムアルデヒドといったガスが、長い時間をかけて鉛を腐食させた可能性が高いことが判明したのです。
ただし、原因が分かったからといって、簡単に内部を作り替えることはできません。
現代美術の保存修復では、「元通りに直す」ことだけが正解ではなく、素材や変化そのものが作品コンセプトの根幹を担っている場合もあるからです。
キーファーは、15~16世紀の画家アルブレヒト・デューラー《メランコリアⅠ》や、錬金術の思想に着想を得てこの作品を制作しました。鉛は、金(ゴールド)へ変化していく始まりの金属として古くから特別な意味を持っていました。また、柔軟に変形する能力を持つ一方で、密度が高いためにX線等の放射線から保護できるという特質も、作家が特に鉛に惹かれた理由でした。
つまり作家にとって鉛は作品を制作するうえで重要な構成要素であると同時に、鉛が変成すると作家が知った上で、あえて採用しているため、作品のコンセプトにも着目しなければなりません。そのため修復にあたり、美術館と作家側に確認した上で修復方針を検討しました。
「積極的に修復するのか」「現状を維持するのか」「劣化そのものを受け入れるのか」。
検討の結果、損傷した部分のみを補修し、作品の現在の姿を維持するという考え方を採用しました(図2、3)。

図2 修復中

図3 修復後
そして現在、さらに劣化が進行した鉛板について、追加の修復作業を行うことにしました。
今回の公開修復では、作品の保存と向き合う現場そのものをご覧いただけます。
完成した作品を鑑賞するだけでは見えてこない、「作品は時間とともに変化し、その変化と向き合いながら受け継がれている」という事実。美術館が担うもう一つの活動そのものを、ぜひ鑑賞ください。
【公開修復概要】
日時:令和8年7月7日(火)~7月18日(土)
午前9時30分~午後5時30分
※日曜・休館日を除く
会場:福岡市美術館 2階 近現代美術室C
参加費:無料(コレクション展観覧券が必要)
※修復家の休憩等により、作業を中断する場合があります。
※作業進行状況により、修復家へのお声がけをご遠慮いただく場合があります。
作品を「見る」だけでなく、「守る」現場に出会える期間限定の機会です。ご来館をお待ちしています。
(学芸員 作品保存管理担当 渡抜由季)
2026年5月27日 09:05
5月16日、ミュージアムホールで、現在開催中の「小磯良平展 幻の名作《日本髪の娘》」展(~6月21日)の記念講演会「幻の名作《日本髪の娘》との出会い」を開催しました。講師は、岡泰正先生(神戸市立小磯記念美術館 顧問)です。
長年にわたる作品研究に基づき、小磯良平の生きざま、出品作品の見どころ、そして、この度の展覧会の目玉作品《日本髪の娘》をめぐるエピソードを教えていただきました。時おりジョークを交えてお話しされる姿に、会場からも笑いや感嘆の声が上がり、楽しい講演会となりました。
今回のブログでは、担当者が印象深く感じたエピソードの一部をご紹介します。

講演会場の様子
小磯を巡るファミリーヒストリー
小磯良平(1903-1988)は、兵庫県・神戸の旧三田(さんだ)藩の会計書記係の家系で、明治大正期に神戸居留地の貿易商に勤めていた岸上家の下に生まれました。この三田藩は、とても先進的な藩として知られ、英語学習もいち早く取り入れていたといいます。小磯の実母である岸上こまつ、養母である小磯英はいずれも神戸英和女学校(現・神戸女学院)の卒業生で、クリスチャンでもありました。また、国際的な文化人として知られる白洲次郎(妻、白洲正子)も三田藩儒者の家柄であり、三田藩の菩提寺・心月院に葬られています。
岡先生が実際に現地を歩いて撮影された写真をご紹介いただくことで、土地勘のない私にも、神戸が古くから様々な文化の混ざりあう場所であったことを知ることができました。小磯は神戸に生まれ育ったからこそ、和洋折衷、コスモポリタンな感性をはぐくみ、制作することができたのです。
物質感を見る
小磯は、単なる写実にとどまらず、油彩画という表現を追求していました。講演では初期作品から主に1930年代にかけての図版をたっぷりとご紹介いただきました。
フランス留学中に描いた《ブルターニュ・ソーゾン港》(1929年)のような初期作品には、ラウル・デュフィ等に代表されるフォーヴィスム(野獣派)の流れとシンクロするような勢いあるタッチが見られます。岡先生はこれを絵の具の「物質感」と呼んでいました。
写実的で正確なデッサン、肌・布・髪の質感の繊細な描き分けが小磯の特徴ですが、よく見れば、絵具の乗り方や筆運びには写実を超えたものが感じられます。彩色の物質感を目で追っていくことで、時代ごとに変化する小磯の野心や、描くことにかける情熱が伝わっていきます。筆のスピード感と、「物質感」を見る鑑賞法、おすすめです!

ブルターニュ・ソーゾン港1929年 神戸市立小磯記念美術館蔵
イメージソース
《日本髪の娘》は、画面の真正面を見つめ返す記念写真的な構図ではなく、画面左に体を傾け、ふっと、視線を画面左手にそらしています。スナップショット的な構図です。このことによって、この絵のモデル(上田種子さんといいます)の持っている気品・アトリエのモダンな空気が伝わってくるのです。(このかつらを脱いで、早く街に買い物にでも行きたいわ…)という心の声をアテレコするのもありでしょう。
岡先生は、この構図に影響を与えたものとして、エドガー・ドガの作品もご紹介いただきました。《アプサント酒を飲む人(カフェにて)》《ディエゴ・マルテッリの肖像》など、エドガー・ドガは、当時普及し始めた写真に触発されてこうした作品を描いたといいます。小磯は、ドガに学び、空気までも描きこむ人物像に到達していたのです。
《日本髪の娘》との出会い
所蔵館である韓国国立中央博物館での調査時のお話も伺いました。2020年の調査まで、岡先生は《日本髪の娘》の実作品を見る機会がなかったそうで、複製でしか知らなかった作品と対面したときの喜びはいかばかりだったでしょう。貴重な現場の写真を投影しながら、その際のことを教えていただきました。
実際に作品を前にし、岡先生は、「日本髪の娘の顔立ちが《着物の女》と同じであること」、「《踊り子》と額縁が同じであること」に気づかれたといいます。《日本髪の娘》と《踊り子》のこの2点は、どちらも1935年の第二部会展の出品作で、日本髪の娘が李王家美術館に収蔵されたことで、時代の流れの中で離れ離れになっていました。しかしながら、二つの作品のつながりはとぎれてはいなかったのです。
会場では、この2点が90年ぶりの再会を果たしていますので、是非ご覧ください!

会場風景:《踊り子》と《日本髪の娘》の再会です!
「日本髪の娘」のモデル、上田種子の写真との出会い
先ほど述べたように、《日本髪の娘》は上田種子さんという女性をモデルに描かれました。
上田種子は、公選の神戸市議会議長・上田實の娘で、小磯のもとに絵を習いに来ていた生徒でもありました。関西の美術展や全国規模の美術展に入選するほど洋画制作に真剣に取り組んでおり、会場では彼女の手腕が見て取れるスケッチブックもご覧いただけます。
岡先生は、小磯の「指向性」という言葉を用いながら、上田種子の姿が小磯にとって理想的なモデルであったこと、彼女をモデルとした作品が複数存在することを紹介されました。
今回、上田種子さんのお姉様のご親族と岡先生とのご縁により、若き日の上田種子さんが、和服を着て立つ姿をとらえた写真が会場で初公開されました。その姿はまるで小磯作品から抜け出してきたかのようで、「上田種子の存在が小磯の和装婦人像を生み出したのだ」と思わずにはいられませんでした。
こちらも、《日本髪の娘》との出会いをテーマとする講演会にふさわしい、心に残るエピソードでした。上田種子さんのお姉様は福岡にお住まいだったとのことで、福岡と小磯とをつなぐ縁があったのだ、と感慨深く思いました。

会場に並ぶ、上田種子がモデルと考えられる《洋和服の二人》(神戸市立小磯記念美術館蔵)《和服の婦人像》(姫路市立美術館蔵)《着物の女》(神戸市立小磯記念美術館蔵)

このたび見出された振り袖姿の上田種子さんの初公開写真 個人蔵
「アヒルの水かき」
岡先生の講演中で印象的だった言葉に、「アヒルの水かき」という表現があります。 ためらいなく線を引き、一発で決めることができたように「まわりには見えた」小磯ですが、その制作の裏には人知れぬ努力の積み重ねがあったという意味です。うまくいかないデッサンもあったのです。
小磯作品の美しさの奥にある絵画への熱意や人間ドラマ、努力する天才=水かき、の部分を知ると、作品を見る楽しみはいっそう増しますね。
「小磯良平展―幻の名作《日本髪の娘》」の会期はあと1か月を切りました。ぜひお見逃し無いようお越しください。
忠あゆみ(近現代美術係)