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福岡市美術館ブログ

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カテゴリー:館長ブログ

館長ブログ

着任のごあいさつ

皆さん、はじめまして。

4月より福岡市美術館の館長に着任しました吉武です。

美術館では組織の変更がありまして、これまでの美術館運営業務と昨年まで私が担当していましたアートのまちづくり推進業務(通称:FaN)を美術館長が所管することになりました。

私は学芸員ではないため、美術の重要な部分は優秀な当館の学芸員さんにお任せすることにしまして、私は、これまで担当してきた市民のためのまちづくりやアーティストの成長支援などの経験を生かしながら、更に多くの市民の方などに当館の貴重な所蔵品を見ていただけるような事業を学芸員の方々と進めていきたいと考えています。

ここでは、これまで担当してきた「アートのまちづくり推進事業=Fukuoka Art Next(通称FaN)」について少し触れさせていただきます。

令和4年度からスタートした本事業は、「アートのある暮らし」と「アートスタートアップ」を2本の柱として市民の皆さんが身近にアートに触れる機会の創出やアーティストの成長支援に取り組んでいます。

皆さんがご存じであれば嬉しいのですが、メインとなる事業は毎年9月中旬ごろから開催しているアートイベント「FaN Week」と、旧舞鶴中学校を活用して開設したアーティストの成長・交流拠点である「Artist Café Fukuoka」の運営です。

これらの詳細はまた別の機会にお話しすることにしますが、4年間の取り組みにより少しずつではありますが、アートに接する機会やアーティストとの交流、福岡からアーティストを海外などにつないでいくことなどが実践できると感じています。

これまでの取り組みにおいて大変重要だと思っていることは、このアートのまちづくりの根本にはこれまで福岡市が積み上げてきた「福岡市美術館」と「福岡アジア美術館」があるということです。

2つの美術館は国内外から高く評価されるコレクションを所蔵しており、市民をはじめとする多くの方々に展覧会をご覧いただいています。

今後も福岡市美術館の展覧会などを楽しみにしていてください。

(館長 吉武寛志)

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紺屋の星条旗

出品番号62番《戦争シーン文様更紗腰衣》(部分)

 筒描と呼ばれる日本の染物の調査のため、四国を訪れた時のことでした。とある染物屋さんのご主人が話してくださった、忘れられないエピソードがあります。

 その方は第二次世界大戦の時に召集されましたが、戦後、命からがら復員することができました。ところが、染物をしようにも材料は全く手に入らず、家業は開店休業。仕事ができない日々が続きましたが、ある時、役場の人たちが店を訪ねてきます。何の用かといぶかっていると、彼らはこういいました。「アメリカの国旗を染めてくれないか」。
 ご主人は驚き、そして断固として断ります。ついこの間まで、敵として戦っていたやつらの旗なんぞ、絶対染めたくない!ところが、役場の人々も進駐軍の依頼とあっては、おいそれと引き下がれません。いや、それでは困る、なんとしても染めてくれ、いいや、嫌なものは嫌だ…と押し問答が続きます。が、役場の人々の窮状を見かねて、ついに引き受けることに。そうはいっても、材料も何もないというと、材料などお安い御用だ、いくらでも持ってくる、といって、あっという間にどこから調達したのか、依頼分を超えてあまりある材料が届きました。
 ご主人は、星条旗を染めました。そして余った材料を、役場の人々は感謝をこめて店に置いていきました。はからずも、星条旗のおかげで家業を再開することができたのです。おりしも、戦争に行っていた漁師さんたちが復員し、改めて船を仕立てて漁を再開する人が増えつつあった頃であり、お店では、大漁旗をたくさん染めて、店を繁盛させたのでした。

 そうだ、藍と茜があれば、星条旗は染められるんだな、と感慨深く思ったことを覚えています。世界に青と赤と白の旗が多くみられるのは、それらが天然染料で染めることができる色だったからでしょう。なぜ、久しぶりにこのエピソードを思い出したかといいますと、まさに、紺屋が染めた星条旗を見つけてしまったからなのです。といっても、インドネシアの紺屋(バティック・メイカー)が染めた星条旗ですが。

出品番号62番《戦争シーン文様更紗腰衣》

 現在開催中の「一杉コレクション展-魅惑のインドネシア染織-」(~3月15日)の出品作品に、よくみると星条旗(らしきもの)が!出品番号62番《戦争シーン文様更紗腰衣》は、いわゆる「カイン・コンパニ」と呼ばれる、兵隊や船、飛行機が染め出されたバティックですが、隊列を組む兵士の先頭に、進軍ラッパを吹く兵士と旗を掲げる兵士が描かれています。最初は、ただ旗が描かれていると気にも留めなかったのですが、どう見ても星条旗。しかも、19世紀初期の星(州)の数が少ない頃の。しかし、なぜオランダの旗でなく、星条旗なのでしょう。確かにアメリカの商船はバタビア(ジャカルタ)に出入りしてはいましたが…。一方で大きな蒸気船の旗をよく見ると、月と星が描かれていて、イスラムの国からの船かと思わされます。この布の持つ物語はいまだ紐解けていません。どうか、なにかご存じのことがあれば、ぜひ教えてくださいませ。

(館長 岩永悦子)

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ことしもお世話になりました2025

田中千智《生きている壁画》第3期

 あっという間に年末です。もう2025年を使い果たしてしまったのか!?と、おろおろするばかり。いつも、このブログを書いている時には一年を振り返りますが、今年は「この1年間」ではなく、「この3年間」を振り返ってみたいと思います。そう、12月27日は、3年間ともに過ごした田中千智さんの壁画《生きている壁画》とのお別れの時なのです。

 今から3年前の2022年のブログには、KYNEさんの壁画へのお別れの言葉を書きました。まだそのころは、コロナの名残があったころでした(翌2023年に5類に引き下げになりましたね)。
 明けて2023年の1月から、田中さんの壁画制作が始まりました。真黒な背景に一人、また一人と人物が浮かび上がっていきます。そして出来上がった作品は、まばらな木立に人間や動物が登場しつつ、静けさに満ちていて物語がこれから展開するだろうという予感をただよわせたものでした。

田中千智《生きている壁画》第1期

 2024年の1月に、物語は一気に変化します。その年、1月1日に能登半島地震があり、2日には羽田空港地上衝突事故があり、正月早々日本全体が震撼したのでした。前年に始まりながら、予想に反して一向に決着しないウクライナとロシアの戦い、そして日本を襲った大災害。第2期の画面は、加筆というような生易しい言葉では言い表せないほどの、劇的な変化を見せます。作品ってこんなに一気に変わるのだと、茫然としたことを覚えています。

田中千智《生きている壁画》第2期

 2025年の1月。今度はどんな変化が起こるのだろう。戦火はウクライナ-ロシアから、パレスチナーイスラエルへと広がり、災害も世界各地で起こっています。最終年である第3期では、戦禍の痕跡がより広がり、世界がより混沌とした姿へと変貌を遂げています。木立がなくなり、鑑賞者も絵の中に取り込まれるように感じます。

 3期にわけて振り返ると、その時々のわたしたちの思い、その変化が画面に投影されていたと感じます。壁画の展示は27日までですが、この後も時代を映す鏡として変化し続けるのではないかと想像してしまいます。田中さん、素晴らしい作品を本当にありがとうございました。

田中千智《生きている壁画》第3期

1月から、壁画の第3弾として、浦川大志さんの壁画制作が始まります!乞うご期待!

(館長 岩永悦子)

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