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福岡市美術館ブログ

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総館長ブログ

ヘビも美術と仲が良い?

どーも。総館長の中山です。あけましておめでとうございます。
最近、新年一発目のブログはお前が書けという風潮?が定着してきて、戦々恐々なんです。書きたい人が書きたいときに書くのがベストなんですけどね。去年のお正月は、大牟田市動物園さんとのコラボ企画「教えて!美術館の人! -辰って一体どんな動物?-」というライブ配信もあったので、その予告編も兼ねて「辰は美術と仲が良い」というタイトルで書きました。そこで「あれ、ちょっと待てよ。そういえば…」と、どんどん遡ってみると、2020年のお正月からずーっと書いてました。なんだ、戦々恐々もなにも、もうとっくに定着してますやん。トホホ。うれしがりみたいに私的年賀状の図案も載せてますやん。御多分に漏れず、わたしも昨年「年賀状やめます」宣言を年賀状に書きました。かの博多の名物禅僧である仙厓さんは、「なんか描いてくれ、なんか描いてくれ」とあまりに多くの人が来たので「うらめしや わが隠れ家は雪隠(せっちん・トイレのこと)か 来る人ごとに紙置いていく」と嘆息し、83歳で絶筆を宣言して絶筆の石碑まで建てましたが、「仙厓さんが絶筆したと?そらあかん。今のうちになんか描いといてもらわんと」という聞き分けのない博多っ子が普段にもまして押し寄せ、断ることもできずに「絶筆の碑図」を何枚も描いて与えています。笑い話です。当然ながら88歳で死ぬまで絶筆できませんでした。わたしは年賀状、やめますけどね。
さて、今年は巳年ですが、ヘビで思い出すのは小学校一年生の夏休みです。淡路島の叔父の家の牛小屋の板塀の隙間から、大きな大きな青大将が、ぬうっと首をまっすぐ水平に出していたんです。どこまでが首なのか知りませんけど。記憶映像では50センチくらいだったです。ながいながい首で狭い道が通せんぼされているんです。気づいたら、もう目の前だったんです。怖かったなあ。ヘビはまばたきしないんです。そもそもまぶたがないんです。真横なのに、じーっとこっちを見ているように思われて、ヘビに睨まれたカエルみたいにうごけませんでした。ほんとは慌てて後ずさりしてから固まって、そのまま彼が立ち去るまでわたし、じーっと待っていました。彼女かもしれませんけど。永遠の時間が過ぎて、彼または彼女が田んぼに消えてから全速力で駆け抜けました。家の裏の海岸にどうしてひとりで遊びに行ったのかはもう思い出せませんが、この青大将がわたしのヘビ初体験でした。ヘビに対する恐怖は本能なのか学習なのか、論争があるみたいです。わたしの場合は、学習していたのかもしれませんが、あれは本能的な恐怖でしたね。多分。叔父に怖かったことを話したら、夜中に天井からネズミを丸のみにした青大将が、寝ている布団の上にドサッと落ちてきた、なんて話を笑いながらしたんです。もう寝られなくなりますよね。いじわるな叔父さんでした。大人になってからは、それほど怖くなくなりました。思っていたより怖くないということを、学習したようです。
ついでにもうひとつ告白しますが、文化英雄という言葉をご存じですか。わたしはつい最近まで知りませんでした。何かの拍子に耳に入ってきて、そんな言葉があるのかと手元の広辞苑(1991年発行・第4版)で引くとちゃんとありました。文化施設に人生の七分の四以上も勤めているくせに文化という項目をきちんと読んでいなかったわけですし、そうでなくても恥ずかしいかぎりです。広辞苑の解説はちょっとお堅いので、ネットのウィキペディアを引用すると、文化英雄とは、〈火や作物の栽培法などの有意義な発明や発見をもたらし、人間世界の文化に寄与したとされる伝説的人物やある種の動物〉のことらしいです。人間に火や穀物をもたらしたギリシア神話のプロメテウスは有名ですね。わたしがこの言葉と意味を知ってまず思い浮かべたのは、エデンの園でアダムとイブに禁断の果実を食べさせて知恵を授けたヘビでした。知恵をさずけたのだから、ヘビも文化英雄になるのかな、なんて漠然と思ったのです。あのエデンの園にいたヘビ、実は堕天使で悪魔のルシファーらしいです。いいですね、ルシファー。ロマン・ポランスキー監督、ジョニー・デップ主演の映画「ナインスゲート」とか、アトラスのRPGゲーム「女神転生」シリーズとか、姿を現しても現わさなくても、仲魔になってもならなくても、わたし大好物なんです。ルシファー。これは余計な話でした。それにしても、知恵を獲得することが罪を背負うことになるというのは、やっかいな問題です。
さて、ヘビに恐怖を感じたり、悪魔の化身だったりするマイナスイメージは、万国共通ではないし、あたりまえでもないですよね。ヘビをペットにして可愛がっている人はたくさんいますし、去年の年末に福岡県大川市の三宝神社で白ヘビの赤ちゃんが一度に十匹も生まれてラッキーというニュースをテレビでやってました。ローカルニュースですけど。日本の神話ではヤマタノオロチという大蛇が悪いヘビみたいですが、近世美術でヘビが描かれていると、大抵はよい意味、縁起物です。

仙厓「大弁財尊天像」(三宅コレクション)と「蛇動物文様緯絣」

左は当館所蔵の仙厓作品で、右はちょっとわかりにくいですが、19世紀のカンボジアの布(絣・かすり)で、菱形が並んでいるように見えているのがヘビの文様です。仙厓さん作品は、七福神の弁財天の姿を描くのが面倒くさいので、ちょっとだけコブラっぽい蛇で代用したというものだと勝手に解釈しています。カンボジアの儀式用の布にはヘビの文様がよくあるようで、多分神聖な存在として扱われているのだろうと、これも勝手に解釈しています。だってそもそもインド神話にはナーガとかナーガラジャという蛇神がいますから。また、弁天さまは財宝の神様ですが、そもそもはヒンドゥー教の女神サラスヴァティーが仏教に取り込まれた呼び名です。ヘビは脱皮して無限の生命力を持ち、お金を呼び寄せるので財布にヘビの脱皮した抜け殻を入れておくとお金が溜まるという迷信がありましたね。そういうことです。夜に口笛を吹くとヘビが来るという悪い迷信もありました。でもこっちの迷信は大丈夫。ヘビって鼓膜や耳孔が退化してしまっているので音はほとんど聞こえないみたいです。下あごで地面の振動を感知しているそうです。
最後に、世間のごく一部の人から仙厓の専門家だと勘違いされているみたいなので、先ほどの「大弁財尊天像」についてひとつだけつけ加えておきましょう。この作品、何歳で描いたか画面には書いていませんが、専門家であるらしいわたしにはわかります。これ、天保三年(1833)仙厓83歳の正月に描いたものです。この画面に押されている四角いハンコが使われたのは80歳代前半の数年(ほぼ82歳か83歳)に集中しています。で、天保三年は巳年なんです。正月早々から「なんか描いてくれ、なんか描いてくれ」とうるさい人に向かって描いてあげたに違いありません。つまりこれ、仙厓さんのいやいやながらの年賀状かもしれません。いやいやかどうかはわからないだろうと思われました?多分いやいやですよ。なにせこの年に、例の絶筆の石碑を建てているんですから。そしてそうです。このブログ、わたしの年賀状です。ただしこれは、いやいやではありません。
今年も福岡市美術館をどうぞよろしくお願い申し上げます。

(総館長 中山喜一朗)

 

 

 

 

館長ブログ

ことしもお世話になりました2024

《+ と −》 1994/2024年/ ステンレス鋼、モーター、砂

 

あんまり寒くないので、年の瀬感があまりなかったのですが、ここ数日の冷え込みで、ああ、年末だ。年の暮れだ。とリアルに感じています。おまけに風邪もひいて、急に年末あるある過ぎるシチュエーションに。みなさんも、気を付けてくださいね。

さて、今年も得難い経験、忘れ難い記憶は、多々あるのですが、「公私ともに」と考えた時に浮かんでくるのは、やはり、モナ・ハトゥムの《+と-》が当館2階のコレクション展示室のロビーに恒久展示されたことと、モナ自身が30年ぶりに福岡に来てくださったことです。

今では世界のトップアーティストとして、押しも押されもせぬモナ・ハトゥム。彼女が《+と-》の大型バージョン(最初に作られたのは、直径30㎝ほどでした)を世界に先駆けて福岡で制作・公開したのが、ちょうど30年前の1994年。パフォーマンス・アートやビデオ・アートで知られていた彼女ですが、80年代から90年代にかけては、インスタレーションでの試みが注目されていました。

「ミュージアム・シティ・天神 ‘94 [超郊外]」という福岡の街なかと郊外で開催された展覧会の出品作家のひとりとして、福岡で滞在制作をし、あの作品を仕上げたのです。そして、それは、今に至るまで、「モナ・ハトゥムの代表作」のひとつであり続けています。

美術館でぜひ収蔵したい作家をリストアップしていた時も、モナ・ハトゥムはドリームリストの作家でしたが、福岡にゆかりのある作家だから!と担当者が思い切って連絡をしたところ、なんと前向きな返事が!「FUKUOKA」という土地との絆はずっとつながっていたのです。

今回、福岡に作品を設置することへの彼女からの条件は、これまでのように砂をたたえた器を床の上に乗せるのではなく、床を掘り込んで砂を入れるという、作品と建築が一体化するようなアイディアを実現できるか、ということでした。1979年開館の美術館は、タイル一つをとっても特注品で一度壊したら二度と手に入りません。また、作品を動かすことはできず、美術館が存在するかぎり、展示され続ける特別な作品となります。

学芸会議で話し合いました。美術館の将来を決めてしまうような、それだけの覚悟をして設置するのか?全員一致で、GOでした。そして、その決意に、彼女はすばらしいスピーチで、こたえてくださいました。(美術館ブログ「感動的な作家スピーチ~モナ・ハトゥム《+と-》を恒常展示しました~」をご覧ください)。
みんなで、未来に向けてモナ・ハトゥムの作品を設置する決断ができた。これが、今年の「公」の喜びでした。

では「私」の喜びとは?30年ぶりにお会いしたモナ・ハトゥムという方のお人柄に触れることができたことです。作品については、一切妥協はないのですが、お茶をしたりご飯を食べたり、日常のなかでの彼女は、とても穏やかで、まわりをよく見、よく話し、よく笑う方でした。そして、いつも、きちんと身だしなみにも気を使われていることや、ささいなこと―ちょうちょが飛んでいることとか-にも、気持ちを向けられているお姿を見て、「こんな風になりたいな」と思わずにはいられませんでした。無理ですけど。でも、そんなに素晴らしい、と思える人に出会えたことが、本当に嬉しくて。

来年も、新たな出会いがあると信じて、2025年を楽しみにしたいと思います。
ぜひ、みなさま、体調にはくれぐれも気を付けられて、よいお年をお迎えください!

(館長 岩永悦子)

追伸
今年最後のモナ・ハトゥム関連でうれしかったことは、福岡でコンサートをされたグループのうちおふたりが福岡市美術館に来てくださって、おひとりがインスタグラムに作品の写真をアップしてくださったこと(動画の方が、モナ・ハトゥムの《+と-》、画像の方がインカ・ショニバレCBEの《桜を放つ女》ですね)。そして、ファンの方が、作品を見に来てくださったことです。本当にありがとうございます!そして。またいらしてくださいね!

 

 

 

 

 

企画展

伝説の「目利き」吉村観阿の展覧会、
開催中です!

古美術企画展示室にて企画展「生誕260年 世を観る眼 白醉庵・吉村観阿」を開催中です。
展覧会情報

ポスター

会場風景

吉村観阿(1765-1848)は江戸時代後期に優れた「目利き」として知られた人物。観阿はそのまま「かんあ」と読みますが、口に出すと読みにくくて「かんな」と呼ばれることも多いです。
江戸の両替商の家に生まれ、物心ついた頃から家業は火の車でした。若旦那となって立て直しに奔走するも断念し、妻子を残して34歳で剃髪、隠棲します。その後5~6年のうちに大名茶人・松平不昧に資質を見込まれて交流を重ね、目利きとしての能力を磨いていったようです。不昧の没後は新発田藩溝口家に出入りし、蔵品の鑑定や取次ぎ(道具を見出して、納めること)で活躍しました。とくに10代藩主で博学多才の大名として知られた溝口直諒(翠濤)に寵遇され、深く交流したことが知られます。かくして目利きとしての名を江戸中に轟かせた観阿は、84歳で没するまで、酒井抱一をはじめとする様々な文化人と交流しました。
以上、なんとも不思議な経歴です。両替商の若旦那が出家し、数年後には松平不昧という大名茶人と交流を始めるというのも驚きですが、これには不昧の室(妻)が、観阿の家業を傾けるきっかけとなった相手先である仙台藩伊達家から迎えられていることから、その浅からぬ因縁が指摘されています。また「目利き」といっても美術商であったわけではなく、どのようにして生計を立てていたのかも詳しいことは不明ですが、少なくとも道具の価値を見極める才能をもった人物の中でも、最も金銭の利害が生じにくいニュートラルな存在としての目利きとして信頼を重ねていったものと思われます。
観阿は多くの作品(多くは茶の湯道具)を見極め、箱にサイン(箱書き)をしています。後世、観阿の箱書きのある作品は間違いがないという評判が広まって、その箱書き自体が価値となり、作品本体の価値を一層高めてきました。
本展は、そうした観阿の箱書きを伴う茶道具を中心に、その生涯と美意識に迫る展覧会です。観阿の生誕260年にあたる本年度において、吉村観阿研究の第一人者である宮武慶之さん(同志社大学京都と茶文化研究センター共同研究員)の監修により実現した、恐らく初めての企画展となります。
生誕260年とは、周年をうたうにはなんとも中途半端です。ただ、一般にはほとんど知られていないこの人物の生きた時代をすぐに知っていただけるよう、あえてタイトルに加えることとしました。
本展の章構成と概要は次の通りです。

・第1章:松平不昧との交流―目利きを学ぶ―
 観阿が参席した不昧の茶会に使われた道具や、不昧から贈られた道具などを展示します。

《菊桐蒔絵棗(高台寺蒔絵)》桃山時代 北村美術館蔵

・第2章:不昧没後の観阿―溝口家との交流―
 溝口家旧蔵品の中から、観阿が同家に取り次いだことを示す道具を中心に紹介します。

《白呉州獅子蓋香炉》中国明時代 個人蔵

・第3章:目利きのこころとまなざし
 観阿の仏教者としての側面をとりあげ、自身が所持、愛蔵した道具、それらを用いた茶会の取り合わせを再現します。

原羊遊斎作《桃蒔絵細棗》江戸時代 個人蔵

・第4章:江戸における観阿の交流と周辺
 観阿自作の茶碗・茶杓をはじめ、観阿とその周辺の茶の湯を通じた交流を物語る資料を紹介します。

吉村観阿作《白楽茶碗 銘「霜夜」》江戸時代 北方文化博物館

・第5章:冬木屋旧蔵品と観阿の周辺
 多くの名品を集めた江戸の冬木屋旧蔵品と観阿の関係を起点に、美術品をとりまく状況を作品とともに紹介します。
全国各地の所蔵家の方々の出品協力をいただき、出品総数は53件(出品作品リスト)です。

本阿弥光悦《瓢箪香合》江戸時代 北陸大学蔵
※12月17日(火)より公開予定(都合により予定変更することがあります)

ちなみに冒頭に掲げた本展のポスターのデザインは、グラフィックデザイナー奥村靫正さんに手掛けていただきました。畳の縁を効果的に配した構図で、四角囲みのタイトルとキャッチコピーの部分は、茶道具の箱の貼紙を連想させます。全体に彩度を落としながら、よくみると茶碗の周囲は段々とさらに彩度が落ちてゆくようグラデ―ジョンがかけられています。見れば見るほど江戸時代の茶室の空間に引き込まれるようです。
展覧会図録も作りました。こちらは2022年の『明恵礼讃 “日本最古の茶園”高山寺と近代数寄者たち』展の図録を手掛けていただいたグラフィックデザイナー松浦佳菜子さんにお願いしました。表紙はシルバーを主体に、奥村さんのポスターの世界観に沿ってシンプルでありながらキラリと輝く存在感。読みやすさを追求したレイアウトはもとより、作品写真は茶杓や茶碗などの一部を原寸大で表示するなどの工夫もされています(B5オールカラー、128頁、税込2500円)。

表紙

見開き

展覧会は2025年1月19日(日)まで。ご来場お待ちしております。

(学芸課長 後藤 恒) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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