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コレクション展 古美術

「創造」って何だろう…

古美術企画展示室で「模倣と創造」展を開催中です(9/27まで)。

福岡市美術館に収蔵される古美術資料の中から、ある作品と、それを造形する上での手本(モデル)や、何らかの参考にされたことを示唆する作品、あるいは祖型として見なし得る作品を並べて展示しています。古代から近世・近代にいたる東洋の陶磁、絵画、書跡など11組(25点)の作品を選びました。それぞれ新旧の作品を見比べて、模倣的要素と創造的要素(あるいは伝統的要素と革新的要素)の境界をさぐってみようという試みです。それは、連綿と続いてきたカタチの継承にあって、新しく生まれる作品の創造性(革新性)とはどういうものなのかに否応なく着目することにもなります。

「模倣と創造」展示解説リーフレット

このささやかな企画は、10年以上前から何となくやってみたいな、と思っていました。きっかけといえば、古美術コレクションの代表格である重要文化財・野々村仁清作《色絵吉野山図茶壷》(松永コレクション)と、その器形のモデルとなったルソン壷(安土桃山時代を中心に南方から海を渡って伝来した四耳壷で、当館では数点所蔵されている)を並べてみたいと思ったことです。ほかには宮本武蔵《布袋見闘鶏図》(松永コレクション)と、その画題(図案)の祖型にあたる伝・梁楷《鶏骨図》をはじめ、いくつか同様に並べてみると面白い作品はあったものの、300平米の一室を埋めるほどの点数が揃わずにいました。

しかし寄贈を中心に当館の古美術資料は拡充を続け、新旧の影響関係でつながる作品の収蔵例が増えました。さらに2019年のリニューアルオープンにあたり古美術企画展示室には間仕切り可動壁が採用され、空間をフレキシブルに活用できるようになったことで、ひとつの企画的展示として開催できる運びとなったわけです。

所蔵品のみでこうした展示を開催できるというのは稀なことです。貴重な美術品をご寄贈下さった方々に、改めまして深甚の謝意を申し上げます。

かくして、いつも松永記念館室の専用展示ケースに陳列している《色絵吉野山茶壷》は古美術企画展示室に移し、本展のトップバッターとしてルソン壷と隣り合って展示されています。11組はいずれも、先に新しい作品、次にその基となる古い作品という並べ方としています。じっくりと新旧の作品を見比べていただき、際立って見えてくる同異点を、解説文を参考にしながら確認し、あとは自由に鑑賞していただければと思います。

「模倣と創造」展 会場風景

「模倣と創造」展 会場風景

(学芸課長 後藤 恒)

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ゴキブリとコオロギ

4年前の夏、残業して深夜に帰宅した時のお話です。怪談ではないのでご安心を。

自宅マンションのエントランスを入ると、エレベータの前に高校生くらいの女子が立っていました。たまに見かける人なので同じマンションに住んでいるのでしょう。

「こんばんは」と挨拶しても返事はなく、なんだかソワソワした様子。エレベータの扉が開いても、彼女は乗ろうとしません。あ、そうか、このくたびれたオッサンが怖いんだな。

「お先にどうぞ。行って下さい」

そう言ってあげるしかありませんでした。
すると「あ、いや、あの…」と手をパタパタ横に振りながら2秒ほどの間をおいて、彼女はこう言いました。 

 

「ゴキブリ、倒せますか?」

 

敬遠球を打たれてピッチャー返しをくらったような気分でした。
聞くと、さっき帰宅したら玄関扉の前にでっかいゴキブリがいたので引き返してきた。家族に連絡したがみんな怖がって扉を開けられない。困っていたところにオジサンが現れたので助けを求めた、と。

 

「よし。うちから殺虫剤とってくるけん、ちょっと待っとき。」

 

かくして私は右手にゴキジェット、左手にチリ紙をもって決闘の場へ。
玄関の前で佐々木小次郎のように泰然と待ち構えるは、なるほど対峙した瞬間に引き返したくなるほど巨大なクロゴキブリ。うす暗い通路の照明をうけて艶めかしいほどの光沢を放つその姿に一瞬ひるみましたが、勝負は一撃で決しました。息絶えたコジローはチリ紙に包んで持ち帰ってあげました。後日、彼女は親御さんと一緒に菓子折をもってお礼に来てくれました。

 

さて私は、善いことをしたのでしょうか、悪いことをしたのでしょうか。

 

困っている人を助けて、菓子折をいただくほど感謝されたということでは善い行いに違いないけれども、そのために、ただそこに居ただけの虫を殺すことは、悪い行いに他ならないのではないか。だってシッシッと追い払えば済んだ話だもの。いやまて、でも、うちで同じことが起きたらやはりゴキジェット使うだろうな…

そもそも私は、虫好きを自任しています。エンマコオロギはその鳴き声が好きで、季節になると好んで捕まえて飼育して愛でたりするのに、それと外見や雰囲気のよく似たゴキブリには、視界に入ってきたとたんに拒絶反応を示します。

ついでにいうと息子が世話しているムーアカベヤモリは生きた虫しか食べず、困ったことにコオロギが好物なのです。だからAmazonで餌用コオロギを定期購入して、ヤモリの食料庫ということで飼育しています。成長した餌用コオロギが美しい声で鳴き出すと、とても複雑な心持ちになります。

こういう行為の善悪を問いだすと、キリがありません。

同じような種であっても、自分に何らかの不都合をもたらす生き物と、自分に一定の幸福をもたらす生き物に接するとき、誰しもこのような自問をすることがあるはずです。

コジローを倒して感謝された私は、この問題を思い出すことが多くなりました。

 

ほんとうにむずかしい問題というのはね、「答えが出せない問題」じゃなくて、「答えがたくさんあって正解がない問題、あるいは、どれもが正解であるような問題」のことなんだ。(内田樹『街場の現代思想』文春文庫、2008年)

 

まさにその通りです。

善でも悪でもないと同時に、善でも悪でもあるのだ、と片づけることは出来ます。

大切なのは、まず様々な「答え」の存在を知ることはもちろん、自分なりに最も適切と思う「正解」を導き出すことよりも、そのためにあれこれ思いを巡らし、考え続けるという行為それ自体にあると思います。善と悪、是と非、美と醜、真と偽など、事象や物事への価値づけにつながるそれぞれの対立概念の間にある混沌に心を寄せるほどに、誰かが決めた、あるいは自分なりに導き出した「正解」を、いろんな角度から捉えることができるようになるのではないでしょうか。

私自身は、どれだけ思い考え続けたところで、台所をコソコソと這い回るゴキブリを看過できるような心境に至ることは当面ないと思っていますが、しかしゴキジェットの噴射レバーを引く瞬間までに胸中に去来する想い、指にかかる重みをかみしめるようにはなるでしょう。餌用コオロギをピンセットでつかまえてヤモリのケージに運ぶときも然り。いずれヤモリが寿命を迎え、次の飼育の是非を検討するときは、息子と色んなことを話し合うことでしょう。

「多様性」を受け入れることと「包摂性」を高めることの重要性が叫ばれて久しく、さらに重要視されている昨今です。誰の耳にも分かりやすく、大切であることが自明の理念であるのに、実践することがいかに難しいことか。私はその入口の扉を、恥ずかしながらアラフィフになってようやく見つけたような気がしています。

 

美術館のブログなのに、美術(アート)のことは全く言及しませんでした。

美術(アート)の存在価値というのは、この「多様性」、「包摂性」に深く関与するものだと思っていて、以前もブログで少し触れました(「買い物あるある」を「美術鑑賞あるある」に)。そのあたりを少し深めて、季節の体験談をダシに書きなぐってみようと思ったのですが、虫ネタを選んだら思わず長くなってしまいましたので、稿を改めます。興味をもって下さった方は、どうか気長にお待ちください。

 

(学芸課長 後藤 恒)

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秋の大名品を秋の名品展に出さなかったワケ

福岡市美術館所蔵の古美術作品およそ4,500件から代表を一つ選べと言われても私には無理です。三つと言われてもムツカシイです。では五つなら?やっぱり選びきれないです。じゃあベストテンなら?それならまぁ、はい、いや、やっぱ無理です。

でも、当館松永記念館室で春・秋にそれぞれ開催する名品展の主役を担う作品すなわち春の野々村仁清《色絵吉野山図茶壺》(写真左)、秋の尾形乾山《花籠図》(右)という二点の重要文化財は、間違いなく五指に入ります。

<左>春の名品 <右>秋の名品

前者は光の影響の少ない焼物ということもあって、三次元免振装置付の展示ケースに常陳していますが、後者は特に光の影響で劣化を招きやすい着色画であるため、保存管理上の観点から年に一度、一つの展示に出陳するのが精いっぱい。それで「秋の名品展」の目玉作品として公開するのを通例としてきました(同室内にある茶室展示ケース「春草廬」では本作のレプリカを常陳しています)。

でも今年度に開催した「秋の名品展」(会期2023/8/22~10/29)に、本作は出品しませんでした(本作を楽しみにして来場された方にはこの場を借りてお詫びいたします)。それには深~い理由があるのです。昨日(1/16)より開催した「シリーズ茶の湯交遊録Ⅲ 原三溪と松永耳庵」展に出品するためです。《花籠図》は本展の企画テーマを象徴するような作品なのです。

<左>原三溪(1868~1939) <右>松永耳庵(1875~1971) ※画像は国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)より

原三溪は横浜の実業家で、自ら書画をよくし、茶人、美術品蒐集家、そして同時代の画家を支援したパトロンとしても知られます。松永耳庵にとっては茶の湯を始めた頃から、三溪が没するまでの約4年間の短い交流ながら、茶を通じて師のような存在として敬慕し、「三溪先生」と敬称して自著に少なからずの記述を残しています。

福岡市美術館の松永コレクションには原三溪旧蔵品が十数点含まれています。三溪翁の生前に譲り受けたもの、没後に原家に懇願して入手したもの等、集めるとそれだけで松永コレクション名品展となるような重要な作品ばかりです。本展はそれらに焦点をあて、松永耳庵の自他の著述や記録に残るエピソードとともに紹介し、両者の交流を垣間見ようというものです。

解説リーフレット・作品解説は下記の通り。
「シリーズ 茶の湯交遊録Ⅲ 原三溪と松永耳庵」解説リーフレット・作品解説

出品17件のうち5件が重要文化財・重要美術品という充実ぶり。
展示風景と、ついでに展示図面もお見せしちゃいましょう!

※前期展示は2/12(月・振)まで。後期展示は2/14(火)~3/17(日)

展示構成は、基本的にはエピソードを伴う作品を、時系列で並べました。するとたまたま《花籠図》が中央の位置にきました。これは天国の両翁からのメッセージだと信じることにしました。

耳庵翁は、三溪翁に招かれた茶事で初めて本作を目にした時の感動を「一切の他を圧して独り主翁と肱を把って一座に臨むの慨がある。」と亭主三溪の存在に照らして表現しています(『茶道春秋』下14頁)。そして三溪没後18年を経て入手し、秋の茶事の定番として愛蔵したのでした。このように、生前の三溪翁から見せられて、没後長い年月を経て入手したものも少なからず含まれています。

《花籠図》の魅力は、展示室で実物を見て感じていただきたいのでここで多くは語りませんが、私の個人的な感想として一言でいうと、絵と書のハーモニーの妙です。一見するに、ああキレイだな、なんかオシャレだなと思って近づいてみる。すると色んな美しさが目に飛び込んできます。構図、絵と書の筆使い、配色、それぞれが見どころです。

書は、私には上手いのか下手なのかわからないのですが、どこか繊細で、たくさん書かれているのに絵を邪魔していないどころか、美しく調和しています。和歌の内容を知ると、さらに色んな解釈ができて想像が膨らみますが、そういう知識を必要とせずに強く眼を引き付けてくれる、オーラに満ち溢れた作品なのです。あれれ…思わず語り過ぎてしまいました。

本展は3月17日(日)まで。ご来場お待ちしております。

(学芸課長 後藤 恒)

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