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カテゴリー:学芸課長ブログ

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藤田の生命力

「藤田嗣治と彼が愛した布たち」展が始まって、かれこれ…あら、もう会期があと3週間切れてる!?土日はあと3回しかありません。そろそろ、焦ってご予定を立てていただいて結構かと思います 笑。皆さまの御来館をお待ちしております。

展覧会を開催すると、マスコミ各社さんから取材をしていただくことがあります。取材時間も制作時間も限られているなかで、何かをつかもうとされるプロフェッショナルたちとの真剣勝負。皆さんの、ストックの広さ・深さ、そして瞬発力に、思ってもいなかったことを引き出してもらうことがあります。

 

今回、X新聞のZ記者の取材を受けました。Z記者は、質問するだけでなく、ご自分が感じたことも、正直に話してくれる方です。戦争画について、「今の目で批判するのは簡単。でも自分がその時生きていたら、きっと誰もがしたように行動したと思います。」と言われ、「わたしもそう思います」と返しました。「朝ドラ『エール』の主人公は、軍歌を作っていながら日本でサバイバルできたのに、どうして藤田はできなかったんでしょう。」という問いに「うーん。日本でのサバイバルにこだわらなくても、藤田には脱出先があった。これが大きいかもです。」と答えました。そう、藤田には日本以外のどこかに行く、という選択肢があった。非常に困難な道でしたが、それをやってのけた。だからこそ、「日本ではサバイバルできなかった」という事実が残ってしまったのでもありますが…。

戦争画のコーナーを過ぎ、藤田の手仕事コーナーにさしかかったとき、「藤田はできあいのものを、そのまま受け入れるのが嫌いでした。若い頃から、オリジナルなものを身に着けることに価値を見出して、手づくりをしていました。既製服を着るときも、ポケットをつけ足すなど、なにかカスタマイズして、自分のものにしないと満足しなかったみたいです。」ということを話しました。青年期から晩年まで、楽天的でめげない。難局を突破する。あらゆることに全力投球できる。時間を惜しんで制作に没頭する。衣食住すべてにわたって、自分の生活の隅々まで自分で作り上げる。そんな藤田像を話した時、Z記者が引き出してくれた言葉があります。

「藤田には生命力がある!」

「生命力」というキーワードは、藤田の作品や人となりに正面から向き合い、ストレートにご自分のことも語ってくださったZ記者との対話でなければ、きっと出て来なかったでしょう。藤田には、どんな環境下でも前に向かって進む力がありました。

藤田の手から生まれてくるすべて―絵画にも、針仕事にも、手紙にも―は、生命力にあふれています。この展覧会で、ぜひ、その力に触れに来てください。

(学芸課長 岩永悦子)

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初体験、ZOOMでフランスにフジタ展の展示作業を中継!

今回の展示は、絵画の世界と布の世界が混然一体となった展示です。

フジタは、フランスのプリント布地をしばしば絵に描きました。ここは、フジタがどれだけ布を正確に描いたのかを検証するためのコーナー。

本展の目玉は、フランスのメゾン=アトリエ・フジタから、フジタが所蔵していた染織品約50点をお借りして日本初公開すること。ただし、今はフランスからクーリエが来られないので、ZOOMで展示立会をしてもらうことになりました。10月13日、14日がZOOMの中継日です。

「朝早いのは大丈夫よ!何時だっていいわよ。」とメゾン=アトリエ・フジタのアン・ル=ディベルデル館長。お言葉に甘えて日本時間の13時からスタートに設定しました…って、時差は7時間なので、フランスではめちゃくちゃ早朝(すみません)。前日に作品チェックを完了させ、コンディションレポートのデータを送付しており、ZOOMでは、展示作業を見てもらうことになります。

13日午後からのZOOM中継に備えて、N通の美術品展示のエキスパートYさん&Tさんと午前中にしたことは…前代未聞、「展示のリハーサル」でした。段取りが悪いと画面越しに見ているアン館長が不安になるだろうからと、綿密な打ち合わせと準備をしましたが、それでもまだ不安だったので、実際に体を動かしてのリハーサルをすることに。「じゃあ、やりますよー。お二人は先にウォールケースの中で待機してください。そうそう、そんな感じ。そこへわたしが、3点セットのアンサンブルを入れた箱を持ってきて…。」「3点ありますけど、並べる順番はどうします?」「えっと、エプロン、ベスト、帽子の順で。てことは、箱に入れる順番が逆だった?ひゃー…」。と、午前中はあっという間にすぎました。

そうこうするうちに、13時(フランスは、朝6時!)。フランス在住のコーディネーターのUさん、そしてアン館長が参加して、ZOOM中継が始まります。タブレットの取り回しと、通訳は国際交流担当の徳永さん。海外経験も豊富なプロのインストーラー(展示技術者)の徳永さんは、こういうイレギュラーな現場も慣れっこです。「それではスタートしますね!」と英語で声掛けをして、流れをリードしてくれました。リハーサルをした最初のアンサンブルがスムーズに展示でき、まずは一安心。とはいっても、次から次へと、展示は続きます。画面の方は、徳永さんに任せっぱなし。時々「ボン(いいわね)!」「トレビアン(素晴らしいわ)」という言葉だけが耳に届きます。準備がもたつくと、Uさんがアン館長にいろいろ話しかけて間を持たせてくれたりします(これがかなり大切なお役でした)。

タブレットで状況を中継してくれる徳永さんと、大活躍のYさんTさんコンビ。

画面右端は、フジタが君代夫人のために縫ったアンサンブル。手前も藤田お手製のキャップとズボン(ご本人用)。おしゃれ!

フジタの浴衣。なんともモダンではありませんか。これもフランスからの里帰り。

気がついたらなんと、6時間も展示の中継をしていました。40点以上は展示したかも。朝からお昼までずっとつきあってくださった、アン館長とUさん、徳永さんに感謝です。でも、へとへと…。

翌14日は、アン館長だけでなくて、国の歴史遺産課の担当者、コレット・エイマールさんもZOOMに参戦。残り3点の染織品を展示した後、最後に残った大物に取り掛かりました。フジタが自宅に飾っていた、スペインのマリア像です。彼が作ったわけではないのですが、わざわざ日本から持ち込んだ、沖縄の紅型の布をまとわせています。晩年、カトリックに改宗したフジタの信仰の対象と日本の思い出が一体化した、フジタならではのマリア像です。

開梱直後のマリア像。梱包材に埋もれていました。

「これは、とても脆弱で安定していないの。」とアン館長。コンディションチェック時に気づいていましたが、マリア像の頭部と台座をつなぐのは、直径1㎝ぐらいの細い軸木のみ。金属の冠の重みで頭部がゆらゆらします。N通さんとは、頭部と台座の間に緩衝材を挟んで安定させようと話していましたが、つい「では、免震台も使いましょう」というと、アン館長もコレットさんも「免震台とは何ぞや!?」と矢のような質問。地震国日本の美術館には、たいがい常備されている備品も、フランスでは例がないようでした。

免震台を実際に見せ、どんな構造なのかを説明している間にYさんが緩衝材を用意。ひとしきり質問に答えたあと、ではこれから緩衝材を挟みますね、と頭部と台座の間にクッションを差し込むところも、ズームアップで中継。「トレビアン」と、フランスから安堵の声が聞こえてきました。その後、免震台の上に像を置いて、フランスからの借用品の展示は全点終了。みなさん安堵して、笑顔で、「オルヴォワール!」とミーティングルームから退出していかれました。

マリア像の下に見えている2段重ねの台が免震台です。地震が起こると2枚の内の下段は動きますが、上段は安定したままで作品を護ります。

日本では海外との行き来が緩和されてきましたが、フランスはまさにこの日、夜間外出禁止令が発表され、まだまだコロナの状況は厳しそうです。この展覧会を全面的にサポートしてくださったアン館長にはぜひ、この会場を見ていただきたい!早々にフランスの状況も改善するように祈るばかりです。

今日は会場の最終チェック。皆様をお迎えするまで、あと少し頑張ります!

(学芸課長 岩永悦子)

当館所蔵のフジタも出ます。ひさびさに下絵と一緒に展示。

看板兼、撮影スポット。裁縫するフジタとご一緒にどうぞ。

 

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フランスからフジタ展作品が到着!

いま某輸送会社のトラックに乗って、スマホでこれを書いてます。ついさっき、貴重品倉庫からとりだされた、フランスからの作品を格納したクレート(木箱)を積み込み、関空を出て高速道路に乗りました。やっとここまで来たか!

1920 年代に、乳白色の肌の裸婦を描いて、パリで爆発的な人気を博した藤田嗣治の、猫と裸婦の代表作や戦争画を含む大作と、彼が集めたり作ったりした染織品を紹介する「藤田嗣治と彼が愛した布たち」展。いよいよ来週から展示作業がはじまります。いま、それに先立って、学芸員4人が手分けして、全国で集荷の旅に出ています。今回の展覧会で特筆すべきは、フジタが生涯愛蔵した、メゾン=アトリエ・フジタ所蔵の染織品を初公開することです。

本展の最初の一雫は、今を遡ること10年ほど前の「藍染の美筒描」展を開催したときにあります。作品を貸してくださった筒描のコレクターご夫妻が、「フジタは筒描を描いだことがあるんだよ」と教えてくださったのです。調べると確かにそうでした。フランスにまで、持っていったと言われる素朴な藍染の布は、しかし今は行方知れずと、ものの本にはありました。

筒描展をパリのギメ美術館で開催するための出張で、2012年にフジタの終の住処であり、アトリエであった、パリ近郊のメゾン=アトリエ・フジタを訪ねました。フジタが持っていた筒描について調べていると連絡をしたところ、あるともないとも明言されないまま、ではどうぞとの返事。電車とパスを乗り継いで、ひとりエソンヌ県のヴィリエ=ル=バクルという村に向かいます。

道沿いから見えるメゾン=アトリエ・フジタ外観

メゾン=アトリエ・フジタのキッチン。右端の鍋つかみは、フジタのお手製。


ヴィリエ=ル=バクルは、花にあふれた小さな村でした。村の入口から歩いて少しの場所にあるメゾンは、隅々までフジタの手作りの品々に満たされ、おとぎの国のように愛らしい家でした。フジタの寝室に通されたあと、アン・ル=ディベルデル館長は別室に消え、紙に包まれたチューブを持ってこられました。そこに巻かれた布が、フジタが使ったベッドの上に、くるくると広げられ、藍染の布が姿を現した時、なんとも言えない感慨がありました。大切に保管されていた筒描との出会いを含め、メゾンに来ることがなければ、どれほど彼が布好き、裁縫好きであったかも実感できなかっでしょう。

フジタのベッドに広げられた《茶道具文様筒描布団鏡表》。フジタは少なくとも4点の作品に、この布を描いた。


それから少しずつ研究を重ねて、フジタが布好きだったたいう以上に、布を描くことこそ、彼をスターダムにのし上げたのだと思い始めて、いつか展覧会を開催したいと思うようになりました。

10年の歳月を経て、さあ、いよいよという時に、想像もしなかったことが起こります。コロナ禍です。開催半年前になっても、海外とは人の行き来も途絶えたままで、もしかしたらフランスからの貸出は、難しいのでは、と誰もが危ぶんでいました。特に、フジタが自ら縫い上げた衣装など14点は、「イストリック・モニュマン(歴史遺産)」に指定されており、国が管轄する作品です。

本来クーリエ(作品の輸送・展示に立ち会う随行員)なしには、国外にだせない歴史遺産を、アン館長は「これらが欠けたらフジタが布との関わりでどれほどクリエイティブだったかが示せない」と、国に掛け合ってくださいました。本展の意義を感じてくださって、交渉をしてくださったおかげで、なんとか国からの許可がおりました。

昨夜、関空で荷解きをしたパレットからクレートが姿を表した時、喜びと安堵を隠せませんでした。そして、いま、3つのクレートとともに、福岡を目指しています。当館にとっても、初のオンラインによる展示立ち会いを行うことになりますが、まずは、福岡到着を目指して(一刻も早くといいたいところですが、安全運転で)、走行中です。続報も、ブログにて!

到着したばかりの作品のクレート


(学芸課長 岩永悦子)

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