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30年前に福岡で何が起こったのか⁈

~つきなみ講座 特別版
「アジア×現代美術×福岡―伝説のFukuoka, 1990-1994」~

モナ・ハトゥム《+と-》

9月14日から29日までの約2週間、第3回目FaN Weekが開催され、酷暑のなかでしたが盛況のうちに終幕を迎えました。(とはいえ、当館では「コレクターズIII」展と「西日本シティ銀行コレクション展」は、10月14日(月祝)まで開催しています。ぜひ、はこびください!)

当館もアジア美術館も、市内外からのお客様の多いFaN Weekのスタートにあわせて、新収蔵の作品をお披露目しました。当館では、モナ・ハトゥムの《+と-》、アジ美ではホアン・ヨンピン(黄永砅)の《駱駝》です。両者とも、現代美術史に名前を残す世界のトップアーティストの名作で、きっと現代美術の関係者なら、「おおおっ!!!」と言ってくださっているはず。これから、《駱駝》はアジ美の、《+と-》は、草間彌生の《南瓜》と並んで市美の「顔」になるに違いありません。

さて、《+と-》のモナ・ハトゥム、《南瓜》の草間彌生、《駱駝》のホアン・ヨンピンには、共通点があります。現代美術のフィールドで、トップランナーとして走り続けた(ホアン・ヨンピンは故人)/走り続けていること?(その結果として)作品が高額であること?それらも事実ですが、正解は、三人とも来福して、みずから作品を展示したことがある、ということです。それも、東京や海外で仕立てられた巡回展でなく、純然たるメイドイン福岡の展覧会で。それが「30年前(=1990年代前半」に福岡で起こったこと」でした。

1991年に、福岡のアート関係者が立ち上げたミュージアム・シティ・プロジェクトが開催した、ホアン・ヨンピンやツァイ・グオチャン(蔡国強)らが出品した『中国前衛美術家展[非常口]』を皮切りに、特に、今からちょうど30年前の1994年の9月から10月は、ミュージアム・シティ・天神と福岡市美術館(当時アジア美術館はまだ存在していませんでした)が開館以来行ってきた「アジア美術展」が融合して、市内のさまざまな場所でアートという名の何かが起こっているという、前代未聞のカオス状態が訪れた年でした。

当時、天神の福岡銀行本店の、道路にむかって開かれた中庭には草間彌生の《南瓜》が展示され、モナ・ハトゥムの《+と-》の初号機は博多区のギャラリーで産声をあげました。いずれも、『ミュージアム・シティ・天神‘94[超郊外]』の出品作品です。収蔵の時期は違いますが、ミュージアム・シティ・天神がなければ、それぞれの作家の代表作である2点が、福岡市美術館に収蔵されることはなかったでしょう。

草間彌生《南瓜》

そこで、当時から今に至るまで、ずっと福岡の現代アートシーンの最前線にいる、ミュージアム・シティ・プロジェクト事務局長の宮本初音さん(現 ART BASE 88[福岡]代表)をお招きし、特に、1994年の『ミュージアム・シティ・天神‘94[超郊外]』については宮本さん、『第4回アジア美術展・ワークショップ』については岩永が、特にフォーカスしてお話したいと思います。

私自身は、94年当時、一学芸員としてその巨大な渦に巻き込まれて、飲み食いから仕事まですべてがアート漬けの毎日を過ごしました。今こそ、当時目撃し、経験したことを未来につないでいけたらと思っています。当日、宮本さんが、当時の福岡の状況を物語る、資料や作品もお持ちくださいます。

30年前にどんな種が撒かれ、どのように育ったのか。民のミュージアム・シティ・プロジェクトと官の福岡市美術館はいかにしてタッグを組んだのか。福岡はどう変わったのか、変わらなかったのか。1990年代前半から約30年後の今を視野に入れて、これから30年後に何が起こるのかを語り合う2時間です。ぜひお越しください!
(館長 岩永悦子)

 

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つきなみ講座
「アジア×現代美術×福岡―伝説のFukuoka,1990-1994」

講師 宮本初音(ART BASE 88[福岡]代表)、岩永悦子(館長)

2024年10月19日(土)

午後3時~午後5時(開場:午後2時30分)

定員180名

聴講無料、事前申込不要、先着順

 

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