2025年1月24日 11:01
当館2階近現代美術室Bにて、ただいま「奈良原一高『ヴェネツィアの夜』『ジャパネスク』」を開催しています。本展は、福岡県大牟田市生まれの写真家・奈良原一高(1931-2020)の仕事を、シリーズごとに紹介する第3弾の展示となります。
福岡市美術館は2021年度に作家のご遺族より6つのシリーズ作品から211点をご寄贈いただき、以降、シリーズごとに作品を紹介してきました。2022年には奈良原のデビュー作である「人間の土地」と同時期に撮影された「無国籍地」を、2023年には「王国」をご紹介しました。
第3弾となる今回は、「ヴェネツィアの夜」(1985年)と「ジャパネスク」(1970年)より、50点の作品を展示しています。両シリーズは撮影の対象、コンセプト、発表の時期も異なりますが、奈良原が1962年から3年間、ヨーロッパに滞在したことが制作のきっかけとなったという点で共通しています。
さて、奈良原が写真家として歩み始めたのは、大学院在学中に開催した初の個展「人間の土地」(1956年)からでした。桜島の噴火によって埋没した村と長崎沖の人工島・端島を舞台に、外界と隔絶された土地でなお逞しく生きる人々を新鮮な表現で写し出した作品は、大きな反響を呼びます。
続いて「王国」(1958年)を発表。ここでは前作の二部構成を引き継ぎつつ、北海道の聖トラピスト男子修道院と和歌山の女子刑務所という閉鎖環境における人間心理を真摯に追及し、日本写真批評家協会新人賞を受賞しました。(当館での「王国」展に関するブログはこちらhttps://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/99976/)
これらの作品によって新進気鋭の写真家として評価を確立し、多忙な日々を送っていた奈良原は、モード雑誌の撮影依頼を機に活動の場をヨーロッパに移し、パリを中心に3年間滞在します(1962~65年)。
初めてヴェネツィアを訪れたのは1964年。夜、ヴェネツィアへ向かう船のヘッドライトに照らされ、水上に林立する街並みが暗闇から次々と現れたときの衝撃を、奈良原は忘れられないといいます*。たちまちこの神秘的な都市に魅了され、ようやく再訪が叶った1973年以降、ヴェネツィアを頻繁に訪れるようになります。この時期は奈良原の母や親しい友人などを多く失った時期と重なるそうですが、ひとつの死を迎えるたび、輝く闇を湛えたヴェネツィアに一層魅せられていったと語っています*。
このような背景を鑑みると、奈良原のほかのシリーズに比べ、人の姿がほとんど写されていないことが本シリーズの特異点として浮かび上がってきます。本シリーズでは、奈良原が衝撃を受けたという、船から眺めた夜のヴェネツィアの街並みや街灯、網の目のように張り巡らされた運河を通る小舟の光跡などによって人間の存在は示されますが、意図的に(長時間露光によって)人の姿を除いた都市景観が撮影されています。ほかにも、奈良原もさまよったかもしれない迷路のような細い路地や、サンマルコ広場もとらえられていますが、やはり人の姿はほとんどありません。そのため本シリーズは、観るものを、人気のない暗闇のなかで「迷い」や「喪失」について、あるいは「死」について思索するよう誘う作品であるように思います。
ただ、奈良原がヴェネツィアの夜に「光輝く闇」や「華麗なる闇」を見出すように、また、シリーズの終盤で祝祭の花火が上がるように、未来への希望や明るい余韻を残すシリーズ作品でもあるでしょう。
「ヴェネツィアの夜」に先立ち、1970年に刊行された写真集『ジャパネスク』もまた、3年間のヨーロッパ滞在が制作の契機となりました。初めての海外生活でさまざまな国の人々と交流するなかで、「人間」としての孤独や連帯感を得るのと同時に、「祖国」であるがゆえに奈良原にとって「あまりにも身近で遥かな国という感」がして、「容易に接近できないもの」であった「日本」への意識を強めたといいます**。
1965年に帰国したのち、日本の伝統文化を再考するシリーズに着手。時として幼少期の記憶をたどりつつ、自身が日本らしさを見出したテーマについて日本各地で取材します。その成果は《封(サムライ)》を皮切りに、雑誌『カメラ毎日』に断続的に掲載されました(1966~69年)。これらを抜粋、総集編としてまとめたものが写真集『ジャパネスク』で、順に「富士」「刀」「能」「禅」「色」「角力」「連(阿波踊り)」「封」の8つの章で構成されています。
(そのうち当館では、「刀」「能」「禅」「色」「角力」を所蔵。)
本シリーズでは、広角レンズや望遠レンズを使用したアングルの強調や、長時間の露光によるブレの効果、陰影を強調した表現など、テクニックを駆使した多彩な表現方法が見られます。視覚的にインパクトのある作品が本シリーズの特徴となっています。
奈良原一高による「ヴェネツィアの夜」と「ジャパネスク」、ぜひご覧ください。
「奈良原一高『ヴェネツィアの夜』『ジャパネスク』」展示風景(2024年12月18日~2025年3月23日)
展示初日の開館直前、それぞれの持ち場に向かう前に展示作品をのぞき込む監視スタッフの方々
奈良原展のほか、近現代美術展示室Aでは今の時期にぴったりの「雪景色」展も開催中です。こちらの展示室では、雪景色を描いた明治時代以降の日本画と木版画が紹介されています。
例えば、美人画の名手といわれる伊東深水の版画作品。そのうち《現代美人集 炬燵》という作品は、顔料のせいでしょうか、見る角度によって表面がキラキラと輝いています。ぜひ会場でじっくりご覧ください。
「雪景色」展示風景(2024年12月10日~2025年3月23日)
伊東深水《春雪》と《現代美人集》より3点
展覧会の会期はどちらも3月23日(日)まで。ご来場をお待ちしております。
学芸課臨時的任用職員(近現代美術係)髙山環
【出展】
*奈良原一高「ヴェネツィアの秘密」『ヴェネツィアの夜』岩波書店、1985年
**奈良原一高「『近くて遥かな国』への旅」『カメラ毎日』1968年3月、42-43頁