2024年12月5日 09:12
古美術企画展示室にて企画展「生誕260年 世を観る眼 白醉庵・吉村観阿」を開催中です。
展覧会情報
吉村観阿(1765-1848)は江戸時代後期に優れた「目利き」として知られた人物。観阿はそのまま「かんあ」と読みますが、口に出すと読みにくくて「かんな」と呼ばれることも多いです。
江戸の両替商の家に生まれ、物心ついた頃から家業は火の車でした。若旦那となって立て直しに奔走するも断念し、妻子を残して34歳で剃髪、隠棲します。その後5~6年のうちに大名茶人・松平不昧に資質を見込まれて交流を重ね、目利きとしての能力を磨いていったようです。不昧の没後は新発田藩溝口家に出入りし、蔵品の鑑定や取次ぎ(道具を見出して、納めること)で活躍しました。とくに10代藩主で博学多才の大名として知られた溝口直諒(翠濤)に寵遇され、深く交流したことが知られます。かくして目利きとしての名を江戸中に轟かせた観阿は、84歳で没するまで、酒井抱一をはじめとする様々な文化人と交流しました。
以上、なんとも不思議な経歴です。両替商の若旦那が出家し、数年後には松平不昧という大名茶人と交流を始めるというのも驚きですが、これには不昧の室(妻)が、観阿の家業を傾けるきっかけとなった相手先である仙台藩伊達家から迎えられていることから、その浅からぬ因縁が指摘されています。また「目利き」といっても美術商であったわけではなく、どのようにして生計を立てていたのかも詳しいことは不明ですが、少なくとも道具の価値を見極める才能をもった人物の中でも、最も金銭の利害が生じにくいニュートラルな存在としての目利きとして信頼を重ねていったものと思われます。
観阿は多くの作品(多くは茶の湯道具)を見極め、箱にサイン(箱書き)をしています。後世、観阿の箱書きのある作品は間違いがないという評判が広まって、その箱書き自体が価値となり、作品本体の価値を一層高めてきました。
本展は、そうした観阿の箱書きを伴う茶道具を中心に、その生涯と美意識に迫る展覧会です。観阿の生誕260年にあたる本年度において、吉村観阿研究の第一人者である宮武慶之さん(同志社大学京都と茶文化研究センター共同研究員)の監修により実現した、恐らく初めての企画展となります。
生誕260年とは、周年をうたうにはなんとも中途半端です。ただ、一般にはほとんど知られていないこの人物の生きた時代をすぐに知っていただけるよう、あえてタイトルに加えることとしました。
本展の章構成と概要は次の通りです。
・第1章:松平不昧との交流―目利きを学ぶ―
観阿が参席した不昧の茶会に使われた道具や、不昧から贈られた道具などを展示します。
・第2章:不昧没後の観阿―溝口家との交流―
溝口家旧蔵品の中から、観阿が同家に取り次いだことを示す道具を中心に紹介します。
・第3章:目利きのこころとまなざし
観阿の仏教者としての側面をとりあげ、自身が所持、愛蔵した道具、それらを用いた茶会の取り合わせを再現します。
・第4章:江戸における観阿の交流と周辺
観阿自作の茶碗・茶杓をはじめ、観阿とその周辺の茶の湯を通じた交流を物語る資料を紹介します。
・第5章:冬木屋旧蔵品と観阿の周辺
多くの名品を集めた江戸の冬木屋旧蔵品と観阿の関係を起点に、美術品をとりまく状況を作品とともに紹介します。
全国各地の所蔵家の方々の出品協力をいただき、出品総数は53件(出品作品リスト)です。
ちなみに冒頭に掲げた本展のポスターのデザインは、グラフィックデザイナー奥村靫正さんに手掛けていただきました。畳の縁を効果的に配した構図で、四角囲みのタイトルとキャッチコピーの部分は、茶道具の箱の貼紙を連想させます。全体に彩度を落としながら、よくみると茶碗の周囲は段々とさらに彩度が落ちてゆくようグラデ―ジョンがかけられています。見れば見るほど江戸時代の茶室の空間に引き込まれるようです。
展覧会図録も作りました。こちらは2022年の『明恵礼讃 “日本最古の茶園”高山寺と近代数寄者たち』展の図録を手掛けていただいたグラフィックデザイナー松浦佳菜子さんにお願いしました。表紙はシルバーを主体に、奥村さんのポスターの世界観に沿ってシンプルでありながらキラリと輝く存在感。読みやすさを追求したレイアウトはもとより、作品写真は茶杓や茶碗などの一部を原寸大で表示するなどの工夫もされています(B5オールカラー、128頁、税込2500円)。
展覧会は2025年1月19日(日)まで。ご来場お待ちしております。
(学芸課長 後藤 恒)
2023年9月21日 17:09
9月13日(水)より企画展「朝鮮王朝の絵画―山水・人物・花鳥―」が開幕いたしました。(10月22日まで、会場:古美術企画展示室)
本展は、1392年に創建され500年以上も続いた朝鮮王朝の時代に描かれた絵画44件を山水・人物・花鳥というジャンルごとに紹介するものです。朝鮮王朝といえば、『チャングムの誓い』などの韓国歴史ドラマの舞台としてご存じの方も多いことでしょう。ですが、この時代に描かれた絵画、と言われてパッとイメージできる方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。
それもそのはず。日本において、朝鮮王朝の時代に描かれた絵画をまとまって所蔵している美術館、博物館は数えるほどしかありませんし、それらを体系的に紹介するような展覧会は5~10年に1度開催される程度です。
かく言う私も展覧会準備を始めた頃は、「全部の作品が同じに見えるぞ…」なんて思いながら調査を進めていました。ところが、不思議なものでたくさんの数を見ていくうちに目が慣れてきて作品ごとの個性や見どころが自然と分かるようになっていきます。朝鮮王朝の絵画なんて見たことがない、という方でもご心配なく。この展覧会を見終わる頃にはその魅力のとりこになっているはずです。それでは、本展の出品作品を通して展覧会の見どころについてご紹介いたします。
まずは展覧会のポスター画像にも使用している「文清」印《倣郭煕秋景山水図》について。
本作の見どころはなんといっても、画面の真ん中に大きな山を配置したスケールの大きさにあります。この作品には山の巨大さを伝えるための様々な工夫が施されています。例えば、画面の右には流れ落ちる瀧が見えます。
上空から真下を見下ろすような視点で描かれており、この山がいかに高いかがお分かりいただけるでしょう。また、画面の左へ目をやると、なだらかな丘が連なっており、分厚い山が奥へと続いている様子がうかがわれます。
また、画中に小さく描かれた人物も山の巨大さをあらわすのに一役買っています。
このような山水画は中国・北宋時代に活躍した郭煕が得意としたもので、本作は郭煕が描いた山水図を朝鮮時代に忠実に写した作品と考えられています。
朝鮮時代は、このような大自然の雄大さ崇高さを伝えるような山水画が多く描かれた一方で、より身近さを感じさせる山水画も多くあります。
例えば、「秋月」印《楼閣山水図》を見てみましょう。
先ほどと違って、山や楼閣などのモチーフが画面の右側へ寄せられています。これにより左半分が余白となり、開放感のある画面構成となっています。また人物が大きく描かれているのも特徴です。拡大してみると、笑顔で談笑している様子が分かります。
とぼけたようなロバの表情も愛らしく、全体に親しみやすい作品に仕上がっています。
本展では、山水画以外にも様々な作品を展示しています。官僚たちが宴席に興じる様子を描いた契会図にも是非ご注目ください。
会の参加者に記念品として配るための作品で、出席者の名前や役職、出身地まで記載されているのが大きな特徴です。この作品を作るためには会の出席者を確定させ、それぞれの個人情報を調べて、絵を発注して…、と様々な準備が必要だったことは想像に難くなく、現在の飲み会の幹事さんのような様々な苦労があっただろうと思うのです。当時の官僚たちが様々な権力争いを繰り広げたことは韓国ドラマがお好きな方であれば、よくご存じのことでしょう。宴会の記念品とはいえ非常に緊張感のある仕事だったのではないでしょうか。
他にも、動植物の華麗な姿を描いた花鳥図にも魅力的な作品が数多くあります。このブログで紹介できたのは、ほんの一部だけ。残りは会場で是非ご覧ください!
(学芸員 古美術担当 宮田太樹)
2022年10月12日 10:10
古美術企画展示室で開催中の企画展「明恵礼讃“日本最古の茶園”高山寺と近代数寄者たち」(10/23[日]まで)の閉幕まで、あと2週間を切りました。
本展は特別展「国宝 鳥獣戯画と愛らしき日本の美術」(10/16[日]まで)の関連企画で、京都・栂尾山(とがのおさん)高山寺(こうさんじ)の茶室「遺香庵(いこうあん)」の茶道具を紹介する展覧会です。鎌倉時代の高僧で高山寺の開山である明恵上人の七百年遠忌にあたる昭和6年(1931)、時の茶の湯界を支えた近代数寄者と呼ばれる実業家茶人たち有志一同が、茶を全国に広めたとされる明恵上人の「茶恩」に報いるべく、茶室とそれに常備するための茶道具を寄進したもので、今回お寺様のご協力により、それらを一挙初公開することが出来ました。そうそうたる数寄者たちが自らの美意識を競うかのように自作し、または特注して作らせた種々の茶道具をご鑑賞いただけます。
この展覧会のポスター・チラシのイメージがこちら↓↓
実は1万枚刷ったチラシが、会期半ばにして全てなくなりました。こんなに早くなくなるとは思っておらず、担当者としては喜ぶべきことなのですが、ご所望のお声も多くいただき申し訳なく思います。そこで、このブログの場を借りて、イメージ作りの裏話も交えてご紹介したいと思います。
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図録とともにデザインを手がけたのは、グラフィックデザイナーの松浦佳菜子さん(FACTORY+M)。思いつくまま我がまま放題の私の要求に真正面から全力で向き合って下さる方です。今回も「格調高くても、親しみ易く」、「シブくても、目を引くような」、「静かだけど、暗くならないように」など無理難題言いましたが、松浦さんは労を厭わず綿密な取材と数々の提案を重ね、素晴らしい結果に導いて下さいました。松浦さん自身お茶をなさっておられるからか、今回のお仕事はいつにも増して情熱的で、展覧会準備の疲れを吹き飛ばすようなパワーをお裾分けしていただきました。
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では、このポスター・チラシのデザインについて、解説しましょう。
背景の深緑色は、高山寺境内の茶園の茶樹の葉とお濃茶の色に合わせ、わずかにグラデーションをつけて空間的な広がりが生まれています。
上方、鳥獣戯画のウサギのオマージュのような絵柄が描かれた白い皿は、野村得庵(野村証券の創始者)という数寄者が絵付をした作品(出品番号50)で、今展の目玉の一つ。最初のレイアウトではもっと下の方にあったのですが、上司から「このお皿、お月様みたいだからてっぺんにもってきたら?」と言われ、ハッとしました。明恵上人は数多くの和歌を詠んだことで知られますが、なかでもよく知られた一首「心月の澄むに無明の雲晴れて 解脱の門に松風ぞ吹く」(『明恵上人歌集』88)は、高山寺の裏山の松林の中で日が暮れるまで坐禅修行をした明恵が、月を見上げ、松の梢を吹く風の音を聞きながら、自らの菩提心(悟りを求める心)に向き合う、そんな情景を偲ばせる歌です。本展には近代数寄者の重鎮・益田鈍翁が自作・寄進した「松風」という名の竹花入(出品番号10)がありますが、私はその命銘の由来が、この歌にこそあるのではないかと思って調べていたところでした。お皿を月に見立てることが、明恵が詠んだ和歌と繋がり、深い意味を込めることが出来ました。
下方、遺香庵の「遺」の文字が記された茶碗と、その横に配される茶杓は、遺香庵寄進を主導した数寄者・高橋箒庵の自作品です。茶碗は、遺香庵開庵の茶事当日に、高山寺開山堂に鎮座する明恵上人坐像への献茶の儀式に用いられたものです。
さて中央、茶碗と茶杓の間に縦に大きく白抜きで表されている二行の文字、気になりますよね。これは茶杓の共筒に高橋が墨書した歌銘を抜き出したものなのです。
実物がこちら↓↓
「栂山の尾上の茶の木分け植て あとぞ生ふべし駒のあしかけ」という和歌が書かれています。「栂山」は高山寺の山号・栂尾山、「駒」は馬、「あしかけ」は蹄影(あしかげ)つまり馬が歩いて出来る蹄の痕のこと。
伝承によると明恵は、栂尾の茶樹を、より温暖に移し植えようと馬に乗って宇治(京都府宇治市)の地を訪れ、一園地を得た、と(村上素道『栂尾山高山寺 明惠上人』1929年)。この和歌はその時に明恵が詠んだとされるもので、馬上の明恵が、植え方を知らない里人に対し、馬の蹄の跡に植えよと教えたという伝説とともに、宇治茶の発祥を物語る歌として知られています。
“日本最古の茶園”たる栂尾の茶樹が宇治に移植され、全国に茶が広まっていった、その功労者として讃えられる明恵に対し、高橋はこの歌を選んで茶杓に命銘し、捧げたのでした。まさに遺香庵の寄進、本展の趣旨を象徴するような作品なのです。
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以上すっかりマニアックなお話をしましたが、こうした依頼者のこだわりを一つ一つ拾い集め、通りすがりの人々の目を引くビジュアルを作り上げるデザイナーさんの仕事に、改めて頭が下がる思いです。このデザイン案をお寺様にお見せしてお喜びいただけた時は、心の中でガッツポーズをしました。
ポスター・チラシが完成すると、間髪入れず図録のデザインです。
こんな感じ↓↓
手取りの良いB5版にこだわりながら、出来るだけ多くの文字情報を載せたいため、おのずと小さくなる文字サイズ。それを出来るだけ読みやすくしたいがために、私は図版と余白を犠牲にしてでも文字サイズを大きくしたいとお願いしたのですが、松浦さんの答えは異なりました。単に全体の文字を大きくすれば良いのではなく、最初に目に入る作品のタイトルを極端に大きく、その分、キャプションと解説は小さく、というメリハリをつける方が効果的なのです、と。提案されたレイアウトを見て、なるほど!と老眼をパチクリしながら感嘆しました。
出品作品の写真はほぼ全て、当館所蔵品の撮影の殆どをお任せしているフォトグラファー・山﨑信一さん(STUDIO Passion)の撮り下ろしです。たくさんの撮影機材をもってお寺様にうかがい、数日かけて撮影されたものです。同じ時に、同じ光の下で撮影された、統一感のある美しい図版です。作品の底裏、箱書、作品解説はもちろん、お寺様や便利堂様からご提供いただいた風景写真も充実しています。ご鑑賞の記念に是非!
(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)