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福岡市美術館ブログ

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カテゴリー:企画展

企画展

門田コレクション展 生粋の博多人が集めた中国古陶磁コレクション

門田コレクションを初めて知ったのは2016年の4月初旬、当館ボランティアさんからの一本の電話からでした。「知人が中国陶磁コレクションの寄贈先を探しており、福岡市美術館も候補に入っています。取り次ぎましょうか?」というお話で、コレクターのお名前は「門田敏郎さん」と。

どうも初めて聞くお名前ではないような気がして、名刺の綴りをめくり、めくり、見つけました。さかのぼること6年前、間接的に名刺をいただいていました。当館で初めてまとまった中国陶磁コレクションを寄贈して下さった森田暁さんのコレクションをお披露目する展覧会(「森田コレクション 中国陶磁の5000年」展)を、2010年に開催しました。門田さんは同展に来られ、あいにく当日は私が不在でしたが、受付に名刺を託けてゆかれたのです。名刺には陶磁研究家としての肩書しか書かれていませんでしたが、その方が、あの有名な老舗提灯店の店主だということは、ボランティアさんからの電話で初めて知りました。そして、ご体調が思わしくなく、入院中であるということも。

2日後、貸倉庫に保管されるコレクションを拝見しました。六畳ほどの室にテトリスのようにビッシリと詰め込まれた箱の数々。ご家族の案内で、門田さんが作成されたコレクションの写真リストをめくりながら一点一点、箱を開けて中身を拝見。古くは新石器時代の彩文土器から明の景徳鎮窯の染付磁器まで、4000年の中国陶磁の歴史を照らしだすかのような幅広い内容構成に驚きました。とてもその日に全点は見られませんでしたが、これはただならぬコレクションだとわかり、寄贈を前提とした調査のため一括寄託を受けることとしました。

貸倉庫内の門田コレクション 2016年4月

門田さん作成の写真付きリスト

病床にご挨拶に上がった時は緊張しましたが、門田さんは言葉を発することも不自由なご容態の中、「よろしく」と私の右手を力強く握って下さり、胸が熱くなりました。永眠される3週間前のことでした。

11月、門田コレクションは美術資料収集審査を通過し、151件の作品が正式に福岡市美術館へ寄贈されました。当館はリニューアルのため長期休館に入ったばかりの頃でした。それから2年半もの間、コレクションは工事中の館内の館内収蔵庫に安置されたまま、展示室という表舞台に立つ日を静かに待ち続けていました。そしてこの度、満を持して、新しくなった展示室にてコレクションの全容を一挙公開する展覧会の開催となりました。

開幕前日の夜、私にはリニューアル開館後もっともハードとなった展示作業が無事に終わり、壮観な室内をグルリと一点一点最終チェックをしながら、門田さんへの敬意と感謝の気持ちを改めてかみしめました。

図録も発行しました。『福岡市美術館所蔵品目録 門田コレクション』、門田コレクションの美術資料総目録(オールカラー)です。
展覧会ポスター・チラシとともにデザインをお願いしたのは、グラフィックデザイナーの松浦佳菜子さん。赤を基調とするのは、そう、提灯に由来するもの。「シンプルに。でも存在感が際立つものがいいなぁ~」という私の漠然とした希望に対し、松浦さんは何度も提灯店に足を運んではイメージを膨らませて製作に臨み、素晴らしいデザインを作って下さいました。

全点について底裏もしくは背面の図版も載せ、器物には全て重量も記載しました。作品を手にとってグルグル回しながら、底を見たり、背面を見たり、重みも感じながら鑑賞している気分になる、そんな図録になればいいなと思い、編集しました。

展覧会は4月11日(日)まで。ご来場お待ちしております。

(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒 )

企画展

資料から読み取れる手の痕跡—ソシエテ・イルフ展

1月5日に、近現代美術室Bで企画展「ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画」がスタートしました。ソシエテ・イルフは、1930年代半ばに福岡で結成され、シュルレアリスムや抽象芸術を吸収し、写真、絵画、工芸デザインと、それぞれのジャンルで創作をしていた前衛美術グループです。

今回の展示は、1987年以来2度目の回顧展です。34年ぶりの展示の準備は、1987年の展覧会で紹介していたメンバーの作品や資料が見つかるか、若干の不安を抱えていました。所蔵者の代替わりによって資料が散逸することは珍しくないからです。しかしながら、イルフメンバーのご遺族や作品を所蔵する美術館はもちろんのこと、多くの研究者の方々にご協力いただき、当初の予想を超えて多くの資料を展示することができました。一部散逸はあったものの、《イルフ逃亡》をはじめとするメンバーの作品のほか、新出資料として作家の旧蔵アルバムや蔵書、イルフの会友として親交を持っていた渡辺與三(清次郎)の作品を展示しています。

「ソシエテ・イルフは前進する」という熱い宣言文から窺われる通り、戦争の真っただなかで活動を続けた彼らの志は高く、短い活動期間の中に様々なドラマがあります。すでにイルフを知っている方もそうでない方も、今回の展示資料からドラマを読み取っていただけると思います。今回のブログでは、そんな展示のみどころの一部をお伝えします。

展示室前半の様子

本展は、大きく分けて前半・後半の二つのセクションに分かれています。前半には、グループとしての活動や時代背景を示す資料のほか、写真を撮影していたメンバーが個人的に所有していたアルバム、雑誌などを大きなテーブル型のケースと壁面を用いて展示しています。
前半で紹介している資料の特徴は、彼らの手の痕跡が追体験できることです。

吉崎一人が旧蔵していた1938年版の『日本写真年鑑』(朝日新聞社)はその一つです。『日本写真年鑑』とは朝日新聞が主催する月例写真懸賞の入賞作品をまとめたもので、その年に発表された写真の集大成です。ここには吉崎の《カーヴ》が掲載されていますが、吉崎は、作品が掲載されたページに赤ペンで線を引いているのです。熱心に作品懸賞に応募していた彼の充実した心持が想像されます。

久野久や吉崎一人(註1)、高橋渡によるアルバムにもご注目ください。久野と吉崎のアルバムは、まるで画集のように紙焼き写真を貼り付け、その横に端正な文字でタイトルを記入しています。その文字は写真によって文字の調子が異なり、作品のテーマに合わせてレタリングを考案していたと思われます。高橋のアルバムは、コンタクトプリント(註2)を整理したものです。海辺で撮られた写真が多く、砂浜でマネキンや貝殻などを配置した正方形の画面が並びます(インスタグラムのトップ画面を連想する方もいるかもしれません)。プリントの一枚一枚は遊び心に満ちており、眺めていると、高橋が熱意をもって撮影に臨んでいたことが感じられます。

こうしたアルバムは彼らの創作の過程の記録であるだけでなく、モチーフや撮影手法に対する関心のありようを雄弁に語ります。彼らの作品にはシュルレアリスムを取り入れた「前衛写真」や、被写体から特定の意味づけを取り払って純粋な造型に着目した「新即物主義」の要素を見ることができます。
長崎に続き幕末期に写真をいち早く取り入れた都市である福岡では、1930年の時点ですでに17ものアマチュア写真団体がありました(註3)。既にグループに所属しているものもいましたが、新たに「イルフ」というグループを結成した背景には、前衛芸術への関心や好奇心、撮影という行為そのものへの愛着といった共通点があったことでしょう。
彼らはやがて産業奨励館やブラジレイロなどをたまり場にし、連れ立って写真撮影に出かけ、定例会を開いて互いに作品を批評しあうようになります。彼らの活動拠点を地図で確認すると、西中洲を挟んだ両岸の地域というごく限られた場所であったことがわかります。地図とケース内の資料を照らし合わせると、手の痕跡とともに、モダン都市を軽やかに歩く7人の足取りも感じられます。
資料を紐解くごとに、「幻の前衛美術集団」だったイルフが徐々に実態を持った人間たちとして感じられてきます。このことは、今回展覧会のための資料調査を通して得られた大きな収穫でした。
今回の展覧会を記念し、図録を発行しています。オンラインショップでも販売しておりますので、今は直接会場に行けない…という皆様も、ぜひ34年ぶりの回顧展をお楽しみください。

(イルフの作品を展示している展示の後半については、またいずれお伝えします。)

(学芸員 近現代美術担当 忠あゆみ )

註1 スライドでのみ紹介
註2 フィルムを印画紙に直接プリントし、どんな写真が撮れているかなどをチェックするもの
註3 『写真界重要記録』朝日新聞社、1930-1931年

企画展

80年前の海辺に思いをはせる

明日は海の日ですね。
海の日だから何がある、というわけでもないですが、ちょっと海に散歩に行きたくなってきます。海のない県で育ってきた身としては、少し歩けば海にたどり着くことって、かなり異常事態なのです。福岡市美術館のある大濠公園から草ヶ江の方までぶらぶらしていると、磯の香りがしてきて、えも言われぬうきうきを覚えます。百道浜へ向かうバスに乗った日には、きらめく水面やさびれたコンテナ(と読解不能な文字)が海の果てへと想像力を刺激します。

福岡市美術館の中で貝殻を発見!

今から80年ほど前に活動していた前衛美術グループ、ソシエテ・イルフにとっても、海は重要なモチーフでした。ソシエテ・イルフは、1930年代に福岡市を拠点に前衛写真や絵画を制作していた7人組です。実は、来年1月に開催する企画展「ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画」に向けて、彼らの作品と資料についての情報を集めているところなのですが(ご存じの方がいらしたら、ぜひ情報をお寄せください!)、彼らの作品には頻繁に海が登場するのです。

久野久《海のショーウインドウ》1938年

例えばこの作品《海のショーウインドウ》は、彼らが海辺での創作を楽しんでいたことがよくわかる作品です。
アクリル板のようなものを組み合わせ、海岸に絶妙なバランスで作り上げられた構造物。板と板の隙間にできた四角形・三角形のなかには海で拾ったと思われる様々なものが配置されていて、砂からカニの手がぬっと伸びていたり、海藻のようなものがびろーんと垂れ下がったりしています。「ショーウインドウ」のマネキンのように、貝殻や海藻は三角形・四角形の中でポーズをとり、そのポーズが整然とした空間に動きや物語を生みだします。余白が多くすっきりとした印象の写真ですが、8枚の板を崩れないように組み合わせ、貝殻や、カニのはさみを集めてそっと乗せる作者の姿を想像すると、なかなかチャーミングです。
作者の久野久(1903-1946)は結核療養のために12歳で宗像郡津屋崎に転居し、生涯津屋崎を拠点にしていました。療養のため身動きを制限された久野にとって、撮影場所は必然的に身近な場所が多くなり、海岸をたびたび写しました。1939年にはソシエテ・イルフのメンバーを津屋崎に招いています。
やがて貝殻に魅せられ、貝の幾何学的な形態をクローズアップした作品を集中的に撮り始めます。この時代は愛好家向けのカメラ雑誌に、被写体を効果的に写し取るための技術がさかんに紹介されていました。久野にとって、レンズを通して貝殻の造形を精密に記録することは写真家としての使命となっていきます。

久野久《貝殻その5》1941年

浜で拾つた小さい貝の、レンズによつて拡大された像、それは肉眼で見る貝とは丸で違つた感覚を持つた貝となつて、私の前に現れたのであつた。之れは私にとつて大変な発見であつた。小さい生命を宿す此の貝にも、造形の神は想像を絶した美を与へ給ふた。正に想像を許さないその美しさではある。私は此の美しさを究めなければならぬと思つた。写真する私の、世の人々への解答を此の貝によつてこそと考へたのであつた。
(久野久「貝の話」『寫眞文化』1941年8月、アルス)

ソシエテ・イルフのメンバーにとって海がどのような場所だったのかについては、いくつもの読み取り方ができます。まっさらな砂浜と水平線は、「ここではないどこか」の象徴、とも解釈できます。しかしその一方で、福岡を拠点にしていた彼らにとって、海は自分たちの生活と地続きの場所でもあり、何よりも、創作意欲をそそられるモチーフとの出会いの場だったのかもしれません。

(学芸員 近現代美術担当 忠あゆみ)

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