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KYNEトークセッション報告−作品の意外なルーツ−

5月25日、KYNEさん初の公開トークセッションを、福岡市美術館ミュージアムホールで開催しました。「応募はそんなにないと思います」という謙虚なご本人の予測を裏切って300名近くご応募があり、やむなく抽選となりました(落選された方、申し訳ありません)。当日は、ホールはほぼ満杯。御来館くださった皆様、ありがとうございます。
応募時にKYNEさんへの質問を募集したところ116件もあったことから、KYNEさんがそれに答える形でトークを進めることにしました。質問は内容の重なるものも多く、参加者の関心が高い質問8つに絞りました。KYNEさんは、小学生時代から大学にいたるまでのエピソードやグラフィティの世界のことなど、とても丁寧かつ率直に語っていただきました。全部掲載したいところですが、このブログでは、KYNE作品の意外なルーツを明かした質問にフォーカスしてお届けしたいと思います。

質問A:女性しか描かない意図がありますか?男性もいつか見たいです
グラフィティは男性社会のカルチャーでマッチョな思想があり、男性はカッコよく勇ましく、女性はセクシーに描かれます。その中に美術作品としての一般的な女性像を持ち込むのが新しいと思って、女性像を描き始めました。グラフィティは一つのモチーフに固執して描き続けるのが、マナーというかセオリーで、女性像は自分の自己紹介、サインに当たるものでした。
男性像は今のところ考えていませんが、適切なタイミングというか必然性があれば。

KYNE《Untitled》2024
ひとつのモチーフの反復。彩色にはバリエーションを持たせている。

質問B:今まで影響、刺激を受けた映画、本、アーティストは?
出会った順に紹介すると、1996年のキャナルシティ博多のオープン時(当時8歳)に見た、村上隆のバルーン作品《Chaos》、ナムジュン・パイクの《Fuku/Luck, Fuku-Luck, Matrix》。パイクの作品は中学校の美術の教科書でも見ました。TV画面が美術として成り立つのが衝撃でした。
グラフィティや落書きに衝撃を受けたのも、小学生の頃でした。
KAWSが紹介された雑誌『リラックス』は、中学校の時に立ち読みしていました。KAWSの、バス停の広告ポスターの上に絵を描いて、撮影して元に戻すという方法は、ただ街で描くだけでなく、既存のものを取り入れているところが斬新でした。
河内成幸(かわちせいこう)の作品は、中学校の教科書で見ました。木版画だけどエッジの効いた造形でカッコよくて。所蔵している版画は、自分の静物画の作品《Untitled》2024にも描いています。「SEIK」の文字の由来をよく聞かれるので、せっかくなのでネタバラシ 笑。

KYNE《Untitled》2024 
画面右の「SEIK」の文字のある作品は、河内成幸の展覧会ポスター(版画)の一部

漫画では、中学生の時に姉から見せてもらったカネコアツシの《BAMBI》。女性の主人公であるバンビがすごく強くて媚びない感じで、影響を受けています。紡木たくの漫画《ホットロード》(註 KYNEさんが生まれる前に描かれた少女漫画)は、氣志團の歌詞を読み解いていて出会いました。間が多くて、白黒なのに光とか色を感じて、とにかく絵がきれい。
映画では、岩井俊二監督《リリイ・シュシュのすべて》。2000年に中学生になるという設定の主人公とは、ドンピシャの世代です。いじめや援助交際などを描いていて、表面的にはすごく痛々しい。それに反して、映像や音楽はとてもきれいです。登場人物の考えることが音楽と風景を通して描かれています。
大学では日本画を学んでいたのですが、平山郁夫以前か以後かというと、以後の、花鳥風月だけではない日本画が好きです。現代の都市風景を描いた田渕俊夫の《刻》はすごいと思ったし、院展作家の宮北千織の《惜春》は、日本画らしくないけれど日本画の良さが出ていると思います。

質問C 花や果物を描かれるようになったきっかけは?
最初は人物だけを描いていましたが、よりオーソドックスな絵画を連想させる、室内の人物を描いた作品を2021年に始めました。そのなかのモチーフとして、女性と一緒に描いていた花瓶や果物を独立させたのが、今の静物画です。白黒の表現やバストアップの女性のモチーフなどは、グラフィティを描く上での生存戦略でしたが、そのなかで必要なくなったものをアップデートさせて、あえてオーソドックスな構図、モチーフを使ってみました。そこに否定的な意味を持たせるのでなく、自分が影響を受けてきたもの、好きなものを肯定的に取り入れていっている感じです。
いわゆる昔からある構図って、面白くないと思うけど、そのつまらなさに自分の興味があって、そのつまらなさをいかに自分のものにできるか、いかに(よい意味での)違和感を持たせられるかを試しています。

質問D 普段の活動 これからの活動
最近の取り組みとして立体作品がありますが、2021年に制作した女性の上半身の立体像は、平面作品を立体に戻したもので、村上隆さんやKAWSのようなアプローチで作りました。2024年の女性の全身像は、それとは違って、フィギュアやおもちゃが土台なのではなくて、佐藤忠良の彫刻へのオマージュです。佐藤忠良の屋外彫刻は全国に色々あって、誰もが目にしていると思います。街にすごく溶け込んでいて、その溶け込み方がすごく良くて。オーソドックスな彫刻を自分のフィルターを通して、現代美術的なアプローチをしたら、こうなんじゃないかと。これを等身大で、ブロンズで作ってみたいです。カラフルで派手なものは、村上さんや草間さんがやっているので、自分がやらなくていい。街に馴染んで無視されるぐらいの彫刻が増えるのもいいのではないかと。そこに、なにか違和感を見出して、気づいてもらえると面白いと思います。

KYNE《Untitled》2024 
彫刻家・佐藤忠良の《若い裸》(福岡市美術館所蔵)へのオマージュとして制作。

福岡では東京周辺に比べると現代アートやポップなものを見る機会が少ないので、デパートでの展示や院展などの団体展も見に行って、限られた環境の中で、幅広く影響を受けて来ました。自分の作品はポップなものが多いけれど、根底にはオーソドックスな美術があって、今でもすごく好きです。そういうものにも興味を持ってもらえたらいいなと思います。

インタビューを重ねてきた筆者にとっても、初めて聞くこともたくさんあって、あっという間の1時間30分でした。KYNEさんのルーツとしてオーソドックスな日本画や版画、彫刻がどんどん出てきて、トークの最後にKYNEさんが「こんな内容で大丈夫でしたか?(ストリートアートなどの話が少なくて)」と聞いたりもされました。
KYNEさんの話からわかるように、彼の作品は、戦後の日本人が体験してきた美術の流れを問い直すものでもあります。わたしたちが美術として鑑賞してきた「洋画」「日本画」「野外彫刻」は、現代美術のフィールドに立ってみると、存在の気配がほとんどありません。しかし、KYNEさんは自分が体験した、今となっては「なじみ過ぎて目に入らない」「退屈な」作品群を愛し続けて、それを「なかったこと」にせず、今解釈するとどうなるか、という試みをしているのです。
かっこいい、クールな作品の根柢に、そうした試みを秘めているKYNEさんの深さが垣間見えたトークでした。KYNEさんの次なる展開を早く見てみたい!ですね。

(館長 岩永悦子)

【お知らせ】
トークセッションで、KYNEさんが「福岡市美術館の所蔵品のなかで、これが好き」と推してくださった作品である、ナムジュン・パイクの作品《冥王星人》と、好きな作家として挙げておられた靉嘔(あいおう)の作品《レインボー・ブック・オン・ザ・テーブル》が、6月13日(木)から、コレクション展示室 近現代美術で展示されます。ぜひ『ADAPTATION – KYNE』展の帰りに、お立ち寄りください。KYNE展チケットにコレクション展チケットもついています。

 

 

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鏡に映ったわたし

ADAPTATION – KYNE展に、たくさんの方にご来場いただいています。本当にありがとうございます。美術館のロビーに行きかう人びとのファッションも、ストリート系の方が多くて楽しいです。男性のお客様が多いと感じてもいて、それも嬉しいことです(いつもは圧倒的に女性が多いので)。

毎日のように展覧会の会場の内外をうろうろしていますが、ある日女性のお客様が、「…どこをどう見たらいいのかしら。なにか(手がかりが)あるといいのに」と、そばにいた男性に話すともなく話しておられました。

いわゆる展覧会をよく見ている方ほど、そんな風にとまどうのかもしれない、と思いました。確かに絵柄はマンガっぽいし、そもそもこれはいわゆるイラストというもの?絵画?現代アート?よくわからなくて、ちょっと二の足を踏んだりするかもしれません。

そう、実は、KYNEさんの作品は「かくかくしかじか」と定義するのが難しいのです。それは、いろいろな分野にまたがっていて、1か所に収まりきれないからです。でも、KYNEさんが描いているのがなにか、ということは言えます。「女性」です。
若くてきれいな女の子の絵ばかりだもんねー。そう、それは間違っていない。絵柄が単純すぎて偉大な芸術って感じがしない。そう、それもその通り。

でも、かつて一度でも、笑いたくないし、言葉にしたくないし、声を掛けないでほしいし、そばにこないでほしい、と思ったことがある人には、ぜひ、その時の「鏡に映ったわたし」を見に来てほしいと思います。

筆者自身、目の前の絵とは似てもにつかないけど、そんな気持ちにあふれていた時の自分を鏡でみるようだと思います。特にZONE1の作品群でそう感じます。KYNEさん自身は、一作一作に特別な物語を与えてはいないといわれていますが、そこに自分の物語を読むことを否定されてはいません。もしかしたら、その余地のために物語を与えていないのかもしれません(これは個人的な感想です)。

KYNEさんのドローイング(ZONE3)を見ると、鉛筆で描かれたデッサンはふんわりやさしいのですが、最終的な線を決めてペン入れした後は、強い表情へとスイッチが入る感じがします。特に、首から上だけのアイコン化されている女性像は、笑顔でしっかり他に対して武装しているように感じます。そのアイコンを「FRAGILE(こわれやすい、傷つきやすい)」という輸送用のステッカー風に仕立てた作品があります(ZONE2)。つい、深読みしたくなります。

一方で、最新作の女性たちは、もう少しのびのびした(ゆるい?)感じも加わっています。人生怒ってばかりはいられないし、リラックスできる時間もある。つまり、ひとつのイメージにしばられなくていい、変化していい、矛盾していい、というようにも見えます(これも個人的な感想です)。

KYNEさんは、そういう気持ちわかっているよ、というメッセージを発しているのでは、決してありません。そんなに単純に人の内面なんかわからない。だから、だれかの人生のストーリーを表現=消費するようなこともしない。だから、誰とわからない人の表面のみを描く。しかし、その背後がからっぽなのか否かの答えは、むしろ見る人の方に委ねられているのではないかと思うのです。

ぜひ、出会いに来ていただければと思います。

(館長 岩永悦子)

 

 

 

 

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「ADAPTATION – KYNE」展、ただいま会場設営中!空間・プロダクトデザイナー 二俣公一さんインタビュー

今回の展覧会には、福岡市美術館の展覧会では初めてご一緒させていただく方々がおられます。前回ご紹介した、展覧会のキービジュアルと図録のデザインを担当してくださっているチロン&チビン・トリュー兄弟のお二人もそうですし、今回ご紹介する、空間・プロダクトデザイナーで「ケース・リアル(CASE-REAL)」を主宰されている二俣公一(ふたつまたこういち)さんもそうです。今回はまたとないチャンスなので、インタビューをさせていただきました。

二俣公一さん

実は二俣さんが作られた空間には、それと知らず何度も出入りしていました。福岡には、このお店があってよかった、と思える心の拠り所のような和菓子店があります。本店は福岡アジア美術館の、道路を挟んでお向かいにあり、いつも賑わっています。重厚だけど圧を与えず、清々しくて居心地がよい、そんなお店の佇まいを作り出しておられたのが、二俣さんでした。最近、警固神社の境内地に降臨したコーヒー店も二俣さんのデザインです。

受賞歴もあまたあり、今、話題のインテリアや建築 を多く手がけられている二俣さん。その腕を見込んでKYNEさんが会場デザインをオファーされたのかと思いきや、実は、KYNEさんと二俣さんは、共通の知人を通じて出会い、かれこれ10年近く前からのお知り合いだったとか。一見、接点のなさそうなお二人の長いお付き合いに驚きました。

「KYNEくんは、出会った頃から変わらないですね。策を弄したりしないで、やりたいことだけをずっとやっている。一見対極のような要素も、彼のなかで自然とクロスしていますね。」

「僕は建築家のお手伝いをしながら、大学を出てすぐに自分の活動を始めたので、小さな仕事の積み重ねからのスタートでした。 大きな事務所で鍛錬を積んでいきなり華やかにデビュー、という歩みではないので、KYNEくんのように東京での活動がありつつ、あくまで福岡にいる、というスタンスはとても理解できるというか、共感できます。」

「(仕事に対しては)プロジェクトとしての責任は自分がとらないといけないけれど、独りよがりになるのは、いやです。目的を成就していくことが重要なので、そのために空気を読みます。」

今回の仕事はKYNEさんから、空間に対して具体的な細かいリクエストがあった訳ではなかったので、特に言外の思いを読み取ろうとしたとのことでした。
美術館での大型展のデザインという今回のプロジェクトに、どのような視点で取り組まれているのかという問いには、こんな風に答えられました。

「既存の空間をねじまげたくない、と思っています。美術館の展示室として一見普通に見え、福岡市美術館のイメージもありつつ、よくよく見てみると、なにか良い違和感や発見がある、という空間を目指しています。」

古民家の再生を手がけることも最近は多いという二俣さんは、あらゆる想定をしておいた上で、例えば、一本の柱を残すか残さないかの判断を、現場で変えることがあるといいます。

「きちんと想定しておけば、不測の事態にも対応できるので。机上で決めたことを変えないという考えもあるだろうけど、僕は現場で起きる出来事に柔軟に対応したいと思っています。そうでないと面白くないじゃないですか。だから自分の想定を超えた要素は、有難いなとも思います。」

細かいディテールまでしっかり煮詰めておけば、偶然の出来事を活かすことができる。その言葉のとおり、インタビューの途中で興味深い事が起こりました。会場造作作業の状況を見に行かれる二俣さんについて行ったのですが、施工途中のある部分を見られて、「これ相当にいいんだけど。」と、ポツリ。その未完のパーツを会場造りに取り込めないかと、真剣に検討されはじめたのです。

インタビューを再開した時に、その新しいアイディアについて「KYNEくんが感じてきたストリートの空気感を、つくり物でない形で表現できるかもしれない」と、楽しみにしておられました。なおかつ、それがさまざまな検討のなかで採用されなくとも、会場がよくなるためなら構わない、とも。さあ、この偶然の出会いは、会場で生き残るのか、それともよりよい形へと変化していくのか。本展覧会は4月20日に開幕です。KYNEさんの作品だけでなく、作品と空間の響き合いも、楽しんでいただければ幸いです。

(館長 岩永悦子)

 

 

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