開館時間9:30~17:30(入館は17:00まで)

メニューを閉じる
ホーム > ブログ
福岡市美術館ブログ

新着投稿

カテゴリー:学芸課長ブログ

学芸課長ブログ

初体験、ZOOMでフランスにフジタ展の展示作業を中継!

今回の展示は、絵画の世界と布の世界が混然一体となった展示です。

フジタは、フランスのプリント布地をしばしば絵に描きました。ここは、フジタがどれだけ布を正確に描いたのかを検証するためのコーナー。

本展の目玉は、フランスのメゾン=アトリエ・フジタから、フジタが所蔵していた染織品約50点をお借りして日本初公開すること。ただし、今はフランスからクーリエが来られないので、ZOOMで展示立会をしてもらうことになりました。10月13日、14日がZOOMの中継日です。

「朝早いのは大丈夫よ!何時だっていいわよ。」とメゾン=アトリエ・フジタのアン・ル=ディベルデル館長。お言葉に甘えて日本時間の13時からスタートに設定しました…って、時差は7時間なので、フランスではめちゃくちゃ早朝(すみません)。前日に作品チェックを完了させ、コンディションレポートのデータを送付しており、ZOOMでは、展示作業を見てもらうことになります。

13日午後からのZOOM中継に備えて、N通の美術品展示のエキスパートYさん&Tさんと午前中にしたことは…前代未聞、「展示のリハーサル」でした。段取りが悪いと画面越しに見ているアン館長が不安になるだろうからと、綿密な打ち合わせと準備をしましたが、それでもまだ不安だったので、実際に体を動かしてのリハーサルをすることに。「じゃあ、やりますよー。お二人は先にウォールケースの中で待機してください。そうそう、そんな感じ。そこへわたしが、3点セットのアンサンブルを入れた箱を持ってきて…。」「3点ありますけど、並べる順番はどうします?」「えっと、エプロン、ベスト、帽子の順で。てことは、箱に入れる順番が逆だった?ひゃー…」。と、午前中はあっという間にすぎました。

そうこうするうちに、13時(フランスは、朝6時!)。フランス在住のコーディネーターのUさん、そしてアン館長が参加して、ZOOM中継が始まります。タブレットの取り回しと、通訳は国際交流担当の徳永さん。海外経験も豊富なプロのインストーラー(展示技術者)の徳永さんは、こういうイレギュラーな現場も慣れっこです。「それではスタートしますね!」と英語で声掛けをして、流れをリードしてくれました。リハーサルをした最初のアンサンブルがスムーズに展示でき、まずは一安心。とはいっても、次から次へと、展示は続きます。画面の方は、徳永さんに任せっぱなし。時々「ボン(いいわね)!」「トレビアン(素晴らしいわ)」という言葉だけが耳に届きます。準備がもたつくと、Uさんがアン館長にいろいろ話しかけて間を持たせてくれたりします(これがかなり大切なお役でした)。

タブレットで状況を中継してくれる徳永さんと、大活躍のYさんTさんコンビ。

画面右端は、フジタが君代夫人のために縫ったアンサンブル。手前も藤田お手製のキャップとズボン(ご本人用)。おしゃれ!

フジタの浴衣。なんともモダンではありませんか。これもフランスからの里帰り。

気がついたらなんと、6時間も展示の中継をしていました。40点以上は展示したかも。朝からお昼までずっとつきあってくださった、アン館長とUさん、徳永さんに感謝です。でも、へとへと…。

翌14日は、アン館長だけでなくて、国の歴史遺産課の担当者、コレット・エイマールさんもZOOMに参戦。残り3点の染織品を展示した後、最後に残った大物に取り掛かりました。フジタが自宅に飾っていた、スペインのマリア像です。彼が作ったわけではないのですが、わざわざ日本から持ち込んだ、沖縄の紅型の布をまとわせています。晩年、カトリックに改宗したフジタの信仰の対象と日本の思い出が一体化した、フジタならではのマリア像です。

開梱直後のマリア像。梱包材に埋もれていました。

「これは、とても脆弱で安定していないの。」とアン館長。コンディションチェック時に気づいていましたが、マリア像の頭部と台座をつなぐのは、直径1㎝ぐらいの細い軸木のみ。金属の冠の重みで頭部がゆらゆらします。N通さんとは、頭部と台座の間に緩衝材を挟んで安定させようと話していましたが、つい「では、免震台も使いましょう」というと、アン館長もコレットさんも「免震台とは何ぞや!?」と矢のような質問。地震国日本の美術館には、たいがい常備されている備品も、フランスでは例がないようでした。

免震台を実際に見せ、どんな構造なのかを説明している間にYさんが緩衝材を用意。ひとしきり質問に答えたあと、ではこれから緩衝材を挟みますね、と頭部と台座の間にクッションを差し込むところも、ズームアップで中継。「トレビアン」と、フランスから安堵の声が聞こえてきました。その後、免震台の上に像を置いて、フランスからの借用品の展示は全点終了。みなさん安堵して、笑顔で、「オルヴォワール!」とミーティングルームから退出していかれました。

マリア像の下に見えている2段重ねの台が免震台です。地震が起こると2枚の内の下段は動きますが、上段は安定したままで作品を護ります。

日本では海外との行き来が緩和されてきましたが、フランスはまさにこの日、夜間外出禁止令が発表され、まだまだコロナの状況は厳しそうです。この展覧会を全面的にサポートしてくださったアン館長にはぜひ、この会場を見ていただきたい!早々にフランスの状況も改善するように祈るばかりです。

今日は会場の最終チェック。皆様をお迎えするまで、あと少し頑張ります!

(学芸課長 岩永悦子)

当館所蔵のフジタも出ます。ひさびさに下絵と一緒に展示。

看板兼、撮影スポット。裁縫するフジタとご一緒にどうぞ。

 

学芸課長ブログ

フランスからフジタ展作品が到着!

いま某輸送会社のトラックに乗って、スマホでこれを書いてます。ついさっき、貴重品倉庫からとりだされた、フランスからの作品を格納したクレート(木箱)を積み込み、関空を出て高速道路に乗りました。やっとここまで来たか!

1920 年代に、乳白色の肌の裸婦を描いて、パリで爆発的な人気を博した藤田嗣治の、猫と裸婦の代表作や戦争画を含む大作と、彼が集めたり作ったりした染織品を紹介する「藤田嗣治と彼が愛した布たち」展。いよいよ来週から展示作業がはじまります。いま、それに先立って、学芸員4人が手分けして、全国で集荷の旅に出ています。今回の展覧会で特筆すべきは、フジタが生涯愛蔵した、メゾン=アトリエ・フジタ所蔵の染織品を初公開することです。

本展の最初の一雫は、今を遡ること10年ほど前の「藍染の美筒描」展を開催したときにあります。作品を貸してくださった筒描のコレクターご夫妻が、「フジタは筒描を描いだことがあるんだよ」と教えてくださったのです。調べると確かにそうでした。フランスにまで、持っていったと言われる素朴な藍染の布は、しかし今は行方知れずと、ものの本にはありました。

筒描展をパリのギメ美術館で開催するための出張で、2012年にフジタの終の住処であり、アトリエであった、パリ近郊のメゾン=アトリエ・フジタを訪ねました。フジタが持っていた筒描について調べていると連絡をしたところ、あるともないとも明言されないまま、ではどうぞとの返事。電車とパスを乗り継いで、ひとりエソンヌ県のヴィリエ=ル=バクルという村に向かいます。

道沿いから見えるメゾン=アトリエ・フジタ外観

メゾン=アトリエ・フジタのキッチン。右端の鍋つかみは、フジタのお手製。


ヴィリエ=ル=バクルは、花にあふれた小さな村でした。村の入口から歩いて少しの場所にあるメゾンは、隅々までフジタの手作りの品々に満たされ、おとぎの国のように愛らしい家でした。フジタの寝室に通されたあと、アン・ル=ディベルデル館長は別室に消え、紙に包まれたチューブを持ってこられました。そこに巻かれた布が、フジタが使ったベッドの上に、くるくると広げられ、藍染の布が姿を現した時、なんとも言えない感慨がありました。大切に保管されていた筒描との出会いを含め、メゾンに来ることがなければ、どれほど彼が布好き、裁縫好きであったかも実感できなかっでしょう。

フジタのベッドに広げられた《茶道具文様筒描布団鏡表》。フジタは少なくとも4点の作品に、この布を描いた。


それから少しずつ研究を重ねて、フジタが布好きだったたいう以上に、布を描くことこそ、彼をスターダムにのし上げたのだと思い始めて、いつか展覧会を開催したいと思うようになりました。

10年の歳月を経て、さあ、いよいよという時に、想像もしなかったことが起こります。コロナ禍です。開催半年前になっても、海外とは人の行き来も途絶えたままで、もしかしたらフランスからの貸出は、難しいのでは、と誰もが危ぶんでいました。特に、フジタが自ら縫い上げた衣装など14点は、「イストリック・モニュマン(歴史遺産)」に指定されており、国が管轄する作品です。

本来クーリエ(作品の輸送・展示に立ち会う随行員)なしには、国外にだせない歴史遺産を、アン館長は「これらが欠けたらフジタが布との関わりでどれほどクリエイティブだったかが示せない」と、国に掛け合ってくださいました。本展の意義を感じてくださって、交渉をしてくださったおかげで、なんとか国からの許可がおりました。

昨夜、関空で荷解きをしたパレットからクレートが姿を表した時、喜びと安堵を隠せませんでした。そして、いま、3つのクレートとともに、福岡を目指しています。当館にとっても、初のオンラインによる展示立ち会いを行うことになりますが、まずは、福岡到着を目指して(一刻も早くといいたいところですが、安全運転で)、走行中です。続報も、ブログにて!

到着したばかりの作品のクレート


(学芸課長 岩永悦子)

学芸課長ブログ

アフリカンプリントの夏

8月末だけど、まだ、夏ネタでもいいですよね。十分暑いですよね。
さて!ついに、念願のアフリカンプリントの扇子を買いました!

同僚のK課長が、一見和風だけどアフリカンプリントという、素敵な扇子を使っておられたのを見て、「いやー、やっぱりいいわ!夏は扇子だ!」と、休み時間にショップに直行。いくつか目星をつけていたのがあったのですが、新顔がずいぶん増えている…。

うわ。水玉でかっ。でも、なんか涼し気。というわけで、一目惚れ。あっさり決まりました。

買ってから、「なぜこれにしたのか」を振りかえってみました。(藤井八段の気分?)
煎じ詰めれば理由はふたつ。

1 水面をみているような心地よさ
2 謎な模様

よく考えると、これ、両方ともアフリカンプリントならでは、なのでした。

アフリカンプリントは、「アフリカン」といいながら、ルーツはインドネシアのバティック(ろうけつ染め)だし、工場で生産してアフリカに売り込んだのは、ヨーロッパ人や日本人だし、なかなかに複雑な歴史を抱えています。アフリカンプリントは大胆な柄と鮮やかな色彩が魅力。でも、アフリカンプリントの最大の特色は、アトランダムな白地の部分なのです。


布の上にワックスを置いた部分は染料に浸しても染まらないので、白地になります。白くするためにやっているので、こんな風にひびわれて青い染料が浸み出している状態って、本来的には不良品。でも「本当にろうけつ染めをしているからこそ、こんなひび割れができるわけです。1点、1点ちゃんとろうけつ染めで作っている証拠です!」というわけで、「高級品の証拠」として、あえてひび割れを作るようになりました。

水面を見ているように感じたのは、ひび割れが作るアトランダムな模様のなせるわざでした。どちらも自然に生まれる形だからなのでしょうね。

それにしても、この青い円はなんなんだ。結局謎のままなのですが、これもアフリカンプリントの楽しみではあります。アフリカンプリントを見れば見るほど、見知らぬ果物や、不思議な道具?にしょっちゅう出会います。初めてみる形に出会うと、グローバルな時代といっても、まだまだ知らないことばっかりだと、地球の大きさに打たれます。

というわけで、個人的には「わかった!これはきっとアニッシュ・カプーアの《虚ろなる母》だ!」と、妄想しております。この夏、当分この妄想で涼めそうです。

(館長 岩永悦子)

アニッシュ・カプーア《虚ろなる母》 2階コレクション展示室で、ぜひご確認ください。(←いや、絶対ちがうって 笑)。

共布のさやもついています。

新着投稿

カテゴリー

アーカイブ

SNS