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福岡市美術館ブログ

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アーカイブ:2020年 8月

学芸課長ブログ

アフリカンプリントの夏

8月末だけど、まだ、夏ネタでもいいですよね。十分暑いですよね。
さて!ついに、念願のアフリカンプリントの扇子を買いました!

同僚のK課長が、一見和風だけどアフリカンプリントという、素敵な扇子を使っておられたのを見て、「いやー、やっぱりいいわ!夏は扇子だ!」と、休み時間にショップに直行。いくつか目星をつけていたのがあったのですが、新顔がずいぶん増えている…。

うわ。水玉でかっ。でも、なんか涼し気。というわけで、一目惚れ。あっさり決まりました。

買ってから、「なぜこれにしたのか」を振りかえってみました。(藤井八段の気分?)
煎じ詰めれば理由はふたつ。

1 水面をみているような心地よさ
2 謎な模様

よく考えると、これ、両方ともアフリカンプリントならでは、なのでした。

アフリカンプリントは、「アフリカン」といいながら、ルーツはインドネシアのバティック(ろうけつ染め)だし、工場で生産してアフリカに売り込んだのは、ヨーロッパ人や日本人だし、なかなかに複雑な歴史を抱えています。アフリカンプリントは大胆な柄と鮮やかな色彩が魅力。でも、アフリカンプリントの最大の特色は、アトランダムな白地の部分なのです。


布の上にワックスを置いた部分は染料に浸しても染まらないので、白地になります。白くするためにやっているので、こんな風にひびわれて青い染料が浸み出している状態って、本来的には不良品。でも「本当にろうけつ染めをしているからこそ、こんなひび割れができるわけです。1点、1点ちゃんとろうけつ染めで作っている証拠です!」というわけで、「高級品の証拠」として、あえてひび割れを作るようになりました。

水面を見ているように感じたのは、ひび割れが作るアトランダムな模様のなせるわざでした。どちらも自然に生まれる形だからなのでしょうね。

それにしても、この青い円はなんなんだ。結局謎のままなのですが、これもアフリカンプリントの楽しみではあります。アフリカンプリントを見れば見るほど、見知らぬ果物や、不思議な道具?にしょっちゅう出会います。初めてみる形に出会うと、グローバルな時代といっても、まだまだ知らないことばっかりだと、地球の大きさに打たれます。

というわけで、個人的には「わかった!これはきっとアニッシュ・カプーアの《虚ろなる母》だ!」と、妄想しております。この夏、当分この妄想で涼めそうです。

(館長 岩永悦子)

アニッシュ・カプーア《虚ろなる母》 2階コレクション展示室で、ぜひご確認ください。(←いや、絶対ちがうって 笑)。

共布のさやもついています。

コレクション展 古美術

悪夢の展示替え

ある日の古美術展示室。
独立展示ケースに飾っている壺を、展示替えする日です。
いつも一緒に作業をする相棒の学芸員は、この日は居ません。ひとりきりの作業です。

展示ケースの扉を開けます。
壺は高さ30センチ程で、豊満な器体には華やかな色絵が施されています。重要文化財に指定されていて、当館の古美術コレクションを代表する一品です。

壺は、転倒防止のために掛けられた6号の太いテグスでしっかり固定されています。壺の首まわりをぐるりと締めるテグスは、そこから四方へ、肩を押さえながら斜め下へまっすぐ伸びて、展示台に打ち付けられた4つのピンに、しっかり巻き付けられています。まずは、このテグスを外さなければなりません。

ハサミでチョキン!

あれ?切れない…おかしいな。

じゃあ、カッターで、シュッ!

あれれ?切れない…なんでかいな。

しかたがない、ピンごと抜いちゃおう。

ラジオペンチでピンの頭をグイッと引っ張る。

…スポン、…スポン、…スポン、…ググッ!

くそ~、最後の一本が抜けないな。もっと力を入れて引かないと。

グググググ~、スポン!

「よし、抜けた!」と喜んだ刹那、私は勢いあまって後ろに倒れ、尻もちをついてしまいました。しかも右手は、ピンを掴んだラジオペンチを強く握りしめたまま。

美しい壺は、首をテグスに引っ張られて横転し、一瞬宙を舞って、スローモーションで私の方へ落ちてきます。まるでリードを引かれたセレブ犬が飼い主の胸に飛び込んでくるように。
「恒、落ち着け!ゆっくり落ちてきているから、両手と胸でキャッチすれば大丈夫。」と自分に言い聞かせる。しかし、腕が動かない!金縛りにあったみたいに。

壺は、私の胸に当たって跳ね返り、床に落ちてゆきます。
目を背けます。そして聞くに堪えない破裂音が。

ついにやってしまった…。収蔵品を、市民、国民の財産を!

上司に伝えなければ。

走って事務室に戻りますが、足が思うように動きません。

やっと事務室に着きましたが、誰もいません。

隣の課をのぞきますが、誰もいません。

警備員さんもいません。

とりあえず、文化庁に電話しなければ。

しかし、電話機がない。部屋中どこを探しても見つかりません。

じゃあスマホで…うわっ、バッテリーが切れとる!

どうしよう、どうしよう…

取り乱し、誰もいない館内を彷徨している最中に、目が覚めました。

*   *   *

以上、先月の寝苦しい夜に見た夢の内容を、記憶する限り描写しました。当館に奉職して17年、年に1、2回は見てしまう悪夢です。大体は、ハードな展示替え作業日が近づいた頃に見るように思います。

同業者にこの話をすると、同じように収蔵品を壊してしまう夢を見るという人は少なくありません。「学芸員あるある」の一つのようです。

この夢も最初の頃は、壺を持つ手をすべらせたとか、壺の口を握ったらパカッと割れたとかで、青ざめた瞬間に目が覚めるというシンプルなストーリーでした。同じ夢が続くと「あ、これ、あの夢だな」と夢の中で気づくようになります。そうすると、夢も次は私に気づかれまいと、ストーリーをアレンジしてくるのです。しかも回を重ねるごとに演出が細かく、しかもドラマティックになってきています。テグスを介して壺を落下させるなんて、なんとも巧妙な仕掛けではありませんか。

壺が、昔飼っていた愛犬の姿に変身したこともあります(日頃テグスで固定された壺をみていて、無意識のうちに、リードに繋がれる犬を連想していたのでしょう)。無人の館内を半泣き状態でさまよい歩く絶望的な時間も、どんどん長くなっているように思います。

目覚めるたびに、もう二度と見ませんように!と願いますが、しかし、この夢には感謝をしなければなりません。
「初心不可忘」の意識を、都度新たにしてくれるからです。

次の展示替え作業は、8月31日です。

(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)

コレクション展 近現代美術

菊畑茂久馬さんを偲んで(3・完結編)

2011年1月。私はニューヨーク近代美術館(MoMA)のアーカイブ(資料室)で、ある展覧会に関する資料を調査していました。かつて菊畑さんが《ルーレット》3点を出品した「The New Japanese Painting and Sculpture(新しい日本の絵画と彫刻)」(以下、NJPS展)。前回のエッセイで触れた、菊畑さんの記念すべき米国デビューの展覧会です。

なぜ調べようと思ったのかといえば、この時の出品作品である《ルーレット》3点のうち1点が所在不明だったからです(ちなみに、3点のうちの1点はMoMA所蔵。もう1点はロックフェラー3世夫人の所蔵を経て、現在大阪中之島美術館所蔵)。MoMAのアーカイブの充実ぶりは有名で、しかも事前に資料調査の申し込みをすれば閲覧も可能です。私は、かつてここに在籍したリーバーマンが遺した展覧会資料を調査して、捜索対象である作品の所蔵先をつかもうとしたのです。

結果から言えば、行方不明の《ルーレット》の所在は結局わからずじまいだったのですが、別のことがわかりました。NJPS展のために、日本から送られた菊畑作品は3点ではなく4点で、しかも、そのうち出品されることのなかった1点は企画者であったリーバーマンが個人で購入・所蔵し、NJPS展に出品されることはなかったのです。ちなみに、リーバーマンほかMoMAのキュレーターたちも、出品作家の作品を購入していました(ちょっと今だと考えられない所業ですね。。。)

ではリーバーマンが所蔵していた《ルーレット》はどんな作品で、それはどうなったのか? リーバーマンはメトロポリタン美術館にも在籍していたので、実は、メトロポリタン美術館にも問い合わせてみましたが確たる情報は得られず。資料に記されたサイズと、米国側がつけたと思しき「Hero」(ヒーロー)というニックネームから推察して目星は付けることができましたが、結局ここまでで時間切れ。7月開幕の回顧展では、上記のことを図録と展示に反映させました。

こうした調査結果を帰国後にお伝えしたところ、驚くことに、この辺の経緯は、当の菊畑さんはまったく知らなかったそうです。そもそも、MoMAとの交渉役となったのが、当時、菊畑さんを若手作家として売り出していた南画廊ですが、事の詳細を菊畑さんにほとんど伝えていなかったようです。ニューヨーク~東京~福岡、の距離感は、ネット社会となった現在と1960年代とではあまりにかけ離れています。国際舞台から遠く隔たった地で、菊畑さんは一切を知らないまま、炭鉱画家・山本作兵衛の作品と人柄にのめりこんでいっていきました。いや、知ってたとしても、きっと菊畑さんはそうした「メジャー」な動向には背を向けていたことでしょう。

さて回顧展が無事終了してほっと一息ついたところ、(なぜか)ふと気になって、私は「Mokuma Kikuhata」でネット検索をしてみました。すると、あるオークションサイトに、リーバーマンが所蔵していたものと推察される《ルーレット》が掲載されているのを発見してしまいました! しかし残念ながらその時点ではもう落札済み。残念であると同時に、所在が確認され、少し安心。そのうちどこかの美術館か個人に所蔵されるかもしれないな…と思っていた矢先の2011年末。福岡市のあるギャラリーから電話がかかりました。「《ルーレット》の情報があるっちゃけどあんたのとこで買わん?」。え、その《ルーレット》ってもしかして? 作品写真を送ってもらったところ、ずばり、私が推測した通りのもの、つまり、リーバーマンがかつて所蔵し、ネットオークションで落札されたあの作品でした。それからいろいろ経緯あり、2012年度の新収蔵品として、かつて「Hero」とよばれた《ルーレット》は、当館の所蔵となりました。菊畑さんは、この作品の約50年ぶりの「里帰り」をことのほか喜んでおりました。リーバーマンさん、菊畑さんには「よろしく」伝えましたよ。いやーしかし、気が付けばあれから18年、結構時間かかりましたね…。

現在、本作品は、当館の近現代美術室Cにて、アメリカの美術家ラウシェンバーグとニーヴェルスンの間に展示されています。9月1日から近現代美術室Bにて「菊畑茂久馬:『絵画』の世界」も始まりますので、一緒にご覧いただくこともできます。菊畑さんの長年の功績とともに、日米をまたにかけた作家とキュレーターの、実にわずかで、しかし深い絆の証も、ぜひ、見てください!

かつて、リーバーマンが所有していた《ルーレット》。
「Hero」という副題名をつけられていたが、ずいぶんと痩せている。
頭部に見立てられたドーム状の物体は、旧日本兵のヘルメット。

■ブログ「菊畑茂久馬さんを偲んで(1)」
https://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/11324/

■ブログ「菊畑茂久馬さんを偲んで(2)」
https://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/11751/

(学芸係長 近現代美術担当 山口洋三 )

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