2024年10月23日 09:10
ちょっと長くなりますが、今回はとても感動的なスピーチをご紹介いたします。
去る9月14日、「第3回福岡アート・ネクスト・ウィーク」の開会式典にあわせて、モナ・ハトゥム氏による《+と-》を披露しました。これは、1994年の「ミュージアム・シティ・天神 ’94[超郊外]」で初めて公開された伝説的な作品の新バージョンになります。今回、開館45周年を迎える当館の記念として、恒常的に展示するために特別に制作していただきました。
直径約4mの砂の上をゆっくり回るバーの半分が砂に模様を刻みながら、同時にもう半分が模様をかき消していく作品で、連続するサイクルの中で、ポジティブとネガティブ、創造と破壊、構築と解体など、対立するふたつの力の相互作用が表現されています。いまや国際的に活躍する作家の代表作のひとつに数えられています。

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[モナ・ハトゥム氏のスピーチ]
この作品には長い歴史があり、1979年、学生だった頃に制作した作品がもとになっています。それは、砂が入った30㎝四方の小さな箱でした。そこに取り付けられたアームが回転すると、アームの一方が砂の表面に線を描き、同時にもう一方が線をかき消していきました。当時のわたしにとって、この作品は瞑想的で眠りを誘うようなオブジェであり、また一方で、陰と陽の対立する力を想い起させるものでした。
これは45年前のことになりますが、わたしはそのころからすでに、このオブジェをより大きな作品として実現させたいという野心をもっていました。
その最初の機会が訪れたのは15年たってからで、福岡で開催された「ミュージアム・シティ・天神 ’94[超郊外]」という展覧会に招待されたときでした。いまからちょうど30年前になります。
この大きなバージョンの作品は、連続するサイクルの中で、光と闇、戦争と平和、生と死、あるいは創造と解体、構築と破壊などの対立する二つの力の相互作用について考えさせる、ひとつの風景のような作品となりました。
1994年に福岡で展示されて以来、この作品の別バージョンが、世界中の数多くの美術館で展示されました。そしてこのたび、福岡市美術館の建物に恒久的に埋め込まれることになりました。まるで世界をぐるりと一周して、これから永遠にここで暮らしていくために、もとの家に帰ってきたように思いますし、そうあってほしいと願っています。
何年もの歳月をへて、この作品は、わたしのもっとも重要な代表作のひとつになりました。そのため、これがこの美しい場所に永遠に根を下ろしたのを見ることができ、大変満足しています。あらためて、アートやアーティストの積極的な支援者である高島市長、美術館のロビーで作品が恒久展示できるようご尽力くださった福岡市美術館の中山総館長、岩永館長に心よりお礼申し上げます。
わたしは、物事に変化をもたらすアートの力を信じており、アートは鏡のように、見る人それぞれの心の中に、多くの疑問や解釈、異なる物語を浮かび上がらせるものだと思っております。
わたしは、この作品が福岡の皆様に愛されることを、そして、人々に立ち止まって考える瞬間を与え、わたしたち自身や世界全体がどんなにネガティブな状態に落ち込もうとも、ポジティブなものがすぐそこまで来ているという希望のメッセージを伝えてくれることを願っています。
(英文和訳:太田早耶)

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1979年は福岡市美術館が開館した年です。そのとき、モナ・ハトゥム氏が《+と-》のもととなる小さな作品を生み出されていたことに、不思議な縁を感じます。
そして、1994年は、「第4回アジア美術展」を開催した年で、「ミュージアム・シティ・天神 ’94 [超郊外]」はこの「アジア美術展」と連携していました。この翌年には、福岡アジア美術館の建設に向けた準備室がたちあがり、アジア美術館が当館から独立していくことになります。1994年とは、福岡市美術館にとって、開館15周年というだけではなく、次のフェーズに移る節目の年だったのです。まさにその時、その場にモナ・ハトゥム氏が立会い、この《+と-》が初披露されたことに感慨深いものがあります。
モナ・ハトゥム氏が語るように、まるで福岡から旅に出たかのような《+と-》は、世界を巡り、当館の開館とモナ氏の最初の構想から45年たった今年、福岡に帰郷したように思えてきます。これからは、いつも、ここ福岡市美術館の2階コレクション室のロビーでみなさまをお迎えします。どうぞ、“帰ってきた”《+と-》に会いに来られてください。お待ちしています。
[モナ・ハトゥム]
1952年、パレスチナ人の両親のもとに、レバノン・ベイルートに生まれ、現在は英国ロンドンに在住。1975年、ロンドンを訪問中にレバノンで内戦が勃発したことにより帰国できなくなる。そうした自身の人生経験をもとに、居場所の喪失や追放、対立する世界がかかえる矛盾を、インスタレーションや彫刻などさまざまな形式で表現し、世界的に評価されている。
1994年に福岡の街中で行われた「ミュージアム・シティ・天神 超郊外’94」に参加。
2017年にはヒロシマ賞、2019年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。

Portrait Mona Hatoum. Courtesy Neuer Berliner Kunstverein. Photo by Jens Ziehe_cropped
(近現代美術係長 ラワンチャイクン寿子)
2024年10月16日 09:10
どーも。総館長の中山です。久しぶりにブログを書けと言われたので書きます。
最近、ある人から、「いつもブログの冒頭に、どーもとか。なんでああいうあいさつを書くの? あなただけですよね」と聞かれました。こういう書き出しなら「あいつのブログか。じゃあ読まなくていいや」とすぐに脱出できますし、どーもというひと言で、なんとなく肩ひじ張らない感じが伝わるだろうと思っているからです。いや、ウソです。ほんとは、何となくです。一番最初は、読む前に誰が書いているのかわかるほうがいいと思った記憶がありますが、あとは惰性です。何となくです。聞かれたときにはなにも思いつかなくてただニヤニヤしてしまったので、ここで答えておきます。
さてと。今年も1階の古美術企画展示室で「僊厓展」がはじまりました。あれ、仙厓展じゃなくて僊厓展なのと首を傾げられた方、もともと仙という文字は僊の略字なので、正字(本字。略字や俗字に対する本来の文字)で書いているだけで、文字としての意味は同じです。仙厓さんはどちらの字も使っています。わたしはどちらを使ってもいいと思っています。本人もそうだったですから。研究者のくせになんだそのどーでもいいという態度は!と叱られそうですけど。わたしは時々、喜一朗という名前を喜一郎と間違えられます。これは間違いです。意味も違うし。請求書が喜一郎宛だったら、俺じゃないから払わないぞ、なんて。時々、ほんの少しだけ、腹が立ちます。あるところから美術館に送られてくる郵便物は、ずーっと、中村喜一郎という宛名になったままです。これはもう別人でしょ。あれ、今日は力が抜けすぎて、脱線し放題ですね。
いつもだいたいこの時期に仙厓さんの展示をするのは、10月7日が仙厓の亡くなった日だからです。祥月命日のお墓参り、とはちょっと違いますけど。宮田学芸員による今年の展示もいい感じです。わたしも会場の後半に展示されている《天狗図》、《河童図》、《章魚図》、《牛図》の4点について、「おもしろキャプション」を書けと言われたので書きました。なんか書けと言われたので書いたものばかりですね。主体性がないなあ。「おもしろキャプション」はご存じですか? コレクション展示室でときどき見かけませんか。解説者の似顔絵とイニシャル入りで、だれが書いたかだいたいわかる解説です。書き手それぞれの個性が出ているし、普通のキャプションにはないような内容で、九割五分、好評です。ごくごくたまに「あんなものつまらん」という感想をお聞きしますが、百パーセントではないのが民主主義のあらわれです。民主主義は多数決が原則なのでまだまだ「おもしろキャプション」は続きます。

天狗図 石村コレクション

河童図 三宅コレクション

章魚図 三宅コレクション

牛図 小西コレクション
こうして並べてみると、親分が困っているのに笑っている天狗たちも、さみしそうな河童も、「てへっ」みたいなポーズのタコも、モーモーではなくミョーミョーと鳴くらしい牛も、みんな脱力系です。実際は眉間にシワをよせて真剣に描いたのかもしれませんが、目に浮かぶのはリラックスしてニコニコしながら筆を走らせている仙厓さん。彼こそ江戸時代の博多の脱力系禅僧です。こういうのが19世紀の博多でウケていたのだとしたら、今と共通する世相があったのかもしれません。
コロナ前あたりから、脱力系女子がモテるという話題がありました。脱力系男子も含めて、ウェブには「オシャレをして自分を着飾ったり、異性の前で猫をかぶったりせず、力を抜いて暮らしている人物」という解釈がでてきます。自然体なのがキーポイントのようです。自然体だから隙もあったりして、自分をいつわらないから相手に安心感を与える。なるほどと思います。脱力系はマイナスポイントではないのです。むしろ、「しゃきっとしろっ!」はダメです。それはもう、パワハラかもしれません。
そもそもみんな頑張りすぎなんです。無理しすぎです。気を使いすぎているんです。これってハラスメントにならないかと、ビクビクしすぎです。肩が凝りすぎなんです。書けと言われたので書く、くらいでもいいんです。ハハハ。どさくさにまぎれました。近頃わたしが脱力しているのは、だれのせいでもありません。仙厓さんのせいです。
そうそう、ミュージアムのキャラクターの日本一を決める「ミュージアム キャラクター アワード2024」で惜しくも全国2位だった当館の「こぶうしくん」の元になった作品「コブウシ土偶」も、今回の「僊厓展」に特別枠?として大挙して参戦してます。彼らも仙厓作品に負けず劣らすのインダス文明の脱力系コブウシです。この展覧会を見に来られたら、力が抜けることうけあいです。

コブウシ土偶 パキスタン 新石器時代 前2000頃

オリジナルミュージアムグッズ・こぶうしくん ぬいぐるみ
(総館長 中山喜一朗)
2024年10月9日 12:10
~つきなみ講座 特別版
「アジア×現代美術×福岡―伝説のFukuoka, 1990-1994」~

モナ・ハトゥム《+と-》
9月14日から29日までの約2週間、第3回目FaN Weekが開催され、酷暑のなかでしたが盛況のうちに終幕を迎えました。(とはいえ、当館では「コレクターズIII」展と「西日本シティ銀行コレクション展」は、10月14日(月祝)まで開催しています。ぜひ、はこびください!)
当館もアジア美術館も、市内外からのお客様の多いFaN Weekのスタートにあわせて、新収蔵の作品をお披露目しました。当館では、モナ・ハトゥムの《+と-》、アジ美ではホアン・ヨンピン(黄永砅)の《駱駝》です。両者とも、現代美術史に名前を残す世界のトップアーティストの名作で、きっと現代美術の関係者なら、「おおおっ!!!」と言ってくださっているはず。これから、《駱駝》はアジ美の、《+と-》は、草間彌生の《南瓜》と並んで市美の「顔」になるに違いありません。
さて、《+と-》のモナ・ハトゥム、《南瓜》の草間彌生、《駱駝》のホアン・ヨンピンには、共通点があります。現代美術のフィールドで、トップランナーとして走り続けた(ホアン・ヨンピンは故人)/走り続けていること?(その結果として)作品が高額であること?それらも事実ですが、正解は、三人とも来福して、みずから作品を展示したことがある、ということです。それも、東京や海外で仕立てられた巡回展でなく、純然たるメイドイン福岡の展覧会で。それが「30年前(=1990年代前半」に福岡で起こったこと」でした。
1991年に、福岡のアート関係者が立ち上げたミュージアム・シティ・プロジェクトが開催した、ホアン・ヨンピンやツァイ・グオチャン(蔡国強)らが出品した『中国前衛美術家展[非常口]』を皮切りに、特に、今からちょうど30年前の1994年の9月から10月は、ミュージアム・シティ・天神と福岡市美術館(当時アジア美術館はまだ存在していませんでした)が開館以来行ってきた「アジア美術展」が融合して、市内のさまざまな場所でアートという名の何かが起こっているという、前代未聞のカオス状態が訪れた年でした。
当時、天神の福岡銀行本店の、道路にむかって開かれた中庭には草間彌生の《南瓜》が展示され、モナ・ハトゥムの《+と-》の初号機は博多区のギャラリーで産声をあげました。いずれも、『ミュージアム・シティ・天神‘94[超郊外]』の出品作品です。収蔵の時期は違いますが、ミュージアム・シティ・天神がなければ、それぞれの作家の代表作である2点が、福岡市美術館に収蔵されることはなかったでしょう。

草間彌生《南瓜》
そこで、当時から今に至るまで、ずっと福岡の現代アートシーンの最前線にいる、ミュージアム・シティ・プロジェクト事務局長の宮本初音さん(現 ART BASE 88[福岡]代表)をお招きし、特に、1994年の『ミュージアム・シティ・天神‘94[超郊外]』については宮本さん、『第4回アジア美術展・ワークショップ』については岩永が、特にフォーカスしてお話したいと思います。
私自身は、94年当時、一学芸員としてその巨大な渦に巻き込まれて、飲み食いから仕事まですべてがアート漬けの毎日を過ごしました。今こそ、当時目撃し、経験したことを未来につないでいけたらと思っています。当日、宮本さんが、当時の福岡の状況を物語る、資料や作品もお持ちくださいます。
30年前にどんな種が撒かれ、どのように育ったのか。民のミュージアム・シティ・プロジェクトと官の福岡市美術館はいかにしてタッグを組んだのか。福岡はどう変わったのか、変わらなかったのか。1990年代前半から約30年後の今を視野に入れて、これから30年後に何が起こるのかを語り合う2時間です。ぜひお越しください!
(館長 岩永悦子)
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つきなみ講座
「アジア×現代美術×福岡―伝説のFukuoka,1990-1994」
講師 宮本初音(ART BASE 88[福岡]代表)、岩永悦子(館長)
2024年10月19日(土)
午後3時~午後5時(開場:午後2時30分)
定員180名
聴講無料、事前申込不要、先着順