2023年12月13日 14:12
こんにちは、国際渉外担当の太田です。今回は、私が先月行ったインド旅行の報告をさせていただきます。ただ単に、私が休暇をとってインドに遊びに行っただけの話なのですが、休暇から戻った後の会議で「太田さん、ブログでインド旅行記、書きませんか?」とお声がかかり、「いいですけど・・・でも私の旅行よりもっと重要な話題はないのですか・・・?」と言う私に皆さんが出したゴーサインを信じ、この場で個人的な旅行の話をさせていただく次第です。美術もアートも出てきませんが、ご興味のある方はどうぞお付き合いくださいませ。
前回のブログで自己紹介したとおり、私は以前、南インドにあるカルナータカ州のベンガルールという都市で働いておりました。今回の旅行は、久しぶりにインドの友人に会ったり、南インド旅行でもしたいな!というシンプルかつ個人的な動機によるものでして、美術館のブログに何を書けばいいか皆目見当つかないのが正直なところです。どうしようかなぁと数日間真剣に考えたのですが、ベンガルールから足を伸ばしてお隣のタミルナドゥ州を少々旅行した際に改めて気付いたことがあったので、それについて述べたいと思います。
今回の旅行では、初日からスコールに降られ、美食で知られる地方でインド料理を堪能し、廃墟と化しつつある色鮮やかな豪邸群を見学し、11世紀に建てられた壮大なヒンドゥー教寺院を訪問するなどして、一週間程かけて、タミルナドゥ州のマドゥライからタンジャーヴールという町まで移動しました。
突然のスコール。そして水浸しになる道路。もはや川。
地域ごとに特色があり、インド料理は本当に奥が深い・・・。そして何を食べても美味しい!毎日食べ過ぎました。
20世紀初頭に豪商が建てたアッタングディ・パレス。目が眩むような豪華さです。
11世紀、チョーラ朝の最盛期に建てられたブリハディーシュワラ寺院。外壁を飾る神々の見事な彫刻には圧倒されます。
全行程を合わせて200キロ近い距離でしたが、移動は全てバスを使いました。ベンガルールで働いていた頃はもっぱら鉄道で旅行していたので、バス旅は不慣れだったのですが、バスの運転手さんと車掌さん、そして乗客の方々の優しさのおかげでなんとかなりました(皆さん本当に親切でした・・・)。インドのバスではなんとなく、前方の席には女性、後方の席には男性が座ることが多いです。混んでいると立ち乗りになるのですが、前の方にいると、運転席の横の謎のスペースに座らされることがあります。これが座り心地は悪くとも結構な特等席で、フロントガラスの目の前なので、ジェットコースターの最前列みたいな気分を味わえます。私の体感ですが、インドのバスは日本のバスより車高が高くてフロントガラスも広々した感じなので、意外と眺めもいいのです。穏やかな田園地帯やヤシの木が立ち並ぶ田舎道、こじんまりした村や活気ある町を通り過ぎるのを眺めながら、車内を流れるインド音楽に身をゆだねるのも、バス旅の特権と言えましょう。
この運転席の横のスペースが特等席?です。全てのバスにあるわけじゃないです。
インド旅行と言えばスナック!バスターミナルに着くたびに売り子さんが寄ってきます。
特等席から前方を向いて、バスが道路を進む様子を見ていると、いくつか気付くことがあります。まず、追い越し車線と対向車線が同じものだということです。私はベンガルールに住んでいた頃、いくら道路が渋滞していようが少しでも隙間があれば入り込み、なんとしてでも前に行こうとする車やバイクやオートリクシャーを見ては、テトリスを思い出しながら、インドに車線という概念はないのだろうかと考えたものです。今回、自分の乗るバスが道路の空いているスペースを縦横無尽に進んでいくの見て、この国で運転する人たちの基本姿勢を思い知る気持ちがしました。二つの車線の間に白線はある、でも空いている方を通った方が早いじゃん、そういうことです。さらに今回新たに気付いたことは、対向車線で優先されるのは対向車ではないということです。どっちの車線を走っていようと、大きくて速くてクラクションのうるさい車両が強いのです。つまり、けたたましくクラクションを鳴らしながら爆走するバスは、ヒエラルキーの頂点に立つわけです。前方を走るオートリクシャーやバイクが、バスから大音量でクラクションを鳴らされて道を空け、対向車線にはみ出しながらバスがそれらを追い越し(クラクションは鳴らしっぱなし)、スピードを上げて向かってくるバスを見て対向車が減速して道を空ける・・・こんな光景を何度も見て、そのシンプルな力関係に気付きました。まさに弱肉強食。情け容赦ないこの世の摂理。一方通行が多く、慢性的に渋滞が発生しているベンガルールにいたままでは、そしてバスという移動手段を選択していなければ、一見したところでは無法地帯のインドの路上に、このような力関係が働いているとは知らないままだったかもしれません。バス旅は、そもそも目的のバスを見つけるのが結構大変だったりするので、気力と体力を使う移動手段ではあるのですが、やはりそれに見合う面白さがあるな、としみじみ思いました。ちなみにインドのバスは妙に年期が入ったガタガタの車体が多く、扉もそもそもなかったりして、たとえ扉があっても開けたまま走っていることがほとんどです。今回の旅行では8台ほどのバスに乗りましたが、どのバスも扉はありませんでした。窓も扉も全開で走るので風が気持ちよく、なんだかよく分からないインド音楽を聴きながら車窓を眺めるのも、旅情を誘われてなかなか乙なものです。
以上、私のインド旅行の報告でした。インドは驚くくらい多様で深遠、複雑怪奇な国で、上記の私の経験談も、この国の表面をちらっとかすめただけに過ぎません。ご興味のある方は、ぜひ一度、ご自身で訪れてみることをお勧めします。用意を念入りにすると現地でのストレスを軽減することができますが、でもやっぱり何事も予定通りに行かないのが、この国の厄介なところであり、魅力的なところです。イライラハラハラした後は、「まあ人生こんなもんだよね!」そんな気分になりますよ。
牛たちものんびり気持ちよさそうです。
(国際渉外担当 太田早耶)
2023年12月7日 11:12
どーも。総館長の中山です。
11月23日に、美術史家で明治学院大学教授の山下裕二さんとプレゼンバトルをしました。当館の古美術作品から「超絶技巧」「ユーモア」「威風堂々」「カワイイ」「これ欲しい!」という五つのお題をもとに互いに自分が好きな作品を選び、赤コーナーと青コーナーに分かれて五ラウンド。本物のゴングも鳴らされながら、おのれの偏愛度を披露しあう、語り合うというトークイベントでした。大勢の方にご来場いただき、和気あいあいにバトルすることができて楽しかったです。
「プレゼンバトル 古美術編!」会場の様子
ということで今回は「偏愛」をおすすめしようと。だいたいが、キリストやブッダじゃあるまいし、「かたよらない愛」などということ自体が大変むずかしい。凡人の愛は大抵、かたよります。でも不平等になってはいけない場合も多い。三人子どもがいるけど、ひとりだけを可愛がるとか。先生がえこひいきするとか。
いまは偏愛ではなく「推し」という便利な言葉がありますね。山下さんの推しメンは、超絶技巧は「病草紙 肥満の女」と「尹大納言絵詞」、ユーモアは「宮本武蔵 布袋見闘鶏図」と「伝・梁楷 鶏骨図」、威風堂々は「壺形土器」、カワイイは「仙厓 犬図」と「弥勒菩薩半跏像」、これ欲しい!は「長次郎黒楽茶碗 銘次郎坊」などでした。いやあ仙厓以外は松永コレクションで、さすが名品ばかりです。
対してわたしは、超絶技巧は「金銀鍍透彫華籠」と「蟹自在」、ユーモアは「岩佐又兵衛 三十六歌仙」と「仙厓 牛図」、威風堂々は「薬師如来立像」と「古林清茂墨蹟」、カワイイは「コブウシ土偶」と「女性土偶」、これ欲しい!は「青磁迦陵頻伽形水注」と「牡丹唐草文螺鈿小刀」でした。
こうして並べてみるとわたしの推しメンは、なんかメチャクチャ? そうなんです。国は日本、中国、タイ、パキスタン、時代は紀元前3000年から19世紀まであって、ジャンルもバラバラです。まあ、当館の約4500点ある古美術作品は地域も時代もジャンルも幅広く、しかも名品もたくさんあるのが特色ですから、なるべくかたよらないで選んで、そしてかたよった愛を語ろうと…。
プレゼンバトルではありましたが、勝った負けたはなし。来場の皆さんもアカデミックじゃない話も含めて楽しんでいただけたと思います。
そうなんです。アカデミックじゃなくていいんです。美術鑑賞は。むしろ、好き嫌いをはっきりさせて、好きなものに関しては「推し」をもっと推し進めて、「偏愛」しまくりましょう。美術館ではえこひいき大歓迎なんです。美術を楽しむ秘訣。それは知識ではなく、愛なのです。というか、好きだったらもっと知りたくなる。で、作品にまつわるいろんなことを調べてみる。さらに「偏愛」が深まる。こうなるともう立派な美術マニアの誕生です。当館のコレクション展示室は年に何回も展示替えをしていますから、来るたびになにかしら新しい作品と出会うことができます。自分勝手にお題を決めて、推しメンをさがす、というのもアリではないでしょうか。
(総館長 中山喜一朗)
2023年11月22日 12:11
現在、近現代美術展示室Bで「九州の女性画家たち2」展を開催中です(~2024年1月21日まで)。昨年度の「九州の女性画家たち」に引き続き、本展も九州にゆかりのある女性の画家たちを紹介しています。
そもそも、美術に関する展覧会の多くは、一つの(または複数の)テーマをもって企画・開催されます。そのテーマは多種多様で、例えば、「奈良原一高」などの特定の個人をテーマとするものもあれば、「古代ローマ」や「戦後日本」など、時代や地域に関するものもあります。「山好き」などの作家や作品に共通する傾向や趣味嗜好をテーマに、複数の作家の作品を集めるグループ展もあります。
今回のテーマは、「(九州の)女性画家」です。
出品作家全員に共通するのは(九州の)女性画家であること。
作品自体に共通した表現が見られるというわけではありません。
ここである種の疑問や違和感を覚えた人もいるのではないでしょうか?
「なぜ女性だけなのか?」
実は、この違和感こそが本展の開催意義と深く関係しているのです。
本展は、当館の収蔵品や作品展示の機会に見るジェンダーのアンバランスさを解決する一つの歩みとして企画されました。ただし、このジェンダーのアンバランスさは、当館だけが抱える問題でもないように思われます。実際、近年同様に「女性」をテーマとする展覧会がいくつも開催されています。
・「Women in Abstraction」
(Gugenheim Bilbao, 2021-2022)
・「Action, Gesture, Paint: Women Artists and Global Abstraction 1940–70」
(Whitechapel Gallery, London, 2023)
・「わたしが描く-コレクションでたどる女性画家たち」
(早稲田大学會津八一記念博物館、2023年)
・「コレクションによる小企画 女性と抽象」
(東京国立近代美術館、2023年)
・「決定版! 女性画家たちの大阪」
(大阪中之島美術館、2023-24年)
などなど。この背景にあるのも、やはり一つには、女性に焦点が当たる機会が少なかった(=ジェンダーのアンバランス)ということであったように思われます。
関連する試みとして記憶に新しいのは、「あいちトリエンナーレ2019」において、参加作家の男女比を同数にするというものでしょうか(「表現の不自由展・その後」をめぐる混乱の方が記憶に残っている方が大半だとは思いますが・・・)。これもまた、ジェンダーのアンバランスを改善する取り組みの一つです。
このような試みが暴き出すのは、いかに男性が、当たり前の権威的存在として美術界に君臨してきたかという制度と構造です。実際のところ、タイトルに「男性」という言葉のついた展覧会を見かけることはあまりないのではないでしょうか?実際は存在しているのかもしれませんが・・・。それは、敢えて「男性」と書かなくとも、出品作家が男性であるという前提、暗黙の了解があるからにほかなりません。一方で、女性作家が参加するときには、展覧会名や作家紹介に「女性」という言葉が使われる機会がしばしばみられます。
ここで、お隣の福岡アジア美術館で開催中の「福岡アジア美術館ベストコレクション」展に目を向けてみます。ここでは、出展作家のリン・ティエンミャオが、「女性アーティストのトップランナー」として紹介されていました。実はこれ、ともすると、彼女は美術業界全体のトップランナーではなく、あくまでもそのなかにいる女性たちのなかのトップランナーであるにすぎない、と言ってるようにも見えてしまいます。
もちろん、福岡アジア美術館にそのような差別意識があったとは思えません。しかし、ほかの男性作家には「男性」とつけず、一方で、彼女を「女性作家」と紹介して区別することには、たとえ意図的でなかったとしても、そこに潜在的な男女差別の意識のあらわれの一端を見てとることも可能なのではないでしょうか。
話は逸れますが、ここで映画を1本紹介します。
2018年制作の『ビリーブ』です。舞台は戦後のアメリカ。主人公は、女性弁護士のルース・ベイダー・ギンズバーグ(1933-2020)。ラッパーのノトーリアスB.I.G.になぞらえられ、R.B.Gという愛称でも親しまれていた実在の人物です。この映画では、後に米国史上2人目となる最高裁判事も務めることになったR.B.Gが、法(社会)における男女不平等と闘っていく姿がえがかれます。ちなみに、彼女を追った『RBG:最強の85歳』というドキュメンタリー映画も製作されています。このブログのタイトル「Being a woman was an impediment (女性であることは足枷でした)」という言葉は、この映画からの引用でした。男女不平等、男女差別は、社会全体が抱えている問題でもあるのです。
閑話休題。
2023年現在、昔と比べて、女性を取り巻く美術の制度や慣習、環境は変わったのでしょうか?女性が社会に出て活躍する機会が増えていることは間違いないでしょう。しかし、SDGs(Sustainable Development Goals)の一つに「ジェンダー平等」が掲げられていることからも、「男女平等」が達成されたとは決して言えません。本展では、一つ一つの作品を、作者の性別に関係なく楽しんで鑑賞していただきたいと思いつつも、同時に、本展の背景にある「ジェンダーのアンバランス」という問題にも意識を向けていただければ幸いです。
(学芸員 近現代美術係 山田隆行)