2023年10月10日 09:10
FaN Weekの開幕日である9月16日(土)、福岡市美術館では、2階近現代美術室Cでは、塩田千春氏によるインスタレーション作品《記憶をたどる船》が公開されました。当館のために制作され、新たに当館のコレクションに加わった作品です。
今回のブログでは、この《記憶をたどる船》について、レポートしたいと思います。
近現代美術室Cで開催中の「コレクションハイライト②美術散歩にでかけよう」、本作は、4つ目のコーナー「歴史と記憶の都市-未来へ」の中央に設置されています。C室に入ると右奥に大きな赤い面が見えるので、順路にさからって見に行きたい衝動に駆られると思いますが、その気持ちはおさえ、まずは順路どおりに進んでください。
©JASPAR, Tokyo, 2023 and Chiharu Shiota
順路にそっていくと、展示室後半、カプーアの青い作品、そしてキーファーの飛行機の先に、本作が姿をあらわします。C室の天井高にあわせて制作されたもので、そのサイズは、高さ5m×幅5m×奥行2.8mと、大変大きな作品です。
©JASPAR, Tokyo, 2023 and Chiharu Shiota
©JASPAR, Tokyo, 2023 and Chiharu Shiota
絵巻物を広げたように斜めに広がるネットから無数の赤い糸が垂れ下がっています。床には、鉄製の船が置かれ、船の上には、船から湧き出たかのようにたくさんの写真が糸の中に散りばめられています。床から天井へとつながる斜めの構図は、過去から未来への時間軸を示しています。船は、過去から現代まで人や荷物を運ぶことで、世界とつながってきた福岡の交流の象徴です。無数の赤い糸は、これまでの、またこれからの航路やそれによって結ばれてきた人のつながりを示しています。散りばめられた写真は、福岡の歴史にまつわる資料や画像、また福岡で撮影された家族写真や記念写真が使われています。
©JASPAR, Tokyo, 2023 and Chiharu Shiota
せっかくですので、本作ができあがるまでの経緯も少しご紹介します。
今回、プランを作成いただく際、当館からは所蔵品として今後長く展示活用していくため、作家がいなくても再設置可能なもの、というリクエストを伝えました。塩田さんといえば、空間全体に糸が張り巡らされているインスタレーション作品がよく知られていると思います。そうした作品は、展示場所にあわせて、その場で数週間かけて制作するのだそうです。しかしその方法では美術館職員だけでは、再設置は困難です。
そこで今回は、塩田さんに事前に来福していただき、この展示室を体感された上で、4つのプランドローイングを制作していただきました。それをもとに、ベルリンのスタジオでの試作を経て、ひとつのプランにしぼり、今回の作品ができあがりました。塩田さんにとっても初めての形状だったそうですが、再設置可能なシンプルな構造でありながら、空間的に広がりのある作品となりました。
本作は、今後常設的に展示していく予定ですが、展示室の改修などどうしてもの場合は、取り外すことが可能です。その場合は、つり下がっている写真をはずし、天井に取り付けているバーをおろし、ネットと糸の部分はくるくると巻いて、船とともに保管、ということになります。
作品の中に使用している約110枚の写真についても触れておきます。福岡の歴史にまつわる資料や画像の多くは、福岡市博物館より多大な協力を得、提供していただきました。また、主にボランティアスタッフに声掛けし、福岡で撮影された家族写真や記念写真の現物を提供していただきました。ご協力いただきました福岡市博物館のみなさま、現物の写真を提供してくださったみなさま、本当にありがとうございました。
本作は、撮影可能となっております。見る角度によって、印象も大きくかわります。さまざまな角度からの鑑賞・撮影を楽しんでください。福岡の歴史や記憶を織り込んだ本作。鑑賞したおひとりおひとりの記憶に織り込まれ、それぞれの物語や未来が紡がれるといいなあと思います。
余談ではありますが、再設置可能だけれども、展示作業が大変なインスタレーションの代表格(自分史上)、福岡アジア美術館所蔵のリン・ティエンミャオ《卵 #3》(→こちらからみられますhttps://faam.city.fukuoka.lg.jp/exhibition/18828/)が、現在「ベストコレクション」展(2024年4月9日 (火)まで)で展示されています。床においているたくさんの糸の球が、中央のバナーの女性像と糸でつながっているという構造ですが、これは毎回展示のたびにひとつひとつつなげていくので、時間を要する作品です。
さて、今年のFaN Weekは10月22日(日)まで、残り約2週間となっております。
当館では、近現代美術室Bにて「コレクターズⅡ アートに生きる3人」が開催中です。
その他、福岡城で開催中の「福岡城アートプロジェクトⅡ:福岡現代作家ファイル2023」には、第1回福岡アートアワードの受賞作家である鎌田友介さん(@伝)潮見櫓)、チョン・ユギョンさん(@旧母里太兵衛邸長屋門)が出品中です。Artist Cafe Fukuokaの旧体育館の「福岡アジア美術館アーティスト・イン・レジデンス成果展」として、ジン・チェ&トーマス・シャイン(チェ+シャイン・アーキテクツ)の作品も必見です。上記、美術館以外の展示は、金、土、日のみですので、ご注意の上、お出かけ下さい。
★★第2回福岡アートアワードのアーティスト募集中(10月31日(火)まで)★★
(近現代美術係長 山木裕子)
2023年9月29日 09:09
どーも。総館長の中山です。
ちょっと変かもしれませんが、いや、歳をとっただけかもしれませんが、わたしは「ロボット」という言葉の響きに郷愁を感じてしまいます。まだ字もろくに読めない頃の、遠くておぼろげな記憶の霧の中に立っているロボットは、アトムではなく鉄人なんです。1950年代の後半、四歳か五歳の頃に月刊誌『少年』で出会った鉄人28号は、月刊誌だけでなく、親にねだって買ってもらった単行本(吹き出しのセリフの一部までおぼえている。アトムの単行本は持っていなかった)や、子供心にも「これ、チャッチイ(幼稚、子供だまし)」と感じてしまった実写のテレビドラマ、テレビまんがとその勇ましい主題歌、グリコのオマケなどとともに、ながいあいだわたしの身近にいたロボットでした。
「日本の巨大ロボット群像」会場より
でも、鉄人の最初の最初は巨大じゃなかった記憶があります。原作者の横山光輝さんは「アトムを意識して鉄人を大きくした」みたいなことをおっしゃったとウェブの記事にはありましたが、この差は、つまり鉄人が初期の頃に巨大になったのは、けっこう重要だったと思うんです。
アトムも好きでしたが、アトムをロボットだと意識してまんがを読んでいた記憶はないんです。アトムはアトムでした。つまりなんというかキャラ。ほぼ人間なんです。人間サイズだし普通にしゃべるし、学校に通っているし、家族もいるし。しかし鉄人は、ガオーとしか言わないし、無表情だし、なにしろロボット。
たぶん人間に「なりたいロボット」と、そんなこと考えもしない「あくまでロボット」の二種類がいるのかもしれません。鉄人を巨大にしたのは、非人間化だったのでしょうか。非人間だからリモコンが悪者の手に渡ると鉄人も平気で悪者になるし、鉄人に善悪は関係ないのです。人間じゃないので、機械なので全然いいわけです。すっきりしている。わたしはすっきりしているのが好きだったのでしょう。お話のなかでいろんなことを考えさせられるのが苦手だったともいえます。
そういう鉄人が好きだったから、当然『マジンガーZ』も『ゲッターロボ』も好きだったわけで、子供とはいえない年齢になってからも「あくまでロボット」アニメをよろこんで見ていました。外からのリモコン操縦ではなくて中に乗り込んで操縦してもマジンガーが人間になるわけではないので「あくまでロボット」のままです。
「日本の巨大ロボット群像」会場より
デザインは凝りに凝るし、変形や合体があたりまえになるし、設定もどんどんリアルになるし(リアルになると機械であることが強調される)、当然のように単なる巨大ロボットのバトルものではない奥行のある作品も登場して、ついには原寸大のリアルな巨大ロボットがあちこちの町に屹立する現代に至り、「日本の巨大ロボット群像」という特別展が美術館学芸員(当館の山口洋三学芸員・現在は福岡アジア美術館学芸課長が監修)によって企画されても全然おかしくない地点にまで、彼らは成熟してきたわけです。わたし自身は、「あくまでロボット」が「モビルスーツ」と呼ばれる頃にはもうオジサンになってしまっていて、プラモデルも作らなくなってしまい、巨大ロボットの世界が広がり進化していく様子を時々チラチラと覗き込むだけで、ほとんどは距離をとって眺めるだけになりました。
「日本の巨大ロボット群像」会場より
海外も含めたロボット文化で思い出すのはアイザック・アシモフがSF小説『われはロボット』(1950年)に登場させた「ロボット工学の三原則」。工学の原則といいながら、SFにミステリ要素をうまく付加して物語を広げていく画期的なアイデアでしたし、ロボットを考えることは人間性とは何かを考えることにつながっているのだと教えられました。しかしそれ以上に、地球人と宇宙人の対立と共存、ロボット差別や反ロボット運動などを描いた『鉄腕アトム』は先駆的だったと思います。人間と機械(人工知能)の関係(共存というか、共栄というか)は、きわめて現代的なテーマです。さすが手塚治虫。幼いわたしは、そういうちょっと重たい問題を意識させられるのが苦手だったわけです。
歳をとったせいか、最近では「なりたいロボット」も気になります。5、6年ほど前の『ニーア オートマタ』というアクションRPG(ビデオゲームでアニメ化もされた)には、異星人が製造した兵器である機械生命体(みごとにロボットらしいロボット)が、地球を侵略して破壊しているくせに、いつしか人間の文化に興味を持ち、人間になりたがって…という設定があるんです。これを迎え撃つ地球側も戦闘員は人外のアンドロイドで、彼らも自らの意思と感情を持つ、持たないという葛藤があって…というような「なりたいロボット」全開の作品で、廃墟とロボットのスクラップに、心をつかまれました。
番号で呼ばれる鉄人よりもアストロボーイ(アトム)のほうがずっと人間(ボーイ)ですし、グローバルというか、海外の人たち、特に欧米の人たちにも理解しやすいのでしょうか。しゃべりもしないし感情も持っていない「あくまでロボット」には共感しにくい。ただ、巨大ロボットのメカっぽいのが変形したり合体したりするのは理屈抜きに好きだし…ということで巨額の製作費をかけて映画『トランスフォーマー』(ロボットじゃなくて宇宙人ですけど)を作ったのかなあ。巨大ロボットと怪獣がバトルする『パシフィック・リム』のようなウソみたいに日本的な世界観の超大作もありますが、巨大ロボットが物語の中心に立っている世界は間違いなく日本独特のものです。そうです。「日本の巨大ロボット群像」は、展覧会タイトルに「日本の…」とつけなくても問題はありません。海外にはこういう群像、ありませんから。「日本の…」とつけているのはわざと強調しているのでしょう。
ところで、わたしたち日本人は「鳥獣戯画」のむかしから、擬人化・キャラ作りは得意でした。民族的特技といってもいいくらいです。まんがやアニメのヒーロー・ヒロイン、怪物、怪人、妖怪、怪獣なんかの、ヒトガタのバリエーションをみても、民族的な才能なのは明らかです。キャラが主導でストーリーを紡ぎだす。日本で生み出された無数のキャラが世界を席巻している現状も納得です。コスプレまで伝染するとは意外でしたけど。アニメを実写化したくなる性癖の持ち主なら納得ですかね。
「あくまでロボット」の同類を、ロボット以外の日本文化でさがすとしたら、妖怪の一種である「付喪神(つくもがみ)」が近いかもしれません。ちょっと待って。『妖怪人間ベム』は「はやくニンゲンになりたーい」だったのではと反論されそうですね。でもね、ベムもベラもベロも彼らが活躍している町も、どう見ても日本じゃないでしょ。『妖怪人間ベム』は、ヒトが一番エライ世界、西洋文化の妖怪です。「オバケにゃ学校も試験もなんにもない」から人間よりも楽しいのが日本の妖怪なんじゃないかな。
「付喪神」は人間に長く使われてきた道具に精霊が宿ったものなのでロボットに近いような気がします。人間じゃなくて精霊がリモコンを動かしてるのでロボットではなくて妖怪なのですね。悪さもする。そもそも百年経った道具たちは人間になりたくて「付喪神」になったわけではないのです。人間なんぞ無視して神的な、妖怪的な、ヒトとは別の存在になったのだと思います。
それって日本のアニミズムでしょと言われてしまうとそれまでなんですが、そのうち古くなって、壊れて、役にたたなくなって、捨てられてしまうのが道具です。そんな道具を、神さまはさすがにちょっとおこがましいからと「付喪神」にする。モノに対する愛着は、職人的な気質から来るのかもしれません。「日本の巨大ロボット群像」を見ていると、そういう職人気質も感じてしまいます。ヒトとヒトは対立し、争いもするけれど、ヒトとモノはつねに幸せな関係だというような感覚があるのかもしれません。
さて、今回はずい分長くなってしまいました。お付き合いいただき感謝です。でもこんなふうにグダグダと書いてきて、やっと4、5歳のわたしがアトムではなく鉄人に惹かれた理由もわかった気がします。わたしは鉄人を操縦する少年探偵金田正太郎が好きだったわけではないのです。嫌いでもないですけど。あくまでもロボットの鉄人が好きでした。鉄人はロボットです。あんなに大きくて強いけれど、自分が持っているオモチャと同じモノです。たぶん、そのうち古くなって、いつか壊れて、最後は捨てられる。動いていない鉄人の絵を眺めていて、わたしはそれを知りました。だから大好きだったし、だから「ロボット」という響きに、郷愁をおぼえるのです。
(総館長 中山喜一朗)
2023年9月21日 17:09
9月13日(水)より企画展「朝鮮王朝の絵画―山水・人物・花鳥―」が開幕いたしました。(10月22日まで、会場:古美術企画展示室)
展示風景
本展は、1392年に創建され500年以上も続いた朝鮮王朝の時代に描かれた絵画44件を山水・人物・花鳥というジャンルごとに紹介するものです。朝鮮王朝といえば、『チャングムの誓い』などの韓国歴史ドラマの舞台としてご存じの方も多いことでしょう。ですが、この時代に描かれた絵画、と言われてパッとイメージできる方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。
それもそのはず。日本において、朝鮮王朝の時代に描かれた絵画をまとまって所蔵している美術館、博物館は数えるほどしかありませんし、それらを体系的に紹介するような展覧会は5~10年に1度開催される程度です。
かく言う私も展覧会準備を始めた頃は、「全部の作品が同じに見えるぞ…」なんて思いながら調査を進めていました。ところが、不思議なものでたくさんの数を見ていくうちに目が慣れてきて作品ごとの個性や見どころが自然と分かるようになっていきます。朝鮮王朝の絵画なんて見たことがない、という方でもご心配なく。この展覧会を見終わる頃にはその魅力のとりこになっているはずです。それでは、本展の出品作品を通して展覧会の見どころについてご紹介いたします。
まずは展覧会のポスター画像にも使用している「文清」印《倣郭煕秋景山水図》について。
「文清」印《倣郭煕秋景山水図》
本作の見どころはなんといっても、画面の真ん中に大きな山を配置したスケールの大きさにあります。この作品には山の巨大さを伝えるための様々な工夫が施されています。例えば、画面の右には流れ落ちる瀧が見えます。
文清」印《倣郭煕秋景山水図》(部分)
上空から真下を見下ろすような視点で描かれており、この山がいかに高いかがお分かりいただけるでしょう。また、画面の左へ目をやると、なだらかな丘が連なっており、分厚い山が奥へと続いている様子がうかがわれます。
「文清」印《倣郭煕秋景山水図》(部分)
また、画中に小さく描かれた人物も山の巨大さをあらわすのに一役買っています。
「文清」印《倣郭煕秋景山水図》(部分)
このような山水画は中国・北宋時代に活躍した郭煕が得意としたもので、本作は郭煕が描いた山水図を朝鮮時代に忠実に写した作品と考えられています。
朝鮮時代は、このような大自然の雄大さ崇高さを伝えるような山水画が多く描かれた一方で、より身近さを感じさせる山水画も多くあります。
例えば、「秋月」印《楼閣山水図》を見てみましょう。
「秋月」印《楼閣山水図》
先ほどと違って、山や楼閣などのモチーフが画面の右側へ寄せられています。これにより左半分が余白となり、開放感のある画面構成となっています。また人物が大きく描かれているのも特徴です。拡大してみると、笑顔で談笑している様子が分かります。
「秋月」印《楼閣山水図》(部分)
とぼけたようなロバの表情も愛らしく、全体に親しみやすい作品に仕上がっています。
本展では、山水画以外にも様々な作品を展示しています。官僚たちが宴席に興じる様子を描いた契会図にも是非ご注目ください。
夏官契会図
会の参加者に記念品として配るための作品で、出席者の名前や役職、出身地まで記載されているのが大きな特徴です。この作品を作るためには会の出席者を確定させ、それぞれの個人情報を調べて、絵を発注して…、と様々な準備が必要だったことは想像に難くなく、現在の飲み会の幹事さんのような様々な苦労があっただろうと思うのです。当時の官僚たちが様々な権力争いを繰り広げたことは韓国ドラマがお好きな方であれば、よくご存じのことでしょう。宴会の記念品とはいえ非常に緊張感のある仕事だったのではないでしょうか。
他にも、動植物の華麗な姿を描いた花鳥図にも魅力的な作品が数多くあります。このブログで紹介できたのは、ほんの一部だけ。残りは会場で是非ご覧ください!
(学芸員 古美術担当 宮田太樹)