2023年5月5日 14:05
初めてブログに登場します、この春に福岡市美術館の一員となりました、髙田です。これまで現代のやきものを扱う私立美術館の学芸員として働いてきましたが、4月から教育普及担当として福岡市美術館の活動に加わりますので、どうぞよろしくお願いいたします。いまは新しい職場に飛び込み、汗をかきながら仕事に取り組んでいますが、今度の転職に伴い初めて九州に住むことになったので、実は福岡市に引っ越してきてからもまだ一か月余り。福岡は外食でもスーパーでもお肉のクオリティが高いな、とか、街に自転車屋さん多く感じるのは気のせいだろうか?など、毎日美術以外のことにも好奇心を膨らませてアンテナを張りつつ過ごしています。
このブログでは、教育普及活動やプログラムをご紹介することが多くなると思いますが、今回はブログの担当もお初ということで、個人的な感想になりますが、働き始めた福岡市美術館の建物についてとくに素敵だな、と感じたことがあり、お伝えしてみたいと思います。
就職試験を受けに来た時には、緊張で施設をじっくり見まわしたり観察する余裕は全くなかったのですが、改めて通い始めると、福岡市美術館の建物にはおお!と感動する造作ポイントが色々あります。中でも気になったのが美術館の「壁(タイル)」です。
設計者の前川國男さん(1905~1986)は日本を代表する建築家で国内各地の美術館を手掛けており、福岡市美術館もそのうちのひとつ、1979年の竣工です。前川さん設計の美術館といえば、東京都美術館もたしかに外壁が茶色くてこんなカマボコ型アーチのあるエントランスだったな、そういえば地面もタイル敷の模様のあるものだったなと、私自身の記憶の中の前川建築の印象につながる特徴を見つけたのですが、福岡市美を眺めていると、なんだか外壁の色合いが独特で、とても深みがあってピカピカしているのが気になります。そこで遠目からは茶色一色に見える壁面に近づくと、釉薬の掛かったタイル貼りであることがわかりました。ただ、そのタイルは場所によって形が様々で、貼り方も建物の一階辺り、下側は横向きにタイルが貼り渡してあるのに対して、上の方は正方形のタイルを斜め45度に傾けていたり(「四半張り」というそう)、かなり複雑なやり方をしています。
興味が湧いて調べてみると、建物外装にタイルを使うのは前川建築の特色のひとつで、耐久性を高めるため「打ち込みタイル」という独自の工法を編み出し、設計する現場ごとに形や焼き方も工夫していたということを知りました。写真に写るタイルに開いた丸い穴は、壁をコンクリートの打ち込みで施工する際に、生コンクリートを流す型枠と桟木にタイルを固定した跡で、これによって壁とタイルがしっかり一体成形されるため、タイルが剥落しにくくなり、堅牢性が高まるのだそうです。
壁面のタイルには所々穴が開いています
さらにタイルをじっくり観察してみると、微妙に異なる焼き上がりの釉薬の色、表面の艶感や下の素地のザラザラとした味わいが、やきものとして見てもとても魅力的に思えてきます。タイルの形も、角や切り口はシャープに処理されているのに個々のラインには手仕事のような揺らぎや柔らかさがあり、なんだか贅沢さを感じます。
たっぷり掛かった釉薬がカリントウみたいで美味しそうに見えてきました
タイルの種類としては、「磁器質タイル」(タイルの規格分類で使用される素材、吸水率の違いで分けられる)と呼ばれるものとのことですが、釉薬の下の素地にはかなり粗い砂のような粒が見えており、これはやきものの粘土として考えると、土に含まれる珪石(石英)の粒だと思われます。陶器にもこうした粒が入った粘土はよく使われていて、ちょうど、6月11日(日)まで1階の古美術・コレクション展示室に出品中の《信楽檜垣文壺》(15世紀)の表面にも、少し似た肌合いを見つけることができました。美術館の壁面タイルが作られた愛知県常滑市と、壺の産地である滋賀県の信楽は、どちらも古くからの伝統がある窯業地です。建物の壁面と壺ではスケール感がだいぶ異なりますが、どちらもやきものという括りで見ると、そうか、つながりが無いとは言えないなぁと、美術館の周りをぐるりと巡って歩きながら考えました。信楽壺の方は美術品としてケースに入り、触れることが出来ませんが、美術館の壁は触ることが可能です。壁のタイルに触れて様子を確かめていただいてから壺を見ると、感触が少し想像できるかもしれません。
《信楽檜垣文壺》(15世紀)松永コレクション
今回はこのまま美術館の外の話で終わってしまいますが、連休明けの5月13日(土)~21日(日)は、「福岡ミュージアムウィーク2023」が開催となり、期間中はコレクション展の観覧料が無料となります。どうぞ足を運んでいただき、建物と展示作品の両方を楽しんでいただければと思います。初めのてのブログに何を書こうかなと思い、まずは気になった美術館の壁をおして(推して)みました!
(学芸係長 教育普及担当 髙田瑠美)
2023年4月26日 09:04
どーも。総館長の中山です。
おおむかし、新人学芸員になりたての頃、ひそかに四つの目標を立てたんです。①観覧者10万人以上の展覧会。②専門誌『国華』に論文。③立てても倒れない本を出版。④すごいお宝作品を発見。いやはや、われながらガキでした。しかしラッキーなことに10年もたたないうちに全部叶えられました。当時は、「…ということは、あとは余生だな」などと好き勝手に解釈し、好き勝手なことばかりしていたような気がします。
一番むずかしいと思っていた④の目標を叶えてくれたのが、いま古美術のコレクション展示室で開催中の「全部見せます!岩佐又兵衛《三十六歌仙》」で展示している「三十六歌仙絵(若宮本)」なんです。あれは学芸員になって4年たった1985(昭和60)年の正月のことでした。
「これ、近くの神社が放生会のときに公開した室町時代の歌仙絵らしいですが、どうなんでしょうか」とスナップ写真を見せてくださった宮若市在住の小田さん(当館に作品を寄託されていた)。そんな値打ちがあるのかしらという小田さんのお顔を今でも思い出します。ひと目見て「やばい!これ岩佐又兵衛かも。だったらすごいけど…」と心臓がバクバク。しかしそこはそれ、専門家ヅラして自重し、「そうですねえ。添え状からすると、和歌の筆者は室町時代の公家たちだということですが、絵のほうは画風からして室町時代まで遡らないかもしれません。でも江戸初期くらいはあるかなあ。いい作品だと思います。…あの、これ、その…実物を見られますかね」
調査が実現したのは5月15日。当時の若宮町役場の会議室。いろいろ事情があって、歌仙絵は神社ではなく町役場の収入役の金庫にながーいあいだ、しまわれていたんです。収入役や若宮神社の宮司斎藤さん、神社の奉賛会の会長だった有本さん、小田さんなどが見守るなか、わたしに同行してくれた先輩学芸員の田鍋さんとともに、けっこう古びて傷んでいる折本装の最初の表紙をおそるおそるめくりました。現れたのは御簾越しに描かれた後鳥羽院。
後鳥羽院・若宮本
ああやっぱり、これ又兵衛だと、また心臓がバクバク。36枚すべてを写真撮影したり採寸したりしたあと、「あのこれ、岩佐又兵衛の真作だと思います。又兵衛は江戸初期に活躍した有名な絵師で…」と黙って見守っていたみなさんに説明しました。みなさんキョトンとされてたなあ。
「いわさまたべえ? 誰ですな? …後藤又兵衛の親戚ですかいな?」
「アハハ。違います。織田信長に謀反した荒木村重の息子です」
それからめまぐるしく色んなことがありました。学会での発表。新聞の一面報道。NHKの番組制作。当館への寄託。一冊五万円の復刻版制作(千部完売)。全面的な修復。福岡県警のパトカーが先導してくれた里帰り展示。地元の温泉旅館に「三十六歌仙の湯」もできたりして…。
岩佐又兵衛の歌仙絵で36枚すべてがそろった二組目(一組目は埼玉県川越市の仙波東照宮にある重要文化財の扁額作品)として美術史界では全国的に有名になった若宮本が呼び水となり、永らく所在不明だった「三十六歌仙絵(旧上野家本)」が出現して首尾よく当館が購入したことは、なかでも大きなトピックだったと思います。これで全揃い三組中二組が福岡市美術館に収蔵されたわけですから。
柿本人麻呂・旧上野家本
ということで現在開催中の「全部見せます!岩佐又兵衛《三十六歌仙》」には、裏話がてんこ盛りです。若き日の傑作である旧上野家本と、名を成した晩年の若宮本が全部そろって展示されているのですから、見比べてみる絶好の機会です。描かれている歌仙の顔ぶれも表現も、全然違いますよ。それに、両方ともなかなか解けない謎もあります。
さて、摂津有岡城で城主荒木村重の落胤として生まれ、まだ二歳だったときに父村重が信長に反旗を翻し、乳母に背負われて攻め落とされる城から命からがら脱出した又兵衛は、信長と敵対していた石山本願寺に匿われて京都で育ちます。成長した彼は武門の再興をあきらめて絵師として生きることを選び、京都、福井、江戸へと活躍の場を移しながら、晩年は絵師としての名声を得ていくのです。
数奇な運命に翻弄された人生を送った又兵衛ですが、まさか縁もゆかりもない福岡(じつは結構あるのですが)で歌仙絵の両極ともいうべき自作がずらりとならべられているなんて、絶対にびっくりしてると思います。
(総館長 中山喜一朗)
2023年4月13日 15:04
新型コロナウイルスの流行により、約3年間お休みをしていた当館ガイドボランティアによるギャラリーツアー。ギャラリーツアーは毎日(休館日を除く)11時と14時に実施しているツアーで、ガイドボランティアがコレクション展の展示作品から3点を選び紹介するというもの。コロナ以前は毎日実施していました。ボランティアさんたちにとっても、美術館にとってもとても長かったこの3年でしたが、ようやく4月11日(火)からギャラリーツアーを再開いたしました。
このギャラリーツアーの1つの特徴は、いわゆる作品解説ではなく、お客様と「一緒に」鑑賞するというところにあります。つまり、ボランティアが一方的に作品に関する知識を伝えることはせず、その場で初めて会ったお客様たちと、時間をかけてじっくり作品を鑑賞していきます。具体的には、作品のどんなところが気になったか、どんな気づきがあったかを参加者に尋ねながら共有し、鑑賞を深めていきます。当然、人によって作品の見方はそれぞれですが、他方、誰かと一緒に作品をみる楽しみって、経験したことがない方がほとんどではないでしょうか。ボランティアさんたちは、このツアーのために何度も研修をし、ツアー再開に備えてきました。
さて、4月11日(火)。ツアー再開初日です。ツアーの集合場所をのぞいてみると、緊張の面持ちを浮かべたボランティアNさんの姿が。実は、Nさんは、4年前のボランティア募集に応募してくださったのですが、ちょうど研修を終えたところで新型コロナウイルスの流行に見舞われ、3年越しのツアーデビューだったのです。いつもは、にこやかなNさんも、この日はソワソワと落ち着かない様子でお客様を待っていました。
緊張しながら、参加者を待つボランティアさん
さて、そこへ参加希望のお客様が2名やってきました。お2人とも、福岡市美術館は初めてとのこと。さあ、ここからNさんのツアーに同行してみましょう。
参加者へ自己紹介をするボランティアさん
ツアーで紹介する作品は、1階ロビーの看板で確認できます
まず、最初にボランティアNさんが選んだのが、1階古美術展示室に展示されている野々村仁清《色絵吉野山図茶壺》。1階の展示室は自動扉で閉ざされ、外からは中が見えません。展示室へ足を踏み入れると、明るかったロビーから雰囲気のある薄暗い照明に変わり、その演出が「何があるんだろう?」と参加者の気持ちを高めていきます。
いざ古美術展示室へ
《色絵吉野山図茶壺》の前にたどり着き「まず、じっくりと作品を見てください」というボランティアNさんの言葉で、鑑賞が始まりました。参加者のお2人は、作品の周りをゆっくりと歩き、近づいたり、立ち止まってかかんでみたり、さまざまな角度から作品を観察していました。「何か気づいたことはありますか?」というボランティアNさんの問いかけに「山がある」とか「桜の花かな?」など、それぞれの発見を共有し、それをボランティアさんが繋ぎ合わせていきます。最後に参加者のお1人が「正面ではないかもしれないけど、私はこの位置から見るのが好き」と作品の斜めに立っておっしゃいました。もう1人の参加者も「本当。照明の当たり方で、この角度がきれいですね」と共感し、ボランティアNさんと3人で顔を見合わせ微笑んでいた姿がとても印象的でした。
野々村仁清《色絵吉野山図茶壺》江戸時代
作品を鑑賞している様子
さて、ツアーは次の作品へ。2階にある近現代美術室へ移動し、作品を2つ鑑賞しました。近現代美術作品も古美術作品と同様に、作品を一緒に見るというスタイルでツアーは進みます。3つの作品を鑑賞していく中で、ツアーを担当したボランティアNさんと参加者のお2人の距離感がどんどんと縮まっていくのが、皆さんの視線や表情、また向き合うつま先の方向などからよく伝わってきました。コロナ以前は、当然だった作品について展示室で話しをするという行為のありがたさ、そしてその楽しみを改めて実感する、このギャラリーツアーの再開でした。
近現代美術作品を鑑賞中
近現代美術作品を鑑賞中
今回ご紹介したガイドボランティアのツアーは毎日11時と14時に開催しています。当館のコレクション作品のみならず、ボランティアさんとの出会いもこのツアーの魅力だと、手前味噌ながら感じています。ぜひお気軽にご参加ください。
※ギャラリーツアーの詳細は下記URLをご覧ください。
https://www.fukuoka-art-museum.jp/event/3971/
(学芸員 教育普及担当 﨑田明香)