2020年11月12日 13:11
最近、美術館で小さなこどもを連れた人をよく見かけるようになったと思いませんか?え、こどもと美術館?無理でしょ、と思った方も多いかもしれません。
福岡市美術館では、毎年11月3日の開館記念日の前後3日間に、ファミリーDAYを開催しています。ファミリーDAYはこどもと一緒に親子で美術館を楽しむための3日間です。毎年、美術館に初めて来たというファミリーがたくさん参加しています。
今年は、新型コロナウイルス感染症の影響もあって、美術館で開催するプログラムに加えて、オンラインのワークショップや、動画の制作にも初挑戦しました。10月22日のブログで紹介した、飼育員さんとのコラボ企画もその1つです。(ブログはこちらから)
中でも、オンラインワークショップは全く初めての試みです。タイトルは「つくろう!羽ばたく色トリ鳥」(ダジャレ)。アーティストの佐土嶋洋佳(さどしまひろか)さんを講師に迎え、当館所蔵の古美術作品《百鳥図》を鑑賞した後で、自分の「羽ばたくトリ」を制作するワークショップを行いました。
伝・辺文進《百鳥図》明時代
初めての試みで、苦労もありましたが、当日は佐土嶋さんが丁寧に制作の説明をし、分からないところは質問をしてもらうという流れで、順調に進みました。分割されたモニター画面の中で、24組の親子が、楽しそうに会話しながら、時に真剣に「羽ばたくトリ」を作る姿は、見ているこちらも思わず微笑んでしまうような光景でした。最後に、全員で自分の作った「トリ」を画面いっぱいに羽ばたかせて、ワークショップは無事に終了しました。
オンラインワークショップで、講師の佐土嶋さんが参加者に話しかけている様子。
モニターを見ながら参加者とコミュニケーションをとります。
オンラインワークショップの難しいところは、参加者と「場の空気」を共有できないこと。当たり前かもしれませんが、実際に面と向かって「対話」するのと、画面を通して「会話」するのとは、違うものです。オンライン上では、相手の細かい表情の変化を読み取ることが難しく、伝わっているか、退屈していないか、判断しにくくなります。人って(もしかすると動物も?)相手の顔色を見ながら、コミュニケーションを取っているんだなーとつくづく感じました。
一方で、美術館で開催したプログラムにも、たくさんの親子が参加してくれました。展示作品のクイズに答えてお宝をみつける「かいとうキッズ!お宝みっけ」や、ガイドマップを見て、親子で会話をしながら作品鑑賞をする「ガイドマップで君もアートマスター」など、驚くことに参加者数は過去最大となりました。
作品のクイズに答える「かいとうキッズ!お宝みっけ」に挑戦。
クイズの答え合わせをしたら、くじ引きをしてお宝を手に。やった!
美術館に来た親子のアンケートでは「普段は子連れで気軽には入れないので、今日は楽しかった」「おしゃべりしていいのが良かった」という声が多く、今後も「行ったことないけど、こどもと美術館に行ってみようか!」と思ってもらえる活動を続けていきたいと心新たにしました。やっぱり親子の笑顔があふれる美術館っていいものです。
ガイドマップをヒントに作品鑑賞中。何が描いてあるのかな?
(学芸員 教育普及担当 﨑田明香)
2020年11月4日 12:11
どーも。総館長の中山です。昨日、11月3日文化の日は、当館の41回目の誕生日だったのですが、そんな開館記念日にふさわしく、うれしいことがありました。福岡市美術館の最初の学芸員であり、福岡アジア美術館の初代館長を務めた安永幸一さんが、西日本文化賞(地域の文化向上や発展に貢献した個人・団体に西日本新聞社から贈られる賞)を受賞され、その授賞式があったのです。
ダイバーシティ(多様性)を謳い、アジアのリーダー都市をめざす福岡市ですが、40年前に福岡市美術館が開館特別展「近代アジアの美術 インド・中国・日本」を企画、開催し、その後もアジア美術展を継続してきたことは、欧米偏重だった日本の美術館や美術界に、それこそ多様な視点と多様な価値観を持ち込んだ第一歩だったように思われます。その陣頭指揮を執ったのが安永さん。1999年には20年間の活動の結実として福岡アジア美術館が開館し、初代館長に迎えられました。
ところで、安永さんはわたしが学芸員として採用された時(1981年)の学芸課長でした。今でも鮮明に覚えてますが、私ともうひとりの新人学芸員が並んで座っている机から、応接セットを挟んだ真正面に安永さんの机があって、何しろ顔をあげると目と目が合う”危険性”が常にあったんです。いやあ、ビシビシ鍛えられました。誰かが「鬼軍曹」と言っていたようなおぼろな記憶もあります。ミスをしたり期待に応えられなかったり、出来の悪い私としては反論の余地なしなんですが、褒められたことよりも叱られたことのほうが圧倒的に多かったりして。企画展カタログのエッセイを最初から全部書き直し、ということもありましたね。
安永さんから、学芸員は時に勇猛果敢に決断し、実行し、どんどん前に進んでいくべきだということを学びました。いまだに、安永さんほどエネルギッシュな学芸員を知りません。ほぼ40年前のことです。え、そんな昔になるのか…。不肖の弟子も年をとりました。
これからも福岡の文化のため、お元気で活躍していただきたく思います。いつまでも偉大な大先輩としてご指導ください。ただ、さすがにビシビシは勘弁ですけど。そういえば、あの頃、六本松の雀荘でも週に数回、中国語の勉強をビシビシ指導されたなあ。
(総館長 中山喜一朗)
前列右から2番目が安永幸一大先輩。後ろ中央は奥様(中山撮影)
2020年10月28日 11:10
10月17日より「藤田嗣治と彼が愛した布たち」展が開幕しました。
2016年、2018年と生誕、没後の周年が続き、立て続けに藤田嗣治の大規模な回顧展が他都市で開催されましたが、本展は主要作品を総覧する回顧展ではなく、「布」というテーマで藤田の作品を再照射するという、いわば「各論」に入る展覧会です。運営部長・学芸課長の岩永悦子が長年の染織研究の成果から藤田の作品を見直すという視点と趣旨に賛同いただき、コロナ禍にも拘らず本展には国内外の所蔵美術館、所蔵家のみなさんが貴重な作品貸し出しに応じてくださいました。福岡では中々見る機会のない戦争記録画も1点出品しています。つまり各論と言っても藤田の主要作品はほぼ網羅していますので、「藤田の作品に触れるのは初めて」というお客さんにも十分楽しんでいただけると思います。
私は、今回岩永部長をサポートする役で、広報物、図録の作成に関わり、関東地方の美術館、所蔵家を訪問して出品作品の集荷をしました。
藤田嗣治は作品だけでなくその存在自体に興味を持っておりましたので、スケジュール逼迫^^の中楽しみながら仕事を進めました。
本展のテーマと少しズレますが、私は、藤田は「現代美術のスター作家」の先駆ではないかと思っています。
「藤田嗣治(レオナール・フジタ)」と聞いて皆さんどんなイメージが浮かびますか。
乳白色の画面に描かれた裸婦?確かに。ではその中で特定の作品が思い浮かびますか?(多分そこは曖昧)
猫を抱いた丸メガネ、オカッパ頭の姿も同時に思い出すのでは?
実際その姿で描かれた自画像も今回出品していますね。
自分にしかできない技法で描く作品をトレードマークにして、服装や容姿まで自作した藤田に、例えば岡本太郎、草間彌生、横尾忠則、そして村上隆といった戦後か現代にかけての著名美術家の姿を連想するのはさほど的外れではないのではないでしょうか?さらにここにはサルバドール・ダリやアンディ・ウォーホルといった海外の美術家を加えてもいいでしょう。彼・彼女たちは、誰も真似ができない作品とともにその容姿のイメージがついて回ります。「作家そのもの」が作品。20世紀以降マスメディアが発達し、美術が大衆化していく中で美術家も「著名人」となっていきます。するとその人物像が注目を集め、ちょっとした発言や行動すら価値を持ち始めます。また若い美術家も藤田に注目。実際藤田は若い世代の才能にも注目し、海老原喜之助や岡田謙三を指導し、吉原治良や桂ゆきの才能を認めています(10/27から近現代美術室Aで開幕した「藤田嗣治と関わった画家たち」も合わせて是非ご覧ください。藤田の人たらしぶりがよくわかります)。
「セルフ・プロデュース」も現代の美術家として生き残って行くための重要な能力となっていったのです。
国の要請に従って多数の戦争画を渾身の力で描き、結果画家仲間から戦犯画家の汚名を着せられ、フランスに再度渡って国籍を変え「レオナール」と名乗るようになったことはまさか計算づくではないでしょうが、フランスと日本を股にかけての活動を振り返って見ると、その立ち振る舞いはあまりに劇的です。そして日本から持ち出した多数の染織品が終の住処に残されていたことを本展で知るとき、「画家は死んでからが勝負」という村上隆の言葉の深い意味を思い知るのです。
(学芸係長 近現代美術担当 山口洋三 )