2025年12月24日 11:12

田中千智《生きている壁画》第3期
あっという間に年末です。もう2025年を使い果たしてしまったのか!?と、おろおろするばかり。いつも、このブログを書いている時には一年を振り返りますが、今年は「この1年間」ではなく、「この3年間」を振り返ってみたいと思います。そう、12月27日は、3年間ともに過ごした田中千智さんの壁画《生きている壁画》とのお別れの時なのです。
今から3年前の2022年のブログには、KYNEさんの壁画へのお別れの言葉を書きました。まだそのころは、コロナの名残があったころでした(翌2023年に5類に引き下げになりましたね)。
明けて2023年の1月から、田中さんの壁画制作が始まりました。真黒な背景に一人、また一人と人物が浮かび上がっていきます。そして出来上がった作品は、まばらな木立に人間や動物が登場しつつ、静けさに満ちていて物語がこれから展開するだろうという予感をただよわせたものでした。

田中千智《生きている壁画》第1期
2024年の1月に、物語は一気に変化します。その年、1月1日に能登半島地震があり、2日には羽田空港地上衝突事故があり、正月早々日本全体が震撼したのでした。前年に始まりながら、予想に反して一向に決着しないウクライナとロシアの戦い、そして日本を襲った大災害。第2期の画面は、加筆というような生易しい言葉では言い表せないほどの、劇的な変化を見せます。作品ってこんなに一気に変わるのだと、茫然としたことを覚えています。

田中千智《生きている壁画》第2期
2025年の1月。今度はどんな変化が起こるのだろう。戦火はウクライナ-ロシアから、パレスチナーイスラエルへと広がり、災害も世界各地で起こっています。最終年である第3期では、戦禍の痕跡がより広がり、世界がより混沌とした姿へと変貌を遂げています。木立がなくなり、鑑賞者も絵の中に取り込まれるように感じます。
3期にわけて振り返ると、その時々のわたしたちの思い、その変化が画面に投影されていたと感じます。壁画の展示は27日までですが、この後も時代を映す鏡として変化し続けるのではないかと想像してしまいます。田中さん、素晴らしい作品を本当にありがとうございました。

田中千智《生きている壁画》第3期
1月から、壁画の第3弾として、浦川大志さんの壁画制作が始まります!乞うご期待!
(館長 岩永悦子)
2025年9月23日 12:09

『福岡現代作家ファイル2025 牛島智子《くちなしパンを食み スピンするウサギ》』
*キャプションのある写真以外は、上記展覧会の会場風景
天神のONE FUKUOKA BLDG.(ワンビル)1階に展示されている、『福岡現代作家ファイル2025 牛島智子《くちなしパンを食み スピンするウサギ》』(−9月28日)をもうごらんになったでしょうか。ワンビルの吹き抜けの空間に広がるのは、ウサギを表した立体、平面の作品や正多面体のオブジェ、周期表をモチーフにした平面作品やシェイプトキャンバスの作品たち。八女市出身の牛島智子さんは、1980年代から平面と立体を横断する制作をされており、近年特に精力的に展覧会を重ねておられます。2024年度には第3回福岡アートアワードの市長賞を受賞され、作品を当館で収蔵することができました。
今回の展示の主役である、八女和紙で作られた高さ6mの《大ウサギ》については、FaN Weekオープニングセレモニーのスピーチで、牛島さんご自身が、ウサギといえば、福岡市美術館のバリー・フラナガンで、と言及されていました。福岡市美術館の《三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ》と、最新作《大ウサギ》はどんな関係にあるのか。詳しく知りたくなり、牛島さんにお話を伺ってみました。

(左・中央) 牛島智子《大ウサギ》 (右) バリー・フラナガン《三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ》
今回、ワンビルの展示のキュレーションをされたのは、九州産業大学美術館館長の大日方欣一さん。大日方さんは2024年に開催された同美術館での牛島さんの個展『卒業生プロの世界vol.9 牛島智子「ホクソ笑む葉緑素」』のキュレーターでもあります。さらに、長年牛島さんを紹介してこられたギャラリー「EUREKA(エウレカ)」の牧野身紀さんの協力によって、この展示は完成しました。
九産大での個展の準備の最中に、大日方さんが講師をされた『もしも… 大辻清司の写真と言葉』展(2024年6月8日-7月28日、九州産業大学美術館)の公開連続講座を聴講した牛島さんは、そこで1970年の「日本国際美術展(東京ビエンナーレ)」のために来日して作品を設置しているバリー・フラナガンを、大辻が撮影した写真に出会います。
フラナガンがウサギのシリーズを製作する10年近く前のことで、モノ(同展では砂やダンボール紙など)をそのまま用いてインスタレーションしていました。牛島さんには、同じ作品を写した別のカメラマンによるかっちりした写真からは感じられなかった「ラフさ」に、フラナガンらしさを感じたといいます。
「物質性は強いけれど、軽さがある。フラナガン自身、大辻のその写真を気に入って欲しがったそうです。フラナガンは後に具象彫刻という全く異なる表現を立ち上げたけれど、ブロンズという重量感のある素材を用いながら、ウサギの躍動感、軽やかさが表されていて、両義性があるという点では、70年代の作品と共通していると思いました。フラナガンは、ブロンズから「生きているウサギ」をつかみ出していますよね」と。
大辻清司によるバリー・フラナガンの写真から新たに感ずるところがあった牛島さん。そのいきさつを踏まえて、とあるプロジェクトに応募する際に「スピンするウサギ」というプランを構想しました。そのプランはプロジェクトには採用されなかったのですが、より大きな舞台としてワンビルの話が舞い込んできて、暖めていたプランをスケールアップして現在の展示に至ったそうです。
ワンビルの《大ウサギ》と当館の「野うさぎ」。もちろん素材もポーズも全く違うのですが、《大ウサギ》の姿態や容貌には「野うさぎ」を連想させる部分が見られます。とはいえ、もちろん別個の作品ですし、牛島さんは根本的にはフラナガンは立体の作家で、ご自身は平面の作家、といわれます。《大ウサギ》にも詰め物をして、もっと立体的に見せようとしたけれど、やはり、ペチャンコの方が良いと今の状態に戻したとのこと。
《大ウサギ》を彫刻として見た時にとても面白いのは、ウサギは黄色いくちなしパン(お祝い事の際に炊くくちなしで色をつけた黄色いご飯を、ウサギに合わせてパンに置き換えたそうです)を抱えているけれど、食べてしまった黄色いパンが、お腹からも背中からも見えていることです。つまり、ウサギの身体には中空があり、しかもお腹も背中も閉じていなくて、中が見える状態になっているのです。ブロンズにはないこの自由さは、和紙だからこそ。
「くちなしや小麦といった植物はウサギに食べられてしまうけれど、うんちになって外にでると、土に還って植物を育てますよね」と牛島さん。ウサギの内側と外側に空間と時間を生み出したともいえますが、最初からそういう構想の作品だったのですか?と伺うと「質感の違うくちなしパンを2種類作ったので、一つは手に持たせて、もう一つはお腹に入れちゃえと。(アイデアを)頭に置いとくより、手を動かして形にすると、モノの方が決めてくれます。」
「和紙は平面ですが、三次元の世界では純粋な平面はなく、必ずどこかに厚みや表裏といった物質性をまといます。一方、ブロンズは「重たい」存在ではあるけれど、軽さの表現も可能です。そもそも人間だって、ブロンズだって、モノであり、陽子や中性子、電子からなる原子という基本的な構成要素からできていて、原子レベルで見れば動いている。ミクロの世界も宇宙的なマクロの世界も、共に相反する性質を併せ持つ。世界のそうした特性を踏まえてモノと戯れたフラナガンが、大辻さんの写真から垣間見えて、同調したというか、共振したというか」。
牛島さんは作品を制作するにあたって、材料の成分を調べる過程で、人間の生活を支えるものは大抵「水素、炭素、窒素、酸素」からできていることを知り、世界を形作る元素や法則、公式に関心を持ち始めました。みんながこのことを知った方が良いと、作品にはそれらが取り込まれています。色彩についても、様々な絵具をまぜ合わせていくと最終的には黒色に至ります(牛島さんが《大ウサギ》を黒にしたのは、全てを含む豊穣な色だから、ということでした)。一方で、同じ混色でもコマに様々な色を塗って回転させると、その中間の色となり明るく感じます(継時混色)。ウサギよ、スピンして光を放て、というメッセージがタイトルに含まれています。

牛島さんから伺ったお話は多岐に渡り、とてもここで全ては紹介できなくて、2羽のウサギの間を行ったり来たりに終始してしまいましたが、バリー・フラナガンが生きていたら、自分の作品がインスパイアしたこの展覧会を、さぞ喜ばれたのではないかと思います。
もう一つ、キュレーターとして感慨深かったことは、福岡市内で紡がれた、さまざまな作品展示活動(展覧会や講座、パブリック・アートの設置)がアーティストにインスピレーションをもたらし、今回の展示に結晶したことです。一つの展示が別の展示を生み出すなら、企画者にとってこれほど嬉しいことはないでしょう。この展示が次にどこに飛び火するのかが、楽しみです。
(館長 岩永悦子)
2024年12月25日 11:12

《+ と −》 1994/2024年/ ステンレス鋼、モーター、砂
あんまり寒くないので、年の瀬感があまりなかったのですが、ここ数日の冷え込みで、ああ、年末だ。年の暮れだ。とリアルに感じています。おまけに風邪もひいて、急に年末あるある過ぎるシチュエーションに。みなさんも、気を付けてくださいね。
さて、今年も得難い経験、忘れ難い記憶は、多々あるのですが、「公私ともに」と考えた時に浮かんでくるのは、やはり、モナ・ハトゥムの《+と-》が当館2階のコレクション展示室のロビーに恒久展示されたことと、モナ自身が30年ぶりに福岡に来てくださったことです。
今では世界のトップアーティストとして、押しも押されもせぬモナ・ハトゥム。彼女が《+と-》の大型バージョン(最初に作られたのは、直径30㎝ほどでした)を世界に先駆けて福岡で制作・公開したのが、ちょうど30年前の1994年。パフォーマンス・アートやビデオ・アートで知られていた彼女ですが、80年代から90年代にかけては、インスタレーションでの試みが注目されていました。
「ミュージアム・シティ・天神 ‘94 [超郊外]」という福岡の街なかと郊外で開催された展覧会の出品作家のひとりとして、福岡で滞在制作をし、あの作品を仕上げたのです。そして、それは、今に至るまで、「モナ・ハトゥムの代表作」のひとつであり続けています。
美術館でぜひ収蔵したい作家をリストアップしていた時も、モナ・ハトゥムはドリームリストの作家でしたが、福岡にゆかりのある作家だから!と担当者が思い切って連絡をしたところ、なんと前向きな返事が!「FUKUOKA」という土地との絆はずっとつながっていたのです。
今回、福岡に作品を設置することへの彼女からの条件は、これまでのように砂をたたえた器を床の上に乗せるのではなく、床を掘り込んで砂を入れるという、作品と建築が一体化するようなアイディアを実現できるか、ということでした。1979年開館の美術館は、タイル一つをとっても特注品で一度壊したら二度と手に入りません。また、作品を動かすことはできず、美術館が存在するかぎり、展示され続ける特別な作品となります。
学芸会議で話し合いました。美術館の将来を決めてしまうような、それだけの覚悟をして設置するのか?全員一致で、GOでした。そして、その決意に、彼女はすばらしいスピーチで、こたえてくださいました。(美術館ブログ「感動的な作家スピーチ~モナ・ハトゥム《+と-》を恒常展示しました~」をご覧ください)。
みんなで、未来に向けてモナ・ハトゥムの作品を設置する決断ができた。これが、今年の「公」の喜びでした。
では「私」の喜びとは?30年ぶりにお会いしたモナ・ハトゥムという方のお人柄に触れることができたことです。作品については、一切妥協はないのですが、お茶をしたりご飯を食べたり、日常のなかでの彼女は、とても穏やかで、まわりをよく見、よく話し、よく笑う方でした。そして、いつも、きちんと身だしなみにも気を使われていることや、ささいなこと―ちょうちょが飛んでいることとか-にも、気持ちを向けられているお姿を見て、「こんな風になりたいな」と思わずにはいられませんでした。無理ですけど。でも、そんなに素晴らしい、と思える人に出会えたことが、本当に嬉しくて。
来年も、新たな出会いがあると信じて、2025年を楽しみにしたいと思います。
ぜひ、みなさま、体調にはくれぐれも気を付けられて、よいお年をお迎えください!
(館長 岩永悦子)
追伸
今年最後のモナ・ハトゥム関連でうれしかったことは、福岡でコンサートをされたグループのうちおふたりが福岡市美術館に来てくださって、おひとりがインスタグラムに作品の写真をアップしてくださったこと(動画の方が、モナ・ハトゥムの《+と-》、画像の方がインカ・ショニバレCBEの《桜を放つ女》ですね)。そして、ファンの方が、作品を見に来てくださったことです。本当にありがとうございます!そして。またいらしてくださいね!