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牛島智子の《くちなしパンを食み スピンするウサギ》はなぜウサギだったのか?

『福岡現代作家ファイル2025 牛島智子《くちなしパンを食み スピンするウサギ》』
*キャプションのある写真以外は、上記展覧会の会場風景

天神のONE FUKUOKA BLDG.(ワンビル)1階に展示されている、『福岡現代作家ファイル2025 牛島智子《くちなしパンを食み スピンするウサギ》』(−9月28日)をもうごらんになったでしょうか。ワンビルの吹き抜けの空間に広がるのは、ウサギを表した立体、平面の作品や正多面体のオブジェ、周期表をモチーフにした平面作品やシェイプトキャンバスの作品たち。八女市出身の牛島智子さんは、1980年代から平面と立体を横断する制作をされており、近年特に精力的に展覧会を重ねておられます。2024年度には第3回福岡アートアワードの市長賞を受賞され、作品を当館で収蔵することができました。

今回の展示の主役である、八女和紙で作られた高さ6mの《大ウサギ》については、FaN Weekオープニングセレモニーのスピーチで、牛島さんご自身が、ウサギといえば、福岡市美術館のバリー・フラナガンで、と言及されていました。福岡市美術館の《三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ》と、最新作《大ウサギ》はどんな関係にあるのか。詳しく知りたくなり、牛島さんにお話を伺ってみました。

(左・中央) 牛島智子《大ウサギ》 (右) バリー・フラナガン《三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ》

今回、ワンビルの展示のキュレーションをされたのは、九州産業大学美術館館長の大日方欣一さん。大日方さんは2024年に開催された同美術館での牛島さんの個展『卒業生プロの世界vol.9 牛島智子「ホクソ笑む葉緑素」』のキュレーターでもあります。さらに、長年牛島さんを紹介してこられたギャラリー「EUREKA(エウレカ)」の牧野身紀さんの協力によって、この展示は完成しました。
九産大での個展の準備の最中に、大日方さんが講師をされた『もしも… 大辻清司の写真と言葉』展(2024年6月8日-7月28日、九州産業大学美術館)の公開連続講座を聴講した牛島さんは、そこで1970年の「日本国際美術展(東京ビエンナーレ)」のために来日して作品を設置しているバリー・フラナガンを、大辻が撮影した写真に出会います。
フラナガンがウサギのシリーズを製作する10年近く前のことで、モノ(同展では砂やダンボール紙など)をそのまま用いてインスタレーションしていました。牛島さんには、同じ作品を写した別のカメラマンによるかっちりした写真からは感じられなかった「ラフさ」に、フラナガンらしさを感じたといいます。
「物質性は強いけれど、軽さがある。フラナガン自身、大辻のその写真を気に入って欲しがったそうです。フラナガンは後に具象彫刻という全く異なる表現を立ち上げたけれど、ブロンズという重量感のある素材を用いながら、ウサギの躍動感、軽やかさが表されていて、両義性があるという点では、70年代の作品と共通していると思いました。フラナガンは、ブロンズから「生きているウサギ」をつかみ出していますよね」と。
大辻清司によるバリー・フラナガンの写真から新たに感ずるところがあった牛島さん。そのいきさつを踏まえて、とあるプロジェクトに応募する際に「スピンするウサギ」というプランを構想しました。そのプランはプロジェクトには採用されなかったのですが、より大きな舞台としてワンビルの話が舞い込んできて、暖めていたプランをスケールアップして現在の展示に至ったそうです。

ワンビルの《大ウサギ》と当館の「野うさぎ」。もちろん素材もポーズも全く違うのですが、《大ウサギ》の姿態や容貌には「野うさぎ」を連想させる部分が見られます。とはいえ、もちろん別個の作品ですし、牛島さんは根本的にはフラナガンは立体の作家で、ご自身は平面の作家、といわれます。《大ウサギ》にも詰め物をして、もっと立体的に見せようとしたけれど、やはり、ペチャンコの方が良いと今の状態に戻したとのこと。
《大ウサギ》を彫刻として見た時にとても面白いのは、ウサギは黄色いくちなしパン(お祝い事の際に炊くくちなしで色をつけた黄色いご飯を、ウサギに合わせてパンに置き換えたそうです)を抱えているけれど、食べてしまった黄色いパンが、お腹からも背中からも見えていることです。つまり、ウサギの身体には中空があり、しかもお腹も背中も閉じていなくて、中が見える状態になっているのです。ブロンズにはないこの自由さは、和紙だからこそ。
「くちなしや小麦といった植物はウサギに食べられてしまうけれど、うんちになって外にでると、土に還って植物を育てますよね」と牛島さん。ウサギの内側と外側に空間と時間を生み出したともいえますが、最初からそういう構想の作品だったのですか?と伺うと「質感の違うくちなしパンを2種類作ったので、一つは手に持たせて、もう一つはお腹に入れちゃえと。(アイデアを)頭に置いとくより、手を動かして形にすると、モノの方が決めてくれます。」
「和紙は平面ですが、三次元の世界では純粋な平面はなく、必ずどこかに厚みや表裏といった物質性をまといます。一方、ブロンズは「重たい」存在ではあるけれど、軽さの表現も可能です。そもそも人間だって、ブロンズだって、モノであり、陽子や中性子、電子からなる原子という基本的な構成要素からできていて、原子レベルで見れば動いている。ミクロの世界も宇宙的なマクロの世界も、共に相反する性質を併せ持つ。世界のそうした特性を踏まえてモノと戯れたフラナガンが、大辻さんの写真から垣間見えて、同調したというか、共振したというか」。

牛島さんは作品を制作するにあたって、材料の成分を調べる過程で、人間の生活を支えるものは大抵「水素、炭素、窒素、酸素」からできていることを知り、世界を形作る元素や法則、公式に関心を持ち始めました。みんながこのことを知った方が良いと、作品にはそれらが取り込まれています。色彩についても、様々な絵具をまぜ合わせていくと最終的には黒色に至ります(牛島さんが《大ウサギ》を黒にしたのは、全てを含む豊穣な色だから、ということでした)。一方で、同じ混色でもコマに様々な色を塗って回転させると、その中間の色となり明るく感じます(継時混色)。ウサギよ、スピンして光を放て、というメッセージがタイトルに含まれています。

牛島さんから伺ったお話は多岐に渡り、とてもここで全ては紹介できなくて、2羽のウサギの間を行ったり来たりに終始してしまいましたが、バリー・フラナガンが生きていたら、自分の作品がインスパイアしたこの展覧会を、さぞ喜ばれたのではないかと思います。

もう一つ、キュレーターとして感慨深かったことは、福岡市内で紡がれた、さまざまな作品展示活動(展覧会や講座、パブリック・アートの設置)がアーティストにインスピレーションをもたらし、今回の展示に結晶したことです。一つの展示が別の展示を生み出すなら、企画者にとってこれほど嬉しいことはないでしょう。この展示が次にどこに飛び火するのかが、楽しみです。

(館長 岩永悦子)

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ことしもお世話になりました2024

《+ と −》 1994/2024年/ ステンレス鋼、モーター、砂

 

あんまり寒くないので、年の瀬感があまりなかったのですが、ここ数日の冷え込みで、ああ、年末だ。年の暮れだ。とリアルに感じています。おまけに風邪もひいて、急に年末あるある過ぎるシチュエーションに。みなさんも、気を付けてくださいね。

さて、今年も得難い経験、忘れ難い記憶は、多々あるのですが、「公私ともに」と考えた時に浮かんでくるのは、やはり、モナ・ハトゥムの《+と-》が当館2階のコレクション展示室のロビーに恒久展示されたことと、モナ自身が30年ぶりに福岡に来てくださったことです。

今では世界のトップアーティストとして、押しも押されもせぬモナ・ハトゥム。彼女が《+と-》の大型バージョン(最初に作られたのは、直径30㎝ほどでした)を世界に先駆けて福岡で制作・公開したのが、ちょうど30年前の1994年。パフォーマンス・アートやビデオ・アートで知られていた彼女ですが、80年代から90年代にかけては、インスタレーションでの試みが注目されていました。

「ミュージアム・シティ・天神 ‘94 [超郊外]」という福岡の街なかと郊外で開催された展覧会の出品作家のひとりとして、福岡で滞在制作をし、あの作品を仕上げたのです。そして、それは、今に至るまで、「モナ・ハトゥムの代表作」のひとつであり続けています。

美術館でぜひ収蔵したい作家をリストアップしていた時も、モナ・ハトゥムはドリームリストの作家でしたが、福岡にゆかりのある作家だから!と担当者が思い切って連絡をしたところ、なんと前向きな返事が!「FUKUOKA」という土地との絆はずっとつながっていたのです。

今回、福岡に作品を設置することへの彼女からの条件は、これまでのように砂をたたえた器を床の上に乗せるのではなく、床を掘り込んで砂を入れるという、作品と建築が一体化するようなアイディアを実現できるか、ということでした。1979年開館の美術館は、タイル一つをとっても特注品で一度壊したら二度と手に入りません。また、作品を動かすことはできず、美術館が存在するかぎり、展示され続ける特別な作品となります。

学芸会議で話し合いました。美術館の将来を決めてしまうような、それだけの覚悟をして設置するのか?全員一致で、GOでした。そして、その決意に、彼女はすばらしいスピーチで、こたえてくださいました。(美術館ブログ「感動的な作家スピーチ~モナ・ハトゥム《+と-》を恒常展示しました~」をご覧ください)。
みんなで、未来に向けてモナ・ハトゥムの作品を設置する決断ができた。これが、今年の「公」の喜びでした。

では「私」の喜びとは?30年ぶりにお会いしたモナ・ハトゥムという方のお人柄に触れることができたことです。作品については、一切妥協はないのですが、お茶をしたりご飯を食べたり、日常のなかでの彼女は、とても穏やかで、まわりをよく見、よく話し、よく笑う方でした。そして、いつも、きちんと身だしなみにも気を使われていることや、ささいなこと―ちょうちょが飛んでいることとか-にも、気持ちを向けられているお姿を見て、「こんな風になりたいな」と思わずにはいられませんでした。無理ですけど。でも、そんなに素晴らしい、と思える人に出会えたことが、本当に嬉しくて。

来年も、新たな出会いがあると信じて、2025年を楽しみにしたいと思います。
ぜひ、みなさま、体調にはくれぐれも気を付けられて、よいお年をお迎えください!

(館長 岩永悦子)

追伸
今年最後のモナ・ハトゥム関連でうれしかったことは、福岡でコンサートをされたグループのうちおふたりが福岡市美術館に来てくださって、おひとりがインスタグラムに作品の写真をアップしてくださったこと(動画の方が、モナ・ハトゥムの《+と-》、画像の方がインカ・ショニバレCBEの《桜を放つ女》ですね)。そして、ファンの方が、作品を見に来てくださったことです。本当にありがとうございます!そして。またいらしてくださいね!

 

 

 

 

 

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30年前に福岡で何が起こったのか⁈

~つきなみ講座 特別版
「アジア×現代美術×福岡―伝説のFukuoka, 1990-1994」~

モナ・ハトゥム《+と-》

9月14日から29日までの約2週間、第3回目FaN Weekが開催され、酷暑のなかでしたが盛況のうちに終幕を迎えました。(とはいえ、当館では「コレクターズIII」展と「西日本シティ銀行コレクション展」は、10月14日(月祝)まで開催しています。ぜひ、はこびください!)

当館もアジア美術館も、市内外からのお客様の多いFaN Weekのスタートにあわせて、新収蔵の作品をお披露目しました。当館では、モナ・ハトゥムの《+と-》、アジ美ではホアン・ヨンピン(黄永砅)の《駱駝》です。両者とも、現代美術史に名前を残す世界のトップアーティストの名作で、きっと現代美術の関係者なら、「おおおっ!!!」と言ってくださっているはず。これから、《駱駝》はアジ美の、《+と-》は、草間彌生の《南瓜》と並んで市美の「顔」になるに違いありません。

さて、《+と-》のモナ・ハトゥム、《南瓜》の草間彌生、《駱駝》のホアン・ヨンピンには、共通点があります。現代美術のフィールドで、トップランナーとして走り続けた(ホアン・ヨンピンは故人)/走り続けていること?(その結果として)作品が高額であること?それらも事実ですが、正解は、三人とも来福して、みずから作品を展示したことがある、ということです。それも、東京や海外で仕立てられた巡回展でなく、純然たるメイドイン福岡の展覧会で。それが「30年前(=1990年代前半」に福岡で起こったこと」でした。

1991年に、福岡のアート関係者が立ち上げたミュージアム・シティ・プロジェクトが開催した、ホアン・ヨンピンやツァイ・グオチャン(蔡国強)らが出品した『中国前衛美術家展[非常口]』を皮切りに、特に、今からちょうど30年前の1994年の9月から10月は、ミュージアム・シティ・天神と福岡市美術館(当時アジア美術館はまだ存在していませんでした)が開館以来行ってきた「アジア美術展」が融合して、市内のさまざまな場所でアートという名の何かが起こっているという、前代未聞のカオス状態が訪れた年でした。

当時、天神の福岡銀行本店の、道路にむかって開かれた中庭には草間彌生の《南瓜》が展示され、モナ・ハトゥムの《+と-》の初号機は博多区のギャラリーで産声をあげました。いずれも、『ミュージアム・シティ・天神‘94[超郊外]』の出品作品です。収蔵の時期は違いますが、ミュージアム・シティ・天神がなければ、それぞれの作家の代表作である2点が、福岡市美術館に収蔵されることはなかったでしょう。

草間彌生《南瓜》

そこで、当時から今に至るまで、ずっと福岡の現代アートシーンの最前線にいる、ミュージアム・シティ・プロジェクト事務局長の宮本初音さん(現 ART BASE 88[福岡]代表)をお招きし、特に、1994年の『ミュージアム・シティ・天神‘94[超郊外]』については宮本さん、『第4回アジア美術展・ワークショップ』については岩永が、特にフォーカスしてお話したいと思います。

私自身は、94年当時、一学芸員としてその巨大な渦に巻き込まれて、飲み食いから仕事まですべてがアート漬けの毎日を過ごしました。今こそ、当時目撃し、経験したことを未来につないでいけたらと思っています。当日、宮本さんが、当時の福岡の状況を物語る、資料や作品もお持ちくださいます。

30年前にどんな種が撒かれ、どのように育ったのか。民のミュージアム・シティ・プロジェクトと官の福岡市美術館はいかにしてタッグを組んだのか。福岡はどう変わったのか、変わらなかったのか。1990年代前半から約30年後の今を視野に入れて、これから30年後に何が起こるのかを語り合う2時間です。ぜひお越しください!
(館長 岩永悦子)

 

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つきなみ講座
「アジア×現代美術×福岡―伝説のFukuoka,1990-1994」

講師 宮本初音(ART BASE 88[福岡]代表)、岩永悦子(館長)

2024年10月19日(土)

午後3時~午後5時(開場:午後2時30分)

定員180名

聴講無料、事前申込不要、先着順

 

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