2022年2月25日 09:02
ギックリ腰をやりました。地域の廃品回収で、空き缶の詰まった袋を運ぼうとしたとき、腰の後ろにピキッという刺激が走り、腰砕けになってしばらく動けなくなりました。ギックリ腰はこれまでも何度か経験していますが、えてして何気ない動作の最中に起こるもの。必ずしも重たい物を持ち上げようとか、欲張って沢山の荷物を運ぼうと無理な動きをしたからではありません。今回、空き缶入り袋が見た目よりもずいぶん軽く、持ち上げた瞬間の違和感に、運動不足の身体がびっくりしてヘンな反応をしたからじゃないかな、と勝手に考えています。
見た目と、それを手に取った時の重さや軽さの感覚にズレがあるときの驚きや戸惑い。それが美術品である場合は、ときに美的評価の判断によくもわるくも影響しますし、取り扱う際にも特に留意しておかなければなりません。
そんなこんなの四方山話を、エピソードを交えて書いてみたいと思います。
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せっかくなので「大物」にお出ましいただきましょう。
当館1階・松永記念館室の入口の行灯ケース内に鎮座している野々村仁清作の重要文化財《色絵吉野山茶壺》(江戸時代17世紀)です。当館の、そして松永コレクションの代表的作品でもあり、私にとっては時々夢に出てくるほどに特別な壺です(→「悪夢の展示替え」)
高さは35.7㎝、胴の最大径31.8㎝。当館公式ホームページの「所蔵品検索」で検索すると、解説文には次のようにあります。「…。仁清陶は巧みな轆轤技に大きな特徴があるとされ、本器もその大きさに比べきわめて薄く成形されていて手取は大変軽い。…」。
そう、手に取ってみれば見た目よりもずいぶん軽いということ。気になる重量はというと、4060グラム。つまりこれとほぼ同じ↓↓
4キロの鉄アレイって、それ自体はずっしりとそれなりの重さを感じるはずです。2リットルのペットボトル2本にしたってそうでしょう。それが高さも径も30㎝を超えるやきものとなると、軽やかに感じられるという簡単な理屈です。さらに極彩色の華やかな絵付けが全体にびっしりと施されている本器は、眼に入ってくる情報量が殊更に多いこともあって、なおさら外見の重量感を強めているのでしょう。
もっともこうした重い軽いの感覚はあくまで主観的なものであり、日々の生活の中でやきものを使ってきた私たちの経験上におのずと共有されてきたものですから、数値だけを示されてもなかなか理解しづらいですし、やきものに接する機会が少ない人はなおさらだと思います。そこで、大きさの近い別の色絵壺の作品を比較に挙げてみましょう。
同じ松永コレクションの重要文化財《五彩魚藻文壺》(明時代16世紀)です。
高さは33.8㎝、胴の最大径40.8㎝。《色絵吉野山図茶壺》と比較して、高さはほぼ同じですが、径が9㎝大きいことを考慮して体積はざっと1.5倍と見積もっておきましょう。さて気になる重量は、8975グラム。実に2.2倍の重さがあります。実際に持ってみると、私の感覚では、まさに見た目通りか、それよりやや重たいかなという重量感。「おぉ、壺やのぅ~!」という感じです。不思議と、この壺を持つときに怖さを感じたことはありません。むしろ見た目より軽い方がコワいのです。
イラン10世紀の《白地飛鳥文鉢》(松永コレクション)は高さ7.0㎝、口径21.2㎝で、385グラム。
これを初めて箱から出したときにはフワっと浮き上がるように持ち上がってドキリとしました。それもそのはずで、385グラムといえば口径15㎝程度のやや大振りの茶碗の平均的な重量なのです。
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やきものの作品解説で「手取りが軽い」というと、仁清の轆轤成形の技を称えることもそうであるように、もっぱら作品の出来の良さを示す情報として書かれます。「使いやすさ」という点では、同じ大きさの器であっても極力軽い方が重宝されることが多いのは確かであり、それに頑丈さが加わればなお良し、というものです。
しかし、やきものというのはひとつ「用の器」といっても、日常生活の様々な場面で、様々な用途に供するものですから、単純に軽ければ良いというものは決してありません。
壺は本来、何かを入れて保存する「容器」です。鉢や皿のように頻繁に手にする物ではなく、中に物を入れたらある程度決まった場所に長く置いておくもの。その点で、むしろぶ厚くて重たい作りの方が「高品質」と見なされても良いはずです。輸送用の壺には一定の軽さが求められたと思いますが、割れてしまっては元も子もないので、やはり頑丈さが重視されたことでしょう。ぶ厚く作るにはそれだけの材料を必要としますので、生産コストの視点も忘れてはなりません。
それを薄手に作るというのは、どういうことなのでしょうか。仁清は材料費を少しでも抑えようと努めたのでしょうか。否、茶壺そのものが容器としての実用性よりも、ひんぱんに場所を変えて動かす必要のある器として注文を受けたのでしょうか。あるいは…、と色んな想像を掻き立て、深まる謎に関心を抱くきっかけを、器の重量に関する情報は備えています。
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腰が痛くなってきたので(言い訳)、いったん締めるとします。四方山話の続きはいずれ、気が向いた時に書きます。
新米学芸員だった頃、《色絵吉野山図茶壺》を初めて手に取った時のことを思い出しています。展示替えのため展示台から箱に収める作業でした。両手と両掌で壺の肩と底を包み込むように持ちます。箱までのルートを再度確認して、いざ腰を入れて立ち上がろうとする私に、近くで見守っていた上司が「軽いから、気をつけてね」と。立ち上がると確かに軽いなと思いましたが、冷静に運ぶことが出来ました。あの時の上司の声掛けは、タイミングも含めて実に適切だったと思います。
あれがなければ、力んで、軽さに拍子抜けして、もしかしたらヒヤリとするようなことにも…なんて余計な想像をするのはやめておきます、夢に出てきちゃいますから。
(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)
2021年11月25日 13:11
先週の16日(火)から1階の企画展示室において、コレクション展「これであなたも仙厓通」が始まりました。仙厓義梵(1750~1837)は、江戸時代に活躍した禅僧で、日本で最初の禅寺である博多・聖福寺の住職を務めました。住職を隠退した後も、博多で暮らし続け、親しみやすい書画を通して禅の教えを分かりやすく広めたことから、「博多の仙厓さん」と呼ばれ、人びとから慕われました。
本展では、そんな仙厓さんの作品をさらに深く味わうためのポイントを紹介しています。
●ポイント① いつ描いたのか?
仙厓さんが絵を描き始めたのは、博多にやってきた40歳前後からと考えられます。亡くなるのが88歳ですから、50年近い画歴があることになります。試みに初期の作風と晩年の作風を比べてみることにします。
《香厳撃竹図》仙厓さんが48歳の時の作品
《猫に紙袋図》70代後半から80代にかけての作品
いかがでしょうか。同じ人の作品とは思えないほど、画風が全く異なることがお分かりいただけると思います。展示では、仙厓さんの作品を初期から晩年にかけて紹介することで、画風の変遷をたどるとともに、どのような思いで描いたのかについても思いを巡らしています。
●ポイント② 誰の/何のために描いたのか?
仙厓さんの作品を鑑賞するもう1つのポイントが、「誰の/何のために描いたのか?」です。というのも、仙厓さんは作画にあたって、「誰に何を伝えたいのか」を常に考えていたからです。そのことがよく分かる2つの作品を比べてみましょう。
《あくび布袋図》画賛(コメント)が漢文で書かれていて、読み解くには知識が必要
《指月布袋図》画賛が仮名交じりで書かれているので、読みやすい。
どちらも親しみやすい姿の布袋を描いた作品ですが、画賛が全く違います。一方は漢文なので知識人へ向けて、もう一方は仮名交じり文なので禅宗の知識がない人に向けて描かれたと考えられます。
このように仙厓さんの作品は、誰のために、あるいはどういうシチュエーションで描かれたのかが想像できる場合が少なくありません。鑑賞の際にこのポイントを意識してみると、作品をより深く味わうことができるでしょう。
●おわりに
仙厓さんの作品を考える上で、「いつ描いたのか」「誰の/何のために描いたのか」という視点が有効であることがお分かりいただけたと思います。実は、この2つの視点は私たちが作品研究において試みているアプローチとして代表的なものでもあります。
それでは、最後にこちらの作品をご覧ください。
《虎図》
この作品は、仙厓さんによるコメント(賛)がないために解釈がとても難しいです。最近、当館の中山喜一朗総館長によって、「いつ」「誰の/何のために」という視点から作品解釈を試みる論文が発表されました(「『虎図』の正体」『福岡市美術館研究紀要』7号、2019年 )
展の会期中には中山総館長によるつきなみ講座、「仙厓さんのすべて(2)」も実施します(2021年12月18日(土)、午後3時~午後4時、会場は当館ミュージアムホール)。《虎図》も取り上げる予定ですので、是非足をお運びください。
2021年9月8日 11:09
みなさん、こんにちは。こぶうしくんです。
前回のゆるっとブログでは、夏休みこども美術館「これなぁに?謎がいっぱい、古い美術」という展覧会のなかで募集していたお手紙を紹介しました。
展覧会は福岡コロナ特別警報と緊急事態宣言により会期途中で閉室となってしまいましたが、届いたおたよりはなんと全142通。ほんとうにどうもありがとう!
お手紙には作品を見て、気づいたことや考えたことを書いてもらっていたんだけど、ひとりひとり違う視点で作品をみていて、いろいろな意見があってとってもおもしろかったです。
前回のゆるっとブログを読んでいない人はぜひ読んでみてね。
こぶうしくんのゆるっとブログ: 夏休みこども美術館「これなぁに?謎がいっぱい、古い美術」お手紙紹介
それでは今日も引き続き、いただいたお手紙を、ほんの一部ですがご紹介します。
夏休みこども美術館「これなぁに?謎がいっぱい、古い美術」に設置していたお手紙専用用紙とポスト
今日の1通目、めいめいさんからのお手紙です。お手紙の一部を紹介します。
『こくゆう人めんもんへいはふつうの住んでいる人か、王さまが、そそぐときにつかわれた物なんじゃないかな?と思いました。』
《黒釉人面文瓶》陶器 / カンボジア / 12-13世紀 / 高29.2 胴径14.8 底径8.0 cm
めいめいさんは、《黒釉人面文瓶》の使い方を考えてくれました。おもしろい意見どうもありがとう。これは何かをそそぐために使われていたものなんじゃないかと想像してくれました。使っていたのは平民か王様、どんな人が使っていたのかも想像してくれたんだね。
めいめいさんがかいてくれた絵
絵もありがとう!顔の特徴がよくとらえられているね。
この作品について、古美術専門のG学芸員に聞いてみました。
実はこの作品、使い方はよくわかっていないそうです。同じようなものがたくさん見つかっていて、その多くは、上の部分がわざと割られているものばかり。なので儀式かなにかで、割ったりして使っていたのではないかと言われています。でも、この作品は上の部分が割れていないめずらしいものなんだそうです。
ちなみにこの作品、今回の展覧会チラシでも使われてました!作品のかたちがとっても目立つね。
チラシ
続いては、はるこさんからのお手紙です。
『わたしはじざいかにがいちばんおどろいたよ!!
わたしだったらじざいかにをおにんぎょうとしてあそびたいな~?
こぶうしくんは、どうやってじざいがにをつかうん?
さくしゃはわからないみたいだけどみらいは、ハイテクいっぱいでわかっちゃうかもね♡いろいろなとりくみがんばってね!?』
《自在蟹》鉄 / 日本 / 江戸時代 / 縦3.5 横8.6 cm
はるこさんは《自在蟹》について書いてくれました。本物のカニみたいだけど、実はこれ、鉄でできてます。関節やハサミ、目も本物そっくりに動くんだよ。
はるこさんは《自在蟹》をお人形にして遊びたいんだね。ボクもお人形にして遊びたいな。それで、本物のカニと対面させて、どんな反応をするのか見てみたいな~。
『ハイテクで作者がわかる』っていうのは、どんな技術なんだろう?
ボクは過去へもどれたりすることだと想像したよ。タイムトラベルできるのは少しこわいけど楽しそう。おもしろいお手紙、応援もどうもありがとう!がんばります!
続いて、223てんこうさんからのお手紙です。一部紹介します。
『がっきか何か水を入れる容器、わたしは花びんかなぁ?
私ならお花入れたいなって思ったよー♡』
《へーヴァジュラ法螺貝》青銅 / カンボジア / 11-13世紀 / 総高25.2 高さ22.9 胴径10.3 cm
223てんこうさんは《へーヴァジュラ法螺貝》について書いてくれました。
この中にお花を入れたいと思ったんだね。なるほど、たしかにお花が入ると、色も加わってきれいかもしれません。もしお花を入れるとしたら、どこにかざろう?ボクだったら、ベッドの横の、見るとほっとできる場所に置きたいな。
ちなみにこの作品についてもG学芸員に聞いてみました。
これは水やお酒を入れるための容器だったとも、楽器だったとも言われているそうです。でも本当はどうやって使っていたのかよくわかっていませんとのこと。
それで、233てんこうさんは使い方を考えてくれたんだね。どうもありがとう!
作品をみるときに、使い方を考えるのも楽しいね。
続いては、大牛ママさんからのお手紙です。
『女性5人組グループは、5000才~4500才?ぐらいですか!??
どうやったら、そんなにオキレイで生きられますか!?
おしえて下さい
みんなかみ型がちがうんですねー』
《女性土偶》土器 / パキスタン / 紀元前3000-前2500年頃 / 高4.4~11.6 cm
大牛ママさん《女性土偶》について書いてくれたようです。
みなさん、何重にもなっている首かざりをきっちりまとって、まっすぐ前を見つめるすがた、とってもおきれいですよね。きっと彼女たちは、今日までひとびとに大切にされてきたから、今もこの姿なんだと思います。これからも美しくもっともっと長生きしてほしいです。
それから、大牛ママさんが見つけてくれたかみ形のちがい。ロングだったり、むすんでいたり、もこもこしていたり、ほんとにぜんぜんちがうね。
大牛ママさんがかいてくれた絵
楽しい絵もかいてくれました。どうもありがとう!土偶アイドルという発想もとってもおもしろいです。ボクの推しは・・・、この絵のいちばん右かな!頭の横のお団子がちょっとだけツノみたいみえるから、ボクとおそろいだなと思ったよ。
さて、いよいよ、最後のお手紙をご紹介します。
ふくしまゆかさんからのお手紙です。
『わたしはここに来るのは初めてですが、
いろいろなものを見ているつもりなのに心がふわふわして気持ちが楽になりました。
わたしはこぶうしくんのことが大好きになりました。
そしてなぜかこぶうしくんが家族のように思えました。
わたしもいつかこぶうしくんにあえたらうれしくてないちゃうかもしれません
こぶうしくんもコロナにまけないでください』
ふくしまゆかさん、心温まるお手紙どうもありがとう。
気持ちが楽になったのならよかったです。ボクのことも大好きになってくれたんだね。なんだか少し照れちゃうな。でもすごくうれしいです、ありがとう。
今回の展覧会は福岡コロナ特別警報および緊急事態宣言のため閉室になっちゃったけど、美術館の活動はこれからもずーっと続きます。ボクもコロナに負けないようがんばります!
夏休みこども美術館「これなぁに?謎がいっぱい、古い美術」のお手紙紹介は今回のゆるっとブログで終わりです。全部を紹介することはできなかったけれど、みなさんからいただいたお手紙はどれも目を通して大切にしまっています。本当にありがとうございます。
終わってしまうのはちょっぴりさびしいけれど、またみなさんとお会いすることがあるかもしれません。それでは、そのときまでまたね!
こぶうしくん(代筆:教育普及係 上野真歩)