2021年4月21日 11:04
先週の13日に開幕した「黒田家の名宝」(於 1階古美術企画展示室)。かつて福岡藩を治めた黒田家に伝来した宝物から武具装束、調度品、茶道具、掛け軸、屏風など選りすぐりの名品を展示しています。
今回ご紹介するのは江戸時代に活躍した写生画の巨匠・円山応挙(1733~1795)がてがけた《龍門登鯉図(りゅうもんとうりず)》です。滝を登り切った鯉が龍になる、という故事にちなんだもので、5月5日の端午の節句を間近に控えたこの時期に相応しい作品です。
墨のグラデーションを駆使して、体の立体感や鱗の質感を再現する描写力は見ごたえ十分ですが、本作の見どころは何といっても、その斬新な構図にあります。本作は、滝を登る鯉の背中を真上からのアングルで捉えた独特の視点で描かれます。通常わたしたちが滝を眺めようと思えば、滝壺の付近から見上げるか、高台から見下ろすかでしょう。本作のように滝の中腹を登る鯉の背中を真上からの視点で捉えるなんてことは、空でも飛ばない限りできないはずです。(もちろん、江戸時代にドローンはありません。)当時の人びとが日常生活ではまず体験できない視角から描かれた本作は、新鮮な驚きをもって迎えられたことでしょう。
ところで、本作の右下には「寛政癸丑暮春冩 源應擧」と記されており、寛政癸丑(寛政5年〈1793〉)の暮春(旧暦の3月頃)に描かれたことがわかります。ただ、この記載には少し不思議なことがあるのです。
いかがでしょうか。何か気が付いたことはありませんか?
もうお分かりですね。そう、「癸丑」という記載の下に薄く「壬子」と書かれているのです。ちなみに壬子とは、寛政4年(1792)のこと。癸丑(寛政5年〈1793〉)の前年にあたります。うっかり前年の干支を記載してしまった可能性はもちろんあるのですが、この記述がなされたのは3月頃のこと。年が改まって3か月もたっていることを考えると流石にうっかりが過ぎるように思うのです。そこで、次なる可能性として以下のように考えてみました。元々は、壬子の年に完成させるつもりで「寛政壬子」と下書きをしていたものの、何らかの理由で制作が遅延してしまい、年をまたいでしまった。そこで、下書きを修正する形で癸丑と記載したのではないか。これは、あくまでも仮定の話であり、他の応挙作品と比較するなど様々な検証を必要とします。ですが、当時の応挙や彼の弟子たちのおかれた状況を思うとき、こうした仮説があながち的外れではないと思える節もあるのです。
すなわち、応挙の弟子の一人・奥文鳴の書いた『仙斎円山先生伝』には「寛政癸丑ニ至テ、荏苒トシテ老痾ニ罹リテ経年歩履スルコト能ハス。且ツ眼気モ亦明亮ナラス。故ヲ以テ揮毫漸ク廃ス」と記されており、寛政5年頃、応挙は老病を患い歩くこともままならず、眼もはっきりとは見えなくなってしまい、やがて絵を描くことができなくなったと言います。
また、応挙やその一門の画家たちの壁画や襖絵が多数のこる大乗寺(兵庫県香住町)には、大乗寺と応挙一門がやりとりした手紙類が伝わります。それらを参照すると、応挙が病気がちでなかなか絵ができあがらないこと、加えて、応挙一門を支えた有力な弟子たちも健康が優れない状態が重なってしまうなどしたために、約束の時期までに作品を仕上げることができない、ということがあったことが判明します。こうした状況も踏まえるならば、今回仮説として提案した制作の遅延という案は一考に値するといってよいでしょう。
実は、本作をめぐってはずっと気になっていることがありました。
それは、流れ下る水流の部分で、墨のグラデーションの変化がややぎこちなく、応挙会心の出来とはいいがたいように思われることです。
ただ、こうした疑問もこれまで見てきたような状況を踏まえれば、それほど気にする必要はないでしょう。むしろ、リーダーが体調不良という非常事態の中にあって、これだけのクオリティを保った作品を仕上げることができた応挙一門の底力を感じずにはいられません。
リーダーや主力級が離脱してもそれを補うことができる、福岡ソフトバンクホークスのように分厚く強大な戦力を誇った応挙一門の姿を想像することもできるでしょう。
展示は、5月30日(日)まで。《龍門登鯉図》をはじめ、たくさんの名品を紹介しているので是非会場に足をお運びください!
(学芸員 古美術担当 宮田太樹 )
2021年2月4日 10:02
「テグス張り講座」を受けるこぶうしくん
みなさん、こんにちは。ボクは福岡市美術館のこぶうしくんです。今年は丑年だしいっぱい活躍するつもりだよ〜。
ボクは1月末に「テグス張り講座」を受けました。金槌や釘を見て何か工作をするのだとわくわくするボク。
あれ?・・・ところで、”テグス張り”ってなぁに?
さっそく講師のG学芸員に聞いてみました。
G学芸員
「テグスは魚釣りにも使っているナイロンなどの合成繊維でつくられた糸だよ。美術館では作品を展示するとき、作品の転倒を防ぐためにこのテグスを作品に張るんだ。今日はこのテグス張りの技術を学ぶための講座だよ。」
なるほど〜。言われてみれば、展示室をお散歩しているときにお皿や壺の作品に張ってあったような気がする。
テグスを張って展示されている作品
テグスがピンッと張っていて、無駄がないなぁ。作品をみるときに邪魔にならないようきれいに張ってある。これがテグス張りの技かぁ。ボクもやってみたい!
G学芸員がひとつひとつ説明しながら実際に手を動かしてやってみせてくれました。
※作品はもちろん本物…ではなく、練習なので黒楽茶碗 銘「次郎坊」のレプリカだよ。
展示替え当日にテグス張りをすることになっているM学芸員は、とっても真剣な面持ちでG学芸員の手元を見つめています。
説明をきいてから各自で実際にテグス張りをやってみました。
もくもくと手を動かしてG学芸員のようにやってみます。わからないところを聞くとすぐに教えてもらえました。とっても頼もしいG学芸員。
教えてもらったテグス張りの手順を書いておきます。
<準備するもの>
練習用の作品(コップやお皿)・練習台(木の板)・マスキングテープ・釘・テグス・チューブ・金槌・ハサミ
作品の位置を決めたらマスキングテープで見当をつけて、作品を囲んで均等になるように定規を使って4箇所釘を打つ場所を決めます。
決まったら作品を台から降ろして安全な場所へ移動させておきます。
金槌で釘の頭が数ミリ出ているくらいまで打ち込みます。
そしてテグスの登場!
左上の釘にテグスを結びカットしたチューブを2本通しておきます。作品を定位置に置いてたわみをつくり右隣りの釘に結びます。
同じように、左下の釘にテグスを結びチューブを2本通します。上側のテグスと交差するようにまわして通し右下の釘に結びます。チューブは4つとも作品に当たる部分に移動させておきます。
微調整をして、マスキングテープを慎重にはがし、余ったテグスをハサミで切ったら…完成~!
G学芸員に褒められたよ、やったぁ~!
うーん、でもやっぱりまだまだ難しいなぁ。時間もすごくかかっちゃうし全然テグスの張りが均一にならない。上手な人がすると全部同じ強さで張ることができるんだって。やっぱり磨かれたプロの技なんだなあ。
プロの技はここでみれるよ→スゴ腕! やきもの転倒防止・テグス張りの技 Marvelous! Technique of Fixing Potteries with Nylon Strings
実はこのテグス張り講座は、2月2日から開催の展覧会「門田コレクション 中国陶磁4000年の旅」(~4月11日)に合わせて実施された内々の特訓講座だったんです。
今回の展覧会では陶磁器の作品がおよそ150点もあって、そのほとんどにテグス張りがされています。展示替え当日は学芸員と美術品専門スタッフの総勢8人掛かりでひたすらテグス張り…、猫の手じゃなく牛の手も借りたいほどの忙しさでした。でも無事に展覧会初日を迎えて、たくさんのひとが展覧会をみにきてくれました。
ぜひ、このブログを読んだからには、作品だけじゃなくテグス張りにも注目してみてみてね。
え?もう展覧会を見てしまったのにテグスは全然見てなかった?それはとても嬉しい言葉です。だって、気づかないほどきれいなテグス張りだったってことだから。よーし、ボクももっと上手くテグスを張れるようにがんばるぞ〜。
こぶうしくん(代筆:教育普及係 上野真歩)
【御礼】
先日インターネットミュージアムにて行われた「ミュージアム 干支コレクション アワード2021牛」にてコブウシ土偶(古代オリエント博物館よりエントリー)が2位となりました!応援コメントには当館のこぶうしくん宛てかと思われるメッセージも多数あり、スタッフ一同感謝感激しております。今後とも、こぶうしくんをよろしくお願いいたします!
2020年11月18日 10:11
これは、こぶうし君が身に着けている「ヒーローマフラー」のキャッチコピーです。ヒーローになりたい、でも風が吹いていない…!そんな時におススメのアイテムです。
「どうして風が吹いていないとヒーローになれないの?」と思わずツッコみを入れたくもなりますが、仮面●イダーやサイ●ーグ009を例にあげるまでもなく、赤いマフラーをなびかせるのはヒーローにとってお約束のビジュアルと言ってよいでしょう。マフラーを身に着けたこぶうし君の表情がいつもより凛々しく感じられるのはきっと私だけではないはずです。
昨日から開幕した「風を視る」(~2021年1月31日)はこのような風を目にした時に生じる心の動きをテーマに企画したものです。というのも、東アジアの美術を勉強していると、「呉帯当風(ごたいとうふう)」(衣服が風に翻るように見える様)や「翻波式衣文(ほんぱしきえもん)」(衣が波打つように動く様)などなど、風や布にまつわる専門用語にやたらと多く出くわすのです。
これは、古来、人々が風、あるいは風になびく布をあらわすことに力を注いできたからに他なりませんが、彼らはこうしたモチーフに何を期待していたのでしょうか。ひょっとしたら、私たちがヒーローの首元でなびくマフラーを見て感じるような熱い気持ちを抱いていたのではないか、そんな仮説が出発点になっています。
この仮説を証明するために一番手っ取り早いのは、風が表現されている美術作品と、それに対する当時の鑑賞者のコメントを見つけ出すことです。ですが、現存作品や資料に限りがある古美術においてこの方法は現実的ではありません。
そこで、次なるアプローチとして仏教の経典や解説書の記述と作品の描写を対照してみる、という方法があります。もちろん、あらゆる仏教美術が経典の記述に忠実、というわけではありませんが、文献史料に乏しい古美術を考察する上では有力なてがかりであることは間違いありません。また、仏教美術には風をあらわした作品が多く存在することも見逃すことのできないポイントです。
例えば、風を神格化した風天や、空を自由に飛ぶ天人などからは、身に着けた衣裳や髪の毛が勢いよくなびく様子を見てとることができます。
風天図 室町時代 16世紀
繍仏裂 飛鳥時代 7世紀
これらは、自然現象や身体運動に伴って生じた風をあらわしたもので、それほど不思議な感じはしません。ですが、仏教美術を見ていると理屈では説明がつかない風の表現にでくわすことも珍しくないのです。
線刻十一面観音鏡像 平安時代 長承3年(1134)
これは、十一面観音の姿を線彫りであらわしたものです。脚を組んで座る静かなたたずまいですが、肩に羽織ったショールは強風にあおられたかのように舞っています。この風は一体どういう理由で吹いているのでしょう?
そこで、経典の記述に目を向けてみると、仏像に祈りを捧げたときに起きる奇跡として、像が動くことがしばしば説かれることに気が付きます。これを踏まえるならば、仏像の周りに吹いている風は、像がまさに奇跡を起こした瞬間であることを示していると考えることができるのではないでしょうか。つまり、風の表現は人々に対して自身の祈りが確かに仏像へと伝わったということを印象づける効果があったと想像されます。
当時の人々に聞いてみないと確実なことは分かりませんが、仏教美術に見られる風の表現に抱いていた想いは、私たちがヒーローのマフラーを見て感じる興奮とそれほど違いはないのではないかと思います。
(学芸員 古美術担当 宮田太樹 )