2025年5月27日 10:05
5月の「つきなみ講座」を担当させて頂きました。
日曜日の貴重なお時間にも関わらず、私の拙い話を聴講して頂いた方、この場を借りて御礼申し上げます。
その「つきなみ講座」では、現在開催中(6月22日まで)の「九州の古陶に魅せられた 田中丸善八の眼」展に合わせて、田中丸善八翁が九州古陶磁を蒐集し、そして実際に宴席の器として用いた話や、芳名録代わりの色紙、仲の良かった松永耳庵との風流なやり取りについてお話しさせて頂きました。
古陶磁コレクターというのは、世の中にたくさんいらっしゃいます。
長年、こういう世界で仕事をしていると、茶事や茶会で古い器を用いるというのは見聞きしたり経験したりもしていますが、宴席に用いるコレクターというのは私の知る限り聞いたことがありません。
というのも、宴席に用いると器が割れてしまう確率が高くなるからです。
宴席では酒が入りますから、酔いがまわって粗相する人がいるかもしれない。
また、10人もの客がお見えになると、料理の品数にもよりますが、だいたい80客から100客ほどの器が必要になってきます。その準備や後片付けもしなくてはならない。しかし、善八翁はそんなことは苦とも思わず、愉しんで用いた。
よくよく考えてみると、器は本来、観賞用に作られたものではなく、茶を点じたり、料理を盛り付けて食するために作られたものです。
ただ単に形や文様を「観る」だけに終わらず、器というものはほかにも「選ぶ」と「使う」が含まれます。
季節や年中行事、人生の節目、客の好みに応じて器を選んだり、料理との映りや器と器との取り合わせに心を配る。そして、花入には花を、茶碗には御茶を、向付や鉢には料理を、徳利やぐい呑には酒を、というように器本来の使い方をしてこそ器が生きてくる—。
善八翁は古陶磁を蒐集するにつれ、いつの頃からか、そういった器本来の用い方というものに思い至ったのでしょう。
九州古陶磁に奥様の手料理と酒でもてなす田中丸邸の宴席—。想像するにその宴席では、客と酒を酌み交わしつつ奥様の手料理を味わいながら、その器の歴史からはじまり、陶工の事やデザインの事、他の焼物の事にも話が膨らんでいく—。
善八翁はそうしたことに、古陶磁コレクターとしての愉しみや喜びを覚えたのではないか。
そして最後に善八翁は客にこう言ったに違いありません。
「ね、九州の焼物って、素晴らしいでしょう」と。
(一般財団法人田中丸コレクション 学芸員 久保山 炎)