2023年9月29日 09:09
どーも。総館長の中山です。
ちょっと変かもしれませんが、いや、歳をとっただけかもしれませんが、わたしは「ロボット」という言葉の響きに郷愁を感じてしまいます。まだ字もろくに読めない頃の、遠くておぼろげな記憶の霧の中に立っているロボットは、アトムではなく鉄人なんです。1950年代の後半、四歳か五歳の頃に月刊誌『少年』で出会った鉄人28号は、月刊誌だけでなく、親にねだって買ってもらった単行本(吹き出しのセリフの一部までおぼえている。アトムの単行本は持っていなかった)や、子供心にも「これ、チャッチイ(幼稚、子供だまし)」と感じてしまった実写のテレビドラマ、テレビまんがとその勇ましい主題歌、グリコのオマケなどとともに、ながいあいだわたしの身近にいたロボットでした。
「日本の巨大ロボット群像」会場より
でも、鉄人の最初の最初は巨大じゃなかった記憶があります。原作者の横山光輝さんは「アトムを意識して鉄人を大きくした」みたいなことをおっしゃったとウェブの記事にはありましたが、この差は、つまり鉄人が初期の頃に巨大になったのは、けっこう重要だったと思うんです。
アトムも好きでしたが、アトムをロボットだと意識してまんがを読んでいた記憶はないんです。アトムはアトムでした。つまりなんというかキャラ。ほぼ人間なんです。人間サイズだし普通にしゃべるし、学校に通っているし、家族もいるし。しかし鉄人は、ガオーとしか言わないし、無表情だし、なにしろロボット。
たぶん人間に「なりたいロボット」と、そんなこと考えもしない「あくまでロボット」の二種類がいるのかもしれません。鉄人を巨大にしたのは、非人間化だったのでしょうか。非人間だからリモコンが悪者の手に渡ると鉄人も平気で悪者になるし、鉄人に善悪は関係ないのです。人間じゃないので、機械なので全然いいわけです。すっきりしている。わたしはすっきりしているのが好きだったのでしょう。お話のなかでいろんなことを考えさせられるのが苦手だったともいえます。
そういう鉄人が好きだったから、当然『マジンガーZ』も『ゲッターロボ』も好きだったわけで、子供とはいえない年齢になってからも「あくまでロボット」アニメをよろこんで見ていました。外からのリモコン操縦ではなくて中に乗り込んで操縦してもマジンガーが人間になるわけではないので「あくまでロボット」のままです。
「日本の巨大ロボット群像」会場より
デザインは凝りに凝るし、変形や合体があたりまえになるし、設定もどんどんリアルになるし(リアルになると機械であることが強調される)、当然のように単なる巨大ロボットのバトルものではない奥行のある作品も登場して、ついには原寸大のリアルな巨大ロボットがあちこちの町に屹立する現代に至り、「日本の巨大ロボット群像」という特別展が美術館学芸員(当館の山口洋三学芸員・現在は福岡アジア美術館学芸課長が監修)によって企画されても全然おかしくない地点にまで、彼らは成熟してきたわけです。わたし自身は、「あくまでロボット」が「モビルスーツ」と呼ばれる頃にはもうオジサンになってしまっていて、プラモデルも作らなくなってしまい、巨大ロボットの世界が広がり進化していく様子を時々チラチラと覗き込むだけで、ほとんどは距離をとって眺めるだけになりました。
「日本の巨大ロボット群像」会場より
海外も含めたロボット文化で思い出すのはアイザック・アシモフがSF小説『われはロボット』(1950年)に登場させた「ロボット工学の三原則」。工学の原則といいながら、SFにミステリ要素をうまく付加して物語を広げていく画期的なアイデアでしたし、ロボットを考えることは人間性とは何かを考えることにつながっているのだと教えられました。しかしそれ以上に、地球人と宇宙人の対立と共存、ロボット差別や反ロボット運動などを描いた『鉄腕アトム』は先駆的だったと思います。人間と機械(人工知能)の関係(共存というか、共栄というか)は、きわめて現代的なテーマです。さすが手塚治虫。幼いわたしは、そういうちょっと重たい問題を意識させられるのが苦手だったわけです。
歳をとったせいか、最近では「なりたいロボット」も気になります。5、6年ほど前の『ニーア オートマタ』というアクションRPG(ビデオゲームでアニメ化もされた)には、異星人が製造した兵器である機械生命体(みごとにロボットらしいロボット)が、地球を侵略して破壊しているくせに、いつしか人間の文化に興味を持ち、人間になりたがって…という設定があるんです。これを迎え撃つ地球側も戦闘員は人外のアンドロイドで、彼らも自らの意思と感情を持つ、持たないという葛藤があって…というような「なりたいロボット」全開の作品で、廃墟とロボットのスクラップに、心をつかまれました。
番号で呼ばれる鉄人よりもアストロボーイ(アトム)のほうがずっと人間(ボーイ)ですし、グローバルというか、海外の人たち、特に欧米の人たちにも理解しやすいのでしょうか。しゃべりもしないし感情も持っていない「あくまでロボット」には共感しにくい。ただ、巨大ロボットのメカっぽいのが変形したり合体したりするのは理屈抜きに好きだし…ということで巨額の製作費をかけて映画『トランスフォーマー』(ロボットじゃなくて宇宙人ですけど)を作ったのかなあ。巨大ロボットと怪獣がバトルする『パシフィック・リム』のようなウソみたいに日本的な世界観の超大作もありますが、巨大ロボットが物語の中心に立っている世界は間違いなく日本独特のものです。そうです。「日本の巨大ロボット群像」は、展覧会タイトルに「日本の…」とつけなくても問題はありません。海外にはこういう群像、ありませんから。「日本の…」とつけているのはわざと強調しているのでしょう。
ところで、わたしたち日本人は「鳥獣戯画」のむかしから、擬人化・キャラ作りは得意でした。民族的特技といってもいいくらいです。まんがやアニメのヒーロー・ヒロイン、怪物、怪人、妖怪、怪獣なんかの、ヒトガタのバリエーションをみても、民族的な才能なのは明らかです。キャラが主導でストーリーを紡ぎだす。日本で生み出された無数のキャラが世界を席巻している現状も納得です。コスプレまで伝染するとは意外でしたけど。アニメを実写化したくなる性癖の持ち主なら納得ですかね。
「あくまでロボット」の同類を、ロボット以外の日本文化でさがすとしたら、妖怪の一種である「付喪神(つくもがみ)」が近いかもしれません。ちょっと待って。『妖怪人間ベム』は「はやくニンゲンになりたーい」だったのではと反論されそうですね。でもね、ベムもベラもベロも彼らが活躍している町も、どう見ても日本じゃないでしょ。『妖怪人間ベム』は、ヒトが一番エライ世界、西洋文化の妖怪です。「オバケにゃ学校も試験もなんにもない」から人間よりも楽しいのが日本の妖怪なんじゃないかな。
「付喪神」は人間に長く使われてきた道具に精霊が宿ったものなのでロボットに近いような気がします。人間じゃなくて精霊がリモコンを動かしてるのでロボットではなくて妖怪なのですね。悪さもする。そもそも百年経った道具たちは人間になりたくて「付喪神」になったわけではないのです。人間なんぞ無視して神的な、妖怪的な、ヒトとは別の存在になったのだと思います。
それって日本のアニミズムでしょと言われてしまうとそれまでなんですが、そのうち古くなって、壊れて、役にたたなくなって、捨てられてしまうのが道具です。そんな道具を、神さまはさすがにちょっとおこがましいからと「付喪神」にする。モノに対する愛着は、職人的な気質から来るのかもしれません。「日本の巨大ロボット群像」を見ていると、そういう職人気質も感じてしまいます。ヒトとヒトは対立し、争いもするけれど、ヒトとモノはつねに幸せな関係だというような感覚があるのかもしれません。
さて、今回はずい分長くなってしまいました。お付き合いいただき感謝です。でもこんなふうにグダグダと書いてきて、やっと4、5歳のわたしがアトムではなく鉄人に惹かれた理由もわかった気がします。わたしは鉄人を操縦する少年探偵金田正太郎が好きだったわけではないのです。嫌いでもないですけど。あくまでもロボットの鉄人が好きでした。鉄人はロボットです。あんなに大きくて強いけれど、自分が持っているオモチャと同じモノです。たぶん、そのうち古くなって、いつか壊れて、最後は捨てられる。動いていない鉄人の絵を眺めていて、わたしはそれを知りました。だから大好きだったし、だから「ロボット」という響きに、郷愁をおぼえるのです。
(総館長 中山喜一朗)
2023年9月21日 17:09
9月13日(水)より企画展「朝鮮王朝の絵画―山水・人物・花鳥―」が開幕いたしました。(10月22日まで、会場:古美術企画展示室)
展示風景
本展は、1392年に創建され500年以上も続いた朝鮮王朝の時代に描かれた絵画44件を山水・人物・花鳥というジャンルごとに紹介するものです。朝鮮王朝といえば、『チャングムの誓い』などの韓国歴史ドラマの舞台としてご存じの方も多いことでしょう。ですが、この時代に描かれた絵画、と言われてパッとイメージできる方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。
それもそのはず。日本において、朝鮮王朝の時代に描かれた絵画をまとまって所蔵している美術館、博物館は数えるほどしかありませんし、それらを体系的に紹介するような展覧会は5~10年に1度開催される程度です。
かく言う私も展覧会準備を始めた頃は、「全部の作品が同じに見えるぞ…」なんて思いながら調査を進めていました。ところが、不思議なものでたくさんの数を見ていくうちに目が慣れてきて作品ごとの個性や見どころが自然と分かるようになっていきます。朝鮮王朝の絵画なんて見たことがない、という方でもご心配なく。この展覧会を見終わる頃にはその魅力のとりこになっているはずです。それでは、本展の出品作品を通して展覧会の見どころについてご紹介いたします。
まずは展覧会のポスター画像にも使用している「文清」印《倣郭煕秋景山水図》について。
「文清」印《倣郭煕秋景山水図》
本作の見どころはなんといっても、画面の真ん中に大きな山を配置したスケールの大きさにあります。この作品には山の巨大さを伝えるための様々な工夫が施されています。例えば、画面の右には流れ落ちる瀧が見えます。
文清」印《倣郭煕秋景山水図》(部分)
上空から真下を見下ろすような視点で描かれており、この山がいかに高いかがお分かりいただけるでしょう。また、画面の左へ目をやると、なだらかな丘が連なっており、分厚い山が奥へと続いている様子がうかがわれます。
「文清」印《倣郭煕秋景山水図》(部分)
また、画中に小さく描かれた人物も山の巨大さをあらわすのに一役買っています。
「文清」印《倣郭煕秋景山水図》(部分)
このような山水画は中国・北宋時代に活躍した郭煕が得意としたもので、本作は郭煕が描いた山水図を朝鮮時代に忠実に写した作品と考えられています。
朝鮮時代は、このような大自然の雄大さ崇高さを伝えるような山水画が多く描かれた一方で、より身近さを感じさせる山水画も多くあります。
例えば、「秋月」印《楼閣山水図》を見てみましょう。
「秋月」印《楼閣山水図》
先ほどと違って、山や楼閣などのモチーフが画面の右側へ寄せられています。これにより左半分が余白となり、開放感のある画面構成となっています。また人物が大きく描かれているのも特徴です。拡大してみると、笑顔で談笑している様子が分かります。
「秋月」印《楼閣山水図》(部分)
とぼけたようなロバの表情も愛らしく、全体に親しみやすい作品に仕上がっています。
本展では、山水画以外にも様々な作品を展示しています。官僚たちが宴席に興じる様子を描いた契会図にも是非ご注目ください。
夏官契会図
会の参加者に記念品として配るための作品で、出席者の名前や役職、出身地まで記載されているのが大きな特徴です。この作品を作るためには会の出席者を確定させ、それぞれの個人情報を調べて、絵を発注して…、と様々な準備が必要だったことは想像に難くなく、現在の飲み会の幹事さんのような様々な苦労があっただろうと思うのです。当時の官僚たちが様々な権力争いを繰り広げたことは韓国ドラマがお好きな方であれば、よくご存じのことでしょう。宴会の記念品とはいえ非常に緊張感のある仕事だったのではないでしょうか。
他にも、動植物の華麗な姿を描いた花鳥図にも魅力的な作品が数多くあります。このブログで紹介できたのは、ほんの一部だけ。残りは会場で是非ご覧ください!
(学芸員 古美術担当 宮田太樹)
2023年9月13日 15:09
2022年3月に「やさしい日本語」勉強中!というブログで、我々が「やさしい日本語」の研修を受けたことを紹介しましたが(ブログ執筆者は、当時の教育普及係長であった鬼本佳代子です)それから約1年半が経ち、当館でも「やさしい日本語」を使った多文化共生プログラムを始めています。
当館で開催しているやさしい日本語ツアーの様子
そもそも「やさしい日本語」とは何か?ですが、やさしい日本語は「難しい言葉を言い換えるなど、相手に配慮したわかりやすい日本語」*1 とされ、日本語を母語としない方へ災害情報を伝えたり、行政文書をわかりやすくしたりと、近年さまざまな利用方法が広がっています。
やさしい日本語が普及する中、福岡市に目を向けると、同市は全国的にみても外国人居住者が多い都市であり、2022年の調査では人口約160万人のうち、約4万人が外国人と報告されています。一方で、外国人居住者を対象にしたミュージアムでのプログラムは全国的にもほとんど例がなく、当館でもこれまで実施していませんでした。
また近年、国際的な博物館を取り巻く状況にも変化がありました。2022年にICOM(国際博物館会議)のプラハ大会で採択されたミュージアムの新定義で「博物館はインクルーシブであり、・・・多様性と持続可能性を育む。・・・」と定められました。ミュージアムは多様な文化的背景をもつ人々が、お互いの価値観を理解、尊重しながら、安心・安全に過ごせる場であることが使命のひとつであると定義されたことは、大変重要な出来事です。(博物館の新定義については2023年5月のブログに詳しく書きました。https://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/85098/)
そこで、当館では2022年から、福岡市内に住む日本語を母語としない親子を対象に、当館のコレクション展を「やさしい日本語」で鑑賞するツアーを始めました。これは、福岡よかトピア国際交流財団と共催で実施しているプログラムで、まさに冒頭の2022年3月のブログで紹介した「やさしい日本語」研修で、同財団の高木美奈子さんと出会ったことで開催が実現しました。もともと、同財団では、福岡市に住む外国人や日本語を母語としない方へのさまざまな国際交流事業の実績があり、「やさしい日本語」を日常的に使っていたそうです。さらに多くの人に「やさしい日本語」を知ってもらう方法を探っていた高木さんと、私の考える美術館でのプログラムの方向性が重なり、今回このプログラムの実現となりました。
2023年は8月と11月に日本語を母語としない親子を対象に「やさしい日本語」の鑑賞ツアーを企画しました。8月の回には4組10名が参加してくれたのですが、実は、私にとって「やさしい日本語」を話すことはまだまだ初めてに近く、ツアーの前はとても緊張します。例えば、普段は、ツアーの前に参加者へ「これからコレクション展で作品鑑賞をします。コレクション展は観覧無料です。貴重品は身につけてご移動ください」などとご案内するのですが、これがやさしい日本語では「これから絵や彫刻(ちょうこく)を 見ます。お金はいりません。大切なものは もっていきます。」と言い換えられます。
美術館でできないことをイラストで確認しているところ。
ツアーの前にみんなで自己紹介タイム。
やさしい日本語には、ひとつの決まった答えがある訳ではありません。ですので、自分の言葉が相手に伝わっているかを、参加者の表情やジェスチャーを見ながら確認し、必要に応じて言い換えるということを繰り返しながら、一緒に作品を鑑賞していきます。ツアーでは、異なる文化的背景をもつ参加者たちが、コレクション展から選んだ作品を一緒に鑑賞します。当然、同じ作品を見ても、それぞれの発見や気づきは異なるのですが、その違いを分かり合えないものと否定するのではなく、尊重し合い、新しい解釈を作っていくことが、ツアーの面白さであり醍醐味です
近現代美術室の作品を鑑賞中
また、今回のツアーは対象と親子としましたが、それには理由があります。福岡市に居住する外国人には留学生の数も多く、その中には家族(配偶者やパートナー)の留学に同行し日本にやってきた人が一定数いるということです。そして、小さな子どもが一緒の場合も少なくありません。これは、仕事で滞在する場合も同じかもしれませんが、彼/彼女が大学で学んだり、仕事で出かけている間に、残された家族と子どもが安心して過ごせる場所がどのくらいあるのか。そんなことを考えて、今回は親子を対象としたツアーを行いました。
そして、今回参加してくれた親子が、次は自分たちでもう一度美術館へ行ってみようと思える手立てを作りたいと考え、福岡市美術館の利用方法や作品の説明を載せた「やさしいにほんご ガイドブック」を制作しました。今回のツアー参加者にも配布し、館内にも設置しています。
やさしいにほんごガイドブックは館内でも配布中
やさしい日本語のプログラムはまだ始まったばかりです。目に見える成果には時間がかかるかもしれませんが、昨年と今年と2年続けてツアーに参加してくれた9歳の女の子は「去年はやさしい日本語の話がわからなかったけれど、今年はわかって、作品のこともわかって楽しかった。」と嬉しそうに話してくれました。はにかみながら笑顔で手を振り帰っていった彼女のことが、忘れられません。今後もやさしい日本語のプログラムを続けようと心に誓うのは、こんな何気ない瞬間なのです。
*1 「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン2020年8月」p3、出入国在留管理庁・文化庁、2020年。
(学芸員 教育普及係 﨑田明香)