2024年12月25日 11:12
《+ と −》 1994/2024年/ ステンレス鋼、モーター、砂
あんまり寒くないので、年の瀬感があまりなかったのですが、ここ数日の冷え込みで、ああ、年末だ。年の暮れだ。とリアルに感じています。おまけに風邪もひいて、急に年末あるある過ぎるシチュエーションに。みなさんも、気を付けてくださいね。
さて、今年も得難い経験、忘れ難い記憶は、多々あるのですが、「公私ともに」と考えた時に浮かんでくるのは、やはり、モナ・ハトゥムの《+と-》が当館2階のコレクション展示室のロビーに恒久展示されたことと、モナ自身が30年ぶりに福岡に来てくださったことです。
今では世界のトップアーティストとして、押しも押されもせぬモナ・ハトゥム。彼女が《+と-》の大型バージョン(最初に作られたのは、直径30㎝ほどでした)を世界に先駆けて福岡で制作・公開したのが、ちょうど30年前の1994年。パフォーマンス・アートやビデオ・アートで知られていた彼女ですが、80年代から90年代にかけては、インスタレーションでの試みが注目されていました。
「ミュージアム・シティ・天神 ‘94 [超郊外]」という福岡の街なかと郊外で開催された展覧会の出品作家のひとりとして、福岡で滞在制作をし、あの作品を仕上げたのです。そして、それは、今に至るまで、「モナ・ハトゥムの代表作」のひとつであり続けています。
美術館でぜひ収蔵したい作家をリストアップしていた時も、モナ・ハトゥムはドリームリストの作家でしたが、福岡にゆかりのある作家だから!と担当者が思い切って連絡をしたところ、なんと前向きな返事が!「FUKUOKA」という土地との絆はずっとつながっていたのです。
今回、福岡に作品を設置することへの彼女からの条件は、これまでのように砂をたたえた器を床の上に乗せるのではなく、床を掘り込んで砂を入れるという、作品と建築が一体化するようなアイディアを実現できるか、ということでした。1979年開館の美術館は、タイル一つをとっても特注品で一度壊したら二度と手に入りません。また、作品を動かすことはできず、美術館が存在するかぎり、展示され続ける特別な作品となります。
学芸会議で話し合いました。美術館の将来を決めてしまうような、それだけの覚悟をして設置するのか?全員一致で、GOでした。そして、その決意に、彼女はすばらしいスピーチで、こたえてくださいました。(美術館ブログ「感動的な作家スピーチ~モナ・ハトゥム《+と-》を恒常展示しました~」をご覧ください)。
みんなで、未来に向けてモナ・ハトゥムの作品を設置する決断ができた。これが、今年の「公」の喜びでした。
では「私」の喜びとは?30年ぶりにお会いしたモナ・ハトゥムという方のお人柄に触れることができたことです。作品については、一切妥協はないのですが、お茶をしたりご飯を食べたり、日常のなかでの彼女は、とても穏やかで、まわりをよく見、よく話し、よく笑う方でした。そして、いつも、きちんと身だしなみにも気を使われていることや、ささいなこと―ちょうちょが飛んでいることとか-にも、気持ちを向けられているお姿を見て、「こんな風になりたいな」と思わずにはいられませんでした。無理ですけど。でも、そんなに素晴らしい、と思える人に出会えたことが、本当に嬉しくて。
来年も、新たな出会いがあると信じて、2025年を楽しみにしたいと思います。
ぜひ、みなさま、体調にはくれぐれも気を付けられて、よいお年をお迎えください!
(館長 岩永悦子)
追伸
今年最後のモナ・ハトゥム関連でうれしかったことは、福岡でコンサートをされたグループのうちおふたりが福岡市美術館に来てくださって、おひとりがインスタグラムに作品の写真をアップしてくださったこと(動画の方が、モナ・ハトゥムの《+と-》、画像の方がインカ・ショニバレCBEの《桜を放つ女》ですね)。そして、ファンの方が、作品を見に来てくださったことです。本当にありがとうございます!そして。またいらしてくださいね!
2024年12月5日 09:12
古美術企画展示室にて企画展「生誕260年 世を観る眼 白醉庵・吉村観阿」を開催中です。
展覧会情報
ポスター
会場風景
吉村観阿(1765-1848)は江戸時代後期に優れた「目利き」として知られた人物。観阿はそのまま「かんあ」と読みますが、口に出すと読みにくくて「かんな」と呼ばれることも多いです。
江戸の両替商の家に生まれ、物心ついた頃から家業は火の車でした。若旦那となって立て直しに奔走するも断念し、妻子を残して34歳で剃髪、隠棲します。その後5~6年のうちに大名茶人・松平不昧に資質を見込まれて交流を重ね、目利きとしての能力を磨いていったようです。不昧の没後は新発田藩溝口家に出入りし、蔵品の鑑定や取次ぎ(道具を見出して、納めること)で活躍しました。とくに10代藩主で博学多才の大名として知られた溝口直諒(翠濤)に寵遇され、深く交流したことが知られます。かくして目利きとしての名を江戸中に轟かせた観阿は、84歳で没するまで、酒井抱一をはじめとする様々な文化人と交流しました。
以上、なんとも不思議な経歴です。両替商の若旦那が出家し、数年後には松平不昧という大名茶人と交流を始めるというのも驚きですが、これには不昧の室(妻)が、観阿の家業を傾けるきっかけとなった相手先である仙台藩伊達家から迎えられていることから、その浅からぬ因縁が指摘されています。また「目利き」といっても美術商であったわけではなく、どのようにして生計を立てていたのかも詳しいことは不明ですが、少なくとも道具の価値を見極める才能をもった人物の中でも、最も金銭の利害が生じにくいニュートラルな存在としての目利きとして信頼を重ねていったものと思われます。
観阿は多くの作品(多くは茶の湯道具)を見極め、箱にサイン(箱書き)をしています。後世、観阿の箱書きのある作品は間違いがないという評判が広まって、その箱書き自体が価値となり、作品本体の価値を一層高めてきました。
本展は、そうした観阿の箱書きを伴う茶道具を中心に、その生涯と美意識に迫る展覧会です。観阿の生誕260年にあたる本年度において、吉村観阿研究の第一人者である宮武慶之さん(同志社大学京都と茶文化研究センター共同研究員)の監修により実現した、恐らく初めての企画展となります。
生誕260年とは、周年をうたうにはなんとも中途半端です。ただ、一般にはほとんど知られていないこの人物の生きた時代をすぐに知っていただけるよう、あえてタイトルに加えることとしました。
本展の章構成と概要は次の通りです。
・第1章:松平不昧との交流―目利きを学ぶ―
観阿が参席した不昧の茶会に使われた道具や、不昧から贈られた道具などを展示します。
《菊桐蒔絵棗(高台寺蒔絵)》桃山時代 北村美術館蔵
・第2章:不昧没後の観阿―溝口家との交流―
溝口家旧蔵品の中から、観阿が同家に取り次いだことを示す道具を中心に紹介します。
《白呉州獅子蓋香炉》中国明時代 個人蔵
・第3章:目利きのこころとまなざし
観阿の仏教者としての側面をとりあげ、自身が所持、愛蔵した道具、それらを用いた茶会の取り合わせを再現します。
原羊遊斎作《桃蒔絵細棗》江戸時代 個人蔵
・第4章:江戸における観阿の交流と周辺
観阿自作の茶碗・茶杓をはじめ、観阿とその周辺の茶の湯を通じた交流を物語る資料を紹介します。
吉村観阿作《白楽茶碗 銘「霜夜」》江戸時代 北方文化博物館
・第5章:冬木屋旧蔵品と観阿の周辺
多くの名品を集めた江戸の冬木屋旧蔵品と観阿の関係を起点に、美術品をとりまく状況を作品とともに紹介します。
全国各地の所蔵家の方々の出品協力をいただき、出品総数は53件(出品作品リスト)です。
本阿弥光悦《瓢箪香合》江戸時代 北陸大学蔵
※12月17日(火)より公開予定(都合により予定変更することがあります)
ちなみに冒頭に掲げた本展のポスターのデザインは、グラフィックデザイナー奥村靫正さんに手掛けていただきました。畳の縁を効果的に配した構図で、四角囲みのタイトルとキャッチコピーの部分は、茶道具の箱の貼紙を連想させます。全体に彩度を落としながら、よくみると茶碗の周囲は段々とさらに彩度が落ちてゆくようグラデ―ジョンがかけられています。見れば見るほど江戸時代の茶室の空間に引き込まれるようです。
展覧会図録も作りました。こちらは2022年の『明恵礼讃 “日本最古の茶園”高山寺と近代数寄者たち』展の図録を手掛けていただいたグラフィックデザイナー松浦佳菜子さんにお願いしました。表紙はシルバーを主体に、奥村さんのポスターの世界観に沿ってシンプルでありながらキラリと輝く存在感。読みやすさを追求したレイアウトはもとより、作品写真は茶杓や茶碗などの一部を原寸大で表示するなどの工夫もされています(B5オールカラー、128頁、税込2500円)。
表紙
見開き
展覧会は2025年1月19日(日)まで。ご来場お待ちしております。
(学芸課長 後藤 恒)
2024年11月20日 09:11
どーも。総館長の中山です。
11月10日の日曜日、「トークイベント・プレゼンバトル近現代美術編」を明治学院大学教授の山下裕二さんとやりました。昨年の「古美術編」に続く2回目のバトルです。ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。事前申し込みの抽選にもれた皆さま、大変申し訳ございませんでした。
山下さんとは昨年と今回だけでなく、10年以上前に横浜で幽霊画に関する対談をしたことがあります。そのときわざわざ福岡から横浜まで聞きにきてくださった熱心な美術ファンの方が今回も来られていて、大変うれしく思いました。講演や対談を山のようにされている山下さんは「あれ、そんなのやりましたっけ」とすっかりお忘れでしたが、円山応挙の美人な幽霊画は、実は《百怪図巻》(福岡市博物館蔵・旧吉川観方コレクション)に描かれている雪女をアレンジして幽霊にしたものという自説を披露したわたしにとっては、思い出深い対談でした。
昨年に続き、会場はバトルを楽しみにされたたくさんの方で満員となりました。
今回のバトルは、山下さんが日本選抜監督、わたしが世界選抜監督(なんと大げさな)になり、当館所蔵の近現代作品からそれぞれ5点を選んで先鋒戦から大将戦まで5対5の団体戦でプレゼン対決をするというものでした。ちなみに、対決のラインアップはこんな感じです。
◇先鋒戦◇ 横尾忠則《暗夜光路 旅の夜》VSアンディ・ウォーホル《エルヴィス》
◇次鋒戦◇ 横山操《溶鉱炉》VSマルク・シャガール《空飛ぶアトラージュ》
◇中堅戦◇ 中ハシ克シゲ《Nippon Cha Cha Cha 》VSアンゼルム・キーファー《メランコリア》
◇副将戦◇ 赤瀬川原平《千円札(風倉匠の肖像)》VSモナ・ハトゥム《+と-》
◇大将戦◇ 藤野一友《眺望》VSサルバドール・ダリ《ポルト・リガトの聖母》
これらの作品は、当館ホームページのコレクション・ハイライト | 福岡市美術館)や、所蔵品検索 | 福岡市美術館からご覧になれますので、ご興味がある方はぜひ。
赤と青のマフラーをまとって、いざ、プレゼンバトル!
メンバーの顔触れを見ると、現在展示中で、当館の目玉的な有名作品からわたしがピックアップし、山下さんはどちらかというとマニアックな作品から選ばれた感じです。わたしが先に世界選抜のメンバーをお知らせしたので、それにどこか対応する作家や作品を山下さんが選ばれた、ということでもあります。前回の「古美術編」は逆で、山下さんが先に選ばれ、それに合わせて(かぶらないように)わたしが選んだので、作品傾向も山下さん好みの名作対私好みのマニア向け作品になり、今年とは逆でした。
バトルでは、横尾さんや赤瀬川さんなどと親交がある(あった)山下さんらしく、作品の裏側にいる作家の素顔が感じられる絶好の機会でもありました。そういう意味では、わたしは9月に作品設置のために福岡まで来ていただいたモナ・ハトゥムさんとランチをご一緒したくらいしかネタがなく、まあしかたがないなあと。バトルの内容については、当館の広報誌「エスプラナード」1月号紙上にレポート記事が掲載される予定ですし、その記事はホームページ(エスプラナード(季刊誌) | 福岡市美術館)でもPDFで閲覧できますからお楽しみに。
昨年に続いて、レフェリーは後藤学芸課長。
当日は後藤学芸課長がレフェリー役で、司会だけでなくバトル開始と終了のゴングも鳴らしてくれましたし、近現代美術担当の学芸員3名がリングサイド(最前列)に陣取り、おもに山下さんサイドのセコンドとして「この作品の収集はいつですか」などという質問にもすぐさま答えてくれたおかげで、バトルは90分の予定を10秒オーバーしただけで無事終了しました。まあしかし、それぞれ5分(後半は時間的に余裕ができたのでそれぞれ8分)の時間内に相手を圧倒するような内容のプレゼンテーションを応酬するのはむずかしいですね。いいたいことは山ほど残っています。それでも終了後、何人もの方からおもしろかったですとか、楽しかったですという好意的な感想をいただき、監督の役目が果たせて満足しています。というか、とにかく両軍とも選手が優秀でしたから。
ではいったい、どっちが勝ったのでしょうか。レフェリーの後藤学芸課長は、「勝ち負けは決めません。みなさんそれぞれ心の中でお考え下さい」と試合前に宣言しましたので、バトル会場では決着がついていません。感想を言ってくださったみなさんに、「どっちが勝ちでしたか?」と聞く勇気はありませんでした。美術品としてはこっちが勝ちでしたけど、プレゼンとしては完全に逆でしたね。なんて言われたらショックですし。そもそも美術家や美術品の勝ち負けって…ね。あるんでしょうか。なくはない。優劣はあるんじゃないかと、みなさんは思われていますか? あるでしょ。でないと値段がつかないでしょ。とか。だから美術館は存在できるのでしょ、などと言われたら、ぐうの音も出ませんね。
考えてみれば、私たち美術史を勉強している人間は、「これは○○で○○であり、優れた作品である」などと断言したりしています。単語として優品とか傑作とかよく使いますし。あれは、いったい何と比べているのでしょうか。もっとつっこんで言うと、本当に自分自身で一から十まで徹底的に調べ、考えて結論を出し、優れていると断言しているのでしょうか。自分が感じた感動をきちんと数値化して、比較して、客観的に評価しているんでしょうか。ひょっとしたら、誰かに、何かに、指摘されたり教えられたりした尻馬に乗っているだけかもしれません。プレゼンバトルしたくせに、こんなことを言うのもどうかと思うのですが、一般の方々から専門家であると認められているとか、美術で飯を食っているという自覚がある者は、そういう責任を負っていると改めて思いました。はい、これ自省です。
とはいえ、美術の見方はまったくの自由であることは事実ですから、当然ながら作品の評価も自由なんです。自由に見比べてください。そもそも展覧会は、どのような展覧会であっても、見比べるという行為が前提ですから。心の中で勝ち負けを決めていただいてかまわないわけです。ああ、やっぱりバトルの勝敗、聞いてみればよかった…。
(総館長 中山喜一朗)