2020年7月1日 10:07
ヘンリー・ムーア展の思い出
福岡市美術館にヘンリー・ムーア(1898-1986)の彫刻《ふたつのかたちによる横たわる人体 №2》(1960)がやってきました。西日本シティ銀行からの寄託を受けて、6月23日から公開しています。福岡市美術館は、過去にヘンリー・ムーア大回顧展を開催していますし、20世紀を代表する世界的彫刻家、ヘンリー・ムーアの代表作が美術館で公開とあって、取材も多々あって嬉しい限りです。
取材のために資料を確認していて、ひとつ大きな勘違いをしていたことに気づかされました。私事ながら、美術館で勤め始めたのが1987年の夏。なぜか自分の頭のなかで、「自分が福岡に来る直前にヘンリー・ムーア展が終了した。もう少し早ければ見ることができたのに…」というストーリーになっていて、資料を見て「ムーアが亡くなったのが86年?展覧会も86年?えっ、87年の間違いでは!?」と冷や汗をかき、よくよく調べると、自分の記憶違いであったと…。
ちょっと言い訳をさせていただくと、美術館に入ったばっかりの私は、多くの人から「ムーア展はすごかったね!大濠公園で見る彫刻は素晴らしかったよ」「え、ムーア見逃したの?もうちょっと早く来てればよかったねえ」「惜しいことしたね」と、さんざん言われたのです。みんな、一年前のことなのに、ついこないだのことであるかのように。その情熱を思えば、展覧会を契機にヘンリー・ムーアの彫刻を設置する市民運動ができ、2年の歳月を経て現在博多駅に設置されている《着衣の横たわる母と子》(1983-1984)に結実したことも、納得です。
福岡市美術館にとってのヘンリー・ムーア
実は、いままでナイショにしていましたが、いえ、そうではなく、あまり大声で言ってこなかったのですが、福岡市美術館には、あるジャンルにおいて、突出したコレクションがあります。実は、「英国の現代彫刻」のコレクションは、作品の規模、質、カバーする時代といい、確実に国内トップレベルです。
開館から3年後の1982年から1990年、1998年と、当館はブリティッシュ・カウンシルと、3度にわたって英国の現代美術展を開催してきた、ということが基盤になっています。
アンソニー・カロ(1924-2013) 驚きの平面 1974
バリー・フラナガン(1941-2009) 三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ 1988
デイヴィッド・ナッシュ(1945-) 内側/外側 1984
アニッシュ・カプーア(1954-) 虚ろなる母 1989-90
インカ・ショニバレCBE(1962-) 桜を放つ女性 2019
上記の作品は、すべて現在展示中のもの。1970年代から21世紀まで、英国現代彫刻の代表的作家の大規模作品が、館内外で見ていただけます。
アンソニー・カロ(1924-2013) 驚きの平面 1974
バリー・フラナガン(1941-2009) 三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ 1988
デイヴィッド・ナッシュ(1945-) 内側/外側 1984
アニッシュ・カプーア(1954-) 虚ろなる母 1989-90
インカ・ショニバレCBE(1962-) 桜を放つ女性 2019
ブロンズという彫刻の伝統的な素材から、自然の樹木をそのまま生かすことや、樹脂や染織品の使用へといった素材の変化、アジアやアフリカにルーツを持つ作家が英国の代表的彫刻家として活動していることなど、これらの作品を通して、時代の変遷も見ていただけると思います。ここに、その原点ともいうべき、ヘンリー・ムーアの60年代の代表作が加わって、当館のラインナップは、現在「英国現代彫刻」の日本最強の展示といえるでしょう。
ぜひ、広大な美術館の内外のスペースで、英国現代彫刻の名品を堪能してください。
(館長 岩永悦子)
2020年6月24日 09:06
まだまだマスクは手放せませんが、少し新型コロナウイルスも落ち着いた感がありますね。とはいえ、油断はできず、電車やバスに乗るのも、躊躇される方は多いのではないでしょうか。しかし、各地の美術館・博物館もだんだんと開館してきています。当館も、5月19日から展示室、カフェ、ショップは開いていますし、美術情報コーナーも現在解放しています。そして、毎月1回実施している美術館職員による講座「つきなみ講座」も再開しました!実は、夏休みこども美術館も、現在準備に入っていて、オンラインでのギャラリートークや、美術館に集まってもらっての少人数ワークショップなども開催する予定です。少しずつですが、安全と皆さんの安心を考えつつ、少しでも多くの方に美術を届けようと、工夫を凝らしつつ「開いていっている」状況です。
そんななか、先日、展示室を回っていると、ある監視員さんから呼び止められました。何かあったのかな、と思って話を聞こうとしたら、「あの、これ、もらってください」と手渡されたものが・・・
そうです、ぬりえです!ブログを読まれている皆さんの中には、覚えておられる方もいらっしゃるかと思います、3月11日と4月29日のブログに「学校に行けなくておうちにいる子どもたちのために」と思ってダウンロードできるようにした手作りぬりえ。こんなところに需要があったとは!しかし、なんというおしゃれな薬師如来立像と金剛力士立像でしょう!草間彌生の《南瓜》模様の衣、そしてインカ・ショニバレCBEの《桜を放つ女性》の衣装と揃い模様の裳(腰に巻かれた布)とは、まさに現代美術と古美術の見事なコラボレーションです。
というわけで、4月29日のブログにも書いたように、皆さんが#福岡市美術館ぬりえ、#福岡市美術館をつけてSNSにあげてくださった彩色したぬりえをここでご紹介したいと思います。ダウンロードくださった皆さま、本当にありがとうございました!
まず最初にご紹介したいのは、《薬師如来立像》。ダントツ人気でした。病を癒してくれるお薬師様が、このご時世、人気が出るのはうなずけます。どのお薬師様も神々しい!
そして、二番人気はまさかの《金剛力士立像(阿形)》でした。布の柄がかわいらしく、おしゃれです。もともと動きのある布ですが、柄のおかげで、さらに動きがあるように思えます。
さらに、野々村仁清《色絵吉野山図茶壺》と尾形乾山《花籠図》のぬりえもありました。お花シリーズですね。オリジナルの《色絵吉野山図茶壺》は桜の風景、《花籠図》は秋の花々の絵なのですが、いずれも季節が違っているような気が・・・。皆さんのぬりえを見て、いかに自分が固定観念に縛られているかを思い知りました。その想像の自由さに脱帽です。
最後に動物シリーズ。狩野探幽《獺図》、《クリシュナ物語図更紗壁掛》(部分)、《コブウシ土偶》さらに「手を洗うこぶうしくん」です。いずれもステキに仕上げてくれています。なかでも、《獺図》のぬりえは、すごい!!ワイルドな塗り方に、かなりのセンスを感じます。また、《コブウシ土偶》はなんとマスク付き!「手を洗うこぶうしくん」と並べておきたいですね。ちなみに、このブログでご紹介する「手を洗うこぶうしくん」は、以前の同僚から、わざわざ送られてきたものです。
それにしても、皆さんのユーモアや想像力には驚かされました!私たちも大いに楽しませてもらいました。今後もステキなぬりえがSNS上に増えていくのを楽しみにしています。
おまけですが、なんとミュージアムショップの皆さんも、ぬりえを楽しんでくださいました。しっかり店頭に並んでいます。
ぬりえは、「なつやすみこども美術館2020」(6月30日[火]~8月30日[日])期間中、美術情報コーナーにも設置します。おいでの際は、どうぞお持ち帰りください。また、下記ブログページからもダウンロードできます。
・ブログ:福岡市美術館の「ぬりえ」ダウンロードしませんか?
・ブログ:オンライン大作戦GWスペシャル~ぬりえ再び
まだやっていない、という方は、ぜひチャレンジしてみてくださいね!
(主任学芸主事 教育普及担当 鬼本佳代子)
2020年6月17日 10:06
本日から1階古美術企画展示室にて「芸術とパトロン」を開催しています(~8月30日(日))。新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、当館職員も在宅勤務を実施しており、実はこの展示は自宅で考えたものです。ホームページをリニューアルした際に、所蔵品検索の機能を大幅に充実させ、著作権上の問題がないものに限りほぼ全ての作品が写真つきで閲覧できるようになりました。ご自宅でも気軽に作品鑑賞をお楽しみいただけますので、是非ご活用ください!
とはいえ、パソコンの画面越しでは分からないことがあるのも事実。私も在宅勤務期間があけて、改めて生で作品を見たときに新たな発見がいくつかありました。ということで、本展出品作品から《八景図》をピックアップしてご紹介したいと思います。
これは中国の名所に因んだ8場面を、黒田家第4代藩主・黒田綱政(1659-1711)、狩野主信(もりのぶ、1675-1724)、狩野昌運(1637-1702)の3名でそれぞれ分担して描いたものです。福岡藩の殿様と幕府や藩の御用を務めていた狩野派絵師の合作であり、パトロンに焦点をあてた本展にぴったりの作品です。まずは3人の画風をそれぞれ比べてみましょう。
黒田綱政
黒田綱政
狩野主信
狩野主信
狩野昌運
いかがでしょうか?輪郭線は使わずに墨のグラデーションによって遠くの山々をあらわすという手法は3人に共通しますが、手前の岩の表現にはかなりの違いが認められます。すなわち、綱政と主信は遠くの山々と同様に輪郭線を用いない手法を用いるのに対し、昌運は濃い輪郭で縁取り筆の毛羽立ちをいかして岩肌のごつごつした質感を表現しています。絵画表現としてどちらがすぐれているか、と言われると私は昌運に一票を投じます。手前と奥とで表現を変えることで画面が単調になるのを防いでいますし、近くがくっきり、遠くがぼんやりとしているので奥行きを感じることができます。アマチュアの綱政とプロの昌運の技量の差がはっきりと示されているとも言えるでしょう。
さて、ここで問題になるのが、主信が担当した部分です。というのも、御用絵師の中でも最も格式の高い奥絵師という立場にあった主信にしてはちょっと画面が素気なく本気を出せばもう少し上手に描けたのではないか、という気がするのです。「ひょっとして綱政に気を使って彼の画風に寄せているのでは?」そんな疑いも持ってしまいます。これは妄想に近い仮説ではありますが、せっかくなので検証してみたいと思います。
まずは3人の年齢構成を確認しておきましょう。この絵巻がいつ描かれたかはっきりしませんが、仮に綱政が40歳の時とすると、主信は24歳、昌運は52歳となります。主信がダントツの若造であることが分かりますね。作画にあたっては綱政に相当気を使ったのではないでしょうか。一方、昌運は綱政より一回りも年上ですし、綱政の絵の先生でもあります。主信に比べると、綱政にそれほど気を使う必要はなく、自身の画風を発揮することが可能だったと言えるでしょう。
それから、もう1つ注目したいのが絹継ぎです。本絵巻は長さが6.5mに及ぶ絹に描かれていますが、もちろん一枚絹ではなく、30~60cmほどの絹を12枚つなぎ合わせています。この絹継ぎを観察することによって、どのような過程で制作されたのかを復元的に考察することができます。もう少し具体的に言うと、3人がそれぞれ別々に描いたのを後から合体させて1つの絵巻にしたのか、あるいは、元々1枚につなぎ合わせた状態の絹に3人が絵を描いたのか、を想像する手助けになるのです。結論を先に言うと、綱政と主信は、元々1枚につないだ状態の絹に描いており、昌運は別に描いたのを後から合体させたのではないかと思います。なぜそう言えるかというと、綱政と主信が同じ絹に描いている箇所があるからです。
ですから、綱政と主信が別々に描いて後から合体させたということはありえません。まず、綱政が作画を完成させた後にバトンタッチして続きを主信が描いた、という過程が想像できるでしょう。一回り以上も年の離れた殿様の後を受けた主信の気持ちは想像するだけで胃が痛くなりそうです。「殿様より上手く描いちゃったら怒られるかな…」「でも、下手くそすぎると仕事がもらえなくなるかも…」なんてことを考えながら恐る恐る筆を振るったかもしれません。
一方、主信の次の場面を担当した昌運はどうでしょう。絹の継ぎ目で絵がつながっていないことは一目瞭然ですね。
綱政・主信とは別に描いたのを後から合体させた可能性があります。それほどストレスなく描けたのではないでしょうか。
以上、多分に妄想を含んでおり多くの検討課題を残した仮説ではありますが、1つだけ言えることは、作品は作家が自由に制作できるわけではなく、様々な制約を受けていたということです。そして、彼らの制作を規定する重要な要素としてパトロン(本絵巻の場合は綱政)の存在が大きかったということも実感していただけるのではないでしょうか。展示は8月30日(日)まで。殿様と若手絵師のコラボ作品を是非会場でご覧下さい!
(学芸員 古美術担当 宮田太樹 )