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福岡市美術館ブログ

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カテゴリー:総館長ブログ

総館長ブログ

びっくりした自分にびっくり

どーも。館長の中山です。7月26日、福岡歯科大学で福岡学園の開学記念式典があり、講演をたのまれていたので行ってきました。大学本館の立派な玄関を入ると、巨大な陶板壁画が目に飛び込んできてびっくり。「えっ! これは甲斐巳八郎さんの作品! すごい!」と目を見張り、感動しました。

というのもわたしが学芸員になってはじめて担当した企画展が「現代に生きる新しい水墨画の世界 甲斐巳八郎展」(1982年)だったから(古美術の学芸員として就職したのに、しょっぱなから「水墨画だから」ということで現代美術をやらされたんですよ)です。でもすごく勉強になったし、今でも忘れられない展覧会なんです。だから、当時はまったく手がつけられなかった甲斐さんの若いころのことを4年前から美術館の研究紀要に「満州の甲斐巳八郎」と題して資料紹介の連載もしているんです。7月の初旬に国会図書館で何度目かの調査をしたばかりだったし。我ながら執念深いなあ。

その甲斐さんの巨大な壁画が突然目の前に現れたので驚いたのです。無理ないでしょう?「こんなの知らなかった! すごくいい作品だ!」なんて。甲斐さんの略年譜などの書かれたパネルが設置されていて、作品のタイトルはありませんでしたが、中央アジアの山なみを描いた晩年の作に違いないのです。

でも待てよ。あれ、そうだっけ? …思い出した。38年前、新人学芸員として手探りで甲斐さんの年譜を作っている最中に、この壁画を見に来ているんです。それを完全に忘れていただけのこと。歳はとりたくないですね。そのうち、一度読んだ小説をまた読んで、一度読んだことも忘れてまた感動したりしてしまうのでしょうか。まあ、それも幸せ? 歯科大学や大学病院に行かれることがあったら是非見てみてください。水墨画のニュアンスと力強さが見事に再現されています。

(館長 中山喜一朗)

1977年2月に着手し、1978年9月に完成。甲斐巳八郎は1979年6月没。写真は福岡歯科大学総務課・和才広輝氏撮影、提供。

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吉祥図像のチカラ

どーも。館長の中山です。先日、麻生太郎財務大臣からのお礼状が届きました。6月にG20財務大臣・中央銀行総裁会議が福岡で開催され,美術館が夕食会の会場になったからです。ご存じのかたも多いと思います。そうでもない?
財務省のホームページには福岡での会議のスナップ写真が80枚以上紹介されていて、当館の特別展示室での夕食会の楽しそうな様子も伝わってきます。特に円山応挙の「竹鶴・若松図屏風」を背に麻生大臣や黒田東彦日銀総裁がアップで映っている写真(下)が印象的でした。麻生大臣は福岡県(飯塚市)出身ですが、黒田総裁も福岡県(大牟田市)のご出身なんですね。


新聞やテレビでは、まとめるのが難しい会議を円満にまとめたことから、「奇跡の金屏風」などと報道された「竹鶴・若松図屏風」は、7月15日まで特別公開してみなさまにもご覧いただきました。こういうのを吉祥図像のチカラ、というのでしょうか。
ところで、20年ほど前のことですが、沖縄の那覇市で1000円の掛軸が大量に売られているのを見かけました。印刷した七福神や高砂図などのチープなもので、「さすがにこれは海外からの観光客でも買わないよね」などと同行の学芸員と話しました。ところがです。いく先々の一般家庭の床の間で、何度もその1000円の掛軸を見てしまったのです。観光土産ではなくて、ちゃんと「正月掛け」として使われている実用品なのです。ようは値段じゃない。描かれているおめでたい図像が大事ということ。わたしも土産ではなく買い求め、その1000円の掛軸を「しあわせ博物館」という特別展で展示してしまいました。博物館に勤めていたころのことです。博物館史上最安値の展示品だったかもしれません。
もちろん、そういう1000円の掛軸と今回の金屏風をまともに比較するつもりはありませんよ。さすがに応挙先生に失礼ですから。

(館長 中山喜一朗)


写真は財務省ホームページから転載

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淘汰とアーカイブ

どーも。館長の中山です。「福岡城だより」というNPO法人福岡城市民の会の広報誌の巻頭言(600字程度)を依頼されました。内容は、「福岡市美術館と福岡城(黒田藩)」にしてくださいということだったのですが、そんなことが書類に書いてあるのを知らずに(つまりちゃんと書類を読まずに)、最近あたまに浮かんでいることをちょこちょこっと書きました。なので、たぶん採用されずに書き直しになる公算が大です。まだ締め切りは先ですし。

それで、「せっかく書いたのに…。そうだ、ブログだ」と思いつきました。今回は、その原稿にちょこちょこっと手を入れて投稿します。ひょっとすると、巻頭言に採用されてしまうかもしれません。そのときはすみません。使いまわしになります。どっちがどっちの使いまわしか、ややこしいですけど。

「埋蔵文化財も古美術でしょ?」と問いかけられたことがあります。「発掘品と伝世品、つまり地上から一度は失われたものと、ずっと守られ伝えられてきたものという違いはありますよ」と答えた記憶もあります。一方で、「火事のときはこれ持って逃げろ、と言われたから相当な値うちがあるはずだ」という掛軸を持ちこまれ、答えに困って「処分などしないで大切にしてください」と顔をゆがめて返答をしたことは一度や二度ではありません。

ミュージアムは収集資料を選びます。一応、淘汰といえるでしょう。選んで収集したものは保存し続けます。だから所蔵資料は確実に増え続ける。埋蔵文化財の場合、福岡のように掘れば何かが出てくる歴史ある土地ならなおさらです。破滅的な自然災害がなければ、それらはずっと地上から失われずに増えていくわけで、ちょっと未来が心配になります。

美術館と違い、博物館が扱う歴史資料は、近代以降の資料であっても一定の時間的な経過にともなって、これを保存し継承しようとする市民の意思が働いています。学芸員は民意の代弁者として資料を調査し、アーカイブするわけです。アーカイブして、ようやく名前もない得体のしれないものが文化財になるともいえます。ポップカルチャーやサブカルチャーのポップやサブを取り去るのにもアーカイブは必須です。いつでも再検証して位置づけ、価値づけができるアーカイブズがなければ、消費されて失われていくだけだからです。だから「なにこれ。わけわかんない」みたいなものをとりあげて展覧会に仕立て、ときには収集してアーカイブする美術館の学芸員は、「むかしは訳がわからなかったけれど、いま見るとすごくいいね」などと来館者に言われると、ほっとして胸をなでおろし、にわかに知ったかぶりの解説をはじめるのです。淘汰もアーカイブもなかなか難しいなあ。

(館長 中山喜一朗)

発掘品代表「壺形土器」重要文化財・松永コレクション

伝世品代表「吉野山図茶壷」重要文化財・松永コレクション

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