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福岡市美術館ブログ

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カテゴリー:コレクション展 近現代美術

コレクション展 近現代美術

明日は8月6日

広島に原爆が投下されて75年になります。
2階近現代美術室Bで開催中の「殿敷侃展」で取り上げている殿敷侃(とのしきただし)は1942年広島生まれの美術家です。1945年当時、殿敷の父親は爆心地にほど近い広島郵便局に勤務し、殿敷は母親と姉とともに広島県世羅郡に疎開していました。原爆投下から数日後、殿敷は母親に背負われ、姉とともに父親を捜しに広島市内に入り、二次被ばくします。原爆で父親を、その5年後母親を亡くした幼少期の苦労ははかり知れませんが、20歳の時長期入院していた病院で開かれた絵画教室で美術と出会い、短期間のうちに数々の展覧会へ出品するようになるほどのめりこみ、やがて国鉄の職を辞め、美術を生業とするようになります。

左:《自画像のある風景》1969年、右:《は 1》1970年

被ばくによって命を落とした者たちや彼らを忘却した社会をポップアート風に描いた絵画や、父親の爪をもとにした三日月形を無数に刻み、父の霊が地から湧き上がってくるイメージをつくりだした版画「霊地」シリーズ等に顕著なように、殿敷にとって原爆体験は活動の根底にあり、表現することの原動力でもありました。そして「霊地」の版を新聞紙やポスターに重ねて刷るなど、原爆の記憶は自身が生きる同時代の社会にも接続されてゆきます。1983年頃より殿敷の作品はインスタレーションへと展開しますが、例えば生活廃棄物を集め焼き固めた塊で構成された《お好み焼き風料理法》はタイトルとその形状から広島の名物そして焦土の風景をも想起させるとともに、消費経済一辺倒の社会に対する過激な問いかけでもありました。ほかにも古タイヤや海岸に打ち捨てられた木片などを集め、空間にぶちまけたり、出入口を塞いだり。殿敷は社会のなかで隠蔽されている現実や人々が見ないようにしてきた現実を突きつけ、時に人を巻き込み、見える景色を変え、鈍った意識を揺るがすような活動を亡くなる直前まで続けました。

「殿敷侃展」では、2018年度ご遺族により寄贈された18作品をすべて展示公開しています。当館企画の展覧会にも複数回参加し、自らも個展を開くなど福岡市ともゆかりある殿敷の作品が当館のコレクションに加わり、その活動を俯瞰できるようになったことで、見えてくるものも多いように思います。しかしながら1983年以降殿敷が特に力を注いだインスタレーションやアートプロジェクトについては、写真等の資料や先行研究をたどるしかありません。本展では、福岡で作品を発表した際の記録写真や当館が所蔵する関連資料も一部展示紹介しています。

写真奥のパネルでは、1985年の「第2回アジア美術展」(福岡市美術館)で展示された《お好み焼き風料理法》、1989年「個展 まっ赤にぬられてハカタが視えた」(ギャラリー・ロワ、福岡市)、1990年「個展 BARRICADE-TYRE」(福岡市美術館特別展示室B)の記録写真を紹介しています。

ケース内には、生活廃棄物を地に掘った穴に埋め焼き固めたプロジェクト「ゴミ拾いをアートするイベント 山口―日本海―二位ノ浜」の資料や、《まっ赤にぬられてヒロシマが視えた》の記録写真、ギャラリー・ロワでの個展リーフレット等を展示しています。

さて、展覧会準備で資料をあたるなかで、古い新聞記事が目に留まりました。福岡市中央区大名にあったギャラリー・ロワで開催された「まっ赤にぬられてハカタが視えた」と題する個展(1989年9月9日~17日)を取り上げたものです。この個展で殿敷は、赤い塗料を塗りたくったビニールシートをギャラリー空間にはりめぐらせました。殿敷は新聞記事で次のように語っています。

ギャラリー内の壁や窓、ドアを水性塗料で真っ赤に染めました。赤は私の血や体を表しており、この赤を通して博多という街がどう見えるかというのが狙いです。ことし初め、ギャラリーを下見したとき、街が見える窓がポイントだと直感し、アイデアを考えました。衝撃的な場を観客には感覚的に味わってもらえればと思っています。
常に社会との接点を持ち、メッセージを伝えるアートを目指しています。枯れた松の木に文明を象徴させた古タイヤをぶら下げたり、ソウル市で拾い集めたゴミだけで構成した作品展示など廃棄物や環境問題に対する危機感ですが、現状は一段と深刻になっています。 
(「近況 赤一色の個展 殿敷侃」『西日本新聞』1989年9月13日夕刊から抜粋)

ギャラリー空間を自らの血肉を表わす「赤」で覆い、息づかせた個展の2年前の1987年7月18日、殿敷は同じく赤い塗料でドローイングを施した長さ100メートルものビニールシートを市民とともに原爆ドーム前にフェンスのように立てるイベント《まっ赤にぬられてヒロシマが視えた》をおこなっていました。当時の記録写真を見ると、殿敷の激しい身体の動きや血液を想起させる赤い色が、一般の市民に支えられ、広島の街に浮かび上がっています。

2020年に生きるわたしたちは、これらの赤いインスタレーションの「衝撃的な場」を味わうことはできません。しかしながらその記録と、殿敷侃の「血や体」すなわち身体行為の結果ともいえる作品を味わい、過去と現在について考えてみることは可能でしょう。原爆投下を引き起こした戦争について、戦争を生んだ社会について、現在も変わらず続く経済至上主義について、そしてその中に埋もれてしまっている物事について。
(学芸員 近現代美術担当 正路佐知子)

当館の「殿敷侃展」は2020年8月30日まで、2回近現代美術室Bにてご覧いただけます。また、2017年に大規模な回顧展「殿敷侃:逆流の生まれるところ」を開催した広島市現代美術館においても現在、「コレクション展2020-1特集2宿命の芸術」のなかで、殿敷侃の作品が19点展示されています。(2020年9月27日まで)

コレクション展 近現代美術

夏休みこども美術館2020こどもギャラリー「みるみるこわい絵の世界」開催中

みなさま、こんにちは。
毎年こどもたちの夏休みに合わせて開催している『夏休みこども美術館』、1990年から始まり今年でなんと30周年を迎えます。今年は「みるみるこわい絵の世界」と題しコレクション展示室近現代美術室Aにて開催しています。夏といえば怪談やこわいおばけがつきものですが、美術館の「こわい」は一味違います。みればみるほどこわい絵やこわいお話がかかれた絵、はらはら・どきどきする絵などいろいろなこわい絵の世界へみなさんをいざないます。

さて、この展覧会は「こわい」がテーマなのですが、みなさんが最近「こわい」と思うことはなんですか?私も幼いころはテレビで見る幽霊や怪談がこわかったです。今でもあまり得意ではないですが、今はそれよりも「こわい」ものがあります。例えば今だったら、〆切がこわいです(学芸員の方には結構多いかもしれません)。放っておいて後から手を付けようとすると時間がなくてとても焦ります。あとは、今までにやったことがないことも、こわくてなかなかチャレンジできません。でも、前に進むためにはこの「こわい」にちゃんと向き合うことが大切だと、私自身の経験の中で思いました。今回の展覧会では、こどもたちが「こわい」、「よくわからない」に向き合う機会にしてほしいと思い、あえて「こわい」をテーマに選びました。

展示会場の照明は、「こわい」雰囲気が出ると思い、普段より少し暗めに設定しています。

展覧会では、4つの章にわけて作品を紹介しています。章ごとに、作品をみるときに注目してほしいことを書いた、写真のようなパネルをおいています。作品を見る前に、ぜひパネルを読んでみてください。

各章はこのようになっています。

◆みればみるほどこわい
 ぶきみでおそろしいものがかかれている。よーくみてみよう。何がみえたかな?
◆はなしがこわい
 ここにかざってある絵には物語があるよ。どんなおはなしなんだろう?
◆はらはらしてこわい
 あぶない!なにをしているんだろう?登場人物たちのセリフを考えてみよう。
◆こわいってなんだろう?
 この絵、くらくもみえるけど、あかるくもみえるな。この絵はこわい?こわくない?どうしてそう思ったんだろう?

展示している作品は全部で13点あります。今日はそのなかから2点だけご紹介します。
1つめはこちらの作品です。

吉村忠夫《地獄変》1950

こちらは ◆はなしがこわい の章に展示している1点です。いったいどんなはなしが描かれているのでしょう?

闇の中には鳥の影、燃え盛る牛車のなかにはなんと女性が!?その周りの人たちは何をしているのでしょうか?登場人物をみてみましょう。

火の粉が上がる牛車の中にいるのは女性。縛られているみたいです。これだと自力で脱出はできないかも。

いちばん右の男性は松明を持っています。この人が火をつけたのでしょうか?

真ん中にいる男性は手を伸ばしています。炎の中にいる女性を助けようとしているのでしょうか?

いちばん左にいる男性は慌てることもなく平然と座って、燃え盛る炎をじっとみつめています。

こちらは吉村忠夫が描いた《地獄変》です。小説家芥川龍之介の同名小説「地獄変」の一場面を描いた作品です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この小説のあらすじは、絵師が地獄変(地獄を描いた絵)を依頼されて、燃え盛る女の姿が描きたいが自分は見たものしか描けないから、せめて牛車が燃える姿を見せて欲しいと依頼主に頼みます。しかし意地の悪い依頼主が用意した牛車には、絵師の娘が縛られて入れられていました。最初は戸惑い助けようとする絵師も、牛車に火がつけられると炎の中で苦しむ娘の姿をただ見つめるばかり。その後、絵師は立派な地獄変を完成させ自殺するというものです。

この作品を見ていると、自分の美や理想を追求するためにどこまで許されるのか、自分は大丈夫だろうか、などいろいろ考えさせられます。みなさんはいかがでしょうか?もし物語を知らなくても、描かれた情景や人物たちから、想像して絵から読み取ることを楽しんでみてください。

もうひとつの作品はこちらです。
こちらは ◆はらはらしてこわい の章で紹介している作品です。
さっそく見てみましょう。

アンリ・マティス《ジャズ サーベルをのみこむ人》1947

紫と青、赤、そして白と黒、鮮やかな色が使われています。
いったいなにをしてるのでしょう?

以前いらっしゃったお客さまはおふだを飲み込んでいる姿だと言われていました。たしかに薄っぺらい紙を口に入れているようにもみえます。しかし、タイトルは《サーベルをのみこむ人》です。どうやらサーベルを飲み込んでいる人を表しているようです。いろいろ想像が膨らみます。ちなみに私は最初にこの絵をみたとき、口に丸太3本を突っ込まれて目は涙目になっていて拷問されているのかと思いました。

実は、こちらの作品はサーカスから発想を得て描かれています。フランスの画家アンリ・マティスの作品です。サーカス、そう言われると「あらよっ!」という掛け声が聞こえて、あれよあれよと3本のサーベルをのみこんで得意げになっているようにみえます。また「ジャズ」というのは挿絵本の名前で、この作品はその本の中にある挿絵の一枚です。なので、左端には本のページ数の90という文字が入っています。よーくみると、私はなんだか楽しげな作品に見えてきました。みなさまはいかがでしょうか?もしかすると、作品のタイトルよりもっと面白い情景に見えた方もいらっしゃるかもしれません。この作品は、シンプルな造形ですが人によって見え方が違う、私はその違いが楽しい作品だなと思います。ぜひいっしょにいらした方に、「この絵どうみえる?」ってこっそり聞いてみてください。きっと自分が見ている見方とは違う見方が返ってくると思います。

以上ご紹介した2作品のほかにも、会場には美術館ならではの「こわい」作品が展示されています。
また特別なガイドマップもあります!

ガイドマップには作品ごとに絵を見るときのヒントが書かれているので、そちらを見ながらいっしょに来た人、あるいは自分自身と対話しながら、じっくり絵を見てみてください。よく見る前とよく見た後では絵の見え方が変わってくるし、また他の人の見方や意見にも耳を傾けると全然違っておもしろいかもしれません。
今年の夏は、ちょっとこわいけどでも楽しい、そんなアート体験はいかがでしょう。みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

(教育普及係 上野真歩)

コレクション展 近現代美術

菊畑茂久馬さんを偲んで(2)

確か1995年のことだったと思います。アメリカから高名なキュレーター(学芸員)が来館するので、対応をせよ、という上司からのお達し。ウィリアム・S・リーバーマンという方で、世界有数の大美術館であるメトロポリタン美術館の20世紀部門のチーフキュレーターを務めていらっしゃる方です。同じく世界的な美術館であるニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーターも歴任されたそうで、上品なふるまいの、長身の紳士でした。日本人の通訳他を従えてのご来館です。

大美術館の幹部級の方がいらっしゃる、となれば、当館としてもしかるべき対応をしなければなりません。ところが、これは今考えても不思議でしようがないのですが、なぜか新人同様の自分にその対応を任されました。自分が忘れているだけで、実は当時の館長や副館長に表敬したあとに、自分が案内を任されたのかもしれません。ただもしそうだったとしても、現代美術専門の上司、先輩学芸員は他にもいたので、なお不思議です(出張で不在だったのかもしれません)。

まあとにかく、分不相応の自分が、リーバーマン氏を案内して、常設展示室をめぐることになりました。彼はその時点で70歳前後。足があまりよくないと伺いましたが、展示室内では杖や車いすを使わず、ゆっくりと歩いていました。解説は不要、と言われちょっとほっと?しましたが、彼の見方は流し見。20世紀美術の専門家だから知っている作家ばかりで特に珍しくないのかも?日本の近代美術には興味ないのかも?そう思いながら、彼の後をついていきました。

展示も終盤に差し掛かる頃、彼はある作品の前でピタリと立ち止まり、私に初めて質問しました。「これは菊畑の作品ですか?」。立ち止まった作品とは菊畑さんが1983年に制作した《天動説 五》でした。250×194cmの大作絵画です。そうですよ、と私が答えると、彼は続いて「彼は元気ですか?」、「彼によろしくお伝えください」と話しました。国内外の近現代美術作品をほとんど流し見していたリーバーマン氏が、菊畑さんの作品にのみ言及したことが意外で、私はこのやりとりは今も鮮明に記憶しています。とはいっても、その頃は自分も浅はかで、「菊畑さんは意外と国外でも知られているのだな」程度の認識しか持たず、この記憶も時間の中に埋もれていきました。

この記憶がよみがえるのは、菊畑さんの回顧展の準備中のことでした。2009年12月、菊畑さんへの長時間インタビューの中で、リーバーマン氏の名前が彼の口から出てきたのです。1964年頃、リーバーマン氏は、MoMAほか全米7会場を巡回した「日本の新しい絵画と彫刻展」(1965-67年開催)準備の一環で来日し、日本国内をくまなく回り、作家を調査していたのです。福岡市郊外の菊畑さんのアトリエにもやってきて半日を過ごしたそうです。結果、菊畑さんは出品することになり、図録によれば、《ルーレット》3点が出品されています。ベテランから若手まで、欧米在住者から国内居住者まで、日本人作家46人がこの展覧会に出品していますが、1935年生まれの菊畑さんは当時30歳。若手作家の代表格としての国際デビューとなった記念すべき展覧会です。

菊畑さんとのやりとりの中で、私は、1995年の出会いのことを思い出し始めました。リーバーマン氏があのとき《天動説 五》の前で立ち止まり「菊畑さんによろしく伝えてください」と言ったことの意味を、私はようやく理解しました。そして、これまでの菊畑さんの個展、そして戦後前衛美術史においてこれまであまり注目されてこなかった「日本の新しい絵画と彫刻展」を、詳しく調べてみようと思いました。そして実際調べてみたら、「菊畑さんによろしく」の意味を、なおさら深く理解することになったのです。(つづく)

菊畑茂久馬《天動説 五》(右から2点目のグレーの作品)の展示風景。2001年撮影。

■ブログ「菊畑茂久馬さんを偲んで(1)」
https://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/11324/

(学芸係長 近現代美術担当 山口洋三 )

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