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福岡市美術館ブログ

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カテゴリー:コレクション展 近現代美術

コレクション展 近現代美術

「何度目かの福岡で―新人の自己紹介」

はじめまして。2月から福岡市美術館 近現代美術係の学芸員となりました、花田と申します。初めて担当するブログなので自己紹介や2月中の出来事を話してみようと思います。

私は高校までを宮崎で過ごし、大学は大阪にいましたが、父の実家が福岡にあったこともあり、小学生の時にはちょこちょこ福岡に来ていました。また、1年ほど福岡に住んだ際には寮が大濠公園の近くにあったのですが、福岡市美術館はちょうどリニューアル期間だったので足を運ぶことはできませんでした。私が初めて福岡市美術館に来たのは去年の就職試験のときになります。試験前日に展覧会を見に行こうと、どきどきしながら大濠公園駅から歩いてきて、間違えて舞鶴公園の三の丸広場に行ってしまい、ここはどこだ?とウロウロしていたのが懐かしく思い出されます。美術館に着くと、まずチケット売り場はどこだろうとウロウロし、館内でも展示室を見たりカフェに入ったりショップを見たりとウロウロしていました。今改めてホームページを見直すと、フロアガイドにきちんとチケットカウンターの場所が表示されていました。ちゃんと確認しておかないといけないですね。そんなこんなで、かつて近くを行き来していた場所で今働けることに勝手ながら縁を感じています。

ところで、私は大学院の頃は近代日本美術、なかでも鏑木清方について勉強しており、清方が歌舞伎などの芝居好きだったこともあって、画家が芝居をどのように考え、どのような意図や工夫をして描いていたのかについて考えていました。また、画家によって都市の捉え方、都市のなかで興味を持って見る対象が異なっており、画家が都市をどのように見ていたのか、どのように作品に描いていたのかという点にも興味を持っていました。福岡市美術館には清方の弟子である福岡市出身の小早川清や久留米市出身の吉田博の作品があるので、師の清方と弟子たちの展覧会はどうだろうか…と漠然と考えてみたりしていますが、今の目標はまず館や日々の業務に慣れることです!2月からの勤務だったので、修士論文を出してすぐ福岡に来て、このブログを書いている現在は働き始めて約1ヵ月が経ちました。2月中は、収蔵庫を案内していただいたり、展示室などにある乾湿計の用紙交換のやり方を教えていただいたり、他館に挨拶に伺ったり…見るものほとんどが新鮮で、恥ずかしながら知らないことばかりでした。日々の業務の一つに閉館業務というものがあり、閉館時間前に作品の状態の確認や設備の点検をするのですが、2月担当の私は17時頃に展示室、特に2階の近現代美術室を見回っておりました。初日はどのような点を確認するのかを教えていただき、監視員の方に挨拶しながら見回りました。最近は館内のどこにどの部屋があるのか、やっと覚えてきましたが、たまに収蔵庫までの道や階段を歩いていると迷路のように感じ、このドアを出たらここに出るのか…!という面白さがあります。さらに、業務とは関係のないことですが、通勤で通る福岡城の水堀にいた鳥が「はっはっはー」という声で鳴いていたこともありました(笑われていたのかも?)。日々、勉強し、新しいものを見て、そして反省の毎日です。

かつて小学生だった私が見ることのできた福岡の地域は限られていますが、街の様子がだいぶ変わったように感じます。記憶にある建物やお店がなくなっていたり、新しい建物がかなり増えていたり。知っているけれど知らない街という印象です。福岡にもっと慣れるために休みの時には色々な場所に行ってみようと考えています。

…というとりとめもない話をダラダラとしてきましたが、今年は早速「つきなみ講座」を担当する予定もありますので(かなり緊張していると思いますが)、みなさまにお会いできる日も近いと思います。精一杯努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

帰りがけに撮影しました。夜の美術館は灯りがきらきらして昼とは違う雰囲気です。

(学芸員 近現代美術担当 花田珠可子)

コレクション展 近現代美術

時間を呼吸する=生きている壁画

 1月31日、田中千智さんによる3年間のプロジェクト「生きている壁画」が無事終了しました。壁画が完成し、今年いっぱい公開されます。
 本プロジェクトは、2023年田中千智さんの個展「地平線と道」とともにスタートしました。近現代美術室の最終壁面にある幅13m、高さ3.1mの白い壁面に、ご本人の発案で1年ごとに加筆していきました。

1年目の完成時の「生きている壁画」

 1年目に描かれたのは漆黒の森に子供たちや生き物が息づく静かな作品でしたが、2年目には中央に黄色い光が差し、画面左上には戦争、災害を思わせる情景が書き足され、3年目には、黄色の部分は燃え盛る炎を思わせる描写に変化していきました。そして、船や、瓦礫、猫、アロエなど新たなモチーフが描き足されたことで、胸が苦しくなる場所もあり、安らぎや見ていて笑みが浮かぶような場面もあり、様々な物語を包み込んだ、見ごたえのある作品になりました。

3年目の初日

 ちょっと話が変わるのですが、我が家では木版画がとても身近で、よく家で夫が木版画を刷っています。去年の12月のクリスマスにも、子どもに木版画でキャラクターを刷った服をプレゼントしたのですが、その刷りの作業を見ている時にふと、版画の線には時間が圧縮されているな、と思いました。版にインクをのせ、支持体に押し付けて「ぺらり」と剥がしたその一瞬、たちまちに複雑なイメージが立ち現れるのには、何度見てもびっくりします。刷られた線をよ~く見ると、かすかなムラが見て取れます。このムラが、私には時空の狭間のように思えます。版画の線の中には、時間が格納されているのです。

 話を戻し、「生きている壁画」を見て思うのは、この作品における線や面は、圧縮されることのない時間の痕跡である、ということです。「何を書くかまだ考えていないです(笑)」と言いながら、田中さんは初日から大胆に筆をのせていきました。一日ごとに画面は変化し、時間の経過は作品の造形要素と連動しているのです。
 この3年間に、世界情勢も大きく変化していきました。ウクライナ侵攻、能登半島地震、飛行機事故、パレスチナ侵攻など、苦しいニュースも目に耳に入ってきました。「生きている壁画」には、そうした出来事が反映された痕跡があります。また、日々美術館を訪れる来場者の方々との暖かい交流も、作品には反映されています。(壁画の一番右端にいる狼と頭巾をかぶった人物は、来場者の方に「残して!」とリクエストされたものなのだとか…。)いうなれば、「時間を呼吸している絵画」が、「生きている絵画」と言えるのではないでしょうか?

リクエストに応じて最後まで残った狼と人物

 日々変化していく絵画を見ていると、絵画と時間との、何通りもありえる関係性を考えさせられます。そして改めて最終段階を迎えた壁画を見渡すとき、3年間の時間の厚みが一度に迫ってくるように感じます。圧倒的な迫力を、ぜひ実際にご覧ください!
 なお、田中さんは、福岡三越でも展覧会を開催中です。先日会場を訪問したところ、壁画の完成後に制作した新作が66点(!)も展示されていて、その力強さにとても驚きました。
 2月22日には、完成を記念して、トークを行います。田中さんの現在の心境や、完成後の手ごたえについてお聞きできればと思っています。是非お越しください!

能古島のアトリエを思わせる部分を書き込む田中さん

■《生きている壁画》第3段階・完成トーク
日時:2025年2月22日(土)午後2時~午後3時30分(開場:午後1時30分)
会場:1階 ミュージアムホール
料金:無料
定員:180名(先着順)
講師:田中千智(画家)、聞き手:忠あゆみ(当館学芸員)
https://www.fukuoka-art-museum.jp/event/153073/

学芸員 近現代美術担当 忠あゆみ

 

 

コレクション展 近現代美術

奈良原一高展、第3弾開催中!―「ヴェネツィアの夜」と「ジャパネスク」―

当館2階近現代美術室Bにて、ただいま「奈良原一高『ヴェネツィアの夜』『ジャパネスク』」を開催しています。本展は、福岡県大牟田市生まれの写真家・奈良原一高(1931-2020)の仕事を、シリーズごとに紹介する第3弾の展示となります。
 福岡市美術館は2021年度に作家のご遺族より6つのシリーズ作品から211点をご寄贈いただき、以降、シリーズごとに作品を紹介してきました。2022年には奈良原のデビュー作である「人間の土地」と同時期に撮影された「無国籍地」を、2023年には「王国」をご紹介しました。
 第3弾となる今回は、「ヴェネツィアの夜」(1985年)と「ジャパネスク」(1970年)より、50点の作品を展示しています。両シリーズは撮影の対象、コンセプト、発表の時期も異なりますが、奈良原が1962年から3年間、ヨーロッパに滞在したことが制作のきっかけとなったという点で共通しています。

 さて、奈良原が写真家として歩み始めたのは、大学院在学中に開催した初の個展「人間の土地」(1956年)からでした。桜島の噴火によって埋没した村と長崎沖の人工島・端島を舞台に、外界と隔絶された土地でなお逞しく生きる人々を新鮮な表現で写し出した作品は、大きな反響を呼びます。
 続いて「王国」(1958年)を発表。ここでは前作の二部構成を引き継ぎつつ、北海道の聖トラピスト男子修道院と和歌山の女子刑務所という閉鎖環境における人間心理を真摯に追及し、日本写真批評家協会新人賞を受賞しました。(当館での「王国」展に関するブログはこちらhttps://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/99976/

 これらの作品によって新進気鋭の写真家として評価を確立し、多忙な日々を送っていた奈良原は、モード雑誌の撮影依頼を機に活動の場をヨーロッパに移し、パリを中心に3年間滞在します(1962~65年)。
 初めてヴェネツィアを訪れたのは1964年。夜、ヴェネツィアへ向かう船のヘッドライトに照らされ、水上に林立する街並みが暗闇から次々と現れたときの衝撃を、奈良原は忘れられないといいます*。たちまちこの神秘的な都市に魅了され、ようやく再訪が叶った1973年以降、ヴェネツィアを頻繁に訪れるようになります。この時期は奈良原の母や親しい友人などを多く失った時期と重なるそうですが、ひとつの死を迎えるたび、輝く闇を湛えたヴェネツィアに一層魅せられていったと語っています*。
 このような背景を鑑みると、奈良原のほかのシリーズに比べ、人の姿がほとんど写されていないことが本シリーズの特異点として浮かび上がってきます。本シリーズでは、奈良原が衝撃を受けたという、船から眺めた夜のヴェネツィアの街並みや街灯、網の目のように張り巡らされた運河を通る小舟の光跡などによって人間の存在は示されますが、意図的に(長時間露光によって)人の姿を除いた都市景観が撮影されています。ほかにも、奈良原もさまよったかもしれない迷路のような細い路地や、サンマルコ広場もとらえられていますが、やはり人の姿はほとんどありません。そのため本シリーズは、観るものを、人気のない暗闇のなかで「迷い」や「喪失」について、あるいは「死」について思索するよう誘う作品であるように思います。
 ただ、奈良原がヴェネツィアの夜に「光輝く闇」や「華麗なる闇」を見出すように、また、シリーズの終盤で祝祭の花火が上がるように、未来への希望や明るい余韻を残すシリーズ作品でもあるでしょう。

 「ヴェネツィアの夜」に先立ち、1970年に刊行された写真集『ジャパネスク』もまた、3年間のヨーロッパ滞在が制作の契機となりました。初めての海外生活でさまざまな国の人々と交流するなかで、「人間」としての孤独や連帯感を得るのと同時に、「祖国」であるがゆえに奈良原にとって「あまりにも身近で遥かな国という感」がして、「容易に接近できないもの」であった「日本」への意識を強めたといいます**。
 1965年に帰国したのち、日本の伝統文化を再考するシリーズに着手。時として幼少期の記憶をたどりつつ、自身が日本らしさを見出したテーマについて日本各地で取材します。その成果は《封(サムライ)》を皮切りに、雑誌『カメラ毎日』に断続的に掲載されました(1966~69年)。これらを抜粋、総集編としてまとめたものが写真集『ジャパネスク』で、順に「富士」「刀」「能」「禅」「色」「角力」「連(阿波踊り)」「封」の8つの章で構成されています。
(そのうち当館では、「刀」「能」「禅」「色」「角力」を所蔵。)
 本シリーズでは、広角レンズや望遠レンズを使用したアングルの強調や、長時間の露光によるブレの効果、陰影を強調した表現など、テクニックを駆使した多彩な表現方法が見られます。視覚的にインパクトのある作品が本シリーズの特徴となっています。

 奈良原一高による「ヴェネツィアの夜」と「ジャパネスク」、ぜひご覧ください。

「奈良原一高『ヴェネツィアの夜』『ジャパネスク』」展示風景(2024年12月18日~2025年3月23日)

展示初日の開館直前、それぞれの持ち場に向かう前に展示作品をのぞき込む監視スタッフの方々

 奈良原展のほか、近現代美術展示室Aでは今の時期にぴったりの「雪景色」展も開催中です。こちらの展示室では、雪景色を描いた明治時代以降の日本画と木版画が紹介されています。
 例えば、美人画の名手といわれる伊東深水の版画作品。そのうち《現代美人集 炬燵》という作品は、顔料のせいでしょうか、見る角度によって表面がキラキラと輝いています。ぜひ会場でじっくりご覧ください。

「雪景色」展示風景(2024年12月10日~2025年3月23日)

伊東深水《春雪》と《現代美人集》より3点

展覧会の会期はどちらも3月23日(日)まで。ご来場をお待ちしております。

学芸課臨時的任用職員(近現代美術係)髙山環

【出展】
 *奈良原一高「ヴェネツィアの秘密」『ヴェネツィアの夜』岩波書店、1985年
 **奈良原一高「『近くて遥かな国』への旅」『カメラ毎日』1968年3月、42-43頁

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