2025年8月20日 15:08
まもなく展覧会シーズンがはじまります。
春と秋は、日本中の美術館でいろんな展覧会が目白押しですね。
当館でも、10月11日~11月24日に特別展「珠玉の近代絵画─「南国」を描く。」を開催します。
そのポスターとチラシが完成しました!
ポスターは館内で様々な仕事に携わる全スタッフ、たまたま事務所に訪れたお客様による人気投票を経て決まりました。下記の写真は投票の様子です。
デザイナーさんからは、たくさんのアイデアを出していただきました。
1度の人気投票ではなかなか決まらず、最後は数枚に絞って決戦投票。下記が決定したポスターです!
どうです?
嘴をあけて鳴こうとする極楽長と、降り注ぐ白い蘭と、ワサワサと折り重なる椰子の葉と……酷暑のいま見ると暑苦しい?! かもしれませんが、ともかく熱帯の空気がムンムンと寄せてきそうなイメージに仕上がりました。
ポスターになった作品は、下記の石崎光瑤《熱国妍春》(1918年制作、京都国立近代美術館所蔵)です。
石崎光瑤《熱国妍春》(1918年制 京都国立近代美術館所蔵)
石崎光瑤は1916年末から半年ほど、仏教美術の研究を目的にインドを遊歴します。そのときに見た熱帯の植物や鳥を大胆な構成で豪華絢爛な屏風に仕上げました。タイトルが示すように、幾種類もの植物が「わが世の春」さながらに妍を競っています。
圧巻の屏風は、ぜひとも展覧会場でご覧ください。
実は、チラシについては、表面を2種類作成していただきました。投票でも人気があり、わたしがとても迷っていたら、根負けしたデザイナーさんが2種用意してくださった次第です。ありがとうございました。一生の思い出になります。
1種は、ポスターと同じデザインです。
そしてもう1種類は、まさに「幻想の楽園」という言葉が浮かんできそうな、たいへん優美なイメージです。
どちらがお好みでしょうか? ポスターとチラシの配架をお願いする各所には、どちらか1種類のチラシをお届けいたします。
エッ?!両方ともほしい? そういう方はぜひ当館のロビーでお取りください(展覧会の観覧もお忘れなく!)。
ちなみに、このチラシのイメージは、荒井寛方《薫風》(1919年制作、さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-所蔵)からとられています。孔雀が1羽増えていまけど(笑)。
荒井寛方《薫風》(1919年制作 さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-所蔵)
まるでティアラをつけた女王さまのような孔雀が、多種多様な植物が美しく剪定された庭園を優雅に逍遥しています。
荒井寛方も、石崎光瑤と数日違いでインドに出発します。寛方の場合は、アジア初のノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールの依頼で、コルカタの美術学校で日本画を教えるために渡っています。1年半の滞在中には、アジャンター石窟の模写にも携わり、インド各地を巡って風景や動植物や風俗をスケッチしています。
この《薫風》はインドから帰国した間もない頃に発表した作品で、テーマも鮮やかな色彩も当時評判になりました。
ちなみに、表面は2種類のチラシですが、裏は共通しています。
会期中には、今日、紹介した作品に登場する植物をメインにしたギャラリートークも予定しています。実は、実存する植物と架空の植物が描かれているんです。トークでは、画家が、写生に基づきながらも自由な想像を交えて制作した様子もお伝えできることでしょう。会場でお待ちしています。
(近現代美術係 係長 ラワンチャイクン寿子)
2024年11月13日 11:11
先月26日から特別展示室にて「博多のみほとけ」を開催中です(~12月8日)。
この展覧会のテーマはずばり、「展示室に博多湾の祈りの世界を再現する」ということです。
これを表現するため、展示室入ってすぐの壁には海側からみた博多湾の写真を大きく掲示しています。
博多湾遠景。左が志賀島で右が糸島
本展はコの字の形をした展示室全体を博多湾に見立てて、それぞれの地域に伝わる尊像や宝物を紹介していて、展示室の入り口がちょうどロゴマークの位置にあたります。
ちょうどこの位置から右(西)を見ると、糸島半島の北東部・小田(こた)にある小田観音堂に祀られる観音菩薩をご覧いただけます。
小田観音堂に祀られる観音像。左から六臂観音菩薩立像、千手観音菩薩立像、十一面観音菩薩立像。(いずれも福寿寺蔵)
左(東)に目を移すと、志賀島の荘嚴寺に祀られる観音菩薩をご覧いただけます。
《聖観音菩薩立像》(荘嚴寺蔵)
糸島と志賀島はそれぞれ博多湾の東西の出入り口にあたります。博多湾を出入りする船を見守るような場所に航海の守護神でもある観音菩薩が祀られているというのは、アジアとの交流をとおして歴史を育んできたこの地域を象徴しているように思います。
古来、大陸の最新の文化を伝えるため、多くの中国人が日本へやってきました。博多は彼らが日本で最初に足を踏み入れる地であり、都がある京都や鎌倉へ上る前にしばらく滞在することもありました。
清拙正澄筆《清拙正澄墨蹟》(福岡市美術館蔵)
本作は、鎌倉時代に中国から来日した禅僧・清拙正澄が、博多の円覚寺の長老であった秀山元中という僧へ贈った漢詩です。恐らく、清拙正澄が来日後、博多へ滞在していた折に依頼されたものでしょう。博多で繰り広げられた国際交流の様子をしのぶことができる貴重な墨蹟です。
僊厓義梵筆《博多図並賛》(福岡市美術館蔵)
本展では博多を代表する名僧として僊厓義梵(仙厓と書かれることが多いですが、本展では正式な僧名である僊厓の表記を用います)の書画も紹介しています。
この作品は石積みの壁に覆われた博多の外観を描いたもの。上部には博多という地名の由来を説いた僊厓による賛(コメント)が記されます。それによると、博愛の君子や博物豪傑が多いから博多というのだそうです。その後に、決して博奕を打つ小者が多いからではないと続けています。博多の人びとを皮肉っているようにも聞こえますが、愛のあるユーモアととらえるべきでしょう。
本展をとおして博多のもつ豊かな歴史を感じていただけると幸いです。
一部の仏像は撮影も可能です。是非みなさま、会場へ足をお運びください!!
(学芸員 古美術担当 宮田太樹)
2023年11月1日 09:11
さて、来たる2024年1月5日(金)から「永遠の都 ローマ展」が開催されます!
ローマといえば歴史と文化で有名ですが、気になるのがその見どころ。このブログでは、ローマのカピトリーノ美術館の選りすぐりのコレクションの中から1点をちょっとだけマニアックにご紹介したいと思います。では、さっそく見てみましょう。
こちら《ディオニュソスの頭部》と呼ばれる大理石の胸像です。
タイトルにもあるディオニュソスとは、酩酊と豊穣の神ディオニュソスを指しバッカスと呼ばれることもあります。
この作品を見て「これ知っている!」と思ったあなた。美術部もしくは美大出身の方ですね?
実はこの像は「アリアス」という名前の石膏像の原型でして、全国の高校や美大や美大向けの予備校で石膏デッサンの模型としてしばしば活用されているほど有名な像なのです。
福岡市美術館にもアリアスの石膏像がありますよ。
石膏デッサンを知らない方にはちょっとご説明を。石膏デッサンとは、白い石膏像を鉛筆や木炭で紙に描くことを指しており、何度も繰り返し描くことで、技術の向上につながるというもの。なので、絵画、彫刻、工芸のジャンルに限定されずに美術に関わりのある(あった)方は結構な確率でこの石膏像を描いた経験がある訳です。
福岡県内の中学校図画教室での授業の様子(『石膏模型目録』菊池石膏より)
さて、この「アリアス」と呼ばれる石膏像ですが、名前の由来や理由について少々調べていたところ、ひょんなことから昔の石膏像のカタログを入手することが出来ました。
これは日本最初の美術教育機関である工部美術学校(現東京芸術大学)にしばしば納品していた石膏業者が作成したものです。(ちなみに社長の菊池鋳太郎は彫刻家でもあります。)
ここで件の石膏像を見つけました。
目録に記載の石膏像(『石膏模型目録』菊池石膏より)
画像の右側の写真を見てみましょう、「大型婦人胸像」と書かれています。この時点で既に女性と認識されていますね。繊細に彫りこまれた頭髪である一方、首は太く、顔立ちは中性的、確かに女性にも男性にも見えます。実は工部美術学校設立後すぐとなる1877-1878年頃には既に入手し活用していたようです(本展出品予定の松岡壽《工部美術学校画学教場》参考)。また、時を経て1955年には、石膏デッサン解説書籍の事例として「アリアス」が特集され、名前の由来についても言及されていました。以下は引用です。
「画学生の間ではアリアス(アリアドネ)で通っていますが、現在はバッカスとされている、ローマカピトール美術館所蔵のギリシァ彫刻によっています。鼻や下唇は後に補修されたのですが、もちろん石膏像ではあらわれていません。」(小磯良平、宮本三郎、鈴木信太郎『デッサンの技法』1955年)
今回紹介しているディオニュソスにはアリアドネという妻がいました。ディオニュソスとアリアドネは仲が良く、さらに出会いのエピソードがなかなか強烈なためか、絵画等でも一緒に描かれることがあります。つまり「アリアス」は「アリアドネ」に由来する、さらに言えば美術学校が設立して早い段階から「婦人像=アリアドネ」と認識されていたと仮定することが出来るのですね。「アリアス」呼びの勘違い?は実はかなり歴史も奥も深かったようです。
《ディオニュソスの頭部》は本展の特集展示にて紹介予定です。ぜひ足をお運びください!
(学芸員 近現代美術係 渡抜由季)
「永遠の都 ローマ展」
会期: 2024年1月5日(金)〜3月10日(日)
会場 :特別展示室