2025年11月12日 09:11
「珠玉の近代絵画─「南国」を描く。」展も、残り10日余りとなりました。本展ブログの3回目は、猫に注目してみましょう。
さて、この猫たちはどこにいるでしょうか?
文中の紹介文をヒントに、ぜひ会場で「本物」の猫たちを見つけてみてください。難易度の高いものもいます。
[難易度:低]つい目が合ってしまう黒猫、睨まれると怖い?

まるまると太った黒猫です。きっとおいしい魚をたくさん食べているのでしょう。生まれは八丈島。生みの親は千種掃雲という日本画家です。
この黒猫、その名も《南国》(1927年、京都国立近代美術館所蔵)という作品の主人公です。じっとこちらを睨む目には凄みがあり、目が離せなくなります。
黒猫の住処は、たくましい葉を四方に伸ばすリュウゼツランの根本。日がな一日、この草陰で過ごすのが日課のようです。周りにまかれた金砂子が、強い陽射しをあびてキラキラしています。
[難易度:低]ああして昼寝したい…午睡する猫

体は白で頭としっぽが黒ですが、さっきの黒猫と同じ親から生まれたので、黒猫とは兄弟です。
八丈島のカシワのような木のある民家に住んでいます。この木の葉は一枚一枚が大きいため、地面に大きな陰をつくってくれます。この《木陰》(1922年、京都国立近代美術館所蔵)が、この猫のとくにお気に入りの場所。涼しいし、チラチラ揺れる木漏れ日が心地良いし、お昼寝に最適みたいです。
この家の主人も、先ほどまで作業をしていたようですが、臼と杵をおいてどこかに行ってしまいました。午睡の時間でしょうか…。
[難易度:中]すまして、こちらをうかがう白猫

すまし顔の白猫は、カボチャ棚の農家の住猫です。住まいは、日本画家の堅山南風さんと同じ郷里の熊本。
雨が降らずに《日和つづき》(1914年、福岡市美術館所蔵)のため暑くて、白猫も動かずにじっとしています。カボチャ棚の陰で唐臼をつくおじいさんも暑いようで、上着を脱ぐだけでは足らずに、大きな団扇を握っています。
カボチャの葉陰からカタンカタンと聞こえてくる唐臼の音をききながら、白猫は、近くの赤いカンナも気になるようで、金色の目でじっと見つめています。
[難易度:高]ジジ?! 見つからないように隠れています

「魔女の宅急便」(スタジオジブリ1989年)の「ジジ」と思いきや、目は金色(ちなみにジジの目は白)、生まれも育ちも大島です。
100年以上も前に、伊豆諸島の大島に三原山を見に来た坂本繁二郎さんが見つけました。坂本さんは、大島のいろいろなことに興味をもったようです。遠くで噴煙をあげる三原山はもちろん、裸で髪を洗う女性、頭に野菜を載せた人、洗濯物をほす人…牛のお尻まで。小さな黒猫も含めて、どれも《大島の一部》(1907年、福岡市美術館所蔵)だったのでしょう。
※
大島や八丈島、熊本の猫を紹介しました。しかし、今回の展覧会では、台湾や南洋諸島、東南アジア、インドに取材した絵に猫は登場していません。もちろん、各地に猫はいますが(例えばタイの猫はシャム猫)、南へ旅した日本人画家にとって、とくに珍しいものではなく、描きたい生き物でもなかったのでしょうか…。
日本人画家が目にとめた動物は、台湾では水牛、インドでは背中にコブのある印度牛(カンクレージ)や象、孔雀や極楽鳥などでした。やはり「南国」イメージにあう動植物こそが、理想的な「南国」の絵を飾るのに欠かせない要素だったのです。その中から1点紹介します。

荒井寛方 聖牛図 1919年頃 さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-所蔵
牛は、インドのヒンドゥー教徒にとって聖なる存在です。その聖性を表現するため、寛方は牛の周囲をぼかすことで、白い体が発光しているように描いています。菩提樹には尾の長いつがいの鳥がとまり、その上空にも鮮やかな色の鳥が飛び交っています。
猫たちが(ほかの動物や鳥たちも)会場でお待ちしています。どうぞ発見と出会いをお楽しみください。
珠玉の近代絵画─「南国」を描く。
会期:10月11日(土)~11月24日(月・休)
作家数60名、作品と資料合わせて227点のボリュームで近代の日本人が描いた「南国」を紹介します。
(近現代美術係長 ラワンチャイクン寿子)
2025年10月15日 10:10
♪名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月………♪
島崎藤村の詩「椰子の実」に、曲が付けられたのは1936年。ある世代以上の方にとっては、懐かしく、ロマンチックな異国情趣にみちた歌謡として記憶に残っているのではないでしょうか。
藤村は、親友の柳田國男から愛知県の伊良子岬に流れ着いた椰子の実の話をきき、この詩を書きました。1900年頃です。この時、柳田は、黒潮にのって流れ着いた椰子の実から、日本民族の故郷は南洋諸島にあると確信した、と言われています。
10月11日から始まった「珠玉の近代絵画─「南国」を描く。」展は、まさにこの詩が書かれ曲が付けられた時代の展覧会です。
柳田が日本人のルーツを南方に求めたように、当時、多くの文化人が南に関心を寄せました。画家たちも、開設された航路で南へ向かっています。渡航の理由はそれぞれですが、常夏の南に甘美な夢や希望を抱いた画家も多かったでしょう。
しかし、この日本人の南への関心の背景には、日本が沖縄から台湾や南洋諸島(南洋群島)へ帝国としての領土を広げたことや、太平洋戦争期には東南アジア(南洋)を占領下に置いたことなど、ロマンチックな夢からはほど遠い実態がありました。
だからこそ、時代の闇を忘れさせるような、郷愁を誘う甘美なメロディが必要とされたのかもしれません。画家たちも、現実よりも、自分のイメージにそった理想的な「南国」を見たかった、描きたかった、のかもしれません。
展覧会では、日本人作家が、南に移住したり旅行したりして制作した、さまざまな「南国」を集めています。美しい作品が並んでいますが、その背景にあった社会の闇も忘れてはならないことです。
さて、柳田と藤村が椰子の実に南洋を想像したように、椰子は「南国」を描いた作品にいちばん多く登場する植物です。日本人画家にとって、椰子を描き込むことが、自分の見つけた「南国」を創造することになったのでしょう。展示作品からいくつかご紹介します。

西郷孤月 台湾風景 1912年 松本市美術館所蔵
左右に描かれているのは、椰子科の代表的な植物、ビンロウです。その林のむこうに広がるのはサトウキビ畑でしょうか? 遠くの工場は、煙突の商標と作者が訪台した時期から、高雄の鹽水港製糖工場のようです。製糖は、日本による植民地統治の初期から台湾の重要な産業でした。
孤月は将来を嘱望された日本画家でしたが、制作に行き詰まり、私生活の不行跡もあって中央画壇から離れます。その彼が気持ちを切り替えるために渡ったのが台湾でした。しかし、この台湾旅行は孤月にとって生涯最後の旅になります。
繊細な筆致と清らかな色彩で、ビンロウの林を透かしてみた近代の「美麗島(台湾の美しさを称える別称)」を表現したこの作品は、孤月の遺作となっています。

和田三造 南洋風景 1919年 公益財団法人北野美術館所蔵
天を突くビンロウの並木。白い雲が青空にぽっかり浮かび、黒い影が赤土の道に落ちています。奥へと誘う道の両側にも、緑滴る熱帯の植物がさまざまに繁茂し、「南国」の熱い陽射しを浴びています。
インドと東南アジア(南洋)に魅せられた和田は、1914~16年に2度に渡り都合3年ほど当地に滞在しました。和田にとってインドは、日本文化の淵源の地であり、東南アジアは、「天と直接対話のできる」土地でした。
まっすぐに伸びるビンロウ樹を介して、空と大地、天と人(和田)が交信するようなイメージは、和田が南洋でつかんだ自然観から生まれたものです。

橋本関雪 讃光 1943年 大阪市立美術館所蔵
橋本関雪は、朝日新聞の委嘱で1942年に南方戦線を取材しています。
本作は、関雪が、米軍の要塞のあったマニラ湾のコレヒドール島を背景に、戦友の遺骨を抱く海軍兵士を描いたものです。
要塞の陥落によってフィリピン上陸作戦は成功しており、本作はそれを記念する戦争画ですが、そこに戦争の悲惨さはありません。むしろ燦燦と降り注ぐ陽光のもと、枝をしならせる椰子や色鮮やかなカンナやサボテン、飛び交う鳥たちが兵士を讃えており、戦死も厭わず国家に尽くすことが美化されています。
こうした「戦争画」に分類される作品でも、画家たちは南方の花鳥を描くことを忘れず、椰子はその代表格でした。

石崎光瑤 熱国妍春(右隻) 1918年 京都国立近代美術館所蔵
前回のブログでも紹介した石崎光瑤が、1916年末から半年ほど、仏教美術の研究のためにインドを遊歴した成果のひとつが、この豪華絢爛な屏風です。
幾種類もの植物が「わが世の春」さながらに妍を競っており、中でも右隻の鬱蒼と折り重なる植物が目をひきます。これは、実は椰子ではなくソテツです(筆者は椰子だと思っていました)。とりどりの緑色で大ぶりの葉がしなり、まるで生き物のようです。ちなみに、屏風の左隻はデイゴが画面を埋め尽くしています。
ちなみに、この屏風を開けるときには、熱帯の湿潤な空気まで漂ってくる感じです。

大博通り (出典:公益財団法人福岡市緑のまちづくり協会ホームページ)
ところで福岡でも椰子はよく見ます。博多駅から港にまっすぐ伸びる大博通りは椰子の並木道です。かつて当館の近くにあった九州大学教養部の正面玄関にも、背の高い椰子が3本植えられていました(現在は九大跡地にできた裁判所の敷地内に移植)。椰子に限らず、福岡や近郊(九州?)の学校には、校舎の正面や校庭のどこかに南方原産の樹木が植えられているのを、いまでもよく見ます。
日本列島の南に位置する福岡(九州)は、東京や京都から見ると、確かに南の地方です。南の土地にふさわしい植物として、外来種の椰子などが植えられ、福岡(九州)のアイデンティティとされたものと思います。
珠玉の近代絵画─「南国」を描く。
会期:10月11日(土)~11月24日(月・休)
作家数60名、作品と資料合わせて227点のボリュームで近代の日本人が描いた「南国」を紹介します。
(近現代美術係長 ラワンチャイクン寿子)
2025年8月20日 15:08
まもなく展覧会シーズンがはじまります。
春と秋は、日本中の美術館でいろんな展覧会が目白押しですね。
当館でも、10月11日~11月24日に特別展「珠玉の近代絵画─「南国」を描く。」を開催します。
そのポスターとチラシが完成しました!
ポスターは館内で様々な仕事に携わる全スタッフ、たまたま事務所に訪れたお客様による人気投票を経て決まりました。下記の写真は投票の様子です。

デザイナーさんからは、たくさんのアイデアを出していただきました。
1度の人気投票ではなかなか決まらず、最後は数枚に絞って決戦投票。下記が決定したポスターです!

どうです?
嘴をあけて鳴こうとする極楽長と、降り注ぐ白い蘭と、ワサワサと折り重なる椰子の葉と……酷暑のいま見ると暑苦しい?! かもしれませんが、ともかく熱帯の空気がムンムンと寄せてきそうなイメージに仕上がりました。
ポスターになった作品は、下記の石崎光瑤《熱国妍春》(1918年制作、京都国立近代美術館所蔵)です。

石崎光瑤《熱国妍春》(1918年制 京都国立近代美術館所蔵)
石崎光瑤は1916年末から半年ほど、仏教美術の研究を目的にインドを遊歴します。そのときに見た熱帯の植物や鳥を大胆な構成で豪華絢爛な屏風に仕上げました。タイトルが示すように、幾種類もの植物が「わが世の春」さながらに妍を競っています。
圧巻の屏風は、ぜひとも展覧会場でご覧ください。
実は、チラシについては、表面を2種類作成していただきました。投票でも人気があり、わたしがとても迷っていたら、根負けしたデザイナーさんが2種用意してくださった次第です。ありがとうございました。一生の思い出になります。
1種は、ポスターと同じデザインです。

そしてもう1種類は、まさに「幻想の楽園」という言葉が浮かんできそうな、たいへん優美なイメージです。
どちらがお好みでしょうか? ポスターとチラシの配架をお願いする各所には、どちらか1種類のチラシをお届けいたします。
エッ?!両方ともほしい? そういう方はぜひ当館のロビーでお取りください(展覧会の観覧もお忘れなく!)。

ちなみに、このチラシのイメージは、荒井寛方《薫風》(1919年制作、さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-所蔵)からとられています。孔雀が1羽増えていまけど(笑)。

荒井寛方《薫風》(1919年制作 さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-所蔵)
まるでティアラをつけた女王さまのような孔雀が、多種多様な植物が美しく剪定された庭園を優雅に逍遥しています。
荒井寛方も、石崎光瑤と数日違いでインドに出発します。寛方の場合は、アジア初のノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールの依頼で、コルカタの美術学校で日本画を教えるために渡っています。1年半の滞在中には、アジャンター石窟の模写にも携わり、インド各地を巡って風景や動植物や風俗をスケッチしています。
この《薫風》はインドから帰国した間もない頃に発表した作品で、テーマも鮮やかな色彩も当時評判になりました。
ちなみに、表面は2種類のチラシですが、裏は共通しています。

会期中には、今日、紹介した作品に登場する植物をメインにしたギャラリートークも予定しています。実は、実存する植物と架空の植物が描かれているんです。トークでは、画家が、写生に基づきながらも自由な想像を交えて制作した様子もお伝えできることでしょう。会場でお待ちしています。
(近現代美術係 係長 ラワンチャイクン寿子)