開館時間9:30~17:30(入館は17:00まで)

メニューを閉じる
ホーム > ブログ
福岡市美術館ブログ

新着投稿

コレクション展 古美術

松永耳庵翁の夏

当館松永記念館室にて「松永耳庵 夏の茶事」展を開催中です(8月17日まで)。
本展は、松永耳庵[安左エ門]翁が催した茶事の記録に基づいて、館蔵の松永コレクションを中心とする現存作品によって再現的に展示する試みで、2019年「松永耳庵の茶」展、2023年「老欅荘の松永耳庵」展に続く、第3弾となります。

ここでいう茶事の記録というのは、ご本人が書き残したものも当然含まれますが、それはわずかであり、大半は茶友・仰木政斎[政吉]翁が日記をもとに書きためた『雲中庵茶会記』という書物に残されています。耳庵翁より4つ年下の政斎翁は、耳庵翁が茶を始める前から親交が厚く、戦局が悪化した時には耳庵翁が居住していた別荘「柳瀬荘」に夫妻で疎開していたほど。とても筆マメな方だったようで、自らの茶事はもちろん、諸家に招かれた茶事の様子を事細かに記録しています。

本書には、1930~1958年の間の自他の茶事を中心に、茶友と出かけた旅日記、世情や茶にまつわる随想を含めて(私が数えたところでは)計635件が収録されているのですが、そのうちの約4分の1にあたる144件が、耳庵翁が催した茶事に関する記録なのです。その書きぶりは、いわゆる「茶会記」といってイメージされるようなかしこまったものではなく、道具の取り合わせ、亭主の言動などを実況中継するかのように丁寧に描写し、自由に批評しているのです。耳庵翁以外の数寄者たちの記録も同様であり、本書は、近代茶道史をつむいだ人々の茶の湯を通じた交流の様を鮮やかに伝える稀有な資料として注目されています。
ただ本書は活字化されたものがなかったため、当館学芸課では2017年より本書の翻刻作業を進め、毎年その成果を研究紀要に掲載しています。『雲中庵茶会記』の翻刻作業については、ブログ:「松永さんが呼んでいる」もご参照ください。
本年3月発行の最新号で、やっとこさ4割の活字化が終わったところです。翻刻こそこんなスローペースですが、耳庵翁の茶事144件の内容は全て整理しているので、現存作品と照合しながら、今回のような展示で紹介しているという次第です。

前置きが長くなりましたが、今回取り上げた茶事は3件(1949年7月16日、1954年8月1日、1957年6月30日)。そう、季節に合わせて「夏」の茶事を取りあげました。耳庵翁は夏にどのような茶道具を用いたのでしょうか。18件の作品により展観いたします。(「松永耳庵 夏の茶事」展示解説リーフレット
松永記念館室では毎年春と秋にそれぞれ名品展を開催し、季節に相応しい茶道具を中心に展観していますが、夏と冬の茶道具に注目することは殆どありませんでした。そこで今回の企画を思いついたもので、いずれ冬バージョンも企画したいと考えています。
さて今展、1949年7月の「黄梅庵の昼会」は前回も紹介したものですが、後座の床に飾った益田鈍翁旧蔵の《白錆籠花入》、広間の床に掛けた伝・宗達《蓮池図》など、まさに時節に相応しい作品が並びます。


前回は触れませんでしたが、この茶事については耳庵翁本人も自著で触れており、濃茶に用いた《青井戸茶碗 銘「瀬尾」》のチョイスについて、反省をしています。というのは、当初は夏らしく平茶碗の《蕎麦茶碗 銘「夕月」》を用いる予定で準備していたものの、水指が平水指であるため重複してしまうので、青井戸茶碗に変更したが、結果的には楽茶碗がよかった・・・云々(『わが茶日夕』400頁)。青井戸ではなく楽茶碗が良かったと思われた理由については書かれておらず、この平水指の所在も不明なので何ともわかりませんが、招客が誰であってもひとつの茶事のために熟考を重ね、最善を尽くした翁の真心に触れる思いです。

今回のような展示を企画する上で「ネタ帳」のような存在となる144件の茶事の記録。それに記される膨大な茶道具を現存する作品と照合してゆく作業は、無数のパズル片を一つ一つ繋げ、埋めていく作業に似ています。もとよりパズル片の数自体に限りがあるわけで、照合、同定できるものはわずかです。わずかであるからこそ、見つけたときの喜びもひとしおです。
美術館に収蔵されて「美術品」となった茶道具たちの、道具としての輝きに注目する展覧会です。
会期は8月17日(日)まで。ご来場お待ちしております。

(学芸課長 後藤 恒)

 

 

コレクション展 古美術

「つきなみ講座」を終えて

5月の「つきなみ講座」を担当させて頂きました。
日曜日の貴重なお時間にも関わらず、私の拙い話を聴講して頂いた方、この場を借りて御礼申し上げます。
その「つきなみ講座」では、現在開催中(6月22日まで)の「九州の古陶に魅せられた 田中丸善八の眼」展に合わせて、田中丸善八翁が九州古陶磁を蒐集し、そして実際に宴席の器として用いた話や、芳名録代わりの色紙、仲の良かった松永耳庵との風流なやり取りについてお話しさせて頂きました。

古陶磁コレクターというのは、世の中にたくさんいらっしゃいます。
長年、こういう世界で仕事をしていると、茶事や茶会で古い器を用いるというのは見聞きしたり経験したりもしていますが、宴席に用いるコレクターというのは私の知る限り聞いたことがありません。
というのも、宴席に用いると器が割れてしまう確率が高くなるからです。
宴席では酒が入りますから、酔いがまわって粗相する人がいるかもしれない。
また、10人もの客がお見えになると、料理の品数にもよりますが、だいたい80客から100客ほどの器が必要になってきます。その準備や後片付けもしなくてはならない。しかし、善八翁はそんなことは苦とも思わず、愉しんで用いた。

よくよく考えてみると、器は本来、観賞用に作られたものではなく、茶を点じたり、料理を盛り付けて食するために作られたものです。
ただ単に形や文様を「観る」だけに終わらず、器というものはほかにも「選ぶ」と「使う」が含まれます。
季節や年中行事、人生の節目、客の好みに応じて器を選んだり、料理との映りや器と器との取り合わせに心を配る。そして、花入には花を、茶碗には御茶を、向付や鉢には料理を、徳利やぐい呑には酒を、というように器本来の使い方をしてこそ器が生きてくる—。
善八翁は古陶磁を蒐集するにつれ、いつの頃からか、そういった器本来の用い方というものに思い至ったのでしょう。

九州古陶磁に奥様の手料理と酒でもてなす田中丸邸の宴席—。想像するにその宴席では、客と酒を酌み交わしつつ奥様の手料理を味わいながら、その器の歴史からはじまり、陶工の事やデザインの事、他の焼物の事にも話が膨らんでいく—。
善八翁はそうしたことに、古陶磁コレクターとしての愉しみや喜びを覚えたのではないか。

そして最後に善八翁は客にこう言ったに違いありません。
「ね、九州の焼物って、素晴らしいでしょう」と。

(一般財団法人田中丸コレクション 学芸員 久保山 炎)

総館長ブログ

前川國男生誕120年

どーも。総館長の中山です。
タイトルのとおり、今年は日本の近代建築を代表する建築家である前川國男1905-1985の生誕120年にあたります。お誕生日は5月14日。このブログ記事をアップした今日なんです。亡くなられてもう40年ですからハッピーバースデイはおかしいですが、記念日には違いないかな。

前川さんが福岡市美術館の設計に着手されたのは1976年のことで、開館は1979年ですから、彼の生涯からいえば当館は晩年の作品になります。代表作には東京文化会館(1961年)や東京海上ビルディング本館(1974年)などがよくあげられますが、東京都美術館(1975年)、熊本県立美術館(1977年)、山梨県立美術館(1978年)、宮城県美術館(1981年)など、当館を含めての美術館の数々も前川建築の魅力を雄弁に物語る一群であり、美術館建築抜きには前川さんの建築思想は語れないのではないかと思っています。美術作品として所蔵品に登録はしていませんが、建物自体が当館の目玉作品のひとつなのです。それにしても竣工年をならべると、1970年代の美術館建設ラッシュが浮かび上がってきて興味深いですね。

さて、建物は当館にとっての目玉作品なのですから自慢したいのが人情です。それで5月18日の「国際博物館の日」を記念して毎年開催するミュージアムウイークの期間中に、わたしが参加者をご案内する「建築ツアー」をやっています。美術館や博物館では「バックヤードツアー」をやっているところがありますよね。当館のツアーは、裏側を見てみたいでしょ、お見せしますよ、というのが主たる目的のイベントではないので、「建築ツアー」としています。とはいえ、普段は立ち入ることのできない屋上や、みなさんが見たいバックヤードの一部にも行くこともあって、大人数ではむずかしく、定員20名ですが今年も5月24日(土)にやります。こんなことを書くと、それならツアーに参加しようかなんて思ってくださった方がいらっしゃるかもしれません。でも申し訳ない。もう事前申し込みの締め切り、過ぎてます。すみません。

なんか前川國男の建築のことを少し知りたくなったなという方、まだちょっと先になりますが、今年の11月16日(日)に現在の前川建築設計事務所の橋本功所長とわたしが対談形式で講演会をすることが決まりました。講演会のタイトルや内容構成など詳細はまだこれからですが、前川國男が当館を手がけた際に実際に所員として設計に参加した橋本さんに当時のことや前川さんの考えていたことなどをお聞きしながら、2019年に実施した大規模な改修についても触れてみたいと考えています。この対談も事前申し込みになるかもしれませんので、そのときはよろしくお願いいたします。

ではここで、せっかくですから当館の建物に関する前川さんのこだわりをちょっとだけご紹介しましょう。

これはロビーに並んでいる柱のひとつを写した写真です。だからなんだ? よく見てください。コンクリートの肌が細かく凸凹してますよね。これは「はつり仕上げ」といって、特殊な工具でコンクリートの表面を細かく打ち、質感を出しているんです。一時期、一般住宅やちょっとした店舗などにコンクリート打ちっぱなしの壁をむき出しにしてオシャレ感を出すのがはやりましたよね。当館にも打ちっぱなしのところはあるのですが、柱はこうしてわざわざ「はつり仕上げ」にして柔らかな感触を演出しているのです。触ったら硬いですが。ほかにも「はつり仕上げ」が見つかりますから、当館にお越しの際に探してみてください。
あと、床のタイルがちゃんと柱をきれいに取り囲んでいますよね。これもだからなんだと思われます? 当館の柱と柱の距離(中心から中心)は6メートル40センチなんです。広々とした空間を創出することと、堅牢な構造を保つことを勘案して定められた距離なのでしょう。ところが、この6メートル40センチというのは、ふつうに床にタイルを敷いていくと厄介なことが起こるんです。タイルの大きさは30センチですから、きちんと割り切れない。タイルが柱とずれていってしまうのです。そんなことない、ちゃんと柱とタイルがおさまっている? そうなんです。この美しさは、目地を含めると縦横が32センチになる特注の大きさのタイルによって実現しているのです。32センチだと6メートル40センチが割り切れますから。
前川さんは建築を「細部の真実に支えられたフィクションである」と語っています。ディテールにこだわるんです。でないといけないんです。さすが、リアルな存在感の塊なのにフィクションと言い切るのはすごいですね。神は細部に宿るとか、美は細部に宿る、などともいいますね。福岡市美術館の建築は、こうしたディテールへのこだわりが支える作品空間です。展覧会だけでなく、美術作品やあなたをとりまく空間自体もぜひぜひお楽しみください。こだわり=意図を発見すると、予想以上に感動しますから。わたしが福岡市美術館の学芸員になったのは1981年です。それから4年、前川さんはご存命でした。ペーペーの若造でしたが、機会をとらえて一度でよいのでお会いしたかったなあ。

(総館長 中山喜一朗)

新着投稿

カテゴリー

アーカイブ

SNS