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福岡市美術館ブログ

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学芸課長ブログ

ゴキブリとコオロギ

4年前の夏、残業して深夜に帰宅した時のお話です。怪談ではないのでご安心を。

自宅マンションのエントランスを入ると、エレベータの前に高校生くらいの女子が立っていました。たまに見かける人なので同じマンションに住んでいるのでしょう。

「こんばんは」と挨拶しても返事はなく、なんだかソワソワした様子。エレベータの扉が開いても、彼女は乗ろうとしません。あ、そうか、このくたびれたオッサンが怖いんだな。

「お先にどうぞ。行って下さい」

そう言ってあげるしかありませんでした。
すると「あ、いや、あの…」と手をパタパタ横に振りながら2秒ほどの間をおいて、彼女はこう言いました。 

 

「ゴキブリ、倒せますか?」

 

敬遠球を打たれてピッチャー返しをくらったような気分でした。
聞くと、さっき帰宅したら玄関扉の前にでっかいゴキブリがいたので引き返してきた。家族に連絡したがみんな怖がって扉を開けられない。困っていたところにオジサンが現れたので助けを求めた、と。

 

「よし。うちから殺虫剤とってくるけん、ちょっと待っとき。」

 

かくして私は右手にゴキジェット、左手にチリ紙をもって決闘の場へ。
玄関の前で佐々木小次郎のように泰然と待ち構えるは、なるほど対峙した瞬間に引き返したくなるほど巨大なクロゴキブリ。うす暗い通路の照明をうけて艶めかしいほどの光沢を放つその姿に一瞬ひるみましたが、勝負は一撃で決しました。息絶えたコジローはチリ紙に包んで持ち帰ってあげました。後日、彼女は親御さんと一緒に菓子折をもってお礼に来てくれました。

 

さて私は、善いことをしたのでしょうか、悪いことをしたのでしょうか。

 

困っている人を助けて、菓子折をいただくほど感謝されたということでは善い行いに違いないけれども、そのために、ただそこに居ただけの虫を殺すことは、悪い行いに他ならないのではないか。だってシッシッと追い払えば済んだ話だもの。いやまて、でも、うちで同じことが起きたらやはりゴキジェット使うだろうな…

そもそも私は、虫好きを自任しています。エンマコオロギはその鳴き声が好きで、季節になると好んで捕まえて飼育して愛でたりするのに、それと外見や雰囲気のよく似たゴキブリには、視界に入ってきたとたんに拒絶反応を示します。

ついでにいうと息子が世話しているムーアカベヤモリは生きた虫しか食べず、困ったことにコオロギが好物なのです。だからAmazonで餌用コオロギを定期購入して、ヤモリの食料庫ということで飼育しています。成長した餌用コオロギが美しい声で鳴き出すと、とても複雑な心持ちになります。

こういう行為の善悪を問いだすと、キリがありません。

同じような種であっても、自分に何らかの不都合をもたらす生き物と、自分に一定の幸福をもたらす生き物に接するとき、誰しもこのような自問をすることがあるはずです。

コジローを倒して感謝された私は、この問題を思い出すことが多くなりました。

 

ほんとうにむずかしい問題というのはね、「答えが出せない問題」じゃなくて、「答えがたくさんあって正解がない問題、あるいは、どれもが正解であるような問題」のことなんだ。(内田樹『街場の現代思想』文春文庫、2008年)

 

まさにその通りです。

善でも悪でもないと同時に、善でも悪でもあるのだ、と片づけることは出来ます。

大切なのは、まず様々な「答え」の存在を知ることはもちろん、自分なりに最も適切と思う「正解」を導き出すことよりも、そのためにあれこれ思いを巡らし、考え続けるという行為それ自体にあると思います。善と悪、是と非、美と醜、真と偽など、事象や物事への価値づけにつながるそれぞれの対立概念の間にある混沌に心を寄せるほどに、誰かが決めた、あるいは自分なりに導き出した「正解」を、いろんな角度から捉えることができるようになるのではないでしょうか。

私自身は、どれだけ思い考え続けたところで、台所をコソコソと這い回るゴキブリを看過できるような心境に至ることは当面ないと思っていますが、しかしゴキジェットの噴射レバーを引く瞬間までに胸中に去来する想い、指にかかる重みをかみしめるようにはなるでしょう。餌用コオロギをピンセットでつかまえてヤモリのケージに運ぶときも然り。いずれヤモリが寿命を迎え、次の飼育の是非を検討するときは、息子と色んなことを話し合うことでしょう。

「多様性」を受け入れることと「包摂性」を高めることの重要性が叫ばれて久しく、さらに重要視されている昨今です。誰の耳にも分かりやすく、大切であることが自明の理念であるのに、実践することがいかに難しいことか。私はその入口の扉を、恥ずかしながらアラフィフになってようやく見つけたような気がしています。

 

美術館のブログなのに、美術(アート)のことは全く言及しませんでした。

美術(アート)の存在価値というのは、この「多様性」、「包摂性」に深く関与するものだと思っていて、以前もブログで少し触れました(「買い物あるある」を「美術鑑賞あるある」に)。そのあたりを少し深めて、季節の体験談をダシに書きなぐってみようと思ったのですが、虫ネタを選んだら思わず長くなってしまいましたので、稿を改めます。興味をもって下さった方は、どうか気長にお待ちください。

 

(学芸課長 後藤 恒)

教育普及

夏休みこども美術館2025
「みる見る きこえる 音楽会」開催中!

 みなさんこんにちは。照りつける日差しと蝉の大合唱。夏真っ盛りとなりました。夏と言えば、福岡市美術館では1990年から夏休みこども美術館を開催しています。
 今年の夏休みこども美術館は、「みる見る きこえる 音楽会」というタイトルで「音楽」がテーマとなっています。当館コレクションの古美術と近現代美術作品を織り交ぜ、3章に分けて展示をしています。音は目には見えませんが、美術作品では様々な色や形で音楽が表されています。作品を見る方には、「音楽」をめぐる様々な表現の面白さとともに、作品からどのような音楽がきこえるのか想像することを楽しんでほしいと思っています。このブログでは、企画担当者自身が想像した音楽を交えながら、展示から作品を3点ご紹介したいと思います。

図1 板谷房《動物のための宴》1969年、油彩
図2 演奏する動物(《動物のための宴》から一部 抜粋)

 まず、第1章「奏でる楽器」から《動物のための宴》です。猿や犬、キツネなど様々な動物たちがテーブルを囲んで宴を開いています。画面の左端のほうで演奏しているのは、ギターのような弦楽器を持った猫とラッパを吹く大きなネズミ。その2匹の前には、寝転がった猫がラッパを口にあてていいます。さて、彼らはどんな演奏をしているのでしょうか。私は最初、場を盛り上げるようなにぎやかな明るいメキシコ風の曲を演奏しているようだと思っていました。しかし、何度も見ていくうちに猫の怒ったような表情や床の色が黒いことから、緊張感のある張り詰めた曲の演奏もかもしれないと思うようになったのです。ちなみに、私の息子は「ドアから出ていこうとする動物がいるから閉店の曲を流し始めたのでないか。」と言っていました。全く頭になかった「閉店の曲」ですが、それはそれでありですね。

図3 小早川清《ダンサー》1932年、木版

次は、第2章「舞・ダンス」から《ダンサー》です。なんという体のそり具合!私が同じように踊ると、確実に腰を痛めます。作者の小早川清は、制作のために人物にわざわざポーズをとらせることはせず、人物の動きを観察して魅力的な瞬間をとらえて作品にしたそうです。さて、この女性はどんな曲に合わせて踊っていたのでしょうか。私は、小さな丸や大きな丸のワンピースの柄からリズムを感じ、
「タ・タ・ダン、タ・タ・ダン」とアクセントのついた速いビートのエレクトリックな曲を想像しました。(昭和7年制作なので電子機器を使う楽器が普及するずっと前ですが…。)私の母は、「ノリノリのダンスミュージックの最後に大きなシンバルが鳴って体を反らした。」と言っていました。そういわれると、曲のフィナーレも感じられますね。

図4 《人面文壺》 ガンダーラ墓葬文化、紀元前1500年~前200年、土器、
森田コレクション

 最後は、第3章の「音楽の色・形」から《人面文壺》です。展示室では、多くの人がこの作品の前で足を止めています。丸いフォルムに、小さな穴の目と口、そして板状の高い鼻。今のパキスタンあたりで約3500年~2200年前に作られ、死んだ人の骨を入れための壺だったのではないかと考えられています。私は、この作品の小さな穴で表された口が歌っているように見えるのです。亡くなった方を包むような優しい声で、「ホ~ホ~ホ~」と歌詞のない音程だけの歌がきこえてきます。ガイドボランティアさんの中には、「なんだか口笛を吹いているみたいだね。」とおっしゃった方もいました。どんな意図でこのような顔がつけられたのか分かっていないのですが、そのミステリアスなところも想像する音楽の幅を広げてくれます。

 ここで紹介した3つの作品を見て、読者の皆さんはどのような音楽を想像しますか。おそらく、見る人によってそれぞれ異なる音楽を連想するのではないでしょうか。一人ひとり違う想像の仕方、感じ方があっていいのです。だからこそ、一人で時間をかけて音楽を想像してもいいですし、一緒に来た方と「どう思う?私はね、、、」と話してもいいと思います。じっくり見ることや他の方の意見によって作品の見方を広げて楽しんでください。子どもたちに向けた展覧会ではありますが、大人の方も楽しめる内容と思っています。ぜひ「夏休みこども美術館」へ来てみてくださいね。
 また、同展示室内には、音楽にまつわる図書をお読みいただける「夏休みこどもとしょかん」や、鑑賞をより楽しめるワークシートを置いたコーナーがありますので、どうぞご利用ください。

(教育普及専門員 冨坂綾子)

夏休みこども美術館2025 みる見る きこえる 音楽会
会期:2025年6月25日(水)〜8月24日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時30分
7月~8月の金・土曜日は午前9時30分~午後8時
※入館は閉館の30分前まで。
休館日:月曜日
※7月21日(月・祝)、8月11日(月・祝)は開館し、7月22日(火)、8月12日(火)は休館
会場:1階 古美術企画展示室
夏休みこども美術館2025「みる見る きこえる 音楽会」チラシ

福岡市美術館の季刊誌『エスプラナード』220号にも記事を掲載しているのでご覧ください。

コレクション展 近現代美術

新しいコレクションハイライトについて

福岡市美術館の近現代美術の展示、「コレクションハイライト」(コレクション展示室 近現代A前半・C)が新しくなりました。
何度もここを訪れてくださる人の中には、「あれ?いつもと少し違う」と気づかれた方もいるかもしれません。本稿では、担当者より展示の狙いをご紹介します。

展示A「作品と語ろう」について
 展示室Aのテーマは「作品と語ろう」。これまでと同様、いわゆる市美の顔として知られている作品の中から12点を選択して(※展示替え予定作品含む)いますが、今回は、それらをなるべくグルーピングして展示することを試みました。
 例えば、ウォーホルの《エルヴィス》と松本竣介の《彫刻と女》。どちらも人物がまっすぐに立っている姿を現した絵画です。ただ、この2点の印象は全く異なっています。ウォーホルが1963年当時の大衆的スターが銃をバン!と構える姿を通し、鑑賞者を挑発するのに対し、松本竣介は、静かに彫刻と向き合う女性の姿を通して、芸術と鑑賞者との、ある種閉じられた蜜月関係を象徴的に描いています。並べてみると、こんなおしゃべりが聞こえてきそうです。ウォーホル「お前らは今、何を思う?」…松本竣介「(お願いだから、私たちをじゃましないでくださいね)」…。

入口すぐに《エルヴィス》《彫刻と女》はあります

 このようにして、作品同士の「語らい」や、作品と鑑賞者との「語らい」を感じてもらうことが、展示の狙いです。今回、空間デザインのプロに参加していただき、空間の仕切りを変えたり、壁面にグラフィックや鑑賞のヒントとなる言葉を配置したりしました。個性豊かな作品のおしゃべりが、感覚的に感じられるでしょうか?

ピクトグラムと言葉が、鑑賞をアシストします

草間彌生《夏(1)(2)》が漫才コンビのように見えてきました

 会場内には、語らいにまつわる新たな試みがいくつかあります。その一つは、耳で楽しむ「おもしろキャプション」。従来のおもしろキャプションに声優さんが声を吹き込み、学芸員・職員の「ここだけの話」が音声で楽しめるようになりました。
 また、会場を訪れてくださった皆さんが、感想を書き残してくださる「おしゃべりシート」のコーナーを設置。開幕して1か月ほどですが、大変盛り上がっているのを感じます!オフラインで、作品についてのいろいろな見方を意見交換する掲示板になればうれしいです。ぜひチェックしてみてくださいね。

鑑賞者参加型の「おしゃべりシート」のコーナー

展示室C「4つの視点」について
 もう一つの会場、展示室Cのテーマは「4つの視点」です。緩やかに区切られた4つのエリアごとに、“絵画”や“旅”など、様々なテーマで作品と向き合う空間になっています。
 注目いただきたいのは、シャガール《空飛ぶアトラージュ》の位置です。シャガール作品は今まで展示室Aでご覧いただくことが多かったのですが、今回、展示室Cの広いエリアに展示してみました。このゾーンには、アニッシュ・カプーアや塩田千春など、比較的、新しい時代の立体作品が展示されることが多く、1945年制作のシャガールの絵画は「ちょっと傾向が違う?」と感じる方も多いのではないかと思います。

展示室Cの広いゾーン

 それでもここに展示しようと思った理由は、二つあります。一つは、色彩です。シャガール作品の特徴である、マットで鮮やかな原色の色使いが、このゾーンの作品と響き合うはず、という予感があったからです。《空飛ぶアトラージュ》の画面の中で、道化師を彩る青は、アニッシュ・カプーアの《虚ろなる母》(写真左)に見られるプルシャンブルーと見事に響き合い、女性を彩る赤は、塩田千春の《記憶をたどる船》(写真中央)に呼応しているのです。
 二つ目は、作品の主題です。戦禍の故郷を空飛ぶ幻獣に乗って訪れる、というテーマは、アンゼルム・キーファー作品(写真右)における戦争の傷や飛行機のモチーフ、塩田千春作品における土地の記憶、というテーマと共通すると思ったのです。
 展示作業が終わってみて、担当者的には、「やはりここでよかった。」と感じていますが…ぜひ、実際に見て確かめてみてほしいです。

展示を作ることと、作品を見ることは地続き
 つらつらと展示のテーマについて語ってきましたが、AとCの両方に共通しているのは、並んだ作品を見比べて、その内容についてあれこれ比較することを主軸に据えた展示だということです。
 展示について構想を練り始めたのは約7か月前。データベースで作品を検索し、展示室に足を運び、収蔵庫を行き来しながら出品作品を決めるのですが、(この作品とあの作品を並べたら、絶対いいぞ…)と妄想する時間は何よりも楽しいです。これを、美術館を訪れる方と共有したいという気持ちが、展示プランをつくる大きな原動力になっています。
 そもそも、「作品を並べる楽しさ」とはどんなものでしょうか。ふと思い出すのは、学生時代に読んだ、ある海外の美術館の学芸員による論文です。その中に「コレクションは、まるでトランプカードのようなものだ」という一節がありました。たとえば、年代順や地域順にに並べる「七ならべ」式、色や形の特徴をもとに並べる「セブンブリッジ」式、「大富豪」のように、「革命」が起これば、ある作品の重要性が突如として浮かび上がることもあります。並び順によって新たな意味が生まれる、そのダイナミズムが、コレクション展示にはあるというのです。(最近は「アートカード」を使って、実際にカードゲームの要領で鑑賞を深める活動もありますね)

樹木を共通項とする2作品

このコーナーの意外な共通点は「シルエット」

「見たことがあるからいいや」とは言わないで 
そんなわけで、「コレクション展は見たことがあるから、いっか」と、足が遠のいているそこのあなたも、新しいコレクションハイライトをぜひのぞいてみてください。
 福岡市美術館では、年に何度も展示替えを行い、作品同士の新たな並びを通じて、常に新たな見方を生み出しています。自分だけの「お気に入り」を見つけに、そしてまだ知らない作品との出会いを楽しみに、何度でも足を運んでいただけたら嬉しいです。

(近現代美術係 忠あゆみ)

 

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