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福岡市美術館ブログ

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コレクション展 近現代美術

「菊畑茂久馬展」ができるまで

 お久しぶりです。約5カ月ぶりに登場します、近現代美術係の花田です。今回は、初めて担当した展覧会「菊畑茂久馬展」(近現代美術室Bで11月3日まで開催中)が、どのようにできていったのか、ご紹介しようと思います。 

 菊畑さんは、1935年に長崎に生まれ、高校を卒業した後は福岡市のデパートで楽焼の絵付けの仕事をしつつ、絵画制作に取り組みました。そのなかで桜井孝身やオチ・オサムと出会い、1957年、三井三池争議などの労働争議に共鳴した前衛美術前衛グループ「九州派」の結成に参加します。九州派での活動で頭角を現し、東京や海外からも注目を集めていましたが、1960年代半ばから約20年間、美術界と距離を置くようになります。自身の絵画表現について、山本作兵衛や戦争記録画を手掛かりに考えを深め、オブジェを撮った写真を版画にした作品の制作や、公共作品の制作も手がけました。天神地下街にある「かっぱの泉」のデザイン監修も行っています。作品の発表は控えながらも、福岡の地で多様な活動を続けた菊畑さんは、1983年の《天動説》シリーズ公開を皮切りに大型油彩画の連作を次々に発表し、生涯制作を続けました。今年は没後5年になります。

 菊畑さんの展示を行うことは既に決まっていたので、どのような内容にするのか、ということから考えることになりました。菊畑さんの画業を、1960年代、《ルーレット》シリーズを制作するまでと、美術界から距離を置いた後、大型の油彩画を発表し、晩年に発表した《春風》までとに分け、2章の構成にしました。どの作品を展示するか、2つあるドアのうち入口はどちらにするか、順路はどうするか、などを考えながら展示室の図面に作品の画像を配置してプランを練りました。先輩方からアドバイスをいただき、それぞれの作品の大きさを踏まえ、実際に展示する際に収まるのか、窮屈になっていないか、図面上でシミュレーションを行いました。かなり作品を詰め込んでいたので、いくつか収まらない作品を間引きましたが、展示作業の日に展示できない!とならずによかったです。
 次に、展示室に掲載する解説パネルの原稿を作成しました。各章の説明や作品それぞれの解説ですが、これに一番時間がかかり、書いては消し書いては消しでなんとか完成しました。解説パネルや配布する作品リストの発注、今回は版画作品も展示するため、額に入れる際に作品を保護し、見栄えを整えるマットの発注、額装作業も行いました。

 ところで、今回の一つの目玉として、福岡県立美術館所蔵の《ルーレット(ターゲット)》と当館所蔵の《ルーレット》が並ぶことが挙げられます。《ルーレット(ターゲット)》は、アメリカで1965年に開催された「新しい日本の絵画と彫刻」展に出品された3点のうちの1点で、長く所在不明だったものです。実はその3点の他にもう1点、《ルーレット》が当時アメリカに送られていたことが、当館で2011年に開催された回顧展「菊畑茂久馬 戦後/絵画」の準備調査で判明しました。1965年のアメリカでの展覧会を企画したニューヨーク近代美術館のキュレーター、リーバーマンが購入していたのです。その作品が、当館所蔵の、ヘルメットがついた《ルーレット》です。アメリカの展覧会で並ぶことはなかった2つの作品が今回福岡で並ぶことになりました。

 

 

 話が少しそれましたが、いよいよ展示作業の日です。作業は、美術品を専門に扱う輸送会社の方に来ていただき行います。前日までの展示の撤収とともに、今回展示する作品を収蔵庫から運び展示するという内容です。《天河》や《春風》はそれぞれ3枚のキャンバスで構成される作品で、横の長さが6m近くなります。大型の作品が多く、大変な作業だったと思いますが、丁寧に作業していただきました。事前にシミュレーションをしていたものの、実際に作業が進んでいくと、本当に作品が収まるのかドキドキしてしまいました。また、作品名などが記載されたキャプションを事前に印刷していたのですが、それを入れるケースよりも一回り小さく作っていたことが作業中に判明し、ピンチ!しかし当日来ていた博物館学の実習生さんたちが作り直してくださり、無事に掲示することができました。本当にありがとうございます。

入口を入ると視線の先に《ルーレット》シリーズが並んでいます。

今回の菊畑茂久馬展は、「LINKS-菊畑茂久馬」という企画の一環です。菊畑さんの作品を所蔵する全国の美術館がそれぞれに展示を行い、つながるという企画で、様々な美術館で菊畑さんの作品を見ることができます。詳細は以下のホームページをご覧ください。

菊畑茂久馬没後5周年企画-LINKS-展

 改めて展示室を見回すと多彩な作品を制作されていたことを実感します。試行錯誤を重ね、自身の表現を模索し続けた菊畑さんの作品をじっくりご覧いただけると嬉しいです。

(近現代美術係 花田珠可子)

コレクション展 古美術

「仙厓展」開幕しました

 先週から古美術企画展示室にて「仙厓展」を開催しています(~10月19日まで)。
仙厓義梵(1750~1837)は、江戸時代に活躍した禅僧で、親しみやすい書画を通して禅の教えを分かりやすく伝えたことから「博多の仙厓さん」と呼ばれ人々から慕われました。
当館では200点を超える仙厓作品を所蔵しており、仙厓さんの命日である10月7日に合わせて毎年仙厓展を開催しています。
 今年のテーマは、「『禅僧・仙厓義梵』から『博多の仙厓さん』へ」にしました。仙厓さんといえば愛らしい動物やユーモアあふれる禅画が有名ですが、若い頃に描いていた禅の厳しさを感じさせる作品とのギャップをどのように理解すればいいのか?私にとっても長年の課題であり、所蔵作品を通してこの問題を考えてみたいという思いで今回の展示を企画しました。
仙厓さんの画風は、62歳の時に長年勤めてきた博多・聖福寺の住職を隠退し、人びとの求めに応じて書画制作を行うようになった頃から徐々に親しみやすさを増していったと言われています。まずは、当時の仙厓さんの心境をよく表す作品として、《観音菩薩図》を紹介しましょう。

仙厓義梵《観音菩薩図》(九州大学文学部蔵、福岡市美術館寄託)

 のびやかな筆遣いで描かれたからっとした笑顔の観音がとても印象深い作品です。上部には長大な賛文が記されていて、他人の利益のために起こすならば、喜怒哀楽の感情はすべて観音菩薩の慈悲の心になる、と述べられています。
 本作が描かれたのは、仙厓さんが住職を隠退して間もない65歳のころ。自身の修行はもちろん、弟子の育成やお堂の再建をはじめとするお寺の運営など、現役時代は多忙な日々を送っていましたが、こうした激務から解放された仙厓さんのセカンドライフはどのようなものだったのでしょう?
 おそらく彼の念頭にあったのは、禅僧として培ってきた知識や経験を次の世代へ継承したい、特に禅宗の知識に乏しい一般の人びとに伝えたいという思いだったのではないでしょうか。先ほど紹介した《観音菩薩図》はまさにその好例で、書画を通して「他人の利益のために」自身の知識を伝えていきたいという強い意気込みを感じさせます。この頃の仙厓さんは執筆活動も旺盛に行っていて、いくつかの著作も伝わります。
 一方で、こうした仙厓さんの思いが100%人びとに伝わったのか、と言われると必ずしもそうではなかっただろうと思います。というのも、《観音菩薩図》に描かれた観音の姿は確かに親しみやすいものの、いかんせん賛文が長すぎるので画とのバランスを崩してしまっていますし、内容をぱっと理解することもできません。
 仙厓さんが聖福寺の住職を隠退して間もない60代後半ころの作品の中には、画は親しみやすいけれど賛文はやたらと長い、という傾向を持つ作品が少なくありません。

仙厓義梵《尾上心七早替り図》

仙厓義梵《いろは弁図》(小西コレクション)

 自身の思いを言葉を尽くして伝えようとするあまり、かえって作品の魅力を削いでしまっていると言えるかもしれません。そもそも、禅宗とは「不立文字(真理は文字や言葉では伝えることはできない)」「以心伝心(真理は心から心へと伝えるものである)」という言葉に示されるように、文字や言葉ではなく心を大切にする教えです。
 文字や言葉に頼ることなく思いを伝えるにはどうすればいいのか?おそらく仙厓さん自身もこの課題を自覚したようで、70歳を過ぎたあたりから賛文がやたらと長いタイプの作品は描かれなくなります。
 そのきっかけを示す作品に《無法の竹図》があります。

仙厓義梵《無法の竹図》(三宅コレクション)

 一見何の変哲もない竹の作品にも見えますが、賛では明確に仙厓さんの心境の変化が認められます。本作の賛には画を見ることで人が皆笑い、仙厓自身も大笑いする、と書かれています。
 どうやら本作は酒宴の席で描かれたもののようで、余興的な作画でどっと笑いをとったことは、仙厓さんに大きな気づきを与えたのではないかと想像します。
 すなわち、それまでは自身の悟りを言葉によって伝えることに意を尽くしていましたが、そうではなく、笑いなどを通して、皆で同じ思いを共有するという体験がより重要なことだと認識するに至ったのではないかと思うのです。
 このように想像すると、厳しい修行に励んだ禅僧であった仙厓さんが、なぜゆるくてかわいい画を描くようになったのか、という疑問も幾分理解がしやすくなると思いますがいかがでしょうか?

 この想像があたっているのかはもう少し検証が必要ですが、ともあれ、仙厓さんが生み出した愛らしい作品の数々は見る人に笑ってほしい、という思いに支えられて描かれたことは確かです。少し理屈っぽい話になりましたが、展覧会ではかわいい作品もたくさんご紹介しています。この機会にぜひご覧ください!

(学芸員 古美術担当 宮田太樹)

特別展

ポスターとチラシ完成!
珠玉の近代絵画─「南国」を描く。

まもなく展覧会シーズンがはじまります。
春と秋は、日本中の美術館でいろんな展覧会が目白押しですね。
当館でも、10月11日~11月24日に特別展「珠玉の近代絵画─「南国」を描く。」を開催します。
そのポスターとチラシが完成しました!
ポスターは館内で様々な仕事に携わる全スタッフ、たまたま事務所に訪れたお客様による人気投票を経て決まりました。下記の写真は投票の様子です。

デザイナーさんからは、たくさんのアイデアを出していただきました。
1度の人気投票ではなかなか決まらず、最後は数枚に絞って決戦投票。下記が決定したポスターです!

どうです? 
嘴をあけて鳴こうとする極楽長と、降り注ぐ白い蘭と、ワサワサと折り重なる椰子の葉と……酷暑のいま見ると暑苦しい?! かもしれませんが、ともかく熱帯の空気がムンムンと寄せてきそうなイメージに仕上がりました。
ポスターになった作品は、下記の石崎光瑤《熱国妍春》(1918年制作、京都国立近代美術館所蔵)です。

石崎光瑤《熱国妍春》(1918年制 京都国立近代美術館所蔵)

石崎光瑤は1916年末から半年ほど、仏教美術の研究を目的にインドを遊歴します。そのときに見た熱帯の植物や鳥を大胆な構成で豪華絢爛な屏風に仕上げました。タイトルが示すように、幾種類もの植物が「わが世の春」さながらに妍を競っています。
圧巻の屏風は、ぜひとも展覧会場でご覧ください。

実は、チラシについては、表面を2種類作成していただきました。投票でも人気があり、わたしがとても迷っていたら、根負けしたデザイナーさんが2種用意してくださった次第です。ありがとうございました。一生の思い出になります。

1種は、ポスターと同じデザインです。

そしてもう1種類は、まさに「幻想の楽園」という言葉が浮かんできそうな、たいへん優美なイメージです。
どちらがお好みでしょうか? ポスターとチラシの配架をお願いする各所には、どちらか1種類のチラシをお届けいたします。 
エッ?!両方ともほしい? そういう方はぜひ当館のロビーでお取りください(展覧会の観覧もお忘れなく!)。

ちなみに、このチラシのイメージは、荒井寛方《薫風》(1919年制作、さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-所蔵)からとられています。孔雀が1羽増えていまけど(笑)。

荒井寛方《薫風》(1919年制作 さくら市ミュージアム -荒井寛方記念館-所蔵)

まるでティアラをつけた女王さまのような孔雀が、多種多様な植物が美しく剪定された庭園を優雅に逍遥しています。
荒井寛方も、石崎光瑤と数日違いでインドに出発します。寛方の場合は、アジア初のノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールの依頼で、コルカタの美術学校で日本画を教えるために渡っています。1年半の滞在中には、アジャンター石窟の模写にも携わり、インド各地を巡って風景や動植物や風俗をスケッチしています。
この《薫風》はインドから帰国した間もない頃に発表した作品で、テーマも鮮やかな色彩も当時評判になりました。

ちなみに、表面は2種類のチラシですが、裏は共通しています。

会期中には、今日、紹介した作品に登場する植物をメインにしたギャラリートークも予定しています。実は、実存する植物と架空の植物が描かれているんです。トークでは、画家が、写生に基づきながらも自由な想像を交えて制作した様子もお伝えできることでしょう。会場でお待ちしています。

(近現代美術係 係長 ラワンチャイクン寿子)

 

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