2025年10月15日 10:10
♪名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月………♪
島崎藤村の詩「椰子の実」に、曲が付けられたのは1936年。ある世代以上の方にとっては、懐かしく、ロマンチックな異国情趣にみちた歌謡として記憶に残っているのではないでしょうか。
藤村は、親友の柳田國男から愛知県の伊良子岬に流れ着いた椰子の実の話をきき、この詩を書きました。1900年頃です。この時、柳田は、黒潮にのって流れ着いた椰子の実から、日本民族の故郷は南洋諸島にあると確信した、と言われています。
10月11日から始まった「珠玉の近代絵画─「南国」を描く。」展は、まさにこの詩が書かれ曲が付けられた時代の展覧会です。
柳田が日本人のルーツを南方に求めたように、当時、多くの文化人が南に関心を寄せました。画家たちも、開設された航路で南へ向かっています。渡航の理由はそれぞれですが、常夏の南に甘美な夢や希望を抱いた画家も多かったでしょう。
しかし、この日本人の南への関心の背景には、日本が沖縄から台湾や南洋諸島(南洋群島)へ帝国としての領土を広げたことや、太平洋戦争期には東南アジア(南洋)を占領下に置いたことなど、ロマンチックな夢からはほど遠い実態がありました。
だからこそ、時代の闇を忘れさせるような、郷愁を誘う甘美なメロディが必要とされたのかもしれません。画家たちも、現実よりも、自分のイメージにそった理想的な「南国」を見たかった、描きたかった、のかもしれません。
展覧会では、日本人作家が、南に移住したり旅行したりして制作した、さまざまな「南国」を集めています。美しい作品が並んでいますが、その背景にあった社会の闇も忘れてはならないことです。
さて、柳田と藤村が椰子の実に南洋を想像したように、椰子は「南国」を描いた作品にいちばん多く登場する植物です。日本人画家にとって、椰子を描き込むことが、自分の見つけた「南国」を創造することになったのでしょう。展示作品からいくつかご紹介します。

西郷孤月 台湾風景 1912年 松本市美術館所蔵
左右に描かれているのは、椰子科の代表的な植物、ビンロウです。その林のむこうに広がるのはサトウキビ畑でしょうか? 遠くの工場は、煙突の商標と作者が訪台した時期から、高雄の鹽水港製糖工場のようです。製糖は、日本による植民地統治の初期から台湾の重要な産業でした。
孤月は将来を嘱望された日本画家でしたが、制作に行き詰まり、私生活の不行跡もあって中央画壇から離れます。その彼が気持ちを切り替えるために渡ったのが台湾でした。しかし、この台湾旅行は孤月にとって生涯最後の旅になります。
繊細な筆致と清らかな色彩で、ビンロウの林を透かしてみた近代の「美麗島(台湾の美しさを称える別称)」を表現したこの作品は、孤月の遺作となっています。

和田三造 南洋風景 1919年 公益財団法人北野美術館所蔵
天を突くビンロウの並木。白い雲が青空にぽっかり浮かび、黒い影が赤土の道に落ちています。奥へと誘う道の両側にも、緑滴る熱帯の植物がさまざまに繁茂し、「南国」の熱い陽射しを浴びています。
インドと東南アジア(南洋)に魅せられた和田は、1914~16年に2度に渡り都合3年ほど当地に滞在しました。和田にとってインドは、日本文化の淵源の地であり、東南アジアは、「天と直接対話のできる」土地でした。
まっすぐに伸びるビンロウ樹を介して、空と大地、天と人(和田)が交信するようなイメージは、和田が南洋でつかんだ自然観から生まれたものです。

橋本関雪 讃光 1943年 大阪市立美術館所蔵
橋本関雪は、朝日新聞の委嘱で1942年に南方戦線を取材しています。
本作は、関雪が、米軍の要塞のあったマニラ湾のコレヒドール島を背景に、戦友の遺骨を抱く海軍兵士を描いたものです。
要塞の陥落によってフィリピン上陸作戦は成功しており、本作はそれを記念する戦争画ですが、そこに戦争の悲惨さはありません。むしろ燦燦と降り注ぐ陽光のもと、枝をしならせる椰子や色鮮やかなカンナやサボテン、飛び交う鳥たちが兵士を讃えており、戦死も厭わず国家に尽くすことが美化されています。
こうした「戦争画」に分類される作品でも、画家たちは南方の花鳥を描くことを忘れず、椰子はその代表格でした。

石崎光瑤 熱国妍春(右隻) 1918年 京都国立近代美術館所蔵
前回のブログでも紹介した石崎光瑤が、1916年末から半年ほど、仏教美術の研究のためにインドを遊歴した成果のひとつが、この豪華絢爛な屏風です。
幾種類もの植物が「わが世の春」さながらに妍を競っており、中でも右隻の鬱蒼と折り重なる植物が目をひきます。これは、実は椰子ではなくソテツです(筆者は椰子だと思っていました)。とりどりの緑色で大ぶりの葉がしなり、まるで生き物のようです。ちなみに、屏風の左隻はデイゴが画面を埋め尽くしています。
ちなみに、この屏風を開けるときには、熱帯の湿潤な空気まで漂ってくる感じです。

大博通り (出典:公益財団法人福岡市緑のまちづくり協会ホームページ)
ところで福岡でも椰子はよく見ます。博多駅から港にまっすぐ伸びる大博通りは椰子の並木道です。かつて当館の近くにあった九州大学教養部の正面玄関にも、背の高い椰子が3本植えられていました(現在は九大跡地にできた裁判所の敷地内に移植)。椰子に限らず、福岡や近郊(九州?)の学校には、校舎の正面や校庭のどこかに南方原産の樹木が植えられているのを、いまでもよく見ます。
日本列島の南に位置する福岡(九州)は、東京や京都から見ると、確かに南の地方です。南の土地にふさわしい植物として、外来種の椰子などが植えられ、福岡(九州)のアイデンティティとされたものと思います。
珠玉の近代絵画─「南国」を描く。
会期:10月11日(土)~11月24日(月・休)
作家数60名、作品と資料合わせて227点のボリュームで近代の日本人が描いた「南国」を紹介します。
(近現代美術係長 ラワンチャイクン寿子)
2025年10月1日 09:10
どーも。総館長の中山です。少し前のことですが、7月の学芸会議で特別展の企画についての議論をしていて、ちょっと熱くなり、いろいろ言いすぎてしまいました。歳をとると普通は自制心が働くようになると思うのですが、わたしの場合は時々ブレーキが故障してしまうようで、反省しております。
強く言いすぎたのは、展覧会はコンセプトなのか作品なのかという論点で、いったい何のこっちゃと思われるでしょうが、「コンセプトで感動したことなんかないぞ。作品で感動するんだ!」みたいなことを口走ってしまったのです。そのときの頭の中は、9月20日のつきなみ講座「美術と言語と人工知能」というテーマで煮えたぎっていたのです。言い訳ですけど。たぶん、会議に出席していたみなさんは、「中山はいったいなにを熱くなって訳の分からんことを口走っているのだ?」と思ったでしょう。で、もう講座も終わりましたので脳味噌は冷えています。冷えたので、少しだけ整理しておきたいと思います。なにしろ講座は散らかしっぱなしの子供部屋みたいになってしまいましたので。
例えばアンドレ・ブルトンのシュールレアリスム宣言や、コンセプチュアル・アートみたいに、言語の存在とか、言語による論理的考察という、いわばごくごく普通に「人間が物事を考えるときの筋道」を強く意識した芸術運動が20世紀にはありました。前者はどちらかというとそういう言語の働きを否定したい立場。後者はむしろそっちが大事という立場です。詩人や造形作家が芸術と言語の関係を気にするように、学芸員も美術作品と言語の関係は気になるんです。いつも解説文を書いていますからね。それに、展覧会を企画するときは、どちらかというと言葉というか、概念が先にあることが多いですし。
美術や音楽などは、鑑賞者からすれば「世界の中心に感覚が置かれている世界」です。でもこうした分野について感想を述べたり議論したりするのには言語が必須になります。あたりまえですけど。美術もコミュニケーションの手段であるという一面を持っていますが、伝えようとするのは言語のように明瞭ではないことが多いと思います。まあ、わたしみたいに言語さえ明瞭ではない人間もいますけど。
こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、伝えようとする内容が明瞭な美術作品は、わたしにとってはあまりおもしろくないことが多いかな。偏見ですけどね。でも、最新の言語学者さんたちの言説を吟味すると、「本質的な特徴において、美術と言語は同じであるby中山」みたいな結果も浮かび上がってくるのです。多分、美術だけじゃなくて芸術全般の本質が言語とほぼほぼ同じ。どちらもひとつの脳の働きなのですから当然かもしれません。担当している部位も右と左のおとなりですし、普通にはつながっていますし。
ただ、いまの世の中、言語のほうに偏りすぎていないかとも思うのです。言語の力が世界を支配している気がします。多くの分野で、言語化が得意な人がスポットライトを浴びている。会社で出世する。お金を儲けている。そんなのあたりまえのことだと思われるでしょう。それのどこが悪いのかとも、思われるでしょう。頭がよいという評価も、つきつめていえば言語能力という基準に基づいているのかもしれません。そのこと自体は決して悪いことじゃないと思うのですが、例えば言葉の中身が問題なのに、強い言葉で、大声で、自信たっぷりに、ジェスチャーもまじえながら、これが正しいのだ、と断定的にしゃべっている人(頭に浮かんでいる人が誰だかは言えませんが)だけがいつも目立っているような気がしてしまうのは、わたしだけでしょうか。
これは講座では言及するのを忘れてしまったトピックなのですが、アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが1971年に提唱した「話し手が聞き手に与える影響は、視覚情報が55%、聴覚情報が38%、言語情報が7%である」という有名な法則があります。この数字が正しいかどうかはわかりませんが、目に見えていたり耳に聞こえている感覚のほうが、話されている言葉自体よりもずっと大きく聞き手に影響する、ということらしいです。つまり、相手の眼を優しく見つめて、微笑みかけながら「君のこと、大嫌いだ」と、ちょっと甘くて低い声でささやいても「絶対ウソでしょ」となる。なるほど。わかる気がする。
だったら感覚が言語よりも大切だと証明されているみたいだから、それでいいじゃないか、となりますね。そうなんですけど、逆にこの法則をうまくあやつると説得力が爆上がりするわけです。人間の感覚は正直だと思います。だから悪用もされる。だまされやすい。いつもだまされている。口先だけの詭弁を見抜く感覚こそが、現代人に必要なスキルなのかなあ。まあ、古代ギリシアでもそうだったみたいですけど。
このことは、言語に含まれている情報よりも、感覚に含まれている情報のほうが圧倒的に多い、ということと関係しているかもしれません。見えていることを言葉にしても、ごくごく一部しか示せない。そのことをわたしたちは、体感として知っている。言葉にはできないけれど、感覚から多くのことを受け取っているのです。
そこからさらにつきなみ講座では暴走して、「言語は所詮、他人の頭。言語は嘘をつくための道具である。by中山」などといった極端な、それこそアクセル全開の言語万能世界批判論も展開しました。論理の筋道は個人の自由意志だと思っている思考方法さえ、経済原理(アメリカ)や政治原理(フランス)など、国の言語と国語教育のやり方で決まってしまうとか。日本人は社会原理でものを考えるように教育されているみたいですよ。そういう研究もあるのです。かといって、実は絵画も嘘はつくし、百パーセント自分の頭から生まれたものでもないのですが。

水辺に建つ福岡市美術館
Stable Diffusion XL, Fooocus による。Promptは ”Fukuoka Art Museum, located on the waterfront”
ところで、上の2枚はつきなみ講座で使った画像生成AIの画像です。多分著作権は問題ないので載せます(笑)。「水辺に建つ福岡市美術館」を写真のようなクオリティで描きなさいと英語で命令しました。今なら日本語でも作ってくれます。よくできていますが、これはつまりAIは福岡市美術館を知らない、ということも意味しています。だって想像上の絵になっていますからね。
この画像は、言葉の意味を人間のように考えて作ったものではありません。言い方が難しいですが、要は「水辺」という記号と一致する蓋然性が高い画像(川辺とか海辺とか湖)に、「美術館」という記号と一致する蓋然性が高い画像(このAIは近代的、未来的で大型の建築物だろうと確率計算した)を重ねて描いたということになります。このAIに当館の実物の建築画像を何百枚か使ってrolaという参考書を渡して勉強させてから作らせると、いろんなアレンジもありながら、ほぼ当館の実物みたいな画像を描き出します。面倒なのでやってませんけど。
AIはわたしたちが使う自然言語では物事を処理しませんし、できません。AIのための形式言語(プログラム言語も含む)で計算するのです。すごい言語を発明したものです。機械で計算できる言葉なのですから。多言語モデルLLMと呼ばれるAIだと何兆という単位の言葉を学習していますから、とんでもないです。でもその実、数理ではなく物事の実際の意味を知っているかといえば、知らない。いつもすぐに文章で答えを出してくれるAIとやりとりをしたあとで、「君はよく物事がわかっているね」とAIに向かってわざと言いました。すると「理解していると思われるようにふるまっているだけです」と正直に答えてくれました。本当の話です。AIって正直なんです。人類を滅ぼしたりしないです。
少なくとも現在のところですが、AIは嘘をつけないので、詭弁もつかえません。アブダクション推理という人間がよく犯す論理的な間違いも不得手です。記号と記号の関係はわかっても、記号と実際のものを結びつけることができない記号設地問題は、リンゴ=Appleはわかるけれど、実物のリンゴの手触りや味なんかは体験していない。つまり現実世界を知らないということを意味しています。これは禅宗でいう「冷暖自知」に似ています。釈迦の教えを言葉として理解しても何の意味もない。禅はそう主張するのです。冷たいのか温かいのか、水は飲まないとわからない。悟りは言葉だけで得られるものではないですよ、ということです。シンギュラリティ(技術的特異点。人間の理解や予測を超えた技術的な変革が起こる状態)を通過したAIは、悟れるでしょうか。
言葉で答えられることなんてしれている。言葉では表現できない答えを「悟り」とするのが禅宗です。だから禅宗は「不立文字」といって言葉を否定する。そのくせ、「不立文字」とはなにか、「悟り」とはなにかを説明しようとやっきになった結果、禅宗は膨大なテキストを残しました。自己矛盾していますよね。
現在「仙厓展」が開催中(~10月19日まで)ですが、最も大事な答えは言葉ではない。仙厓さんの作品は絵と言葉でできていますね。画賛といいます。だいたいのところ、絵が問題や問いかけになっていて、賛が答えになっているんです。仙厓さんは優しいので、すぐに答えを言ってしまう。ごくまれに、絵だけしかなくて、賛文がないのもあります。その場合は、答えは自分で考えろ、ということなのでしょうか。
わたしたちが言葉で考えるのは、答えを出したいから。これも極論ですが、「言語とは答えである。by中山」だと思うのです。「あれはなに?」「○○だよ」なんて会話、幼児と大人ではよくありますね。モノの名前も答えです。名前をつけると手っ取り早く答えになる。名前を教えてもらったからと言って、必ずしも納得できるかというと、そうでもないのですけど。現代はあまりにも答えを求めすぎているように思えます。
いまの例えでピンときましたよね。わたしが言いたい極論は、「美術とは問いである。感覚とは、問いである。by中山」なです。いまの世の中は、きちんと問いかけをしないまま、答えばかりを求めてしまう世の中なので、言語万能世界になってしまうのです。ほら、AIがもてはやされるのは、すぐに答えを言ってくれるから。でもAIは答えの意味をわかってはいません。そのかわり、強い言葉で、ゼスチャー入りで、大声で主張はしません。それがいいところかな。
さて、ブログもとっちらかってしまいました。えらく長くもなってしまいました。そうそうみなさん。わたしの詭弁にだまされてはいけませんよ。念のため。
(総館長 中山喜一朗)
2025年9月23日 12:09

『福岡現代作家ファイル2025 牛島智子《くちなしパンを食み スピンするウサギ》』
*キャプションのある写真以外は、上記展覧会の会場風景
天神のONE FUKUOKA BLDG.(ワンビル)1階に展示されている、『福岡現代作家ファイル2025 牛島智子《くちなしパンを食み スピンするウサギ》』(−9月28日)をもうごらんになったでしょうか。ワンビルの吹き抜けの空間に広がるのは、ウサギを表した立体、平面の作品や正多面体のオブジェ、周期表をモチーフにした平面作品やシェイプトキャンバスの作品たち。八女市出身の牛島智子さんは、1980年代から平面と立体を横断する制作をされており、近年特に精力的に展覧会を重ねておられます。2024年度には第3回福岡アートアワードの市長賞を受賞され、作品を当館で収蔵することができました。
今回の展示の主役である、八女和紙で作られた高さ6mの《大ウサギ》については、FaN Weekオープニングセレモニーのスピーチで、牛島さんご自身が、ウサギといえば、福岡市美術館のバリー・フラナガンで、と言及されていました。福岡市美術館の《三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ》と、最新作《大ウサギ》はどんな関係にあるのか。詳しく知りたくなり、牛島さんにお話を伺ってみました。

(左・中央) 牛島智子《大ウサギ》 (右) バリー・フラナガン《三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ》
今回、ワンビルの展示のキュレーションをされたのは、九州産業大学美術館館長の大日方欣一さん。大日方さんは2024年に開催された同美術館での牛島さんの個展『卒業生プロの世界vol.9 牛島智子「ホクソ笑む葉緑素」』のキュレーターでもあります。さらに、長年牛島さんを紹介してこられたギャラリー「EUREKA(エウレカ)」の牧野身紀さんの協力によって、この展示は完成しました。
九産大での個展の準備の最中に、大日方さんが講師をされた『もしも… 大辻清司の写真と言葉』展(2024年6月8日-7月28日、九州産業大学美術館)の公開連続講座を聴講した牛島さんは、そこで1970年の「日本国際美術展(東京ビエンナーレ)」のために来日して作品を設置しているバリー・フラナガンを、大辻が撮影した写真に出会います。
フラナガンがウサギのシリーズを製作する10年近く前のことで、モノ(同展では砂やダンボール紙など)をそのまま用いてインスタレーションしていました。牛島さんには、同じ作品を写した別のカメラマンによるかっちりした写真からは感じられなかった「ラフさ」に、フラナガンらしさを感じたといいます。
「物質性は強いけれど、軽さがある。フラナガン自身、大辻のその写真を気に入って欲しがったそうです。フラナガンは後に具象彫刻という全く異なる表現を立ち上げたけれど、ブロンズという重量感のある素材を用いながら、ウサギの躍動感、軽やかさが表されていて、両義性があるという点では、70年代の作品と共通していると思いました。フラナガンは、ブロンズから「生きているウサギ」をつかみ出していますよね」と。
大辻清司によるバリー・フラナガンの写真から新たに感ずるところがあった牛島さん。そのいきさつを踏まえて、とあるプロジェクトに応募する際に「スピンするウサギ」というプランを構想しました。そのプランはプロジェクトには採用されなかったのですが、より大きな舞台としてワンビルの話が舞い込んできて、暖めていたプランをスケールアップして現在の展示に至ったそうです。
ワンビルの《大ウサギ》と当館の「野うさぎ」。もちろん素材もポーズも全く違うのですが、《大ウサギ》の姿態や容貌には「野うさぎ」を連想させる部分が見られます。とはいえ、もちろん別個の作品ですし、牛島さんは根本的にはフラナガンは立体の作家で、ご自身は平面の作家、といわれます。《大ウサギ》にも詰め物をして、もっと立体的に見せようとしたけれど、やはり、ペチャンコの方が良いと今の状態に戻したとのこと。
《大ウサギ》を彫刻として見た時にとても面白いのは、ウサギは黄色いくちなしパン(お祝い事の際に炊くくちなしで色をつけた黄色いご飯を、ウサギに合わせてパンに置き換えたそうです)を抱えているけれど、食べてしまった黄色いパンが、お腹からも背中からも見えていることです。つまり、ウサギの身体には中空があり、しかもお腹も背中も閉じていなくて、中が見える状態になっているのです。ブロンズにはないこの自由さは、和紙だからこそ。
「くちなしや小麦といった植物はウサギに食べられてしまうけれど、うんちになって外にでると、土に還って植物を育てますよね」と牛島さん。ウサギの内側と外側に空間と時間を生み出したともいえますが、最初からそういう構想の作品だったのですか?と伺うと「質感の違うくちなしパンを2種類作ったので、一つは手に持たせて、もう一つはお腹に入れちゃえと。(アイデアを)頭に置いとくより、手を動かして形にすると、モノの方が決めてくれます。」
「和紙は平面ですが、三次元の世界では純粋な平面はなく、必ずどこかに厚みや表裏といった物質性をまといます。一方、ブロンズは「重たい」存在ではあるけれど、軽さの表現も可能です。そもそも人間だって、ブロンズだって、モノであり、陽子や中性子、電子からなる原子という基本的な構成要素からできていて、原子レベルで見れば動いている。ミクロの世界も宇宙的なマクロの世界も、共に相反する性質を併せ持つ。世界のそうした特性を踏まえてモノと戯れたフラナガンが、大辻さんの写真から垣間見えて、同調したというか、共振したというか」。
牛島さんは作品を制作するにあたって、材料の成分を調べる過程で、人間の生活を支えるものは大抵「水素、炭素、窒素、酸素」からできていることを知り、世界を形作る元素や法則、公式に関心を持ち始めました。みんながこのことを知った方が良いと、作品にはそれらが取り込まれています。色彩についても、様々な絵具をまぜ合わせていくと最終的には黒色に至ります(牛島さんが《大ウサギ》を黒にしたのは、全てを含む豊穣な色だから、ということでした)。一方で、同じ混色でもコマに様々な色を塗って回転させると、その中間の色となり明るく感じます(継時混色)。ウサギよ、スピンして光を放て、というメッセージがタイトルに含まれています。

牛島さんから伺ったお話は多岐に渡り、とてもここで全ては紹介できなくて、2羽のウサギの間を行ったり来たりに終始してしまいましたが、バリー・フラナガンが生きていたら、自分の作品がインスパイアしたこの展覧会を、さぞ喜ばれたのではないかと思います。
もう一つ、キュレーターとして感慨深かったことは、福岡市内で紡がれた、さまざまな作品展示活動(展覧会や講座、パブリック・アートの設置)がアーティストにインスピレーションをもたらし、今回の展示に結晶したことです。一つの展示が別の展示を生み出すなら、企画者にとってこれほど嬉しいことはないでしょう。この展示が次にどこに飛び火するのかが、楽しみです。
(館長 岩永悦子)