2020年7月8日 09:07
確か1995年のことだったと思います。アメリカから高名なキュレーター(学芸員)が来館するので、対応をせよ、という上司からのお達し。ウィリアム・S・リーバーマンという方で、世界有数の大美術館であるメトロポリタン美術館の20世紀部門のチーフキュレーターを務めていらっしゃる方です。同じく世界的な美術館であるニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーターも歴任されたそうで、上品なふるまいの、長身の紳士でした。日本人の通訳他を従えてのご来館です。
大美術館の幹部級の方がいらっしゃる、となれば、当館としてもしかるべき対応をしなければなりません。ところが、これは今考えても不思議でしようがないのですが、なぜか新人同様の自分にその対応を任されました。自分が忘れているだけで、実は当時の館長や副館長に表敬したあとに、自分が案内を任されたのかもしれません。ただもしそうだったとしても、現代美術専門の上司、先輩学芸員は他にもいたので、なお不思議です(出張で不在だったのかもしれません)。
まあとにかく、分不相応の自分が、リーバーマン氏を案内して、常設展示室をめぐることになりました。彼はその時点で70歳前後。足があまりよくないと伺いましたが、展示室内では杖や車いすを使わず、ゆっくりと歩いていました。解説は不要、と言われちょっとほっと?しましたが、彼の見方は流し見。20世紀美術の専門家だから知っている作家ばかりで特に珍しくないのかも?日本の近代美術には興味ないのかも?そう思いながら、彼の後をついていきました。
展示も終盤に差し掛かる頃、彼はある作品の前でピタリと立ち止まり、私に初めて質問しました。「これは菊畑の作品ですか?」。立ち止まった作品とは菊畑さんが1983年に制作した《天動説 五》でした。250×194cmの大作絵画です。そうですよ、と私が答えると、彼は続いて「彼は元気ですか?」、「彼によろしくお伝えください」と話しました。国内外の近現代美術作品をほとんど流し見していたリーバーマン氏が、菊畑さんの作品にのみ言及したことが意外で、私はこのやりとりは今も鮮明に記憶しています。とはいっても、その頃は自分も浅はかで、「菊畑さんは意外と国外でも知られているのだな」程度の認識しか持たず、この記憶も時間の中に埋もれていきました。
この記憶がよみがえるのは、菊畑さんの回顧展の準備中のことでした。2009年12月、菊畑さんへの長時間インタビューの中で、リーバーマン氏の名前が彼の口から出てきたのです。1964年頃、リーバーマン氏は、MoMAほか全米7会場を巡回した「日本の新しい絵画と彫刻展」(1965-67年開催)準備の一環で来日し、日本国内をくまなく回り、作家を調査していたのです。福岡市郊外の菊畑さんのアトリエにもやってきて半日を過ごしたそうです。結果、菊畑さんは出品することになり、図録によれば、《ルーレット》3点が出品されています。ベテランから若手まで、欧米在住者から国内居住者まで、日本人作家46人がこの展覧会に出品していますが、1935年生まれの菊畑さんは当時30歳。若手作家の代表格としての国際デビューとなった記念すべき展覧会です。
菊畑さんとのやりとりの中で、私は、1995年の出会いのことを思い出し始めました。リーバーマン氏があのとき《天動説 五》の前で立ち止まり「菊畑さんによろしく伝えてください」と言ったことの意味を、私はようやく理解しました。そして、これまでの菊畑さんの個展、そして戦後前衛美術史においてこれまであまり注目されてこなかった「日本の新しい絵画と彫刻展」を、詳しく調べてみようと思いました。そして実際調べてみたら、「菊畑さんによろしく」の意味を、なおさら深く理解することになったのです。(つづく)
菊畑茂久馬《天動説 五》(右から2点目のグレーの作品)の展示風景。2001年撮影。
■ブログ「菊畑茂久馬さんを偲んで(1)」
https://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/11324/
(学芸係長 近現代美術担当 山口洋三 )
2020年7月1日 10:07
ヘンリー・ムーア展の思い出
福岡市美術館にヘンリー・ムーア(1898-1986)の彫刻《ふたつのかたちによる横たわる人体 №2》(1960)がやってきました。西日本シティ銀行からの寄託を受けて、6月23日から公開しています。福岡市美術館は、過去にヘンリー・ムーア大回顧展を開催していますし、20世紀を代表する世界的彫刻家、ヘンリー・ムーアの代表作が美術館で公開とあって、取材も多々あって嬉しい限りです。
取材のために資料を確認していて、ひとつ大きな勘違いをしていたことに気づかされました。私事ながら、美術館で勤め始めたのが1987年の夏。なぜか自分の頭のなかで、「自分が福岡に来る直前にヘンリー・ムーア展が終了した。もう少し早ければ見ることができたのに…」というストーリーになっていて、資料を見て「ムーアが亡くなったのが86年?展覧会も86年?えっ、87年の間違いでは!?」と冷や汗をかき、よくよく調べると、自分の記憶違いであったと…。
ちょっと言い訳をさせていただくと、美術館に入ったばっかりの私は、多くの人から「ムーア展はすごかったね!大濠公園で見る彫刻は素晴らしかったよ」「え、ムーア見逃したの?もうちょっと早く来てればよかったねえ」「惜しいことしたね」と、さんざん言われたのです。みんな、一年前のことなのに、ついこないだのことであるかのように。その情熱を思えば、展覧会を契機にヘンリー・ムーアの彫刻を設置する市民運動ができ、2年の歳月を経て現在博多駅に設置されている《着衣の横たわる母と子》(1983-1984)に結実したことも、納得です。
福岡市美術館にとってのヘンリー・ムーア
実は、いままでナイショにしていましたが、いえ、そうではなく、あまり大声で言ってこなかったのですが、福岡市美術館には、あるジャンルにおいて、突出したコレクションがあります。実は、「英国の現代彫刻」のコレクションは、作品の規模、質、カバーする時代といい、確実に国内トップレベルです。
開館から3年後の1982年から1990年、1998年と、当館はブリティッシュ・カウンシルと、3度にわたって英国の現代美術展を開催してきた、ということが基盤になっています。
アンソニー・カロ(1924-2013) 驚きの平面 1974
バリー・フラナガン(1941-2009) 三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ 1988
デイヴィッド・ナッシュ(1945-) 内側/外側 1984
アニッシュ・カプーア(1954-) 虚ろなる母 1989-90
インカ・ショニバレCBE(1962-) 桜を放つ女性 2019
上記の作品は、すべて現在展示中のもの。1970年代から21世紀まで、英国現代彫刻の代表的作家の大規模作品が、館内外で見ていただけます。
アンソニー・カロ(1924-2013) 驚きの平面 1974
バリー・フラナガン(1941-2009) 三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ 1988
デイヴィッド・ナッシュ(1945-) 内側/外側 1984
アニッシュ・カプーア(1954-) 虚ろなる母 1989-90
インカ・ショニバレCBE(1962-) 桜を放つ女性 2019
ブロンズという彫刻の伝統的な素材から、自然の樹木をそのまま生かすことや、樹脂や染織品の使用へといった素材の変化、アジアやアフリカにルーツを持つ作家が英国の代表的彫刻家として活動していることなど、これらの作品を通して、時代の変遷も見ていただけると思います。ここに、その原点ともいうべき、ヘンリー・ムーアの60年代の代表作が加わって、当館のラインナップは、現在「英国現代彫刻」の日本最強の展示といえるでしょう。
ぜひ、広大な美術館の内外のスペースで、英国現代彫刻の名品を堪能してください。
(館長 岩永悦子)