2022年9月14日 10:09
当館では現在、大小ふたつの企画展が、下記の通り開催されています。
★特別展「国宝 鳥獣戯画と愛らしき日本の美術」(会期:9/3~10/16、会場:特別展示室)
https://artne.jp/chojugigafukuoka/
★関連企画「明恵礼讃“日本最古之茶園”高山寺と近代数寄者たち」(会期:8/31~10/23、会場:古美術企画展示室)
https://www.fukuoka-art-museum.jp/exhibition/cyoujyuu2/
どちらも京都・高山寺の宝物を中心に構成された展覧会で、前者を同僚のM学芸員、後者を私が企画担当しました。古美術係の学芸員2人が、ともに開催時期を同じくする2つの企画展をそれぞれ担うのは、少なくとも私が当館に就職してから約20年の間では初めてのことです。
開催情報や展示内容についての詳細はURLをご参照いただくことにして、ここでは両展が開催に至るまでの経緯や裏話を書こうと思います。
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西日本新聞社を通じて高山寺の国宝・鳥獣戯画を公開する展覧会を企画できないかという相談を受けたのが2019年の夏、当館がリニューアルオープンして幾ばくも経たない頃でした。M学芸員が主担当となり、鳥獣戯画を中心に、「愛らしき」動物たちへの眼差しに焦点を当て、全国各地から作品を集めた企画案が出され、館内、同社との協議、そしてお寺様にご相談しながら、2022年の開催を目指して実現可能性を高めてゆきました。年が明けて2020年はコロナ禍の到来で右往左往しましたが、文化庁や作品寄託先の館とのやりとりなどを経て、計画は着々と進んでいました。
その過程で、高山寺の事実上の開山・明恵上人を顕彰する何らかの企画を盛り込む必要性が検討され、私が担当することになりました。ちょうどコロナ感染防止のための臨時休館に伴って在宅勤務をしていた時でした。以前に知己を得た大学の先生の論文を通じて、近代数寄者たちが高山寺に寄進した茶室「遺香庵」とその什物たる多くの茶道具が伝存していることを思い出して「明恵礼讃」展の企画案を作り、鳥獣戯画展の関連企画として同時期に別室にて開催することが決まりました。ちょうど翌年秋に開催を控えて担当していた特別展「没後50年 電力王・松永安左エ門の茶」の内容を具体化しようとしていた時でもあり、別個の企画が「近代数寄者」というキーワードでつながったことの幸運を感じたものです。
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2021年秋の「松永安左エ門の茶」展が終ると同時に、両展の準備が本格化しました。M学芸員はこの年、松永展の副担当として私にコキ使われながらも、鳥獣戯画はじめ借用予定の重要文化財の展示計画の具体化-例えば文化庁及び文化財活用センターの指導を受けながら、作品を陳列する展示ケースの環境調査など-、関係機関との折衝、それに明恵礼讃展の作品調査の段どり等を進めていました。作品の実見調査、写真撮影、出品交渉、そしてポスター、チラシ等の告知物の製作を進め、両展の実行委員会が立ち上がったのは2022年の春。
いつも、実行委員会が立ち上がる頃から、図録原稿執筆のプレッシャーが強まってきます。カレンダーやスケジュール帳を見るのが異常におそろしくなるのもこの頃からです。図録印刷会社のご担当から編集スケジュールを渡され、恐る恐る覗き見て、胃がキュウ~ッとなります。とくに入稿締切までのひと月が佳境であり、この時期は、ひと月が60日あるはずだと本気で信じたくなります。あくまで遅筆である私個人の話ですが。
ともあれ、事情にもよりますが、図録の完成が展覧会の開幕に間に合わないというのは、学芸員として最大級の恥だと教えられましたし、実にその通りだと思っています。だから、原稿をかかえている同士で、互いの執筆状況を尋ね合っては一喜一憂したり、励まし合ったりして、何かと気ぜわしい時を過ごしました。
図録原稿が館内決裁を終え、デザイナーによるレイアウトを経て印刷会社に入稿されると、ひとまず大きな肩の荷が下ります。そして図録の文字校正・色校正、展覧会場の図面、パネル、キャプション・作品解説等の校正、各所蔵先に展示作品を拝借にうかがうためのスケジュール、展示作業の詳細スケジュール調整などなど…膨大な作業がのしかかってきます。体力を消耗しますが、頭の中にあるイメージが次々と目に見える形になってくることで気分が高揚します。
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作品集荷及び輸送トラック添乗の旅は、今回、展覧会開幕のひと月前から始まりました。私は、お盆明けに京都へ4日間の集荷、その翌週に3日間をかけて東京から福岡までの作品輸送トラックに添乗するのを任されていました。
盆明けに予定通り図録が校了し、京都にてお寺様、寄託先にて宝物の拝借に伺い、万事順調に帰福。さぁいよいよ展示作業、ラストスパートだと駆けだした数日後、スッ転んでしまいました。8月21日にコロナに罹ってしまったのです。恐れていた事態でした。展示作業は8月29日~9月1日まで。療養期間は9月1日まで。そう、明恵礼讃展の担当者で、鳥獣戯画展の副担当でありながら、どちらの展示作業にも参加できなくなったのです。
発熱の苦痛の半分は、職場に行きたくても行けない現実に直面した心の苦しみでした。M学芸員が引き受けてくれたものの、鳥獣戯画展とほぼ同時の作業日程とあってはあまりに負担が大きく、彼が倒れてしまっては両展とも開幕できなくなるので無理はさせられません。
そんな時、課の仲間、上司から、私へのお見舞いメッセージとともにM学芸員と私をサポートする「明恵展 展示作業チーム」が結成されたとの知らせがありました。皆、それぞれに大きな仕事を抱えている中、係を超えて、私が作った図面やキャプション、パネルなどのデータを探して、すでに必要な準備を進めてくれていたのです。胸に込み上げてくるものが解熱を早めてくれたと思うのは、気のせいではないと思います。
熱が下がっても、自宅に居るしかありません。せめて展示作業チームが少しでも作業をしやすいよう、展示平面図とは別に、いつもは作らない立面図を作ることにしました。これがやりだすと結構楽しく、かえって作業を複雑にしてしまったような気もしますが、チームは私がイメージした明恵礼讃展の空間を見事に作ってくれました。
M学芸員は休みなく鳥獣戯画展の展示作業に取り掛かり、両展とも無事に?開幕したのでした。
お蔭様で両展ともに好評開催中です。開幕してからやろうと後回しにしていた仕事がたまっていて、開幕しても結局休めないというのも「あるある」なのですが、私はコロナ療養で充分すぎるほど休んだので、今回はそれがありません。少しでも取り戻せるようにガンバリます!
(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)
鳥獣戯画展 展示作業風景
明恵礼讃展 会場風景
2022年9月2日 18:09
9月1日、中央区城内の旧舞鶴中学校南棟1階が、アーティスト・イン・レジデンスの拠点かつ、展示スペースも備えたコミュニティスペースに生まれ変わり、Artist Cafe Fukuokaとしてオープンしました。福岡アジア美術館で長年続けられてきたアーテイスト・イン・レジデンスが、規模を拡大して新たな展開を迎えます。
福岡のアートのこれからを期待させる、刺激的かつ居心地のいい場所になる予感。今後どんな連携ができるかな、とワクワクしています。
さて、同じ9月1日に、福岡市美術館でも新しい物語がはじまります。
それが「福岡アートアワード」です。福岡市内で過去1年間に作品の発表などの活動をしたアーティストが対象となる賞で、目覚ましい活躍をし、これからさらなる飛躍が期待できるアーティストの作品を買い上げる形で賞を贈ります。買い上げた作品は、福岡市美術館の所蔵品として展示活用されます。
アワードの選考委員は、水沢勉さん(神奈川県立近代美術館 館長)、植松由佳さん(国立国際美術館 学芸課長)、堀川理沙さん(ナショナル・ギャラリー・シンガポール、キュレートリアル&コレクションズ ディレクター)の御三方にお願いしました。みなさん国際経験が豊かで、広い視野で評価をしていただけることと思います。
通常、アーティストに賞が授与される場合、賞金が贈られることが大半です。それらはもちろん、アーティストにとって、大きな後押しになることでしょう。ですが、このアワードはこれからのアーティストの経済的な支援となるだけでなく、作品が美術館に収蔵されるという、アーティストにとっての新たなステップが付け加わります。そして、美術館にとっても、福岡のアートシーンを語る優れた作品が収集でき、それを、市民に長く楽しんでいただけることになります。
「福岡アートアワード」を通して、アーティストと美術館と市民の間に「作品」という絆ができる。そして、福岡市内での発表などの活動実績が条件となりますので、多くのアーティストの皆さんが「福岡で発表すると、チャンスが巡ってくる」「面白そうだ」と思ってくださったら、福岡市民にも意欲的な作品を見る機会が増えることになります。
対象となるアーティストは、公募いたします。自薦、他薦は問いません。募集内容の詳細をご確認いただき、9月15日~10月31日の間に、ウェブサイトのフォームからご応募ください。
お待ちしております!
(館長 岩永悦子)
2022年8月27日 10:08
どーも。中山です。
9月3日から開催する「国宝鳥獣戯画と愛らしき日本の美術」の
プレトークイベントで、「鳥獣戯画と日本美術の遊戯」という話を
先日させていただきました。
わたしの場合、時々あることなんですが、時間をオーバーして
しまって話せなかったことがいくつもあります。
今日はそのひとつをちょっとだけ。
近年、鳥獣戯画に関する研究が急速に進みました。というのも、
平成21年(2009)から4年をかけて解体修理が行なわれ、その過程で
これまで知られていなかった色んなことがわかったからです。
特にわたしが興味をもったのは、前半に人間、後半に擬人化された
動物が描かれている丙巻に関して、実は人間の前半と動物の
後半が、もともとは一枚の紙の裏表に描かれていたという事実。
わたし個人としては、みんなが思う「なんでこんな絵巻を描いた?」
という疑問に対するひとつの答えを導き出す重要な証拠だと思った
からでした。
また、わたしが想像していることが事実に近いなら、そのほかに
わかったことや以前から感じていたこともあわせて、そもそも甲巻や乙巻よりも時代が下ると考えられてきた丙巻の成立時期も考え直すべきものだと思ったからです。
ぼかさないで、はっきりわかりやすく書けって?
それはトークイベントでお話をした部分ですのでここでは割愛。
ということで丙巻は注目なんです。
展覧会ではみなさんが一番見たいと思われている甲巻は丁巻とともに
会期前半9月3日(土)~9月25日(日)、丙巻は乙巻とともに会期後半9月27日(火)~10月16日(日)に展示されますから是非とも二回、見に来てください。というのがひとつ。
このように、修理の際に作品を解体し、素材や技法について徹底的な
分析を行い、顕微鏡的な観察を重ねることによって、新知見がもたらされることはよくあります。作品を修復すると、必ずひとつやふたつはこれまで知られていなかったことがわかるのです。
かつて、そういう新知見を大いに期待して修復の成果を待った作品があります。今回のトークイベントで、近世の戯画の代表作のひとつとしてごく簡単にしか紹介できなかった当館所蔵の岩佐又兵衛筆「三十六歌仙絵」です。ながらく行方不明だった作品で、再発見後、当館が収集しました。
この歌仙絵には大きな謎があります。若き又兵衛が描いた大傑作だと研究者が認める重要作品なんですが、和歌の部分が三十六人ともすべて画面から消し去られているのです。歌人の名前は消されていませんが、歌仙絵から和歌を消し去るなんてとんでもないことです。なぜ消した? 最初はきちんと和歌が書かれていたことは確実です。消し去った痕跡が画面に汚れとして残っているからです。わたしにはなぜ消されたのか答えはわかっています(わかっているつもりです)。でも証拠がありません。それで、この作品の修復結果をドキドキしながら待っていたのです。
「どこか一文字だけでもいいんですが、どういう文字かわかりました?」
「残念ながらひとつも読めませんでした」
そうなんです。ひと文字だけでも読めれば道は開けたはずなのに、と今でも残念です。どうしてかって? すみません、これは随分前に当館の「つきなみ講座」でとりあげた話題でした。ですので今回は、やっぱりぼかしたまま終わります。
(総館長 中山喜一朗)
鳥獣戯画甲巻(部分)
鳥獣戯画丙巻(部分)
岩佐又兵衛「三十六歌仙絵(柿本人磨)」
岩佐又兵衛「三十六歌仙絵(山辺赤人)」