2021年1月9日 13:01
どーも。総館長の中山です。あけましておめでとうございます。と、ご挨拶するのも躊躇するほどコロナ禍がおさまりませんね。一都三県に8日から緊急事態宣言が発令され、福岡でも感染拡大が続いています。どうしましょう。
昨年12月に、柳川の立花家史料館の植野館長から「史料館、存亡の危機です」というお話を聞き、心底驚きました。入館者が激減しているミュージアムはたくさんあります。というか、当館も含めすべての美術館、博物館の入館者が大幅に減っています。特に旅行者や観光客などの団体入場が多い施設は大打撃です。また、立花家史料館を運営している立花財団は、公益財団法人ゆえに利益を蓄えておく内部留保ができず、このままでは「来年の春には財団の解散が余儀なくされ、資料も散逸ということになりかねない」と。そこで立花家史料館は、何とか今年の11月までは運営できるようにと600万円の目標額を設定したクラウドファンディングを始められました。私も微力ながら応援メッセージなどを書かせてもらいました。
うれしいことに、開始当日に寄付は目標額に達し、1月7日現在では1600万円を超える寄付が集まっています。戦国武将の人気ランキングで常に上位を占め、大河ドラマの主人公の資格十分な立花宗茂公も喜んでおられるでしょう。立花家の什宝と史料館の活動が、地域を超えていかに多くの人に愛されてきたかということの証明でもありました。
しかしです。当面の危機は脱したかもしれませんが、地域のかけがえのない文化財を守り公開していくミュージアムの財政基盤がこんなに脆弱なものでいいのかと考えさせられました。公益財団法人ゆえに内部留保ができないというのも、なんとなく引っかかります。存続できなければ、公益に資することもできないのですから。
アニメや漫画をはじめ、自由な表現活動があり、長い歴史と文化財があり、さまざまなミュージアムがあること、そういう文化の多様さ、豊かさに共感し、支えていくことは、いまの日本、これからの日本にとってとても大切なことなのだと感じました。
年の初めから堅苦しい話になりました。肩の力を抜いて、リラックスできますよう、私からかる―い年賀状をみなさんに送ります。やっぱり、あけましておめでとうございます。
総館長 中山喜一朗
2020年11月4日 12:11
どーも。総館長の中山です。昨日、11月3日文化の日は、当館の41回目の誕生日だったのですが、そんな開館記念日にふさわしく、うれしいことがありました。福岡市美術館の最初の学芸員であり、福岡アジア美術館の初代館長を務めた安永幸一さんが、西日本文化賞(地域の文化向上や発展に貢献した個人・団体に西日本新聞社から贈られる賞)を受賞され、その授賞式があったのです。
ダイバーシティ(多様性)を謳い、アジアのリーダー都市をめざす福岡市ですが、40年前に福岡市美術館が開館特別展「近代アジアの美術 インド・中国・日本」を企画、開催し、その後もアジア美術展を継続してきたことは、欧米偏重だった日本の美術館や美術界に、それこそ多様な視点と多様な価値観を持ち込んだ第一歩だったように思われます。その陣頭指揮を執ったのが安永さん。1999年には20年間の活動の結実として福岡アジア美術館が開館し、初代館長に迎えられました。
ところで、安永さんはわたしが学芸員として採用された時(1981年)の学芸課長でした。今でも鮮明に覚えてますが、私ともうひとりの新人学芸員が並んで座っている机から、応接セットを挟んだ真正面に安永さんの机があって、何しろ顔をあげると目と目が合う”危険性”が常にあったんです。いやあ、ビシビシ鍛えられました。誰かが「鬼軍曹」と言っていたようなおぼろな記憶もあります。ミスをしたり期待に応えられなかったり、出来の悪い私としては反論の余地なしなんですが、褒められたことよりも叱られたことのほうが圧倒的に多かったりして。企画展カタログのエッセイを最初から全部書き直し、ということもありましたね。
安永さんから、学芸員は時に勇猛果敢に決断し、実行し、どんどん前に進んでいくべきだということを学びました。いまだに、安永さんほどエネルギッシュな学芸員を知りません。ほぼ40年前のことです。え、そんな昔になるのか…。不肖の弟子も年をとりました。
これからも福岡の文化のため、お元気で活躍していただきたく思います。いつまでも偉大な大先輩としてご指導ください。ただ、さすがにビシビシは勘弁ですけど。そういえば、あの頃、六本松の雀荘でも週に数回、中国語の勉強をビシビシ指導されたなあ。
(総館長 中山喜一朗)
前列右から2番目が安永幸一大先輩。後ろ中央は奥様(中山撮影)