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カテゴリー:コレクション展 古美術

コレクション展 古美術

松永さんが呼んでいる

早いことに、松永記念館室で開催中の「老欅荘の松永耳庵」展(1月22日まで)の閉幕まで、あと数日となりました。
本展は、2019年に同室で開催した「松永耳庵の茶」展(ブログ記事参照→「松永耳庵の茶、その再現に挑む」https://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/7023/)の第2弾です。
松永さんの茶事に関する記録と、松永コレクションの茶道具を照らし合わせ、道具組を再現的に展示しようというもので、昨年に開催した特別展「没後50年 電力王・松永安左エ門の茶」の骨格作りもこの取り組みに基づきました。
ことに松永さんの茶事の様子を誰よりも多く、細やかに記録した仰木政斎(以下、仰木さん)の『雲中庵茶会記』は重要で、本書を読み込むことはもちろんですが、翻刻(ほんこく。活字化)作業にも取り組んでいます(後述)。その過程で、展示として成り立ちそうなネタも随分増えましたので、ここらでひとつ形にしておこうと開催したわけです。
今回取り上げた茶事は、3件(1949年7月16日、1954年2月14日、1956年4月8日)。それに興味深い蒐集エピソードをともなう数点の作品を合わせた計19点の作品によりご紹介します。

展示風景 「黄梅庵の昼会-消夏のもてなし(1949年7月16日)」

戦後、小田原に構えた邸宅「老欅荘」で、松永さんがどんな人たちを招き、どんな趣向で、どんな道具を用いてもてなしたか、仰木さんの眼差しを通して垣間見る展覧会です。仰木さんの後ろをついていって、おそるおそる茶室に入って、席主松永さんに対面するような気になれるはず。最初はとても緊張しますが、多分、だんだんと気がほぐれて、清々しい心持になれるのではないでしょうか。

 

展示風景 《黒楽茶碗 銘「次郎坊」》のハンズオン展示

《黒楽茶碗 銘「次郎坊」》も展示しています。実物の手前には、形、重さ、そして質感までリアルに再現したレプリカを設置しました。これを手に取って、名碗の「手取り」を楽しみながら実物を鑑賞できるハンズオン展示です。松永さんの視線を感じながらの「お茶碗拝見」、いかがでしょうか。

さて、『雲中庵茶会記』の翻刻を開始してから、丸6年が経とうとしています。最初は学芸課の古美術学芸員3名で定期的に集まって読書会の形で進めていたのですが、各々多忙のため集まれなくなり、読書会は程なく自然消滅。自分一人で細々と進めている次第です。
翻刻を始めた理由は、他でもなく松永さんの茶事の情報を収集、整備したかったためでした。松永コレクションの茶道具が実際にどのように用いられたのか、その事例が本書には数えきれないほど記録されていることがわかっていながら、活字化されていないことでアプローチするのに四苦八苦していました。それで最初から流し読みしながら、松永さんに関する記述や情報を見つけてはデータベースに入力する作業をしている内に、それならいっそ全部活字化していった方が後々役に立つに違いないと思って、軽い気持ちで始めたわけです。
いざ始めてみると、読むことと、一字一句もれなく判読して入力してゆくこととは、かくも次元の異なることなのかと痛感しました。判読できない文字はマークをつけてひとまず飛ばしてゆくのですが、翻刻の完成度を高めるためには、どうしても読みきらねばなりません。回数を重ねるうちに仰木さんの筆跡のクセが大分わかるようになってきましたが、それでも「読めそうで読めない」文字は、上下ひっくり返してみたり、ルーペで拡大して見たり、くずし字辞典をペラペラ、くずし字検索サイトを何度も試しながら、それだけで何時間も費やしてしまい、結局読めないということも多々あります。さらに、本書は割注(一行の中で二段構えで表記すること)を頻繁に用いるので、同じ体裁に整える作業にも結構な時間を要します。
この翻刻作業は、いつしか自分のライフワークみたいになって、毎年できた分を紀要に掲載しています。タイトルは「『雲中庵茶会記』翻刻稿」(当館公式ホームページからダウンロードできます)。今度の3月に発行予定の紀要に掲載する分で7回目になります。「稿」をつけた通り、未判読文字の存在、誤判読文字がある可能性、表記上の統一性、註記内容の充実等、完成度を高めるために改善する余地が多くあります。有難いことに、掲載を毎年楽しみにして下さる方が少なくなく、未判読文字を読んで下さったり、関連資料を送って下さったり、応援、激励のメッセージもいただきます。これまでの掲載分は適宜修正を加えて、いずれは「稿」の字を外した形で、出版などできたらいいなぁ、と夢想しています。
え?翻刻はどのくらい進んでいるのかですって?上下巻合わせて1253頁のうち、現時点で活字化したのは454頁分。6年かけて三分の一程度。チンタラやってきたことが分かります。このままひとりで続けた場合、単純計算であと12年。いま私は48歳なので、仮に定年まで当館で勤め上げたとして、定年退職までに終えることができかどうか、ギリギリのところ。
ともあれ、粗読みではありますが、本書は一応全て読み終えて、松永さんの茶事の記録は全て整理できました。その数、実に144項目(先述した特別展「没後50年 電力王・松永安左エ門の茶」の図録に一覧を掲載しています)!かくして、ネタは充分に仕入れましたので、引き続き調査研究・展示活動に活かしてまいります。乞うご期待。

(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)

 

翻刻作業中の机

コレクション展 古美術

鳥獣戯画展と明恵礼讃展が始まるまでのお話

 当館では現在、大小ふたつの企画展が、下記の通り開催されています。

★特別展「国宝 鳥獣戯画と愛らしき日本の美術」(会期:9/3~10/16、会場:特別展示室)
https://artne.jp/chojugigafukuoka/

★関連企画「明恵礼讃“日本最古之茶園”高山寺と近代数寄者たち」(会期:8/31~10/23、会場:古美術企画展示室)
https://www.fukuoka-art-museum.jp/exhibition/cyoujyuu2/

 どちらも京都・高山寺の宝物を中心に構成された展覧会で、前者を同僚のM学芸員、後者を私が企画担当しました。古美術係の学芸員2人が、ともに開催時期を同じくする2つの企画展をそれぞれ担うのは、少なくとも私が当館に就職してから約20年の間では初めてのことです。
 開催情報や展示内容についての詳細はURLをご参照いただくことにして、ここでは両展が開催に至るまでの経緯や裏話を書こうと思います。

 *

 西日本新聞社を通じて高山寺の国宝・鳥獣戯画を公開する展覧会を企画できないかという相談を受けたのが2019年の夏、当館がリニューアルオープンして幾ばくも経たない頃でした。M学芸員が主担当となり、鳥獣戯画を中心に、「愛らしき」動物たちへの眼差しに焦点を当て、全国各地から作品を集めた企画案が出され、館内、同社との協議、そしてお寺様にご相談しながら、2022年の開催を目指して実現可能性を高めてゆきました。年が明けて2020年はコロナ禍の到来で右往左往しましたが、文化庁や作品寄託先の館とのやりとりなどを経て、計画は着々と進んでいました。
 その過程で、高山寺の事実上の開山・明恵上人を顕彰する何らかの企画を盛り込む必要性が検討され、私が担当することになりました。ちょうどコロナ感染防止のための臨時休館に伴って在宅勤務をしていた時でした。以前に知己を得た大学の先生の論文を通じて、近代数寄者たちが高山寺に寄進した茶室「遺香庵」とその什物たる多くの茶道具が伝存していることを思い出して「明恵礼讃」展の企画案を作り、鳥獣戯画展の関連企画として同時期に別室にて開催することが決まりました。ちょうど翌年秋に開催を控えて担当していた特別展「没後50年 電力王・松永安左エ門の茶」の内容を具体化しようとしていた時でもあり、別個の企画が「近代数寄者」というキーワードでつながったことの幸運を感じたものです。

 2021年秋の「松永安左エ門の茶」展が終ると同時に、両展の準備が本格化しました。M学芸員はこの年、松永展の副担当として私にコキ使われながらも、鳥獣戯画はじめ借用予定の重要文化財の展示計画の具体化-例えば文化庁及び文化財活用センターの指導を受けながら、作品を陳列する展示ケースの環境調査など-、関係機関との折衝、それに明恵礼讃展の作品調査の段どり等を進めていました。作品の実見調査、写真撮影、出品交渉、そしてポスター、チラシ等の告知物の製作を進め、両展の実行委員会が立ち上がったのは2022年の春。
 いつも、実行委員会が立ち上がる頃から、図録原稿執筆のプレッシャーが強まってきます。カレンダーやスケジュール帳を見るのが異常におそろしくなるのもこの頃からです。図録印刷会社のご担当から編集スケジュールを渡され、恐る恐る覗き見て、胃がキュウ~ッとなります。とくに入稿締切までのひと月が佳境であり、この時期は、ひと月が60日あるはずだと本気で信じたくなります。あくまで遅筆である私個人の話ですが。
 ともあれ、事情にもよりますが、図録の完成が展覧会の開幕に間に合わないというのは、学芸員として最大級の恥だと教えられましたし、実にその通りだと思っています。だから、原稿をかかえている同士で、互いの執筆状況を尋ね合っては一喜一憂したり、励まし合ったりして、何かと気ぜわしい時を過ごしました。
 図録原稿が館内決裁を終え、デザイナーによるレイアウトを経て印刷会社に入稿されると、ひとまず大きな肩の荷が下ります。そして図録の文字校正・色校正、展覧会場の図面、パネル、キャプション・作品解説等の校正、各所蔵先に展示作品を拝借にうかがうためのスケジュール、展示作業の詳細スケジュール調整などなど…膨大な作業がのしかかってきます。体力を消耗しますが、頭の中にあるイメージが次々と目に見える形になってくることで気分が高揚します。

 作品集荷及び輸送トラック添乗の旅は、今回、展覧会開幕のひと月前から始まりました。私は、お盆明けに京都へ4日間の集荷、その翌週に3日間をかけて東京から福岡までの作品輸送トラックに添乗するのを任されていました。
 盆明けに予定通り図録が校了し、京都にてお寺様、寄託先にて宝物の拝借に伺い、万事順調に帰福。さぁいよいよ展示作業、ラストスパートだと駆けだした数日後、スッ転んでしまいました。8月21日にコロナに罹ってしまったのです。恐れていた事態でした。展示作業は8月29日~9月1日まで。療養期間は9月1日まで。そう、明恵礼讃展の担当者で、鳥獣戯画展の副担当でありながら、どちらの展示作業にも参加できなくなったのです。
 発熱の苦痛の半分は、職場に行きたくても行けない現実に直面した心の苦しみでした。M学芸員が引き受けてくれたものの、鳥獣戯画展とほぼ同時の作業日程とあってはあまりに負担が大きく、彼が倒れてしまっては両展とも開幕できなくなるので無理はさせられません。
 そんな時、課の仲間、上司から、私へのお見舞いメッセージとともにM学芸員と私をサポートする「明恵展 展示作業チーム」が結成されたとの知らせがありました。皆、それぞれに大きな仕事を抱えている中、係を超えて、私が作った図面やキャプション、パネルなどのデータを探して、すでに必要な準備を進めてくれていたのです。胸に込み上げてくるものが解熱を早めてくれたと思うのは、気のせいではないと思います。
 熱が下がっても、自宅に居るしかありません。せめて展示作業チームが少しでも作業をしやすいよう、展示平面図とは別に、いつもは作らない立面図を作ることにしました。これがやりだすと結構楽しく、かえって作業を複雑にしてしまったような気もしますが、チームは私がイメージした明恵礼讃展の空間を見事に作ってくれました。
 M学芸員は休みなく鳥獣戯画展の展示作業に取り掛かり、両展とも無事に?開幕したのでした。

 お蔭様で両展ともに好評開催中です。開幕してからやろうと後回しにしていた仕事がたまっていて、開幕しても結局休めないというのも「あるある」なのですが、私はコロナ療養で充分すぎるほど休んだので、今回はそれがありません。少しでも取り戻せるようにガンバリます!

(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)

 

鳥獣戯画展 展示作業風景

明恵礼讃展 会場風景

 

 

コレクション展 古美術

雨を呼ぶ水指(みずさし)《若葉雨》

-5月31日(火)から「田中丸コレクション 九州やきもの風土記 陶器編」が始まります。そこで、今回のブログに、田中丸コレクションの久保山炎学芸員より文章をお寄せいただきました。-

 

 

「この水指を茶会で使うと雨が降るよ」

私が田中丸コレクションに入って間もない頃に前任者から教わったことです。
この時の私には、それが冗談なのか本当の事なのかは知る由もありません。

高取焼《藁灰釉緑釉流四方耳付水指 銘「若葉雨」》
江戸時代17世紀前期
田中丸コレクション

それから一年が過ぎ、実際にこの水指を茶会で使うことになったのです。ちょうど木々の葉がみずみずしい若葉の時候で、この水指を使うのに最もふさわしい季節です。
茶会当日の朝、天気予報は晴れ。
雲一つない青空でとても雨が降りそうな気配は感じられません。

ところがです。
お昼も過ぎた頃から、しとしとと雨音が聞こえだしたのです。
しばらくして障子を開けると外はあたり一面、白い雨で煙り、薄緑色の若葉がぼんやりと滲んで見えるではありませんか。
まるで水指の釉景色と同じような光景に一同感激し、その場に思いもよらない詩的な趣を添えたのです。

それ以来、前任者と同じように説明しています。
「この水指を茶会で使うと雨が降るんですよ」と。

その「若葉雨」を5月31日(火)から展示します。
今回は「九州やきもの風土記 陶器編」ということで、九州各地の陶器窯を国ごとに分けその歴史や特徴を紹介します。
なお、ご来館の際は念のため、折りたたみ傘を持ち歩くと安心です。
8月28日(日)まで。

(一般財団法人田中丸コレクション 学芸員 久保山炎)

 

 

 

 

 

 

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