2020年6月2日 09:06
4月~5月にかけて行っていた「オンライン大作戦!」。毎週水曜日にブログ、木曜日に動画、そして土曜日にはFacebookにて「おもしろキャプション」による所蔵品紹介をアップしてきました。皆さま、お楽しみいただけたでしょうか。
6月からどうするの?と思われている方もいらっしゃるかもしれません。6月からも、ブログ、そして「おもしろキャプション」による所蔵品紹介は、これまで通り水曜日と土曜日に、定期的に発信いたします!また、実は日曜日にはショップのおすすめグッズの紹介も行っていたのですが、こちらも継続してFacebook他で展開いたします。
ただ、動画については、ちょっとお休み。また、内容をバージョンアップして再開いたしますので、しばしお待ちくださいませ!Instagramもゴールデンウィークに好評だった「コレクションの中にワープ! GWこぶうしくんお出かけ日誌」のような特集も考えております。楽しみにしていてください。

YouTube動画 アーティストオーギカナエさんによる「森のたねのこうさく おすもうさんの追いかけっこ」より
(主任学芸主事 教育普及担当 鬼本佳代子)
2020年5月27日 09:05
4月半ばより開催予定だった「春の名品展」(~6月14日(日))。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、会期の半分以上が休館となってしまいましたが、ようやく皆様にご覧いただく機会が訪れたことを大変嬉しく感じています。
本展出品作品の中でも特に人気が高いのが、宮本武蔵《布袋見闘鶏図》(ほていけんとうけいず、タイトルが長いので以下《闘鶏図》と略します)です。

宮本武蔵《布袋見闘鶏図》
争う二羽の鶏を布袋がじっと見つめる様子を描いたもので、ドラマや小説でもおなじみの宮本武蔵のイメージに相応しい緊張感あふれる作品に仕上がっています。ところで、当館には同じ主題の作品がもう1点所蔵されていることをご存知でしょうか?それがこちらの《鶏骨図》。

伝・梁楷《鶏骨図》
中国・南宋時代の画家・梁楷がてがけたと伝わります。実際の制作は元時代に下ると思われますが、少ない筆数で対象を捉える手法などは梁楷の画風を伝えるものです。
武蔵は《闘鶏図》の制作にあたって、この《鶏骨図》もしくはそれに類する作品を参考にしていると思います。ですので、今回の展示では2作品を並べて展示することによって、それぞれの違いを比べていただけるようにしています。そこで、本ブログではこの2作品の違いをご紹介いたします。
まずは《鶏骨図》から。この作品、控えめに言ってかなり変です。本作では闘鶏をみつめるのは、布袋ではなく数珠を持ったお坊さんになっていますが、顔には笑みを浮かべています。

つまり、この絵は殺し合う鶏を見ながら、にやにやしているお坊さんを描いているんです。完全にホラーです。ちなみに、闘鶏を描く作品として有名なものに六道絵があります。六道絵とは、人が死後に生まれ変わる六つの世界(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)を描いたもの。すごく平たく言うと、「悪いことすると地獄に落ちますよ」ということを伝えるための絵です。もちろん悪いことをした人が全員地獄へ落ちるわけではなく、罪の重さに応じて生まれ変わる世界が変わるというシステムになっています。闘鶏が描かれるのは「畜生道」、六道のうち、上から4番目(下から3番目)です。地獄に落ちるほどの重罪ではないけれど、そこそこの悪行といったところでしょうか。まっとうなお坊さんであれば笑って見ている場合ではないことは確かです。正直、どうしてこのような絵が描かれたのか全く見当がつきません。本図の作者はよほど屈折した感情を抱えていたのだろうか、とわずかに想像するのみです。
このようなよく分からない《鶏骨図》と比べることで、武蔵の《闘鶏図》の個性はより明瞭に捉えることができます。まず、武蔵の《闘鶏図》では闘鶏を見つめるのはお坊さんではなく神様である布袋です。最初からフィクションとして構想されているので「どうしてお坊さんが…」といったマジのツッコみは必要ありません。それから一番の違いは表情でしょう。

布袋は眉間に皺を寄せてなにやら考え事をしている様子。口元は若干微笑んでいるようにも見えますが、《鶏骨図》に描かれたお坊さんとは明らかに趣が異なる表情です。《鶏骨図》が「なんだかよく分からない絵」だとすれば、武蔵の《闘鶏図》は「なにか意味ありげな絵」ということもできそうです。
例えば、《闘鶏図》を所蔵していた松永耳庵翁は、争う二羽の鶏に当時の政界の主導権争いを重ね合わせ、布袋のような強力なリーダーの登場を熱望しました。このような「分かりやすさ」も《闘鶏図》の人気を支える要因の1つではないかと思います。
展示は6月14日(日)までです。是非会場で2作品を見比べていただき、その違いを実感してください。
(学芸員 古美術担当 宮田太樹 )
2020年5月19日 10:05
福岡県の緊急事態宣言が解除され、当館もようやく開館することができました。皆さまお元気でしょうか。心の不安を少しでもやわらげ、しばしの憩いと癒しをもたらす役目を担っている美術館なのに、長く休館してしまいました。開館できることを館員一同心待ちにしていましたので、ほっとしています。
ただ、今後も感染リスク低減のため、来館される皆さまにいろいろとご不便をかけ、ご協力をいただくことになります。またもや感染が拡大して再度の緊急事態とならないためにも、申し訳ありませんが、ご協力をお願い申しあげます。
さて、お気づきになった方もいらっしゃるかもしれませんが、この4月に館長から総館長という職名になりました。どこか別の施設の館長を兼務するわけでもなく、偉くなったわけでは全くありませんし、館長でも重みが半端ないのに、総館長なんて、かるーい人間であるわたしといよいよ釣り合いがとれず、なんとも居心地が悪い感じですが、これまで通りにお付き合いください。
重い軽いで思い出しました。昔々、学芸員になった頃に思い知らされたことがあります。単純なことなのですが、美術作品はけっこう重いのです。もちろん唐物茶入みたいに見た目よりもずーっと軽いものもあるのですが、鎧や兜、屏風、現代日本画(壁のような)、仏像、石像などなど、ふうふう言いながら持ち運ぶこともしばしば。それに、軽い作品であっても落としたりしたらそれこそ大変ですから、身体に力が入っていまい、肩が凝ってしまうことも。学生時代は実物でも写真でも眺めるだけでしたから、重さなんてほとんど考えたこともなく、イメージだけを追いかけていたわけです。大げさに言えば、学芸員になってはじめて実在する物体としての重みに圧倒されたというところでしょうか。
バーチャル技術が進めば、仮想現実の世界でリアルな重さも感じられるようになるでしょう。もう感じられる?でもやはり、本物がもたらす、それこそ「重み」みたいなことは伝わらないのでは、なんて思うのです。今度美術館に来られたら、展示されている作品のリアルな重さと実物の「重み」について、想像してみてはいかがでしょう。

唐物肩衝茶入 銘「松永」
驚くほど薄く、軽い唐物茶⼊の代表
(総館長 中山喜一朗)