2019年10月18日 13:10
どーも。館長の中山です。当館のことではないし、しかも来年3月のことなのですが、東京の国立新美術館で「古典×現代2020―時空を超える日本のアート」という展覧会が開催されます。ネットの告知ページを開くと、ドーンと当館の仙厓作品「円相図」(石村コレクション)がでてきてうれしいかぎり。
現在当館で開催中の企画展「仙厓―小西コレクション」も大変好評をいただいています。30年来のおつきあいをさせていただいている福岡市内在住の小西昭一さんから近年一括寄贈していただいた仙厓作品を、これもドーンと一挙にお披露目。仙厓さん、江戸時代後期のお坊さんですが、いまでも人気なんです。ゆるカワのキャラだとか、ヘタウマの元祖だとか、古臭さを感じさせない超時代性?があるのは確かです。だからでしょうね。国立新美術館の展覧会では現代作家菅木志雄さん(昔、当館でパフォーマンスしていただいたこともある)とコラボするようで、いったいどういう展示になるのか楽しみです。
なんて言っていたら、10月16日、出光興産の出光昭介名誉会長と、出光美術館館長の出光佐千子さんをはじめとするお歴々が来館され、「仙厓―小西コレクション」をご覧になりました。門司の出光美術館でも「仙厓と禅の美」展が開かれています。なにしろ出光美術館には、出光佐三氏が収集した千点を優に超える仙厓作品の大コレクションがありますからね。次にくるのが当館のおよそ300点のコレクションです。
さてさて、いま当館でご覧になれる作品から1点、とんでもないのをご紹介しておきましょう。
仙厓義梵筆《牛図》
いかがですか。とんでもないでしょう。ヘタウマじゃなくてヘタヘタじゃないかと。「此牛妙妙」と仙厓さんみずから書いていますが、妙(みょう)妙(みょう)というのはきわめてすぐれているという意味。嘘でしょ。嘘ですよね。モーモーと鳴く牛ではなくミョーミョーと鳴く牛?それとも妙妙じゃなくて奇妙?そもそも牛は禅宗では悟りの象徴です。仙厓さんがつかまえた牛(悟り)はこういう姿なのかもしれません。牛のおなかに「仙厓」のハンコが押されていますから、これ、仙厓さんその人かも。
白状すると、わたしはもう30年以上も仙厓さんとつきあっています。本も三冊ほど書きました。講演や講義は両手両足の指では全然たりないほどやりました。でも、わたしは仙厓さんの研究者じゃなくてともだちです。だって、こういう絵を描く人ですよ。研究対象とか呼べないです。わたしは禅のことは素人なので弟子というのもおこがましい。だからともだち。ですよね。仙厓さん。それにしても、あなたは死んで180年以上もたつのに、元気ですね。
2019年9月11日 16:09
先日、1階ロビーを歩いていると、後ろから小さなお子さんがパタパタと駆け寄ってくる気配がしました。同時に、「そっちは違うよ。“じいじ”はあっち。あっち」というお母さんの声も聞こえてきました。振り返ると2歳くらいの男の子が丸くて大きな目でわたしを見上げてきょとんとしています。インド系かしらと思う顔立ちで、すごくかわいらしい男の子でした。階段を下りてきたお母さんも、ミュージアムショップから姿を現した“じいじ”も彫りが深くてエキゾチックな顔立ちです。流暢な日本語で男の子を呼んでいらしたので日本に在住されているのかもしれません。本物の“じいじ”もわたしも白いシャツを着ていたので間違えたんだと納得。
リニューアル以前にも外国からの来館者は数多く見かけましたが、最近はさらに多くなったなと感じます。とくにコレクション展示室では毎日必ずと言っていいほど。リニューアル開館以後の来館者統計を見ると、約20パーセントの方が海外からのお客様でした。当館は福岡市内の観光スポットとして広く認知されている大濠公園内に立地していますから、ちょっと立ち寄るには便利ですし、考えてみれば、わたしたちも海外旅行をするとたいてい現地のミュージアムに一度は足を運んだりしますから、自然なことなのでしょう。そういう美術館の状況に呼応するみたいに、つい最近、クルーズ船を借り上げて上海などから観光客を誘致する会社の社長さんが来られていろいろお話をお伺いし、館内を案内しました。当館に好感をもたれたようでしたが、巨大な船で来られる数百人、千人単位のお客様を想像すると冷や汗がでます。
現代のミュージアムには観光拠点としての役割も期待されています。四か国語の館内サインやパンフレット、コレクション展示に関する多言語アプリ、英語の解説ツアー、それからインフォメーションカウンターで海外のお客様からの質問になかなか流ちょうな英語で親切に応対しているスタッフの姿などを思い浮かべ、とりあえずは大丈夫かなと胸を撫でおろしながら、それでもまだまだ満足することなくすべての来館者に美術館を快適に楽しんでいただけるよう進化していかないとと気を引き締めています。
英語ツアーの様子
館内のサインは4か国語表記
オリジナル商品の説明も4か国語対応
それにしても、わたし、やっぱり”じいじ”なんですよね。うすうす気がついていたのですが、後ろ姿だけでも若返る方法、ありませんかね。カツラ、かなぁ。
(館長 中山喜一朗)
2019年8月16日 11:08
どーも。館長の中山です。7月26日、福岡歯科大学で福岡学園の開学記念式典があり、講演をたのまれていたので行ってきました。大学本館の立派な玄関を入ると、巨大な陶板壁画が目に飛び込んできてびっくり。「えっ! これは甲斐巳八郎さんの作品! すごい!」と目を見張り、感動しました。
というのもわたしが学芸員になってはじめて担当した企画展が「現代に生きる新しい水墨画の世界 甲斐巳八郎展」(1982年)だったから(古美術の学芸員として就職したのに、しょっぱなから「水墨画だから」ということで現代美術をやらされたんですよ)です。でもすごく勉強になったし、今でも忘れられない展覧会なんです。だから、当時はまったく手がつけられなかった甲斐さんの若いころのことを4年前から美術館の研究紀要に「満州の甲斐巳八郎」と題して資料紹介の連載もしているんです。7月の初旬に国会図書館で何度目かの調査をしたばかりだったし。我ながら執念深いなあ。
その甲斐さんの巨大な壁画が突然目の前に現れたので驚いたのです。無理ないでしょう?「こんなの知らなかった! すごくいい作品だ!」なんて。甲斐さんの略年譜などの書かれたパネルが設置されていて、作品のタイトルはありませんでしたが、中央アジアの山なみを描いた晩年の作に違いないのです。
でも待てよ。あれ、そうだっけ? …思い出した。38年前、新人学芸員として手探りで甲斐さんの年譜を作っている最中に、この壁画を見に来ているんです。それを完全に忘れていただけのこと。歳はとりたくないですね。そのうち、一度読んだ小説をまた読んで、一度読んだことも忘れてまた感動したりしてしまうのでしょうか。まあ、それも幸せ? 歯科大学や大学病院に行かれることがあったら是非見てみてください。水墨画のニュアンスと力強さが見事に再現されています。
(館長 中山喜一朗)
1977年2月に着手し、1978年9月に完成。甲斐巳八郎は1979年6月没。写真は福岡歯科大学総務課・和才広輝氏撮影、提供。