2021年8月18日 16:08
スーパーで買い物をすると、つい要らないものまで買ってしまいますよね。
仕事帰りでお腹が空いている時は、なおさらです。牛乳と納豆を買えば済むものを、鮮魚コーナーの高彩度LEDに照らされた刺盛に手が吸い寄せられます。割引シールが貼られていようものなら抗うことは困難に。スナック菓子にアイスキャンデーも詰め込んだ買い物袋を携えて帰宅し、腹をすかせた息子たちの歓喜に迎えられて複雑な心持ちを噛みしめるのです。
スーパーの商品陳列の配置には、来店客の利用のしやすさだけでなく、購買意欲を刺激するために考えぬかれた様々な工夫、イジワルな言い方をすれば「仕掛け」がちりばめられていることはよく知られています。わかっちゃいるけど買わされてしまう、それだけ巧妙に考えられているようです。
そして不思議なことには、まんまと買わされた!と後悔しても、次の日には、切らしていた卵とバナナを買うために入店し、さんざん息子たちにバカにされた屈辱を忘れてプロ野球チップスを自分の分までカゴに入れようとするのです。そう、反省も、後悔も、不満も、清々しいほどに消え失せてしまうのです。どうしてなのでしょうか?
その理由はおそらく単純なことで、深層欲求が表面欲求に勝るからに他なりません。要らないと思っているものにも、本当に心から不要と思っているものと、本当は欲しいのだけど不要であるべきだと思っているものがあります。スーパーで買わされる物は、もれなく後者に該当するはずです。だから、「買わされた」という使役受身形の行為におのずと積極性を自覚して安心するのであり、さらにいえば、スーパーの策略にしてやられたというフリをして、実は満足すらしているかもしれないのです。いかがでしょうか。
前置きが長くなりましたが、お客さんがこうして「買わされる」仕掛けを、「見せられる」という形で展覧会作りにも応用できたら、すごいことになるんじゃないかなぁと思っています。うまくいけば、まさにワークライフバランスのお手本になるでしょう(違うか)。
一つの展覧会、特に来場者の少ないコレクション展示に陳列する作品群の、一つでも多くを心に留めて帰っていただくために、見たくもないものに注目せざるをえないように仕向けること。「お客さんをたぶらかすつもりか!?」と言われれば、まあその通りなのですが、ご安心を。スーパーと違って、見るつもりのなかったものをどれだけたくさん見せられたところで、追加出費は発生しませんし、食べすぎの心配をする必要もありません。
もとより当館のコレクション展示は一般200円という、内容の充実ぶりからすれば破格の観覧料だと思います。それが破格であることを実感していただくためにも、魅力的な企画内容をはじめ、解説、照明による演出など工夫すべき点は多々あるのですが、スーパーの配置構成を見習うことによって、お客さんにとっての美術体験は良くも悪くも一層に充実したものになるのではないか。
でもよく考えたら、当館では、はからずも既にいくつかの仕掛けはあります。古美術展示室に初めて足を踏み入れる方は、入り口の自動扉をくぐったとたん、右側に、まさに仁王立ちする巨大な阿・吽の仁王像に眼がいくでしょう。阿形像と吽形像の間に立つと、眼は仏堂内の雰囲気ただよう奥の室に誘導されるでしょう。そこには薬師如来の周囲に多くの仏像がたたずんでいます。黒壁を背景にした御像が、3500ケルビンのLED照明にドラマチックに照らし出され、厳粛な空気に満たされています。そうした空間に生理的な嫌悪感や忌避感を覚える人でなければ、自然と足を踏み入れたくなるような、そんな空間です。
いっぽう、リピーターの方は、例えば松永記念館室に常陳されている重要文化財《色絵吉野山茶壺》を見るために入室すると、正面の古美術企画展示室のウォールケースあるいはその手前の行灯形展示ケースに陳列される作品の存在感を無視することはできないはずです。自動扉を入ったときの視界をいかに新鮮にかつドラマチックに演出するかということは、学芸員が展示替えのたびに熟慮していることなのです。
私は、こうした工夫を隅々にまで周到に散りばめて、お客さんをたぶらかしまくりたいのです。以前私がこのブログで書いた「名品展をつくる難しさ」という記事の内容は、そのささやかなる試みの一例です。展示台に置くだけで見る人を魅了できる「名品」を集めた展示は、企画もなにも、置くだけでいいのだから作るのは簡単と思われがちですが、それじゃあ勿体ない、集った名品が全て耀くためには、配置の仕方に相当の苦労を要するのだ、ということを説きました。逆にこのこと以外、とりたてて実践できたわけではなく、口先ばかりでお恥ずかしいばかり。
ともあれ、美術館学芸員として、大小様々な展示を企画してきましたが、それぞれの展示で「見せたいもの(こと)」に対する考え方も、年を重ねるごとに少しずつ変わってきています。ブログで何を書こうかとネタに困った挙句、指の動くままにこのようなことを書いているのも、見たかったものと出会うことと同じくらいに、見るつもりのなかった、さらには見たくもなかったものに出会い、向き合うことは大切だ、否むしろ余程大切なんじゃないかと強く思うようになっているからです。それは、多様性を受け入れる、という当たり前のこと(として誰もが簡単に口にしながら、実践することが非常に難しいこと)の実践にそのまま結びつくように思っているから、でもあります。そして美術館・博物館のものいわぬ展示物を見る行為は、作品鑑賞という楽しみと同時に、多様性を受け入れるための訓練を、誰とも争わず、誰をも傷つけず、誰にも邪魔されずに出来るチャンスなのではないか、と本気で考えるようになりました。
この仕事をするまでは、古美術の中でも研究している分野の作品以外は殆ど見向きもしなかった私ですが、今はどんなテーマの展覧会にも期待をもって足を運び、作品たちに向き合い、良くも悪くも色んな感情が沸いてくるようになりました。見るも華やいだ美しい絵画に見惚れているうちに、これ見よがしの見栄えがだんだん鼻についてきて、不愉快にすらなってくることがあります。いっぽうで、ただ醜くて意味不明とした思えないオブジェを漫然と見ていると、いつぞやの辛かった時の記憶が蘇り、否応なしにそれを反芻しているうちに、それまで自覚していなかった自分の欠点を見つけられたような気がして、えもいわれぬ充実感に満たされたこともあります。どちらの反応も、きっと作家が鑑賞者に対して意図したり、期待したりしたことではないはずです。美術品が備える「美」の正体は、無限に姿を変えて、見る人の見方や接し方によって、自他、彼我、周囲のあらゆるところに潜んでいるようです。
古美術から近現代美術まで広く集める福岡市美術館の展示内容は、実に多種多彩です。出会ってみなければ、向き合ってみなければわからない何らの気づきの機会が、そこかしこに隠れています。どのような目的であっても、展示室に入ったら、出会って都合の良い作品にも、悪い作品にも、どちらでもない作品にも出会うことになります。その何れに対しても自然に向き合い、様々な感情を掻き立てていただける仕掛けを、私はスーパーで日々ついつい「買わされ」ながら模索しています。
ちなみに今日は私、スーパーに立ち寄る予定は、ありません。でも、「なんか買わないかんものはなかろうか」と、買う物を頭の中で探しています。自分が仕掛けた展覧会を見たお客さんが、その後「なんか見ないかんものはなかろうか」と何度も当館に足を運んでは色んなものを見せられて、疲れて、懲りてもまた来てしまう、ということになったらなんと素敵なことか、と思います。頑張ります。

(主任学芸主事 古美術担当 後藤 恒)
2021年8月12日 16:08
みなさん、こんにちは!こぶうしくんです。
この前、カフェでのんびりスペシャルソフトクリーム“wind大濠”を食べてみました。アイスクリームが濃厚で、薄いチョコレートの触感もアクセントになっていて、とっても美味しい!

みなさんは今年の夏、どう過ごされていますか?
ボクがいる福岡市美術館では、1階の古美術企画展示室で美術作品の謎をテーマにした夏休みこども美術館「これなぁに?謎がいっぱい、古い美術」を開催しています・・・が、残念ながら、今は福岡コロナ特別警報のため8月31日(火)まで閉室しています。でも、開いていた7月20日(火)~8月8日(日)までの間、「作品を見て、気づいたことや考えたことがあれば手紙に書いて教えてね」ってお手紙専用の用紙に書き添えて、展示室に置いていました。そしたら、142通ものお手紙が届いたんです。わーい!お手紙くれたみなさん、本当にありがとうございます!

夏休みこども美術館「これなぁに?謎がいっぱい、古い美術」展覧会会場のお手紙コーナーの様子
ほんの一部だけれども、ここで届いたお手紙を紹介するね。
記念すべき1通目、おくぞのふみかさんからのお手紙です。
ボクのモデルになった作品《コブウシ土偶》について書いてくれたみたいです。
『こぶうしくんは6とういたんだね。
こぶうしくんはなつやすみになにをしてあそんでいますか。
わたしはこぶうしくんとあそびたいです。
ねんどでやいてかためたこぶうしくんもかわいいですね。
いっしょにパーティーがしたいです。
またあおうね♡』

《コブウシ土偶 6体》土器 / パキスタン / 紀元前2000年頃 / 長8.9~10.3 cm 実際に展示されている様子
展示室で《コブウシ土偶》を見つけてくれたんだね!
そうです、福岡市美術館には6体のコブウシ土偶がいるんです。「かわいい」だって、なんだか照れちゃう。ちなみに、ボクのモデルになっているのは、奥のいちばん右です。似てるかな?
実はコブウシ土偶は他にもたくさんみつかっているんです。もしかすると他の美術館や博物館でも見ることができるかもしれません。
それから、ボクの夏休みの予定は、このお手紙を紹介することだよ。少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。パーティーは楽しそうだね。ぜひ、また、美術館であいましょう。
さて、2通目はゴリラホネッキーさんからのお手紙です。
『何かわからないからこそおもしろい!!
誰が…
何のために…
いろんな事を想像しました。
ゴリラホネッキーが生きてるうちに謎がとけるのか!?』
ゴリラホネッキーさんは《加彩十二生肖》についても書いてくれました。

絵で書いてくれているのですが、これはお香をさして焚くためのものではないのかと考えているようです。

《加彩十二生肖7躯》陶器 / 中国 / 8世紀 / 高20.0~21.5 cm 十二支の動物を表していて右から丑、寅、巳、午、申、酉、亥
この作品はよく見ると動物の顔をしていて、着物を着ています。ゴリラホネッキ―さんは、この動物たちの頭にお香をさして使っていたんじゃないかと想像してくれました。とっても面白い発想だね。見たところ、頭の上に穴はないんだけど、でももし穴があったらお香を挿して使うのにちょうどいいかもしれませんね。全然思いつかなかったから新しい見方を知ることができて嬉しいです。面白い見方を教えてくれてどうもありがとう。
実はこの作品については他にもお手紙が届いています。この作品は十二支の動物が形作られているんだけど、当館には7体しかいません。そのことについて考えてくれた方がいたので紹介します。
3通目、どき土器ガール(9さい)
『こぶうしくん、こんにちは!
どき土器ガールだヨ!(9さい)
私は何に使っているのか考えました。「だれか教えて」で書いてみるね。
「加彩十二生肖7躯」
友だちの干支だけを作ったからなのかも?』
んんん、なるほどなぁ。思わずうなっちゃいました。たしかに7体しかいない理由を考えると、友だちだったから、その亡くなった友だちの干支を作ってお別れをしたというのもあるかも。とっても思いやりのある面白い意見、どうもありがとう。
ちなみに、どき土器ガールさんは他の作品についてもたくさん意見を書いてくれました。
この作品について古美術専門のG学芸員に少し聞いてみました。
この作品はお墓の中にいっしょに入れられていたものです。長い間お墓の中にあったから、ここに無いものはすでに壊れてしまった可能性もあるみたいです。
それだとちょっと寂しいね。せっかくだし、夏休みの自由研究で、あとの5体を想像して作ってみようかな。
さて最後は、うんこさんからのお手紙です。
『どれも、個々の特徴があり、現代では見ることのできないような、独特な世界が繰り広げられていて、感動しました。
学校のレポートを書くために、無理やり来させられた美術館でしたがいい思い出となりました。学校の宿題、終わる気がしません。』
この展覧会全体について書いてくれたようです。美術館へは嫌々来たけれど、最後には良い思い出になったと書いてくれて、ボクとしてもとっても光栄です。ありがとう。きっともう少し夏休みはあると思うので、ちゃんとお休みは楽しみつつ、レポートや宿題もがんばってください。また美術館へは、気分転換に遊びに来てね。
今日のお手紙紹介はここまでです。本当にたくさんのお手紙、どうもありがとうございます。いただいたお手紙は全部読んでるよ。
それではまた次回、楽しみにしててね。
こぶうしくん(代筆:教育普及係 上野真歩)
夏休みこども美術館「これなぁに?謎がいっぱい、古い美術」
会期:2021年7月20日(火)~9月12日(日)
場所:福岡市美術館1階 古美術企画展示室
※福岡コロナ特別警報のため8月9日(月)~31日(火)は閉室です。ご注意ください。
2021年8月6日 10:08

2021年7月1日にお目見えした、インカ・ショニバレCBEの《ウィンド・スカルプチャー(SG)II》。
「リニューアル時には、美術館のシンボル的な目を引く大型作品を設置したい」という夢が生まれたのが今から10年以上前の2010‐11年頃。「交流と多様性」を象徴するインカ・ショニバレCBEの《ウィンド・スカルプチャー(SG)II》を設置することが決まったのが、2018‐19年でした。そして、リニューアル・オープンの年、2019年の秋に《ウィンド・スカルプチャー(SG)II》の制作は始まりました。
それにしても、最初に夢を描いたころはおろか、2019年でさえ、億単位の人が感染する疫病が世界に広がるなんて、まだ誰も想像できませんでした。《ウィンド・スカルプチャー(SG)II》は、2020年から21年にかけて、コロナ渦の真只中で、ロンドンのロックダウンや工房の閉鎖を乗り越えて制作され、海を渡ってきました。
その完成披露式典に、インカ・ショニバレCBEがメッセージを寄せてくれました。その中核となったのは、要約すると下記のような内容です。
―パブリック・アートは、すべての人々に開かれたものであり、その意味で、とても平等なものである。美術館に行かけなればアートと出会えないというのは思いこみであり、公共の空間でアートを体験することは、より大きな喜びや驚きを生む―
そして、彼がその考えを強く持つようになったのは、コロナ禍を経験したからだと、ということも語られていました。過酷なロックダウン下で、美術館も長い休館を強いられたロンドンでの生活。そこから生まれた切実な思いは、強く胸を打ちました。

というわけで、《ウィンド・スカルプチャー(SG)II》は、「交流の象徴」というより、今は「交流をあきらめないことの象徴」となり、「美術館のシンボル」という以上に、いつでも誰にでも美術にふれる楽しみを与える「パブリック・アート」としての大切な役割を担う存在となりました。
SNSで、思い思いのアングルで、さまざまな空を背景に撮影された《ウィンド・スカルプチャー(SG)II》を見るたびに、感激します。どれも一期一会の貴重な一枚。ぜひ、みなさんが出会った、四季折々の《ウィンド・スカルプチャー(SG)II》をアップしてください。#yinkashonibarecbe を付けてくださると、世界中のインカ・ショニバレCBEのファン(多分インカ自身も!)が見てくれると思います。
(館長 岩永悦子)